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処暑日記/あなたのおうちはどこですか

8/23(水)

今日から母が入院する。
今週は実家と家を行ったり来たりする。
忙殺されてる方が、かえって考えることは少なくて良いのかもしれない。


8/24(木)

母の手術。
結果の連絡が私のスマホにかかってくるので、その待機も兼ねて、実家の父と猫の様子を見に車で1時間半。

手術は無事完了して、病態も事前の不安ほど悪くはないということだった。

ひとまず、父に伝達するという使命は終えて、ホッとして帰宅。


8/25(金)

昨日に引き続き、実家へ。
父の様子伺いと、ちょっとした家事、猫の世話を済ませてから母のお見舞いに行く。

電車だったので、帰り道に都心のプラネタリウムに足を運んだ。
前回の日記にも書いたが、私は子供時代の渋谷の五島プラネタリウムを、ずっと探し求めている。

久しぶりに大人向けの番組を見たので気持ちは癒されたが、やはり五島プラネタリウムの感動を見つけることができなかった。

番組の終盤ふと
「そうか、私の人生は終わったのだ」と思う。

私は、ただ思い出の中に生きてるだけなのだ。
戻ってはこないものを懐かしんで、ノスタルジーに浸っては、どんどん厭世的になっていく。

すでに人生を終えた今のわたしがすべきこと、これから先に求められていることは、2人の子供たちにそういった「生きる礎になる思い出」をなるべく多く提供することなのだろう。

残された年月は、自分の感動を探すためにあるのでははない。そう感じて、愕然とした。息が苦しい。胸が痛い。やり場のない感情。

帰路で、実家で見つけて借りてきた中村文則さんの『去年の冬、きみと別れ』を読んだ。


8/26(土)

そういえば昨日、プラネタリウムの開演時間を待つ間に図書館に立ち寄ったんだが、そこで推しが表紙の雑誌を見つけた。

ひゃ〜と思いながら、立ち読みをして、推しが「トマトが好き」と言うので、「私もトマト大好きだよ☺️」とにっこりした。


8/27(日)

夏休みだが、イレギュラーでパートの日。

ずっと前から、夫と子供に「みんなでママのパート先にお昼ご飯を食べにおいで」と言ってあって、子供たちもその気だったのに、夫が数日前になんでだか知らんが当日の午前中に遠方まで髪を切りに行く用事を入れやがった。散髪の間は、子供たちを実家に預けるそうだ。

呆れてものが言えない。

「(昼食には)行けたら行く」とか言いながら結局、「行こうと思ったけど、昼食の時間に間に合いそうにないので今日はやめときます」とラインを送ってきて、食べに来なかった。
(まず、どう考えても間に合わないことにそもそも気づいてないのが怖い)

こういうところが本当に腹立つ。
腹が立つ。

こういうことの積み重ねで、私の心は壊れていったのだが、もちろんそのことに夫は気付いていない。

むしろ「この家に来てから前よりも(妻の)笑顔が増えたように思う」などと言っていて、私は絶望している。

パート後は車で1時間半かけて、実家に泊まりに行く。ひとりで寝られるので爆睡できることを期待する。

夜、テレビをつけるけど、何も面白くないので消して、Netflixで「ハヤブサ消防団」の最新話を見た。目が疲れてきた。

なんだろうこの虚無感は。
なんだろう、私は、どうしたら。


8/28(月)

寝坊しようと思ったのに、6時には目覚めてしまった。いつもと違う環境のせいか、夜間もよく眠れなかった。

実家にいるせいか、昔のことを色々思い出す。

未だによく分からないエピソードがあって、確か小学校低学年くらいの頃、母の日だったか母の誕生日だったかで、自分のお小遣いでお花を買って母にプレゼントしたことがある。そしたら、母にひどく泣かれてしまった。感動して泣いたわけじゃなくて、悲しみの涙だ。

