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2023年7月のプロフィールページ刷新、そして各種Webサービスに思うこと

2023年7月17日〜7月21日にかけて、各種サイトのわたくしのプロフィールページを刷新した。

ずっとやろうと思っていたが、長らく放置状態になっていた。

忘れないうちに今回の刷新について書いておく。あと、各種Webサービスについて思うことなどについても。もちろん、はてなについても。

 


 

プロフィール刷新の直前・直後のこと

今回の記事はマガジン「No space left on my brain」のための記事の第一弾。

「マガジン」はnoteの機能で、自分の記事だけでなく別の人の記事も追加できるし、有料化も可能。

少なくとも「No space left on my brain」には自分の記事だけを追加していく予定。そして有料化はしない予定。

マガジンの概要については「雑記です。」と極端に短い説明にしている。

https://note.com/cleemy/m/m68b5b865a6aa

この「No space left on my brain」に追加する記事については、写真を大量にアップして説明は500字だけだったりとか、そういうものも今後ありうると思っている。もしかすると動画もありうるけど、やるとしたらおそらく来年以降になると思う。

8月30日時点では、今年(2023年)になってからのわたくしというのは、ほとんどの日が [cdwdoc-2023-001] の執筆期間中であるか、「おつきさまと殺意」の執筆期間中であるか、そのどちらかである。

完成した [cdwdoc-2023-001] のほうは11万字を超えたわけだが、未完の「おつきさまと殺意」についてもすでに14万字を超えている。

もともとはこの「おつきさまと殺意」こそが「No space left on my brain」の第一弾になる予定だった。

8月30日現在、「おつきさまと殺意」の執筆を中断してから80日以上が経過してしまっている。でも意識としてはまだ「おつきさまと殺意」の執筆中なのである。

時系列としては以下のような感じだ。

  • 1月16日ごろ [cdwdoc-2023-001] を書き始める

  • 3月3日ごろ 飽き始める

  • 3月9日ごろ 「短編小説A」(仮称)のプロット固まる

  • 3月26日 [cdwdoc-2023-001] 完成・公開

  • 3月29日 「おつきさまと殺意」を書き始める

  • 5月4日〜5月20日 意識的に執筆中断(休憩)

  • 5月20日ごろ 「おつきさまと殺意」執筆再開

  • 6月10日朝 風邪で寝込み始め、執筆中断

  • 6月20日ごろ 朦朧もうろうとした中「短編小説B」(仮称)の着想得る

  • 6月24日夜「短編小説B」(仮称)を書き始める

  • 7月17日〜7月21日 「短編小説B」を中断してプロフィール刷新

  • 7月21日 この記事を書き始める

  • 8月8日 この記事を書くのを中断してサンプルプログラム作成

  • 8月30日 (日本時間では8月31日早朝)この記事の完成・公開

「朝」とか「夜」はすべて日本時間だ。

7月21日からは、ほぼ毎日、起きてから寝るまでずっとこの記事を書いている。

7月21から7月28日あたりまでは広い意味での軽躁けいそう状態だったかもしれない。7月29日の時点ですでに6万字を超えていた。わたくしにしては早いペース。7月29日あたりからは邪魔が入って集中しづらくなった。

今にして思えば、[cdwdoc-2023-001] が完成したのは本当に奇跡かもしれない。[cdwdoc-2023-001] の場合は、最初の40日間くらいは起きてから寝るまでずっとこれを書くということしかしていないのだが、2月25日あたりから少しずつ息切れ感があった。飽き始めているのを自覚したのが3月3日ごろだ。

飽き始めていることを半ば自覚しながら無理やり意識を向けようとしてもがいている時の状態を、わたくしは「離岸流りがんりゅう」と呼んでいる。これについては『分類しない暴力』でも掘り下げる予定である。

3月の後半はこれまでの人生で最も強力な離岸流を感じていた。ローカルに保存しているテキストファイルでは3月1日の時点ですでに10万字を超えていてほぼ完成といえる段階だったのだが、そこからが大変だった。

「短編小説A」(仮称)については、2021年ごろから全体の骨子だけがある状態だったのが、今年の3月9日に一気にプロットが固まった。本文はまだ1文字も書いていない。

「短編小説B」(仮称)のほうは6月20日ごろに病み上がりの朦朧もうろうとした中で突然思いついた小説なのだが、6月24日夜から書き始めてすでに5万字以上書いたものがある。これを先に完成させてから「おつきさまと殺意」の執筆に戻ることになるかもしれない。

「風邪」というのが実はコロナだったのかどうかはよく分からない。7月5日か7月6日あたりにイオンドラッグで抗原検査キットを買おうとしたら、ないと言われてしまって買いそびれた。わたくしは生活保護を受給中なのだが、7月5日というのは保護費の支給日だった。

当然ながら、わたくしのような人間は支給されてから1週間程度でほぼ全額を使い切る。「ほぼ」ではなく完全に全額を使い切ることもある。

3月26日に [cdwdoc-2023-001] が完成してからすぐに、もっといろいろ記事をアップしていく予定だったのだが、「おつきさまと殺意」がなかなか完成しないために、5ヶ月以上もnoteに何もアップしない状態になってしまった。

短い記事を頻繁にアップするような時期を意識的につくろうとはしているのだが、どうしても書いてる途中で「作品」にしたくなる。そうすると莫大ばくだいな時間とエネルギーを投入したあげく、飽きてしまって結局完成せず放置、ということになりやすい。

今回のこの記事はあくまでも「自分のための記録」あるいは「情報発信」であり、「作品」ではないのだと言い聞かせて書くことにする。書き始めたのは7月21日朝である。

ちなみに「おつきさまと殺意」はAIについても書くが、わたくしはChatGPTはまだ利用したことがない。noteの「AIアシスタント」の機能も一切使っていない。

「おつきさまと殺意」はわたくしがChatGPTを一回も利用したことがないことを前提に書き進めている。もしChatGPTを一回でも利用してしまうとその前提が崩れてしまう。これが崩れると14万字のテキストの広範囲を修正する必要が出てくる可能性がある。単に修正すればいいというものではない。全体の意味合いも変わってしまうのである。

書き始めたころは5ヶ月以上かかるかもしれないなんて、夢にも思っていなかった。最初は8000字くらいのものを4日くらいで書き上げる予定だったのだ。

ところで、基本的にわたくしはプロフィールページなどにおいて、あまり噛んで含めるような書き方は本当はしたくない。

自分でリンク先のものをじっくり読んだり検索していろいろ調べたりして、自分で解析して頭の中で組み立てていって「そうか、そういうことか」と分かるという、そういう自分で噛み砕いたり自分で発見したりする機会を奪ってしまいたくない。

