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昨日の夜のできごと。

自転車通勤しています。
今は、19時ごろになるとすっかり暗くなりました。
昨日も自転車で帰っていると、遠目に見えるマンション入口前の車道の端に、
なにやら人間大の黒々とした塊がうずくまっていました。

私の住むマンションは、大阪市内のど真ん中、西区ありますが、


クマ? あるいはイタチ?


まさかと思いつつそんな疑念がよぎりました。


不審に思いつつ、少しスピードを緩めさらに近づくと、塊は実際には人間で、車道にまさに土下座するようにしていました。

近くには食品の配達でよく見る屋根付きのバイクがあります。
多分、配達員なのでしょう。

持ってきた食事を落とすかなんかして、
土下座でもさせられているのだろうか?


仲裁すべきとも思いましたが、そもそも相手がいません。
その人はただ車道に突っ伏すようにして頭を垂れていました。


ごく近くまで来ると、その人は黒々とした髭をたくわえた海外の方で、アラブ系かインド系のような印象でした。
地面に布を敷き、土下座と見えたのはおそらく礼拝されてたようです。


そこまで見て取ってようやく野生動物でも
トラブルでもないとわかり安心しました。


安心しましたが、ふと思う。
時間も場所も無視して行わなければならない儀式。


その動機は神に見放されるという恐怖なのか。それとも祈らずにはいられない願いか信心なのか。あるいは単なる習慣化された日常にすぎないのか。


ハロウィンで騒ぎ(古代ケルト人の収穫祭)

クリスマスにケーキを食べ(一応キリスト教)

大晦日に蕎麦を食べ(神道)

除夜の鐘を聞いて(仏教)

正月にくじを引き(神道)

お年玉をむしられる(儒教/神道)


そんな節操のない私には至れない境地。
そこまで信じるものがあるというのは、うらやましいか。
いや、やっぱり羨ましいとは思わない。
私は私を信じるし、私の神は知識だと思う。
でも、そう思える自分はやはり恵まれているんだろうな。
自分の力では絶対どうしようもない状況に追い込まれたら、私でも神に祈るしかなくなるのだろうか。


そんなことを思いながら、マンションの門をくぐり家に帰った。


ただいまー。

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