にじフェス2023のおかげで生きている話

にじフェスの帰りに死のうと思っていた。
にじフェスから帰って最寄り駅に着いたら、そのまま近所の海に行って飛び込むつもりだった。

親と何年も虚しいないものねだりを重ねて傷つけあう生活が続いていた。来年から新卒で寮に入ることは決まっているものの、何となくその先幸せになる自分は想像できなかった。本当に死のうとしたことは何度かあったが、いつも寸前で死の痛みや苦しみが恐ろしくなって惨めに家に帰っていた。

確か三秋縋だったか、昔読んだ小説に「自殺に必要なのは決意ではなく錯乱」みたいな話があった。それを読んだ時ストンと腑に落ちた。本当に死以外の選択肢ややり残したこと先のこと、何も考えられない状態。自殺とはそういうものであり、決断なんて強い言葉のものでは無いと。何度かそういうところまで行ったことはあったが、その時きまって自分は体が全く動かずただ泣きじゃくることしかできず、立ち上がれるようになる頃には、まともな自分が戻って来ていた。
だから、人生の最高を味わって、そこから家に帰らないと行けないという状態なら、戻りたくない一心でとべるのではないかと思った。

にじさんじを知ったのはコロナ禍で一斉休校が実施されていた頃だった。進路への不安と無力感で動けなくなっていた私と、介護職で時勢の変化への対応に必死で疲れ切っていた母。この2人だけの我が家は地獄だった。現実から目をそらすためYouTubeにかじりついていた時、彼らに出会った。雑談、ゲーム実況、歌、紡がれる物語。様々な形でエンターテイメントを広げていた彼らにすぐに夢中になり、休校期間の数少ない心の支えのひとつだった。その後も配信を追い続け2022年後期、箱全体の不穏な空気に耐えられなくなり一旦距離を置くまで継続して追っていた。しかし2023年春、友人からのLINEで面白いことをやってるやつらがいる、とVTA卒世代ライバーの切り抜きを紹介され、また夢中になった。長らく置いていたペンを再び取りFAなんかも描いてみたりした。そしてにじフェス2023の開催が発表された。その時Twitterで去年の現地の熱量を知り、就職組で進路がほぼ確定していた私はそれに抗えず卒業旅行の前借り、なんて言ってダメ元で母に頼み込んだ。意外にも許可はあっさり取れた。離れて暮らしている父の同行と24日中に帰るという条件付きではあったが。父も快諾してくれた。何も最初から最期にするつもりで申し込んでいた訳ではなかった。冬に弱く心身ともに弱っていた時、思いついただけだった。でもすぐバカバカしいと思考から追い出せないくらいには弱っていたのだと思う。

そうして訪れた初めての東京。人の多さや駅の難解さに戸惑いつつも何とかホテルにたどり着くことができた。私はday2のみの参加だ
入場券を入手できたのは私だけで、父とは列に入る直前で別れた。
前日の様子をXで調べ7時30分あたりに列に入ったものの会場に入れたのは10時20分、ダンスステージ開幕ギリギリだった。迷いながらも何とか第2ホールにたどり着き、席の外からではあったが中央ステージが膝下ぐらいまで見える位置を確保できた。
そうして始まったダンスステージ。1組目はかみなり。神田のXでの匂わせの通り1曲目はdrop pop candy。2人がキュートなダンスを披露している中、私は号泣していた。
最近配信をよく追うようになり元気をもらっているヤン・ナリの3D初披露。
元気になる歌リレーを見てから大好きになり追っていたものの、3Dお披露目のリアタイが叶わずそれが大きな未練となっていた神田笑一。
2人が何千人という観客に囲まれステージで踊っている姿、ペンライトや歓声による会場の熱、そしてその渦中に自分がいること。初現地の私には眩しすぎた。夢中で手拍子をして腕を突き上げることでいっぱいいっぱいで、あっという間の時間だった。
IDDはその完成度の高い歌、ダンス、セトリに圧倒された。スターターパックのコールをちゃんと覚えていなかったこととペンラを買ってこなかったことにとてもとても後悔した。
最近よく配信を見ているヴォルタのステージは正直興奮しすぎて記憶が曖昧だ。
ダンスライブ全体を通して、夢を見ている気分だった。
その後も24日中に家に帰るギリギリの時間である14時すぎまで展示を見て回った。ひたすら楽しい時間だった。足の痛みでさえ楽しかった。いくつか待ち時間が長くて見れなかったものや発見できなかったラクガキがあり、名残惜しさを感じながらも会場を後にした。電車、新幹線、移動中もずっとどこかふわふわしていた。父と別れた後もあの展示良かったなあだとか、この順番ならもっと行けたなあだとか、SNSで知り合った人と会うことになるかもしれないならもっと身なりを気にした方が良かったな、だとか。完全に『来年もまた行きたいな』と思ってしまっていて、なんの疑いもなく家までまっすぐ帰った。

そしてこのnoteを書く数時間前、フェスが終わってから2日後。母から「なんでこんなこともできないの」「そんなんじゃ社会で生きていけない」「私はこんなに頑張っているのに」と怒鳴られ詰められるまで、帰りに死のうと思っていたこと自体すっかり頭から抜け落ちていた。
今まで私は、娯楽は元気の源や生きる糧にはなることができても、人生そのものを救うことまではできないと思っていた。しかし、にじフェスの記憶は一時的でも私の思考から死を追い出してしまった。

私は何度怒られ反省し後悔しようともミスや見落としが減らせない。体調やメンタルに大きく左右され思うように動けなくなることがそこそこある。どちらも物心ついてからずっとなので多分直せない。母のことを満たせず怒られ続け、自分の不出来を悔い続けている。来年寮に入ったとしても自分自身は変わらない。生活の中で困ったり母や上司に怒られたりするのだろう。全部終わらせて逃げたくて仕方なくなることは確実にある。 でも、また、何となくYouTubeを開いて、彼らの配信で笑って感動して、にじフェスのことを思い出して、何となく生きながらえてしまうのだろう。 来年のにじフェスも是非参加したい。

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