これについて考えが変わったのは世代の違いを「発見」したというのも大きい。

2021年に小説を書くことに集中していた時に気づいたのだが、2021年4月に15歳くらいの人というのは、それはつまり2005年夏にはまだ生まれていない人かもしれないわけだ。これはわたくしにとっては恐ろしいことだ。

以前もTwitterツイッターで、漫画版(岡野玲子おかのれいこ版)『陰陽師』について、「まあ俺みたいな奴に関心がある時点で、『陰陽師』くらいは読んでるだろ。読んでなかったとしても、そのうち自然に出会うだろ」という感覚が2011年ごろはあったが、あれから時間が経つと今度は漫画の存在自体を知らない人が増えてくる可能性がある、ということについて書いた。

https://archive.is/03T2q#selection-21439.63-21439.69
(うまくページ内移動されない場合は「俺みたいな奴」で要ページ内検索。また、「archive.is」でつながらない場合は「archive.md」や「archive.ph」などに要変更)

『陰陽師』のようなものについても、わたくしが直接的に言及することによって、自分でこの作品を発見する喜びを奪ってしまう。

でもやっぱり、「自然に出会うはず」というのが少しずつ少しずつ、通用しなくなっていくのも確かなのだ。

また、検索結果が時とともに変化するというのを軽視していたのもあるかもしれない。

「じっくり検索していろいろ自分で考えれば分かるはず」と思っていても、しばらく経つと「検索してもさっぱり分からない」ということになりやすいのである。

それでも、何もかも説明してしまうというのは、やっぱりやりたくない。

「答えは質問の不幸である」や「答えは好奇心を殺す」については、「おつきさまと殺意」でもとりあげることになるだろう。

ところで以下は2023年5月19日撮影の自室でのわたくし。

わたくし(cleemy desu wayo)、自室にて、2023年5月19日撮影(自撮り)
わたくし(cleemy desu wayo)、自室にて、2023年5月19日撮影(自撮り)

観覧無料のザトウクジラ展(2022年12月13日〜2023年2月26日)に忘れずに行こうと思っていて、座っている位置から常に見えるようにチラシを配置しておいたのだ。

でも見事に忘れてしまって、結局行くことができなかった。視界に入るようにしておくだけではだめのようだ。

そして2月26日が過ぎてからかなり経った5月19日になっても、チラシは同じ位置にあったわけだ。

2023年8月30日現在、このチラシは今もまったく同じ位置にある。

 

Twitterの凍結について

プロフィール刷新について書く前に、先にTwitterツイッターについて書いておくことにする。

若干記憶があやふやだが、確か2011年前半あたりからわたくしはTwitterを利用していた。

でも2023年1月からは、凍結の状態。

非ログイン状態で https://twitter.com/cleemy4545 にアクセスするとログイン画面に飛ばされる時期が続いていたが、2023年7月30日早朝(日本時間)にアクセスしてみると以下のようになった。

https://twitter.com/cleemy4545 - 2023年7月30日早朝(日本時間)

アカウントは凍結されています
Twitterでは、Twitterルールに違反しているアカウントを凍結しています。詳細はこちら

ブラウザ設定を英語に変更(intl.accept_languages の値を変更)してからだと以下。

https://twitter.com/cleemy4545 - 2023年7月30日早朝(日本時間)

Account suspended
Twitter suspends accounts that violate the Twitter Rules. Learn more

こういうのも、スクリーンショットを残しておかないと10年くらい経つと実際にどんな風に表示されていたのかは記憶があやふやになってしまう。

画像として保存しておいても、数年経つとどこに保存したのかが分からなくなることも多い。

スクリーンショットを画像として残すだけでは分からないが、上記のような表示の時も「コナミコマンド」の動作確認ページとしては使えるようだ。

今回わたくしは初めて、起こっていることを記事にして記録するという試みをすることになる。基本的には、2023年時点で他の人が読んで面白いものなのかどうかよりも、10年後や20年後の自分が読んで面白いと思えるようなものになるように書いている。

さて、凍結される前に https://twitter.com/cleemy4545 にアクセスしてどのように表示されていたのかというのは、以下のアーカイブで確認できる。2022年7月14日のもの。
https://archive.is/5VjBj

https://twitter.com/cleemy4545 - 2022年7月14日のアーカイブ(1)
https://twitter.com/cleemy4545 - 2022年7月14日のアーカイブ(2)
https://twitter.com/cleemy4545 - 2022年7月14日のアーカイブ(3)
https://twitter.com/cleemy4545 - 2022年7月14日のアーカイブ(4)

ああ……うん。そんなこと書いてましたね。

凍結されてしばらく経った2023年2月7日早朝(日本時間)のアーカイブは以下。
https://archive.is/uGEl3
こちらは「Account suspended」。

こういうアーカイブサイトで保存すると、英語の設定でのキャプチャになることが多い。

これらはすべて、非ログイン状態での話である。cleemy4545 ではないアカウントでログインした状態で https://twitter.com/cleemy4545 にアクセスしたらどのように表示されるのかは知らない。

2023年7月30日昼(日本時間)に、ログインした状態で https://twitter.com/cleemy4545 にアクセスしたら以下のようになった。

https://twitter.com/cleemy4545 - ログイン状態、2023年7月30日昼(日本時間)

ログイン後の「ホーム」についてはどうだろうか。
https://twitter.com/home

2023年7月23日夜(日本時間)、Twitterにログインした状態で「ホーム」を表示した時は以下のようになった。

https://twitter.com/home - ログイン状態、2023年7月23日夜(日本時間)

ご利用のアカウントは凍結されています

慎重に審査したところ、ご利用のアカウントはTwitterルールに違反していると判断しました。そのため、ご利用のアカウントは永続的に読み取り専用モードになっています。つまり、ツイート、リツイート、いいねすることができません。新しいアカウントも作成できません。何らかの手違いの場合は、異議申し立てを送信できます。

一体、何がどんな風にTwitterルールに違反しているというのだろうか。

ちなみに2023年7月30日昼(日本時間)に、あらためてログインして「ホーム」を表示すると以下のようになった。「青い鳥」が消えてアイコンが「X」になっていること以外は特に変化はない。

https://twitter.com/home - ログイン状態、2023年7月30日昼(日本時間)

