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離婚道#6 第1章「人生の高度計」

第1章 離婚もっとずっと前

人生の高度計

 新聞記者としての初任地は水戸支局だった。
 事件記者としてポンコツだったのは間違いないが、それなりに奮闘していたころ、県内の暴力団事務所で発砲事件があった。
「現場に行って、写真を撮ってこい」とデスク。私はカメラを持って、支局を駆けだした。
 現場は暴力団組長の自宅兼事務所。塀に囲まれた広大な敷地に大きな日本家屋が建っていた。とにもかくにも、まず外観の写真を……とカメラを構えていると、門番の若い組員が近寄ってきた。
「ネェちゃん、どこのブン屋?」
「中央新聞です」
「へぇ~、オレ、読者だよ。おい、このネェちゃん、中央新聞のブン屋だってよ」
 などと言いながら、組員らが謎の盛り上がりを見せていた。
 あたふた撮影していると、あっという間に数人の暴力団員に囲まれ、震える手がいうことをきかず、シャッターを切ったら「パシャ、パシャ、パシャ……」と高速連写。
 いけない! 前日の高校野球の取材で、バックホームの瞬間をとらえようと、カメラを連写モードにしたままだった。
 おまけに、「ネェちゃんよぉ、レンズに蓋がついたままだっぺよ」と組員たちにからかわれ、さんざんあぶら汗をかいた――
 ……という体当たりエピソードを社内報に書いたところ、編集局長が面白がってくれたらしい。各県版共通で掲載する「女性記者24時」なる記者コラムをスタートすることになった。
 週1回のコラムで、女性記者数人が持ち回りで担当した。これにより、私は、中2から願っていた「コラム執筆者」の一人になったのだ。
 本来、新人はサツ回りで記者としての基本を学ぶのだが、私は事件事故がない時用のまちネタ記事や文化芸術系の話題ものの取材に軸足を置いていた。こぼれ話を多く取材し、書きようによっては、県版のトップ記事にもなる。あちこち歩き回り、デスクに「こんなネタ、ありますよ」というと、面白がって出稿を楽しみにしてくれる。次第にデスクも「寺尾を自由にさせると紙面が埋まる」となる。
 事件記者として失敗続きだったことが思いがけず奏功し、私は、文化芸術系の独自ネタで勝負する記者としての道を進むことになった。そうして記者2年目のころには、自分だけの週1のコラムを持てるようにもなれた。舞台や展覧会を観て好きに書くもので、コラムのネタ取材でさらにあちこち飛び回った。
 私には中央新聞という環境もよかった。
 大手新聞社と違って中央新聞は人が少ないため、紙面を埋めることが最優先。たくさん書けば、それだけ重宝がられた。当時社内には、記者の個性を伸ばそうという自由闊達な気風もあった。
 東京本社に異動後は、いくつかの部署を経て、希望通りの文化部記者となった。
 好きな芸術文化に触れ、それが仕事になることは至福の喜びである。そのため、マーガレット・ミッチェルのようにいずれ本を書くという目標はひとまず忘れ、目の前の取材に夢中になっていた。
 文化部時代は、毎週、毎月の連載など、常に自分で企画した連載ものを抱えていた。「アナログ記者の文化デジタル塾」という週1連載は、当時活用され始めたインターネットなどのデジタルメディアについて、多数の著名人にインタビューしたもので、2年間続けたころ、書籍化もされた。私にとって初めての出版であった。
 日中ほとんど出社せず、夜間や土日に会社に行き、執筆するという毎日。疲れを感じる時もあったが、若かったし、やりがいがあった。次第に新聞記者の仕事が私の天職で、一生、新聞記者で生きていきたいと心底思うようになったのである。
 
