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好きな人は好きと嫌いを繰り返す

仲良くしている友達、一緒に生活してくれている夫。親子関係。

過去を振り返って気付けばもう出会ってから10年経った、15年経った、なんてことを考えたりすることはあるのではないだろうか。

私が今もなお関係を築いてきている人達とのことを振り返ると、「自然とここまで来た」という思いがある。
無理に関係を作ってきた訳ではない。

たが、その過ごしてきた期間の中に、一つ感じる感覚がある。
「好きな人は、好きと嫌いを繰り返す」である。

友達や夫、家族にも当てはまるが、その人との間で好きと嫌いを繰り返してきた。

ここの部分が好きだな、尊敬するな、一緒に居て落ち着くな、これからも一緒に居たいな、という思いや、
少しイライラするな、なんでこんなこと言うんだろう、距離置きたいな、という思いなど。

こういった気持ちをぐるぐる繰り返している。

この「好き」と「嫌い」を繰り返すことで関係性がどんどん強くなっているような気がする。
「少し距離を置こうかな」と思っていても、なぜか一緒にご飯を食べたり、将来のあれこれを語り合ってしまう。

もう少しじっくり考えてみると、なぜか会ってしまう人や、定期的に会う人というのは自分の心のエネルギーが補給されるような人達。自分のエネルギーを使ったとしても、しっかり補給も行えるような関係性。

自分の心のエネルギーを吸い尽くされるような人とは一緒に居られない。
そういう人とは自然と離れていっているし、自分の心が敏感に捉えている。

自分の心の声に従い続けた結果、好きと嫌いを繰り返せる程の忍耐力がついていた。
諦めずに大事だと思う人と関わり続けた結果、あらゆる人生の景色を共にすることが出来ており、はたまた強力な相棒となっており、自分を育ててくれていた。

親子関係でもきっとそう。

親であれば子供に対して、子供であれば親に対して、好きと嫌いを繰り返しながら「1人の人間」として自分の中で理解をしていく。例え家族であったとしても、1人の人間である、ということに気付いていく。

人間としての理解の引き出しが増えていく。

新しい場所で出会う人達とこれから人間関係を築いていく時は、そこまでの労力を使っていくことは結構大変だが、例え「苦手」や「嫌い」が先行してきたとしても、すぐにジャッジを下すことは一旦やめてみようと思う。

その後に「ここが好き」と思える瞬間があるかもしれないし、自分が助けられることがあるかもしれない。

その瞬間に心が敏感に反応できる自分でありたい。

人間は一側面だけではできていない、多角面でできている。
色々な角度から相手を見られるような瞳、心をこれからも育てていきたいと思う。

そんな風に思った30歳目前。

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