通知が6件あるのはすべてログイン履歴である。

また、下のほうには以下のように表示されている。

あなたのアカウントは凍結されているため、この操作が許可されていません。

これは特に何も「操作」しようとしていない時にも頻繁に表示されたり消えたりを繰り返す。

2023年8月30日現在、Twitterを買収したイーロン・マスクによる方針で、「Twitter」というブランドは消滅して「X」になりそうだということが世界中で話題になっており、動揺と混乱のさなかである。

2023年8月21日時点での日本のニュース記事などにおいては、「X(旧ツイッター)」とすでに「X」を前提にしているものもあれば、「ツイッター(現・X)」という表記もある。

以下は、それぞれ2023年8月21日昼(日本時間)の検索結果のアーカイブ。

URLも twitter.com ではなく x.com になるらしい。

そうなるとわたくしのアカウントについては以下になるということなのだろうか。
https://x.com/cleemy4545

少し奇妙な感じもする。

また、リブランディングされてもわたくしのアカウントはずっと凍結されたままなのかどうかも分からない。

とりあえず、今回のこの記事は7月21日に書き始めたこともあり、とりあえずサイト名は「Twitter」として書いていく。

ちなみに、Twitterは教科書に載るだろうから、100年後の人類も2007年〜2022年ごろのTwitterがどのようなものなのかというのはある程度知っているのではないかと思っている。

もしわたくしのTwitterアカウントが凍結解除になった場合、どんな風に利用するのか、あるいはまったく利用しないのか、8月30日時点ではまだ何も決めていない。

先ほどの https://archive.is/5VjBjhttps://twitter.com/cleemy4545 の2022年7月14日時点)以外では、以下の7つのアーカイブを見れば普段わたくしがどんなツイートをしていたのかはだいたい分かるだろう。

ひたすら自分のツイートにリプライを続けて長大なスレッドをつくることにより、こういうアーカイブサイトで芋づる式に保存ができたわけだ。

noteにも文字数「140字以内」という、Twitterを意識したと思われる「つぶやき」の機能があるが、自分のつぶやきと結びつけてつないでいけるようになればいいのに、と思うこともある。別のユーザーにもできるようにしてしまうと、過剰な馴れ合いばかりする人が出てきたり、逆に殺伐としたレスバトルが展開されたりすることになるのかもしれない。

ちなみにZenn( https://zenn.dev/ )にはスクラップ機能というのがあるが、字数制限がないので長文をポストするとどういうページなのかが分かりにくくなる。

以下はZennのスクラップ機能の、あまり長文がない使用例。
https://zenn.dev/ooooooo_q/scraps/39c2c076cff904

わたくしはZennにはアカウントは持っていないので実際に使ったことはない。

なお、archive.today に保存されているわたくしのツイートの一覧は以下で確認可能である。
https://archive.is/https://twitter.com/cleemy4545*

ちなみに凍結時はおそらくフォロワー(わたくしをフォローしている人)はゼロである。以前、全員をリムることによってフォロワーをゼロにした。でもこれ、鍵アカからフォローされた場合にはゼロにできるとは限らなかったりするのかもしれない。

わたくしがフォローしていたアカウントは、3つだけである。ジョージ・オーウェルのbotが1つ、「ファミ通町内会」関連のbotが2つ。botしかない。

botをフォローしているとはいっても、これらのbotが流すツイートを毎日眺めながら「良いなあ」とか思っているわけではない。

そうではなく、わたくしは自分のタイムラインというのを持ちたくないのだ。「自動的に絶え間なく入ってくる」というのが非常に侵襲的しんしゅうてきな感じがして苦手なのである。

そういうわけで基本的にTwitterは、常に非ログイン状態で徘徊していた。

実は今年(2023年)の1月、凍結直後に一瞬だけ(おそらく12時間〜48時間くらい)、凍結解除されていたタイミングがあった。その時にいくつかツイートしたが、再び凍結になった。

困るのは、ログイン状態であっても、「from:cleemy4545」を使用した自分の過去のツイートが検索できないことだ。

ちなみにその一瞬の凍結解除の間にした以下のURLのツイートが最後のツイートである。1月19日夜(日本時間)である。
https://twitter.com/cleemy4545/status/1616051137471291393

2023年7月29日朝(日本時間)、これに非ログイン状態でアクセスすると以下のようになる。

https://twitter.com/cleemy4545/status/1616051137471291393 - 非ログイン状態

このページは存在しません。他のページを検索してみましょう。

ブラウザ設定を英語に変更(intl.accept_languagesの値を変更)してからだと以下。

https://twitter.com/cleemy4545/status/1616051137471291393 - 非ログイン状態

Hmm...this page doesn’t exist. Try searching for something else.

「存在しません」(doesn’t exist)とあるが、削除をしたわけではない。

ログイン状態なら、自分のツイートを見ることはできる。

https://twitter.com/cleemy4545/status/1616051137471291393 - ログイン状態

書ける……書けるぞお……
地の底からわきあがる「今なら書ける」という感覚。
でも小説よりも先に、10年くらい前からそのうちちゃんと定式化しときたいなあと思いながらずっと放置し続けてたネタについて書くことにする。
それにしても11月と12月に静寂があって本当によかった。

テキストは見れるが、画像については自分でも見ることができない。

画像をクリックしても、以下のように表示される。

ちなみにこの時の画像はまだ手元にある。以下である。

ありましたね。クジラのよどちゃんのニュース。

あのニュースを目の当たりにしてわたくしが、海からの応答がかえってきたとは考えない、などということは、絶対にありえないのである。

このツイートの中の「10年くらい前からそのうちちゃんと定式化しときたいなあと思いながらずっと放置し続けてたネタ」というのは、[cdwdoc-2023-001] で解説した「ALTLオーバーフロー」のことである。実際に書きあげることができてよかった。

ちなみに、かつて存在したメンズアイドルのグループで「ALTL」というのがあるということを知ったが、もちろん何の関係もない。

2023年8月20日朝(日本時間)では、note.com 内で "altl" (ダブルクォーテーションあり)で検索するとほぼわたくし関連しか出てこない。

https://archive.is/rVslg (「"altl" site:note.com」検索結果)

先ほど「1月16日ごろ」に [cdwdoc-2023-001] の執筆を開始したと書いたが、このツイートの時点ではすでに執筆開始していたわけだ。自分の没頭具合などを確かめて「あ、今ならいけるわ」と確信できている状態でこのツイートをしたわけだ。

また、ツイートの「でも小説よりも先に」というその「小説」とは、拙作『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』( https://mypage.syosetu.com/1940328/ )のことである。「この小説を完成させるよりも先に」ということである。

