卒業
昨日無事、鹿屋体育大学を卒業することができました。
4年間、長かったような早かったような。
コロナウイルスの影響で入学式がなかったため、大学で初めて式というものに参加し、少し不思議な気持ちでした。
「出会いに感謝」
この言葉を中学2年生の時の担任の先生からいただきました。
ほんとにその通り。
鹿屋体育大学を選んだからこそ出会えた人々は素敵な人たちばかりでした。
ほんとに感謝しかありません。ありがとう。
思い出を振り返るとたくさんありますが、全ての出来事が自分を成長させ、強くしてくれたと思います。
大学2年11月右膝半月板損傷により手術。
大学3年5月同じ箇所を再手術。
もう復帰できないと思ったな。
コーチになろうかな、そんなことも考えていた。
鹿児島市内の病院に向かう途中で見える海を眺めながら、あーサッカー人生終わるのかな、そんな不安を抱いていたことも今じゃ懐かしい思い出だ。
リハビリを経て復帰してからも、練習後毎回膝がパンパンに腫れ、病院に行き注射器2本分の水を抜くそんなことを何回かしていた。
復帰してからの方が苦しかった。
思うように動かない体、一向に良くならない膝の状態。
そんな辛い姿を仲間には見せたくなかった。
平気になんもないかのように振る舞う、キャラ的に落ち込むとかできないよそりゃ。
いいんだって。自分の感情なんか押し殺して。
組織なんだってサッカーは。
強く生きようそんなことを毎日思っていた。
いい仲間を持った。
ハマと一緒にプレーしたいよ、ハマがいるとチーム明るくなるような。
こんなこと言われて内心めちゃくちゃ嬉しいのに、照れ隠しで毎回ボケて返してた。
サッカー人生あっという間に終わるよ、小学2年生の俺よ。
思いっきりプレーしろ、きつい思いたくさんしろ、泣くくらい真剣に取り組め。
そんなことを当時の俺に言ってあげよう。
よく15年間逃げずに頑張ったよおれ。
あんまり自分のこと過大評価しないけど、頑張った。強く生きたよ。
おい同期よ、
卒業おめでとう。
いい同期を持った。この言葉に尽きる。
アニキ泣くなって。
こっちまでもらい泣きしちゃうから
トップ、ファースト、セカンド三つのカテゴリーがあるけどこれはピラミッド状になってるわけじゃない。丸い円が三分割されてるだけ。
それぞれの場所で4年前植えたタネが、最後花になっていた。
いい花だったよ、個性豊かで。
次は違うステージだ。
全国各地に散らばった花だけど、この花を時間かけてもっと大きくしていこう。
同期のグループLINE動かしていこうぜ。
会社で怒られて、落ち込んでるんやったら自撮りでも撮って送れよ。全員でバカにしてやるから。
とか言ってもこの文誰も見てないか。
というよりこんな熱いこと書いてるところ見られたくないよ。見るなよ絶対。
長々と書いたけど4年間楽しかった。
また会う日まで。
片桐羽馬人
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