勉強していることは異常である

 コロンブスは西周り航路でインドを目指す必要があっただろうか。
 
 当時、スペインからインドへ行く航路としてすでに南回り航路が確立されていた。
これは大西洋を南下し、喜望峰を回ってインドを目指す航路である。
この航路であれば、インドへ行くことができるのは何度も検証されていた。
 
 南周り航路が確立されている以上、西回り航路を目指す必要性はなかったと考えられる。
 
 
 それでもコロンブスは西回り航路を決行した。
そしてその結果、コロンブスはラテンアメリカを発見し、スペインはこの地の支配権を手にすることになる。
 
 たしかに当初の目的であった、インドに到達することはできなかったが、
ラテンアメリカの発見によって、潤沢な物資や奴隷を確保でき、スペインは国として黄金時代を迎えることができた。
 
 また、コロンブスの旅は、まだ人々のなかに地球平面説が残っていた中で、地球球面説を支持するエビデンスの一つともなった。
 
 
 コロンブスの、必要性のない旅は様々な側面でメリットのある結果をもたらしている。
それはなにか行動を起こすうえで、その必要性を問う現代の慣習に疑問を投げかけてもいる。
 
 
 
 勉強をするときにも決まって必要性が問われる。
「この勉強に意味はあるのだろうか」「勉強をする必要はあるのだろうか」と。
 
学生時代、誰しも思ったことではないだろうか。
自分もそう思っていた一人でしたし、塾講師をしていることもあって、
現在でもかなり耳にする。
 
 
 ただ、結論から言うと、勉強をする必要性はない。
 
 

 なぜ勉強をする必要があるのですか?という問いの根底にはきっと、
勉強なんてしなくても生きていけますよね。という認識があるように思う。
 
これはそっくりそのままコロンブスの話に還元できる。つまり、
なぜ西回り航路を開拓するのですか?
それを開拓しなくても、南周り航路でインドに行くことができますよね、と
 
 
 
 おっしゃる通り、南周り航路でインドに行くことはできます。
だから、西周り航路を開拓する必要はありません。
 
 それは勉強でも同じく、
 おっしゃる通り、勉強なんてしなくても生きていけます。
だから、勉強なんてしなくてもいい。
 
 
 
 勉強は、コロンブスがそれでも大西洋 (西周り航路) に出ていったように、
本当にやりたい人だけがやればいいものだと思っています。趣味の感覚でやっていただいて構いませんし、無理してまでやるものでは本当にありません。
 
 
 学生のなかでは特に勉強をしていない人を悪く言う人がいますが、
それはどうなのでしょうか。
 
 社会に出れば学生時代に習ったことなど使わないのだから、別にしなくても大丈夫です。生きていけます。
 
 勉強しない人を蔑視することは、
従来通り、南周り航路でインドへ行こうとしている人を蔑視することに似ているように思います。

 でも冷静に考えてみると、南回り航路を使用する人を蔑視する理由などありません。
別によくないですか?南周り航路を使用しても。
目的は十分に達成できるわけですから。
 
 
 

もっと言えば、勉強をしている人のほうが異常であると考えています。
必要もないのに西回り航路へ行こうとしているわけですから。
 
だから、
勉強をしている人は、「なんで必要もないのに勉強なんかしているの?」とみんなから怒られるくらいがちょうどいいと思っています。
それくらい勉強をしている人は異常です。
 
それでも「すみません、好きなもので、、、」とある種、謙遜するくらいの姿勢で勉強はするべきであると考えます。
勉強をしている人はそれが異常であることを自認するべきです。
 
 
本当に無理してまでするものではありません。
無理してまでやるくらいなら別の好きなことをしたほうがいいです。
勉強をしない人を揶揄するのはやめましょう。

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