最初は1月中に [cdwdoc-2023-001] を完成させ、2月中にこの小説を完成させよう、などと考えていたのだが、到底無理な話だった。

この小説については、なろうのセクションで後述。

「11月と12月に静寂があって」については、この期間は建物内に自分一人だけで実際に物理的に静かだったということもあるのだが、それに加えて、生活保護を2022年11月8日に申請してとりあえず追い詰められた状態からは開放されたという心理的な静寂も大きい。

11月と12月は何か執筆していたわけではなく、「読むために読む」ということに専念した。パンデミックになってから「書くために読む」ことばかりになっていたから、「読むために読む」のは非常に新鮮だった。

ところでこのTwitterの凍結、これがAIの誤判定だったら実にタイムリーだなあと思い、最初はこの凍結をめぐる考察とAIの話題を絡めたものを「No space left on my brain」のための記事の第一弾にしてもいいかも、と考えていた。

それにしても、実際に凍結になってみて、Twitterをほとんど見なくなったことは良かったと思っている。

見なくはなったけど、実にいろいろなことが分かった。

ここ数年、Twitterで断片的に自分の考えを書いてしまうことによって中途半端な満足が生まれてしまい、長文の作品を完成に持っていくことがより難しくなっているのではないか、などと思うこともあったのだが、これはあまり関係ないことが分かった。

Twitterがあろうがなかろうが、とにかくわたくしは途中で飽きるのだ。どんなジャンルのことであっても。どんなに強烈に熱中していても。必ず飽きるのだ。あらゆることについて、飽きることを前提に行動する必要がある。

特に没頭し始めてから20日後や40日後あたりが危ない。

前のセクションでは、「おつきさまと殺意」に関連して
「5月4日〜5月20日 意識的に執筆中断(休憩)」
と書いたが、これは書き始めてから40日後の離岸流と戦わないようにするための施策である。

これが功を奏したのかは分からないが、5月20日〜6月10日あたりは再び執筆に集中できた。

Twitterを徘徊する無駄な時間がなくなって、じっくりゆっくり自分の文章に向き合うことができるのは良かった。テレビを見ないようにするのと似ているかもしれない。今年(2023年)になってからは、テレビを見ないと同時にTwitterも見ないという日々で、実に有意義に過ごせているかもしれない。

ここ数年のTwitterは、人口が多いということのメリットとデメリットがかなり鋭く交錯している気がしている。

更新告知専用なども含めて、何らかの形でミニブログ的なものを活用したほうがいいのかもしれないと思いつつ、人口が少なすぎる場所はもしかしたらわたくしには向いていないのかも、と思うこともある。

人口が多いとはいっても、人口密度が高すぎるのはやはり駄目で、それなりの広さと余裕があったほうがいいかもしれない。

今のnoteの場合、人口が多いけど人口密度の高さは感じない。それぞれがバラバラに動いている感じが良い。

これまでのわたくしのTwitterの投稿は、基本的にはまだ自分のことを知らない人、特に検索でたどり着く人を前提にしていた。

自分の周囲40kmには上下左右どこにも人間がいない状態、つまり上空4万メートルあたりからテレパシーで地上にメッセージを送信する感覚。

まあ、時には昔の自分を知っている人が読むかもしれないということを前提に書くこともあったかもしれないが、それは基本的には、2004年秋あたりよりも以前のわたくしを知っている人である。

そういえば、ここ数年はTwitterで様々なニュース記事などに言及してきた。でもTwitterアカウント凍結により、しばらくの間はわたくしが推したい記事について知りたい人は、noteの「スキ一覧」やなろうの「ブックマーク一覧」を見てほしい、ということになる。

ちなみにTwitter内での「いいね」は基本的にはログインウォールの向こう側で設定変更もできなかったと思うが、noteの場合は「スキ一覧」を公開するかどうかは設定で変更できる。なろうの場合はブックマークの一つ一つについて公開するのかどうかの設定が可能である。

これらはメモ代わりという側面もないわけではないが、純粋な自分用のメモというのはローカルでテキストファイルに保存している。上記の2つのリストに表示されるものは、基本的には推したい記事ということだ。

当然ながら、それぞれの記事の内容について、全面的に賛同していることを示すわけではない。

また、最近はnote内やなろう内の文章ばかり読んでいるというわけでもない。

それどころか、なろうでは基本的に「書き専」である。これについては、なろうのセクションで後述。

 

各種アーカイブサイトについて

今回のプロフィール刷新で、はてなのプロフィールページにはっきり「Archive Me」と書いた。

https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/

もちろん、保存されたくないという人もいることは知っている。

特に二次創作の場合など、保存されたくない気持ちも分かる。

でもわたくしの場合は、基本的には保存したいし、されたいのだ。

noteもIPアドレス漏洩のやらかしの件があったけど、そろそろまたInternet ArchiveインターネットアーカイブWayback Machineウェイバックマシンで保存できるようにならないものか、と思っている。

ネット文化と情報の保存については、なろうで見つけた以下のエッセイをオススメしておきたい。

  • 小説家になろうと、web小説と、その保存性について ~インターネットの物って残すの大変~(2019-05-07)
    https://ncode.syosetu.com/n4760fm/

各種アーカイブサイトについては、日本の国立国会図書館のサイトにも解説のページがあったりする。Wayback Machineについても解説がある。

今回のわたくしのこの記事においてもそうなのだが、どうしてわたくしが埋め込みを使用せずに記事本文にURLを含めるようにしているのか、という理由の一つもアーカイブサイトの存在がある。

埋め込みを使用した場合
埋め込みを使用しない場合

埋め込みを使用した場合はアーカイブサイトで保存した時に情報が失われる場合がありそうなのが困る。

また、アーカイブサイトは保存の際にリンク先を書き換えることがあるのが気になる。とはいっても、実際に保存の際に書き換えているのかどうかは知らない。保存ではなく表示のタイミングで毎回書き換えることも可能ではある。

ちなみに上記の場合、archive.todayはリンクを書き換えているが、ウェブ魚拓はリンクはそのままである。

自分が用意した動画など、埋め込みであることに意味がある場合もある。そういう場合でも、単に埋め込みを使うだけでなくURLを文字の情報として記事本文に含めるつもりである。そうしておけば、動画は別のタブで開きたい、という場合にも便利である。また、VLCなどブラウザではないアプリケーションで動画を再生したいという場合にも、URLが分かりやすく提示されていると便利だ。

