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お金で時間と健康を買った話

 時間も健康も目には見えない無形物であり、値段を付けることができないものだと認識しています。でも私はそれらを結果的に買えたというか、買っていたというか。どういうことかお話しますね。

1.看護師だった話①

 私は大学卒業後、新卒で15年間看護師として同じ病院に勤めました。配置換えはほとんどなく、最も長いのが手術室に10年くらい。手術室は内視鏡や救外も兼務しており、夜勤は救外担当の時だけだったので月に2~3回といった感じでした。手術によっては長時間となり遅くなることやオンコール担当の日もありましたが、病棟にくらべ残業は圧倒的に少なかったです。結婚、出産、筋トレを始めたのも手術室所属時でした。

2.看護師だった話②

 看護師14年目で年齢も重ね、将来のことを考え、キャリアに迷っていた結果、上から打診され続けていた副看護師長昇任の試験を受けることにしました。合格し、看護師15年目で副看護師長に昇任。その際、院内で最も多忙と言われていた(実際に看護必要度が最も院内で高い)外科・整形外科病棟に副看護師長として配属されました。

3.心も体も壊れた話①

 手術室歴が長かったため、病棟業務はほぼゼロからスタート。電カル操作の基本から覚える必要があり、ICUがない病院だったのでオペ出し・迎え、激しい入退院、転棟。それに加え中間管理職の仕事、責任、各種委員会の仕事が圧し掛かってきました。多忙の一言。朝は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰る日々。残業をつけることは許されず、家には寝に帰っているようなもの。外来や地域包括病棟、転棟先の師長たちやお局化した地域連携看護師に常にプレッシャーをかけられ続けていました(今思えばパワハラ、モラハラ全開でしたね…。)
 実は、私が所属した病棟師長も同じ年度に師長に昇任したばかりの男性看護師長。慣れない業務と独特のキャラクターにより、病棟スタッフの信用をドンドン失っているような方でした。慣れない二人の管理者を抱えることになったスーパー多忙病棟にとって誰から見てもミス采配だったわけです。

4.心も身体も壊れた話②

 上司である師長も頼れず、お局さんたちからはイビられ、代行業務や無駄に多い会議で病棟業務をチョコチョコ抜ける私は貼りついて病棟業務を習得することができません。新人さんや後輩たち追い越されていくような焦燥感にまで駆られていました。
 とてもじゃないけど筋トレをする時間も気力も持てません。手術室時代に育てた筋肉はしぼみ、日々変わりいく容姿を見て、たくさんの人から心配されました。
 そんな毎日を送っていると私自身も自覚するような変化が出てきました。
 思考がうまく働かなくなり、情報が入ってこない。物覚えが極端に悪くなり、いつも焦燥感に駆られているような状態。夜は必ず中途覚醒するようになり、仕事の夢で起きることが増えてきました。休日は何をする気にもなれず、子どもたちと過ごす体力はありませんでした。
 ある時、副看護部長に業務報告をしに行った際に、急にボロボロと涙が止まらなくなったことがありました。仕事で、人前で涙を流したことなんてありませんでしたが、自分ではどうしようもできませんでした。
 今、振り返ると完全に抑うつ状態でしたね。産業医面談があっていたら休職レベルだったように思います。でも、病院では産業医(内科医が兼務)との面談を設けられることはなく、私も自分の状況をどこに相談することもできず、心も身体も壊れていきました。

5.看護師をやめた話

 そんな中、たまたま求人サイトで産業保健師の求人を目にしました。私は大学時代から、将来は保健師になろうと考えていましたが、臨床経験も必要と考えたので病院でのキャリアを積んでいました。気が付けば看護師を15年も続けていたのですが、このタイミングを逃すべきではないと、藁にも縋る思いでチャレンジすることにしました。
 2社受けて、1社から内定をいただき、私の看護師生活が終わりを迎えることになりました。11月には内定をもらっていましたが、病院からは年内での退職を許されず、3月31日にようやく退職しました。

6.保健師になった話

 晴れて産業保健師としてのキャリアがスタートしたわけですが、看護師との違いに驚くことばかりでした。好きにトイレに行け、走り回ることもなく、基本的にデスクワーク中心で、いつでも飲み物を飲め、休憩もしっかりとれる…繁忙期はあるものの残業もある程度は自分の裁量でコントロールできる。とはいえ良いことばかりではないのも事実ですが、看護師時代に受けていたような心身の負荷はなく、私の心も身体も余裕を取り戻していくことができていきあました。ジムにも再度通い始め、筋トレも再開することができたり、家族と過ごす時間が各段に増えました。

7.収入は激減

 心身にとっては非常に良い状態であることは間違いありません。でも、それと引き換えに収入が激減しました。夜勤があり、最終年度では管理職手当が付いていた看護師時代の年収よりも100万以上もダウンしたのです…!これはでかい…。しかも同じタイミングで看護師の妻も転職(病院→訪問)し、家族収入がグンっと落ちました。そんなのおかいまいなしに家や車のローンをはじめ、引かれるものはドンドン引かれ続けます。急に生活スタイルを変えられなかったことも要因の一つですが、退職金がものの見事に消えていくのでした…。今は家族全員で節約生活と副業などで持ち直したところです。

8.お金で時間と健康を買っていた

 生きていく上でお金が無くなっていく不安はとても大きいです。でも、それ以上に生きていけるかわからないくらい心身を壊していました。転職し、収入は減りました。でもその分、自分の心と身体に余裕を持つことができ、健康を取り戻すことができました。
 これは見方を変えると、「収入が減った=お金を払った」ことで「時間と健康を手に入れた=買った」ことだと気づいたんです。私はその解釈ができたときに、苦しくてどうしようもない状態から抜け出し、前に進めたことを改めて実感することができました。

最後に

 看護師としてのキャリアを続けていれば、おそらく収入面では一定の安定を得ていたでしょう。しかし、そもそも続けることができていたか、疑問です。そのまま続けていたら、一生かけても取り戻せない心身のダメージを受けていたかもしれません。お金は生きていればどうにかなります。私は仕事のために生きているわけではなく、仕事は生きていくためのあくまでツールです。人それぞれ価値観が違いますので、たくさんの考えがあることは理解しています。でも私はタフな人間ではありません。お金を払って、失っていた健康と時間を買い、また再スタートを切りました。
 これからどんな人生になっていくか、せっかくなら楽しみながら生きていきたいものです。
 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

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