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妊活から双子中絶まで

1人目を自然に妊娠することができ子供が4歳になったときそろそろ2人目と考えたときに、多嚢胞性卵巣症候群(卵胞の成⻑が途中で止まり、たくさんの⼩さな卵胞が卵巣内にとどまってしまう病気)になっていると言う診断をうけ、2人目を望む夫婦はここから妊活がスタートしました。

月経の5日目から飲むクロミッド療法(ホルモンをコントロールし排卵を促す薬)を5日分飲み卵胞をチェックし、排卵するタイミングをはかって妊活する方法をとりました。
それを4回繰り返したのですがなかなか出来ず、5回目の卵胞チェックの時に左右の卵巣から排卵しそうな卵が育ってると言われその時はどちらか受精してくれればと言う気持ちともし、どちらも受精したら双子になるのかと不安になり先生に聞くと双子になる率は凄く低いけど稀にあると言われ妊活にも疲れてた私は少しでも可能性があならとタイミングをとることにしました。

しばらくし、生理も来ないので病院に行くと妊娠してます。今5週目ですおめでとうございますと言われとても夫婦で喜びました。この頃は卵嚢は1つしか見えませんでした。

そのころから
ご飯は食べれなくなり、やたらと寒気がするように
( この寒気は中絶するまで続きました。)

次の検診で先生があれ?っと言い出し私も凄く嫌な予感がし、モニターをみると卵嚢が2つありました。
双子だねと言われた瞬間頭がパニックになりどうしようという気持ちと明らかに1人目の子供よりつわりの始まりが早かったこと(もともと1人目も吐きづわりでピークの10週目でケトン1まで出たのが6週目でケトン3まで出てました。)もあり思いある節があったのですがそれでも凄くショックだったのを覚えています。

先生が双子のリスク
早産、妊娠糖尿病、妊娠高血圧症候群、HELLP症候群、子宮内胎児発育遅延、胎児形態異常、子宮内胎児死亡、血栓症などの合併症

またこの産院では産めなく、大学病院で管理入院を2ヶ月しなくてはいけない事も教えてくれました。

こんなことを聞いてると頭がクラクラし、倒れてしまいました。
悪阻も酷く食べれていなかったので点滴を打つことになり、その時看護師さんに「双子ちゃんなの?」「びっくりしたでしょ!身内で双子いるの?」と聞かれ母が一卵性双生児の双子と伝えるとやっぱり〜よくあるのよっと言われました。そんな話をしてる時もクラクラし、早く家に帰って落ち着きたいと思い点滴の途中で帰らしてもらい、旦那と話をしました。

私の中では
1人目が低体重で産まれ双子だと更に低体重の危険性があること
自分自身が身体も小さく弱いこと
産まれてからのサポートがないこと
などから中絶ということが決まって居たかもしれません

旦那に話すと同じ答えが返ってくるとホッとした覚えがあります。

それでも不妊治療をし、世の中には子供を望んでる人も沢山いて、ましては2人も来てくれた命を自分の不甲斐なさで無くしてしまう罪悪感で凄く落ち込みました

色々な意見があると思うのですが、私達夫婦は産むよりも産んだ後のことを考え今回は中絶という決断を出しました。

後日先生に中絶する事を伝えると、夫婦で凄く話し合って決めた事なんやなと言われ中絶の仕方など聞いてると涙が勝手に出てきました。

中絶方法は前日に前処理(子宮頸管拡張)をし、次の日に手術と言う形でした。前処理をする理由としては子宮を広げておくことによって手術がより安産にできると言う説明でした。


前処理の日になり病院にいき、処置をしました。
時間は三分ぐらいでしたが凄く痛く、出産の時のグリグリを思い出すような痛みでした。
入れた後も生理中のような痛みが収まらず、痛み止めを貰いました。

そして手術当日
昨日の痛みで途切れ途切れの睡眠で受けることになりました。
直ぐに呼ばれたのですがコロナの検査をしなくては行けなく結果がでるまで待機し、陰性だったので手術が始まりました。

手術服に着替え
場所を移動したのですが分娩室のような部屋でした。
ショーツを脱ぎ分娩台のような所に寝転び、手術に備えて看護師さんが準備をしてくれました。
その間看護師さんが「今回の事は落ち込まなくていいよ2人も来てくれたんやからまた楽しそうと思って来てくれるよ」と凄くはげましてくれて少し気持ちが楽になったのを覚えています。

まず静脈麻酔をするので麻酔が入りやすくなるように点滴みたいなのを入れてくれました。(なかなか入らず2回もぶっ刺された)次に血圧をはかるため右手に血圧計を巻かれ左手には酸素をみるやつ?を人差し指に挟まれました。
最後に麻酔が入りやすくなるよう筋肉を柔らかくする注射を筋肉注射されました。
これで注射は終わりと言われてホッとしました。

しばらくして先生が来たなぁーと思うとそこから麻酔を入れたのか記憶がなくなり、体感3秒も立たないうちに看護師さんの声がし、「分娩台から担架に乗せるからこっちへゴロンできる?」とぼんやりと聞こえ、正直グラグラするし、でもしなくちゃと意識朦朧としながら担架に乗せてもらいました。その時何故か呼吸がしにくく息をしなくちゃと必死で吸っては吐いてを意識していました。

運ばれてる間も記憶がなく、目が覚めた時にはベットにいました。脱いでいたショーツもいつの間にかはいていてびっくりしました。

例えるなら手術台のライトもあり、ユニバのスペースファンタジー🌎に乗って気づいたら終わってる感覚でした。

ベットでしばらく寝ていると凄くしんどかった悪阻も無くなって、もう居ないんだと思うとまた涙が出てきました。

私は行きも帰りも1人で来たのですが、なるべく付き添ってあげて欲しいとパートナーの人には思います。
前処理の日、手術当日私は不安で仕方なかったのでも寄り添って少しでも不安を取り除いてあげて欲しいです。

今回せっかく授かった命を自分らの判断で手放してしまったこと。
多分忘れることは出来ない体験だと思います。
もうこんな酷いことをしてしまったから2人目は作ったらだめな気がすると思ってたのですが、色々な人と関わり、旦那とも沢山話し合い落ち着いたらまた挑戦しようと前向きに考えています。

同じような経験を今から体験する方、体験した方
どうか自分を責めず少しでも前向きになって欲しいと思い記事にしました。

見てくださった皆様ありがとうございます。







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