埋め込みの厄介なポイントとして、Ctrl+F によるページ内検索のこともある。

例えば、以下はある会社名で検索していてたどり着いたnoteの記事だ。Ctrl+F 後、「1件中1件目」になっているから、その社名について確かにこのページのどこかに言及があるはずなのに、どこにあるかが分からない。結局これは、埋め込みの対象である記事のタイトルにその社名が入っているのだが、タイトルが長すぎて省略されて不可視化されているわけだ。

https://note.com/monokurotv/n/n6349b11afddc

基本的にパソコンでしかネットサーフィンしないので、こういうのは戸惑うポイントだ。

アーカイブサイトは、知る権利や情報格差の解消においても重要である。

抑圧的な政府の元で暮らす人など、何か特別な理由があってTorやVPNのようなものを使っている場合もあって、そういったものを経由してアーカイブサイトを利用する人々もいる。有名サイトの中にはTorからのアクセスを弾いている場合があるが、同じ内容がアーカイブサイトに保存されていれば、そちらについてはTor経由で閲覧できる可能性がある。

とにかくわたくしは、情報が閲覧できるようにしておきたいのである。

また、情報格差をなるべくつくりたくないのである。

「ネットに何か文章を載せるなら、必ず保存されることを前提にすべき」という発想が当たり前になることが良いことなのかどうかは、なんとも言えない。

そうなると多くの人がログインウォールの向こう側に逃げ込んでしまうことになって、かえってWeb全体が貧相になる可能性がある。

GoogleやDuckDuckGoダックダックゴーのような有名検索エンジンにおいて、Wayback Machine内のアーカイブ全体とシームレスに検索可能になったりするような、そういう未来も来ないほうがいいだろう。

ある程度、ワンクッションやツークッションというものがないと、Web全体の風景が変わってしまう。

ところで、日本のアーカイブサイトとして有名なウェブ魚拓では、noteの記事をアーカイブしようとすると「robots.txtによってキャッシュが禁止されており取得できません。」と出ていたのだが、ちょうどこの記事を書いている真っ最中の2023年7月27日、以下の方針変更によってアーカイブできるようになったようだ。

そういうわけで、2023年8月30日現在、noteはWayback Machineではおそらくまだアーカイブできないが、ウェブ魚拓やarchive.today(archive.is)でならアーカイブできる状態である。

archive.todayについては、2016年に茨城県警が謎の注意喚起を行うという珍事件があった。

この話が恐ろしいのは、おそらく注意喚起が発信されるまでの間に、県警の中にも「これってただのアーカイブサイトだろ?」と思う人がたくさんいたはずなのに、それが意思決定に反映されずに頭のおかしい「注意喚起」が実際に発信されてしまうということである。

「最悪の事態の想定」と「リテラシーのない人にも分かるように」を無理に両立させようとしておかしなことになっているという側面もあったのかもしれないが、それはコンテンツ作成者がアーカイブサイトの挙動に責任を持つことができないという意味でのアーカイブサイト一般への注意喚起にならざるをえないだろう。

これは民間事業者を名指しで警察が「告発」するという要素があるわけで、「いろんなことを想定するなら、あれはあれでアリだったのだ」と考えてしまうのは、共産主義国家の発想である。

アーカイブサイトが安全になるようにするために、広告に依存しなくてすむようにするにはどうすればいいのか、という論点は重要かもしれない。一般論として、技術的に「きわどい」ことをやりたがる業者に依存するほうが、サイト運営者は経済的に「安定」する。

そう、こういうアーカイブサイトを運営するのもコストがかかるのだ。

こういうサイトが存続できるように寄付することは、わたくしへの間接的支援にもなる。

アーカイブサイトは調べものに便利というだけではない。アーカイブサイトとは何なのかというのも、わたくしにとってはそれなりに重要なテーマなのだ。

ちなみにわたくしも、Internet Archiveに寄付したことがある。

bitflyerでの「入出金」の履歴

0.003BTCが2回。2020年4月17日と、2020年6月4日。まだこのころは少し余裕があったのだ。

ビットコインではあらゆる履歴が残り、誰でも閲覧可能だ。

これらはbitflyerのシステムを利用した送付なので、bitflyerでの他のユーザーの取引と一緒くたになっているトランザクションだ。

暗号資産(仮想通貨)での寄付の面白いところは、寄付した時点と現時点で価値が変わっているかもしれないことだ。

2023年8月12日夕方(日本時間)にGoogleで「0.003btc jpy」で検索すると、1BTCが約426万円で、0.003BTCは約12,777円だった。

「0.003btc jpy」検索結果

チャートでは、2020年4月17日のころは1BTCが約78万円。ということは、このころは0.003BTCというのは2340円くらいだったのが、今は12000円を超える価値があるということだ。

わたくしの場合は自分で保有しようとしても、しばらくすると換金して家賃や食費などに使わざるをえない状況に追い込まれる。でも余裕がある時にこういう形で寄付しておけば、寄付を受ける側がすぐに換金したりしないのであれば、「おおっ、あの時の寄付がこんなに育ったかあ」と考えることも可能ではある。

ちなみに2023年8月12日夕方(日本時間)現在、わたくしのbitflyerの残高は円換算で約227円、bitbankの残高は円換算で約237円。

bitflyerのホーム画面、2023年8月12日夕方(日本時間)
bitbankの「資産状況」ページ、2023年8月12日夕方(日本時間)

わたくしは生活保護を受給中なので、もし暗号資産(仮想通貨)のカンパを受け取ったりした場合は保護課から「売却指導」が入る可能性が高い。

基本的に日本の生活保護というのは、売れるものは全部売って生活費に充ててください、というのが前提である。

 

はてなのプロフィールページ刷新

今回プロフィールページをいじったというのは、はてな、pixivFANBOX、Patreon、この3つ。他のサイトでは一般的な意味でのプロフィール的な情報というのは用意していない。

そしてこの3つの中では、はてなのものが一番情報量が多い。

はてなのアカウントをつくったのは2005年夏。

もうあれから18年。

はてなについて語るのは難しい。

2011年7月あたりからは、ほとんどはてなを使っていない。はてなユーザーになってから長いが、増田(はてな匿名ダイアリー)は一度も書いたことがないし、検索で引っかかってこない限りは増田を見ない。

わたくしは2023年7月17日から7月21日にかけて、はてなのプロフィールページを刷新した。

https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/

刷新前のものは以下で確認できる。2022年7月。
https://web.archive.org/web/20220715005929/https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/

さらに以前の、明確にカンパを募ったりしていない頃は以下。2020年11月。
https://web.archive.org/web/20201101100540/https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/

archive.todayのほうでは、今回の刷新の途中経過も保存してある。
https://archive.is/https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/

