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目的の舵を見失わないで

しばしば、私は目的を履き違えてしまうことがある。
スタート地点ではしっかり見据えていた目的も、ことを進めていくうちにその目的を見失うことがよくある。
その時に私はよく他者の言葉や、自分の心の言葉を改めて聞いてみてハッと気づくことがある。
最近感じた3つの出来事について振り返ってみたいと思う。

一つは「子供について」。
夫のことを好きになったのは私の方で、私の方からグイグイアプローチした。
今まで付き合ってきた人とは違う時間の流れを感じていたし、安心感と信頼感がバツグンだったから、その安心の波に身を任せ、特に何も意識することなく時間が過ぎて結婚という運びになった。
「この人のことが好き」という思いは心の底にしっかりとあった。

後に、子供を持つか、持たないかの話になった。
私は自分の年齢のこともあって、不安はあるが子供を持ちたいという意思が強くあった。しかし、夫はそこまで乗り気ではない。

そこで私は一度別れを切り出そうとしたことがある。
自分でもなぜそこまで気持ちが動いたのか分からないが、その時は「どうしても子供が欲しい」という思いが強かった。
でも、その時に夫にある言葉を言われた。
「なんのために結婚したの?」である。

「この人と一緒にいたい」から「自分の子供が欲しい」に目的が変わり、新たに現れた目的が達成できないとなると、全てが終わったような感覚になる。
でも、本来は「この人との子供を授かりたい」という思いが、「結婚」という大枠の中に含まれるはずなのに、なんともおかしな事態になってしまっていた。
気持ちを立て直した自分は、例え子供を授かれなかったとしても時の運であり、巡り合わせだと思うようになった。
「結婚」という意味を履き違えないように。

二つ目は「仕事」。
本来は生活するためにお金を稼ぐはずが、仕事のために人生を費やすという構図になってしまっている。
ただ、仕事が楽しくて仕方なかったり、プライベートも生き生きと過ごせるなら私はその仕事をする価値はあると思っている。
私が伝えたいことは「心身をすり減らすほどの労働」に対してだ。

仕事は本来自分に返ってくるものなのに、自分がすり減っていく一方で、何も与えてくれるものがない状況。
それは、生きるために仕事をするのではなく、仕事のために生きている、のではないか。
私は「忙しい」という状況が嫌い。漢字にもあるように「心を亡くす」というこの表記、見事に表現してくれたものだと思う。
自分の幸せや健康を奪われてまで仕事に捧いでしまうのは本末転倒。


三つ目は「note」
私はライター、ブックライターになりたくてnoteを始めた。
文章を書き続けることは野球選手の素振りと似ていると思っていて、日頃から書いておかないと、書く領域の脳みそが鍛えられないと思っている。
分かりやすい文章を追求していくことを目的とし、自分の脳筋(きっと意味が違う)を鍛えている。
そして、もう一つの目的は自分の思いの発信練習。
私は口で自分の思いを伝えることに苦手さがあるため、書くことで自分の思いを探る力を身につけたいという計らい。
そこに、自分の文章を読んでくれて共感してくれたり、応援してくれたりしてくれる人がいるならば幸運だな、という順序。

だから、私は「バズるための文章」だったり「フォロワーを増やすための術」を追求するために文章を書いている訳ではないのだが、やはりSNSの怖いところ。
色々と自分の中の欲が出始める。

思わず共感をもらいたくなったり、共感を得られるような文章を書きたくなってしまう自分がいた。
危ない、また目的を見失うところだった。

だから、定期的に自分の思いを見直すことって自分の思考の軸になるし、改めて自分が目指したい方向性を定めることができる。
自分の思いを振り返るきっかけがあれば幸運なことだが、そんなに易々と訪れるものでもない。
自ら初心にもどり、気持ちを振り出しに戻す時間を持つことも大事なのだと思う。

「周りがそうだから」「他者にそう言われたから」という言葉に振り回されず、自分の心の声のボリュームを大にして、聞き続けていきたい。
自分の目的を遂行し続けた人というのは、側から見ててもわかるほど、キラリと輝く瞬間があるから。

さぁ、もう一度舵をきりなおそう。

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