『人生の高度計』という映画がある。
 1933年のアメリカ映画で、監督はドロシー・アーズナー(1897-1979)。オスカーを4回受賞したただ一人の女優、キャサリン・ヘプバーン(1907-2003)の初主演映画で、戦前の映画にもかかわらず、テーマに古臭さはなく、むしろ新鮮味すらある秀作だ。
 簡単にあらすじを紹介すると――
 ヘプバーン演じる世界的な女性飛行士シンシアは、空を征服するのに忙しいため、20代なのに恋を知らない処女。あるパーティーのゲームで妻子ある国会議員の男性と出会い、あっという間に二人は互いの理解者となり、まるでそうなるのが宿命だったかのように、ストンと恋に落ちる。
 そんな中、ある富豪が企画した世界一周飛行競争に唯一の女性飛行士としてシンシアは参加する。女性でありながら、なんと、シンシアは優勝するのだ。シンシアとの関係を断とうと思っていた国会議員は、シンシアの冒険飛行を思うと、一刻も胸は静まらず、関係は断てない。そしてシンシアは、妊娠する。
 国会議員はシンシアから妊娠を告げられ、貞淑な妻と離別することを口にする。それを知ってしまった議員の娘は、シンシアに憎悪の呪いを投げつける。悩んだシンシアは身重の体で高度飛行に挑戦、新記録を作る。そしてその直後、高度計を急降下させ、自らを愛機とともに粉砕させる……。
 映画の中で、強烈に印象に残ったセリフがあった。
「結婚し、子供を産むことは、女性を不寛容な性格にする」
 たしか、結婚に興味がなく、自由に空を飛び、飛行技術を高めることに夢中だったシンシアが放ったセリフだったと思う。
 20代の私は、このセリフにひどく共感した。
 私自身、無我夢中で新聞記者を目指し、記者になってからは仕事を通して「寺尾まどか」という人格を築いていった。大学も仕事場も男社会だったから、女友達は少なく、男友達には寛容だった。それが「寺尾まどか」で、だから職場でも生きやすかった。
 私は、自分は結婚しないだろうと思っていた。
 たまに、私のことを妙に面白がってくれる異性はいたが、もともと美人でもない。
 寺尾家では、縄文顔の目鼻立ちのクッキリした母妙子と兄さとしのグループと、弥生顔の父進と私のグループに分かれている。父は小松政男にもっと愛嬌を加えたような顔立ちで、私は100%父親似だ。
 子供のころ、近所の駄菓子屋のおばちゃんからは「お兄ちゃんが女の子で、まどかちゃんが男の子だったらよかったのに」とよく言われた。母妙子からは「まーちゃんはおへちゃだけど、そこが可愛いんだよ」と慰めにもならないことを言われていたから、幼少期からあまり女として勝負しようと思わなかった。
 そして何より、仕事が大好きだった。
 新聞記者は休日が不定期で、夜中の1時、2時から飲みに行くようなヤクザな生活である。堅気の職業の男性とはおつきあいすらなかった。だから女性新聞記者は同業者との結婚も多い。
 アメリカ映画『或る夜の出来事』(1934)で新聞記者を演じたクラーク・ゲーブルが素敵だったから、学生時分は、結婚するなら新聞記者がいいと思っていた時期もあったが、いざ新聞社に入社してみると、周囲に私が憧れるような新聞記者はいなかった。
 どんな人と結婚しても、結婚すれば、自由な自分ではいられなくなる。この自由を手放したくなかった。いつか子供を産みたいとは思ったが、同時に、一生結婚しなくてもいいと思っていた。
 つきあう男性は何人かいた。けれども、自分のペースを乱してくるような人は選ばなかったし、相手に依存することはなく、彼氏・彼女の濃い関係にならないようにした。何よりも、私自身、だれかに束縛されることが最も嫌だったのだ。
 だから私は、記者として充実していた30歳の時、江東区門前仲町に中古マンションを購入した。30年ローンである。
 門前仲町によく遊びにきた母妙子は、
「まーちゃんが新聞記者になれて本当によかった。好きな仕事ができるのは本当に幸せだよ。一生、結婚なんてする必要ないよ」
 どの口が言ってるのか、と思ったが、まあいい。箱をかぶる私に絶望し、大学受験でほぼ全滅した時はあれほど私を罵った母が、私の人生を肯定している。
『人生の高度計』では、空を飛び回っていたシンシアは国会議員と恋に落ち、人生が180度転回した。シンシアは世界一の飛行士で、やりがいを感じていたはずだ。そんな女性が、ひとりの男性によって、これほどまでに人生が転じるなんて、そんなことがあろうか。映画の中の話だからだ――私はそう思っていた。
 ところが、そんな私の価値観と人生が、ある日、180度転回したのである。


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