保存している時は「途中経過を保存しておこう」と思って保存していたわけではない。毎回「これで最終バージョンだから保存しておこう」と思って保存していた。結果的に途中経過が保存されたというだけだ。

このはてなのプロフィールページ、2023年8月30日時点ではGoogleの検索結果に表示されない。2022年夏あたりからこの現象があった気がする。一時期は、表示されたり表示されなくなったりを繰り返していた。理由は分からない。

プロフィールの下の方にある「ことばがき」については、怖くて読み返せない。かなり異様な精神状態の時に書いたものだ。表示の確認などの際に視界にはどうしても入ったりするけど読みはしない。でも、消すこともしないつもり。

また、ちとせ商店街ビルへの言及があったことも思い出した。これもそのまま残しておく。

以前Twitterにも書いたが、わたくしは1階に「足立屋あだちや」ができる前の2013年夏あたりから、ちとせ商店街ビルに住んでいたことがあるのだ。

ちとせ商店街ビルはわたくしが「こうなっていったら面白いのに」と思うのとはまったく逆の方向に行ってしまい、近寄りたい場所ではなくなった。ニッチなジャンルの古本屋とか、ジャンク品の真空管やコンデンサが大量に置いてある店とか、イオシス(同人サークルではなく中古PCのほう)みたいな感じの店とか、そういうものがたくさんできればいいと思っていたのだ。

ちなみに住み始めたころは、上條淳士かみじょうあつしの『SEX』にちとせ商店街ビルが登場することは知らなかった。わたくしは2014年になってから、露骨な性描写がほとんどないことで有名なこの漫画を読んだ。「SEX」を「読む」ということをどうしてしなかったのだろう、と悔やんだものだった。『SEX』と『鉄コン筋クリート』を読んでいるかどうかによって、『海獣かいじゅうの子供』の印象も変わるかもしれない。

それはともかく。

はてなとは一体、何だったのか。2005年とは何だったのか。

これらはそれなりに大きな謎としてわたくしに付きまとい続けている。

今回のプロフィール刷新ではなく2020年にはてなのプロフィールページに追記したものとして、以下のようなものがある。

(※上記のアナグラムについてのルールは、「はてなダイアリー」というサービスがあったころの名残です。
遠い昔ですが、2005年8月から2006年12月まで、はてなダイアリーを利用しておりました。開始当初のタイトルは『アナグラマーズ・ハイ』で、2005年8月21日からは『すぐ寝込む日なら、愛はどこで?』でした。
当時のURLは http://d.hatena.ne.jp/cleemy/ です。
2019年のサービス終了時に自動移行されたあとのURLは https://cleemy.hatenadiary.org/ です。
自動移行されて表示が変わったために分かりにくくなってますが、『すぐ寝込む日なら、愛はどこで?』というのは「ここはひどいアナグラムですね」のアナグラムです。実は当時、『どら猫で混む日はすぐ会いな。』というタイトルも有力候補でした。
なお、上記のアナグラムについてのルールは、記念として今後も残しておく予定です。
(2020-10-06))

https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/

2023年8月30日現在、http://d.hatena.ne.jp/cleemy/ にアクセスするとはてなブログに自動以降されたあとのものに飛ばされるが、かつての様子はアーカイブサイトに保存されている。

なぜかわたくしはInternet Archiveインターネットアーカイブ(のWayback Machineウェイバックマシン)には保存されていないと思いこんでいたが、今回検索してみてちゃんとアーカイブがあったことに気づいた。

例えば以下は2005年12月15日(GMT)のアーカイブ。
https://web.archive.org/web/20051215232727/http://d.hatena.ne.jp/cleemy/

http://d.hatena.ne.jp/cleemy/ の2005年12月15日(GMT)のアーカイブ

ところで、上記の引用箇所の中の「サービスがあったころの名残」という言い方には、若干の説明が必要かもしれない。

まず大前提として、もともとはてなには「profile.hatena.ne.jp」のようなものは無かったと記憶している。いや、もしかしたらあったのかもしれないが、他の人に伝えるものとしてこのURLを使用するということはまずありえないことだったはずである。

で、「はてなダイアリー」があったころは、それぞれのトップページのURLに「about」を付加したものが存在していた。

わたくしの場合なら以下。
http://d.hatena.ne.jp/cleemy/about

ちなみに2023年8月30日時点では、上記にアクセスしても「はてなブログ」のほうに飛ばされる。

上記のURLで当時どのように表示されていたのかは、例えば2005年10月と2006年2月の以下のアーカイブで確認できる。

http://d.hatena.ne.jp/cleemy/about の2006年2月6日(GMT)のアーカイブ

このページこそが、はてなにおけるプロフィールページだったのだ。「ブログ主」の「about」であると同時に、「このブログ」の「about」でもあったのだ。

そしてどこかの時点で(あるいは気づいてなかっただけで2005年の時点でも)、上記の /about のページに表示されていた内容が、ユーザーが入力した部分についてはそのまま以下のURLでも表示されるようになっていたわけだ。
https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/

ちなみに前述の2005年や2006年のころのプロフィールページのアーカイブには、どこにも「desu wayo」がない。「cleemy desu wayo」を正式名称にしようと決めたのは2010年前半だったと記憶している。

「淡々とアナグラムするよ」とあるが、これは完全に失敗だったといえるだろう。最初は毎日少しずつアナグラムをする予定だったが、まったくそういう風にはならなかった。

また、アーカイブの2つ目のほう(2006年2月6日)では、hotmailのアドレスについての情報が出てくる。これは今はわたくしは使っていない。

そもそも、hotmailというのは一定期間利用がないと別の人が勝手に取得できる仕様だったはずだが、このことを2006年当時は知らなかった。2007年1月から数年間放置していたため、その間に別の人が勝手に使っていた可能性というのはゼロではない。現在も、別の人が使っていたりする可能性があるのかどうかは知らない。これからもわたくしは使う予定はないので注意してほしい。

2005年夏は、アナグラムのブログと長文ブログを同時に始めるつもりだった。長文のブログとアナグラムのブログがり合うようなものをイメージしていた。でも長文ブログの最初の一発目の記事がなかなか完成せず、まずはアナグラムのブログだけを始めてみようと、はてなにアカウントを作成したのだった。

アナグラムのブログについては、特に自動移行されたあとのものだけを見ていると分かりにくいかもしれないのだが、あれは開始されなかった長文ブログの影のようなものという性質もある。

結果的に、はてなブックマークでのコメントとの縒り合いがある程度は発生せざるをえなかったが、あまりそれを推し進めてしまうと長文ブログが永遠に開始できなくなるのではないか、ということも考え、そこについては抑制的だった。