というのも、私が買った花は、キク科の黄色い花だったのだ。多分スプレーマムとかその類だと思う。

結果、母から「これ(菊)は死んだ人にあげる花なのよ」と説かれ、それからさめざめ泣かれた。

母は日頃から「黄色いバラが好き」だと言っていた(と、思う)。
当時のことはよく覚えてないが、でも多分、子供にはバラは高くて買えなかったんだろう。
それで、売り場を見て一番「可愛い!」と思った黄色い花を選んだら、それが結果的に菊だったのではないかと思っている。

実際、私は今でもキク科の花が割と好きで、可愛いと感じるから、当時も同じ感覚だったんじゃないだろうか。

あと、うろ覚えながら確かなのは、私が買ったのはいわゆる「仏花」と言われる典型的な菊の花ではなかった。もっと小ぶりで、洋風な雰囲気の花だった。

だからこそ、この時に母に泣かれたのが私は未だにショックで、未だに解せないでいる。キク科の黄色い花を見るたびに思い出してしまう。

母はなんで泣いたんだろうか。
娘から「死ね」って言われたような気持ちになったのかな。

あの時の母の涙が分からない。
娘からのプレゼントよりも、それが「菊」である悲しみの方が上回ったのだろうか?

私の真心は、亡き者にされてしまったのだろうか。それとも、それを差し引いても辛さの方が勝ったのか。

きっと、悲しいことやしんどいことが色々と重なってた時期なんだろうな、と、今は考えるけれど。


8/29(火)

カウンセリング。
自身は「カサンドラ症候群」に陥ってるのであろう、ということをついに明言した途端に、もう全てが終焉したような心地だった。
私自身は、そうやって自分の立場を定義したところでどうしようもないと思っていたし、そうやって定義してしまうことで生まれる弊害もあると思っていたから。

それに、認めてしまえば、もう八方手が塞がったことと同義なのだ。

努力でどうにかなる問題ではない。

強いて言えば、「諦めること」しか残された道がない。

「何があっても諦めない」と決めていた関係性は、諦めることでしか維持できないのだと、分かってしまって、わたしの心は泣いている。

そのうち、涙も出なくなるだろうか。
果たしてそれは、人生なのだろうか。


8/30(水)

母の退院。
とても良い感じに回復しており、改めて母の体力にはビビる。

医療費も、保険で全額賄えそうで良かった。
私は、この1週間、果たして役に立ったのだろうか。もはや分からない。

私がいなきゃいないで、世界は回るのだし。
だからどうとうこともなくて、私はその日その日を生きるしかないのだけど。


8/31(木)

久しぶりに家でぼーっとしている。
というか、普通に動けない。
背中がまっすぐ立たない。
転がるか、ひどい猫背で座るかしかできない。

ここ数日、ずっと酒を飲みたいけど、夜は薬を飲むため飲めないでいた。
今日は夫もいるので運転もしなくて良いから、昼間のサイゼリヤでグラスワインを飲んだ。

帰り道で、先日図書館で見かけた推しが表紙の雑誌を入手した。推しとはいえ、ちょっと私の好みの趣旨ではないグラビアだったのでそんなに欲しかったわけじゃないんだけど。
そうやって何かに傾倒していないと乗り切れない程度にしんどい。

何かに依存しないと溺れ死んでしまいそうな心地。「推しを愛でている私はまだ大丈夫」という一心で、せっせと推しを摂取している。

本当は、一昨年の夏に死んでしまった、わたしの猫に会いたい。


9/1(金)

防災の日。
子供たちの引き取り訓練。

引き取り訓練だから車での送迎は禁止だが、さすがに暑すぎるので子供の熱中症リスクを考えると歩いて帰宅はできない。

市バスを使って帰宅するんだが、1時間に1本しか来ないから、待つのは待つのでしんどい。

訓練だから仕方ないんだけど、しんどい。


9/2(土)