2005年夏当時、はてなブックマークのようなものが登場することや、mixiミクシィで答え合わせをしたがる人が実に多いということは想定していなかった。

わたくしはmixiやGREEグリーFacebookフェイスブックにアカウントをつくったことは一度もない。

2006年ごろはあまり精神状態が良くなかった。このことは「おつきさまと殺意」であらためて述べる。

ところで、わたくしは今はずっと以下のアイコンを使用している。

Googleの画像検索で調べてみた限り、アイコン全体として見た時には、非常によく似たアイコンというのはなさそうである。

類似画像、なんで「アレ」や「アレ」は出てこないのかということにもなりそうだが、類似性をどこに見いだすのかというのはそれなりに難しい問題なのかもしれない。ChatGPTなどで、自然言語で「この画像のこうこうこういう要素に注目した時の類似画像を教えて」のような検索ができたりするのかどうかは知らない。

わたくしのこのアイコンの場合、一目見て気づくからこそ批評性があるのであって、一目見て気づく人が完全にいなくなってしまったり、検索しても元ネタが分からない状況が続いたりすると、ただのパクリと認定されてしまいかねない。

2016年2月時点のわたくしの「はてなダイアリー」のトップを見てみると、このころは今とアイコンが違うのが分かる。
https://web.archive.org/web/20160217104902/http://d.hatena.ne.jp/cleemy/

2016年2月か3月あたりというのは、ちょうどアイコンをどうしようか考え始めたころだ。変更すること自体は2015年のうちに決めていた。

わたくしの記憶では、2018年の前半になってようやくInkscapeで新しいアイコンを作成した。

そして変更前のものを記念ということで以下にアップした。

2018年5月3日。

ALISに投稿した最初の記事が2018年5月6日公開なので、ALISで書くにあたってアイコンを作り直したとか、そういうことだったかもしれない。「人間関係が何か変わった」とかそういうわけではない。

なんかもう、ここ数年。

あまりにもいろいろなことがありすぎて。

アイコン変更はもう10年くらい前なのかと思ったけど、約5年前だった。この5年間、いろんなことがあったけど「人間関係」にはこれといった変化はない。大阪に住んでいる友人(ほぼ同世代で男性でたぶんISxJ)が電話に出てくれなくなったことくらいか。

ちなみにわたくしはLINEを含めて、狭義きょうぎのメッセージアプリ的なものは一度も使ったことがない。

ところで、2005年というのは、わたくしがインターネットに出会い直した年だったという感がある。

それはやはり、「cleemy」を名乗り始めたこと、はてなでアナグラムのブログ(『すぐ寝込む日なら、愛はどこで?』)を始めたこと、これが大きい。

2005年というのは2023年からみれば遠い昔だが、2005年当時は1997年が遠い昔だった。

わたくしは1997年にインターネットに出会ったのだ。

1996年にも少しだけネットサーフィンをしたりはしたが、基本的には1997年だ。

初めて個人サイトを開設したのも1997年春。

この1997年というのは、「ブログ」という言葉は定着していないどころかそういう言い方をしている人は皆無に近かったのではないかと思う。また、動的にページを生成というと「CGI」であり「Perl」だった。

2005年当時には、「1997年とは何だったのか」が大きいテーマだった。この「2005年からみた1997年」というのは、今となってはかなり伝わりにくいものがある。

わたくしにとって、1997年前後というのは『週刊ファミ通』という雑誌が面白かったころでもある。なぜアナグラムなのかというのも、この『週刊ファミ通』の投稿コーナーの「アナグラム・サム」を意識したものである。

あの頃はファミ通が面白かったよね、というのも徐々に通じにくくなってきているのだが、その中のさらに「アナグラム・サム」というと、存在自体知らない人も多くなっているかもしれない。

ちなみに1997年に『週刊ファミ通』の編集者だったという人がnoteで思い出を書いている。

しかし、2023年8月28日朝(日本時間)に、上記の2つの記事は消えてしまっていることに気づいた。いつごろ消えたのかは分からない。執筆期間が長いと、書いているうちに状況が変わってしまうのが難点である。

とりあえず、そういう記事が存在していたということが分かるようなアーカイブだけ示しておく。

なお、わたくしは『週刊ファミ通』に投稿したことはない。でもファミマガ(『ファミリーコンピュータMagazine』)のウルテクコーナーに投稿したことならある。この人生初の「バグ報告」については執筆中の「おつきさまと殺意」で触れる予定。

ところで今回いろいろ検索していて、『週刊ファミ通』および「アナグラム・サム」に言及した論文があることに気づいた。査読さどくありの『ソシオロゴス』の43号に掲載された論文である。

わたくしがALISに書いた記事でも言及したユウジローの話も出てくる。

わたくしはこの論文をじっくりとは読んでいないので、内容の妥当性については知らない。とりあえず、「ああいうことを本当に学術論文にしている研究者がいるのか」というその驚きを記録しておきたい。

そして論文で言及されている『Metagaming』(2017年刊)の邦訳が出るならすぐにでも読んでみたいということを表明しておきたい。

この本はちょっと検索しただけでは日本語で解説したものがWeb上に見当たらないが、動画の解説があった。まさか動画が先に見つかるとは、という妙な感覚。そういう時代なのか。

  • 【吉田寛】メタゲームとは ゲーム研究講義 第5回 マクルーハン以後のメディアについて考察する - YouTube(2022-10-27)
    https://www.youtube.com/watch?v=--YixsjMdaE
    (「未来に残したい授業」チャンネル)

この動画の1:17:37〜あたりから、Stephanie BolukとPatrick LeMieuxの『Metagaming』(2017年刊)で展開されている議論について、実際のゲームのプレイ動画を交えたりしながらの解説がある。縛りプレイやRTAやeスポーツやゲーム実況などの位置づけについての話もある。

ちなみにわたくしは『青年と雑誌の黄金時代――若者はなぜそれを読んでいたのか』(2015年刊)の存在にも気づかなかった。こちらも2023年8月30日時点で未見。

ところで当時のファミ通では、読者投稿以外にも渡辺浩弐わたなべこうじの短編小説(ショートショート)が毎週掲載されていたことも、わたくしにとっては重要である。小学生も読んでいるような雑誌に掲載されていたものとしてはかなりブラックなオチになることが多かったこの小説、たいていは狭義きょうぎのコンピュータゲームとは「あまり関連しない」話題だった。