庭の雑草を抜いて、掃除した。
子供部屋を片付けた。
推しの生配信のアーカイブを、子供たちと一緒に見た。

普段ニコニコしてテレビ向けの顔をしている明るく可愛い推しが、ちょっとイラついたり生来の性格(であろう)神経質なところを見せるたびに、「うひゃ〜!」と歓喜した性癖偏向ババアは私だ。

夜に『連続殺人鬼カエル男』を読み終わった。
古手川さん、さすがにボッコボコにやられすぎて回復できないんじゃないかと思ったのに、『連続殺人鬼カエル男ふたたび』のさわりを読んだらフッツーに登場したのでビビった。


9/3(日)

推しの生配信のアーカイブを観終わった。
それ以外の時間はずっとイラついていた。
推しがいないと生きていけないこの夏は。


9/4(月)

母の様子伺い。
もうすっかり入院前と変わらないように見えるほど。


9/5(火)

今日は心療内科。
この人には夫の話をしたんだっけか?
覚えていない。

「(私自身が)怒りっぽくて困っている」という話しかしてない気がする。

でも、それ以上を話す気もないし、話しても伝わらないだろうなーと思ってる。

今日は、診察室入るなり「えーっと…お名前は…??なんでしたっけ」と聞かれ、それはさすがにどうなんだろう。と思ったり。

月初だから念のための確認とかじゃなくて、私の入室と同時に間違えて電子カルテを閉じちゃったもんだから、慌てて聞いた風だった。

この先生を信頼してるかどうかでいうと、初回からものすごく不信感があった。
だけど数回行かなきゃ分からないこともあるし、私はちょっとしたことですぐ気に入らなくて通院をやめちゃうから、しばらく通おうと思ってたけど。

もうこの人とは話したくないな。
薬も別に、飲んでみて効いてるんだかよく分かんないし。

かと言って飲むのやめたらまた辛くなるかもしれないし。新しい心療内科開発する気力も体力もない。


9/6(水)

私は読書もできるし、Netflixで連続ドラマも見られるしさ、普段希死念慮があったり気持ちが鬱々してるからって、どうせ大した状態ではないのだろう。こと、医療従事者から見れば。

ここ数ヶ月は、推しを愛でることもできてるし。

昨冬〜春頃は、推しのCDを買っても聞けないし、付属のDVD見ることもできないし、特典映像のQRコード読み込むことすらせずに期間が過ぎてしまった。出てる番組なんかもちろん見ないし、毎週のYouTubeも消化できてなかったから。

もちろん、その頃は小説なんて1行も読む気がしなかった。

その時よりはそうですね、客観的な指標で行くと、「元気」なのかもしれないな。
夫への絶望感と、実際の疲労感は、正直その頃よりも悪化しているけれど。

あと免疫も狂ったように落ちてる。


9/7(木)

昨日はボロボロだったけど、その内容を書く気すら起こらない。私の怒りや悲しみはいつだって亡き者にされて、そうするうちに、私は私自身を信じられなくなってくる。

もともと幼少期からの癖として離人感を持っているんだけれど、それがここんとこ強く出ていて、それは薬の影響かもしれないし、あえて客観的であろうとする自分の意思がもたらしてる現象かもしれない。

朝、庭石の上で、蜂が青虫を食べていた。
刺激して刺されたら嫌なのでしばらく放ってほいてあとで見てみたら、青虫の残骸がこれっぽっちも残ってなくて(強いて言えば糞のようなものだけコロンと転がってたが)、ずいぶん綺麗に食べるもんだと感心した。

私の食欲はというと日に日に衰えていき、自分が何を食べたいのかすら分からず、買い物に出ても食材を選べなくなってきた。

それでも地球は回るし、社会も回るし、我が家の食卓も何故だかそれなりに回っている。そして、食欲が落ちたからといって私の贅肉は落ちるわけでもなく、腹に、腰に、尻に太腿に、鎮座し続けている。

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