バレンタインチョコの回なども雑誌掲載のものを読んだ当時は鮮烈な印象があった。これは例えば今のなろうであれば「R15」と「残酷な描写あり」の両方のキーワードを指定しないと規約違反になるのではないかと思う。

この回のタイトルは「バレンタインデー後日談」で、アスペクト版の『2000年のゲーム・キッズ』(1997年刊)や幻冬舎文庫版の『2000年のゲーム・キッズ』(2000年刊)だと第20話であり、星海社文庫版『2000年のゲーム・キッズ(上)』(2012年刊)だと第19話である。ちなみにこの3つのバージョン、それぞれほんの少しずつ相違点があるが、全体のストーリーは同じだ。

『2000年のゲーム・ キッズ』3つのエディション
『2000年のゲーム・ キッズ』3つのエディション

上記の写真の一番左のアスペクト版については、書い直したものではなく、1998年か1999年にわたくしが新品で購入したものの可能性が高い。

検索してみると、「バレンタインデー後日談」は2022年にnoteにもアップされていたようだ。

いくら投稿コーナーのことを説明しても、リアルタイムで見ていなかった人にとっては「しょせんは内輪の盛り上がりでしょ?」ということになってなかなか伝わりにくいものがある。おそらく先にこの「バレンタインデー後日談」を読んでもらうことが、当時のファミ通の雰囲気を伝えるのに適している。「ゲーム雑誌としてはちょっと変わった路線だよね」とかそういうレベルではまったくないのだということが一目瞭然だろう。

この回以外では、「冷蔵庫のなかのこと」もオススメしておきたい。

「冷蔵庫のなかのこと」はなぜかGoogleで検索しても小説本体の記事が一発で出てこない。

渡辺浩弐の小説については、わたくしは以前にALISやTwitterで「インターネット殺人事件」の回に言及したことがある。星海社文庫版『2000年のゲーム・キッズ』の下巻を入手していなかったので、2018年当時はタイトルが分からなかった。

https://archive.is/etELa#selection-36713.32-36713.36
(うまくページ内移動されない場合は「渡辺浩弐」で要ページ内検索)

ところで、Wikipedia情報ではあるが、浜村弘一はまむらひろかず(浜村通信)が『週刊ファミ通』の編集長だったのは1992年〜2002年である。

この期間というのはまさに、わたくしがファミ通を毎週買っていた時期だ。

2018年にJeSUのライセンス問題が騒動になった時、この元編集長は再び注目を集めた。

経済産業省の得意技として、わたくしが「法的微妙匂わせ」と呼んでいるものがある。この人はそれに利用された可能性もあると思っている。

「法的微妙匂わせ」とは、匂わせ行為が法的に微妙という話ではなくて、法律を持ち出して大衆を混乱させ、そのスキに経産省が侵略的に縄張りを拡大しようとするものである。「法的に微妙なところがある」と言われると大衆はビビると思っているのである。実際には、経済産業省の存在自体が法的に微妙である。

本来は経済産業省の「法的微妙匂わせ」というのは文字通り「匂わせ」がメインであり、あんなに何度も何度も露骨に景表法(景品表示法)のことを強調するというのは特殊なパターンであるように思える。

この「法的微妙匂わせ」については以前Twitterに書いた。
https://archive.is/vuG9D#selection-10955.34-10955.39
(うまくページ内移動されない場合は「法的に問題」で要ページ内検索)

Web上では元編集長個人の言動にスポットがあたっていたが、あれを一人で考えて主導していたとは到底信じたくないという思いがある。

もちろん、わたくしが「あのころ」を美化しているという側面はあるのかもしれない。

ところで、この「法的微妙匂わせ」については、若い才能の口を借りて発信されることもあるため、その手口についての周知が必要である。20代のころは何が起こっているか分かりにくいかもしれない。

「法的微妙匂わせ」についての言及はないかもしれないが、経済産業省について知るには以下の動画が適している。元経済産業省の古賀茂明こがしげあきによる解説である。

  • 【古賀茂明氏】"3チャラ"が日本を滅ぼす! 元経産官僚だから分かる「安倍政権」「経産省」「電通」の関係【ワンポイント日刊ゲンダイ】 - YouTube(2020-06-20)
    https://www.youtube.com/watch?v=x_SyI_Z2JCE
    (「日刊ゲンダイ」チャンネル、36分ほどの動画)

さて、わたくしのアナグラムに話を戻そう。

2005年から2006年にかけて、別の人のブログのコメント欄でわたくしがアナグラムをしたものについては、以下で見つかるかもしれない。

また、わたくしのアナグラムブログ『すぐ寝込む日なら、愛はどこで?』については、id:hyuki (結城浩ゆうきひろし)が言及した以下の記事が今でも確認できる。2023年時点でも確認できる数少ないものである。

上記は「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に移行したもののようだ。

移行前のものもアーカイブサイトにあった。
https://web.archive.org/web/20051213075136/http://d.hatena.ne.jp/hyuki/20051209

http://d.hatena.ne.jp/hyuki/20051209 のアーカイブ

おおおっ!そういえばこんな感じのレイアウトだった!とちょっと感動。

また、id:hoshikuzu ( https://profile.hatena.ne.jp/hoshikuzu/ )による以下の記事もある。

これも「はてなブログ」に移行したものだろう。

こちらも、移行前のものがアーカイブサイトにあった。
https://web.archive.org/web/20060629022436/http://d.hatena.ne.jp/hoshikuzu/20051207

探せば本当はもっと見つかるのかもしれないが、普通にGoogleで検索しても出てこない。

ところで、アナグラムとは関係のない話として、IEの脆弱性ぜいじゃくせいのCSSXSSについていくつかのブログのコメント欄でコメントした記憶があったのだが、こういうのも検索で出てこなくなっているということに数年前に気づいた。

しかし今年(2023年)の7月24日の夜になって、同じく id:hoshikuzu のものが残っていることに気づいた。

7月25日の朝になって、同じく id:t_trace のものもアーカイブされていることに気づいた。
https://web.archive.org/web/20051209005704/http://d.hatena.ne.jp/t_trace/20051204

そして上記の id:t_trace のダイアリーでのわたくしのコメントを id:hoshikuzu が記事の中で引用したものもあった。

移行前のアーカイブは以下。
https://web.archive.org/web/20060516003811/http://d.hatena.ne.jp/hoshikuzu/20051204/

うーん、なんていうか……そうだったっけ?

あと、おそらくはてなユーザーではなかった人による、WordPress MEで構築された「おさかなラボ」というブログがあった。そこにコメントしたものも、アーカイブサイトで確認できる。
https://web.archive.org/web/20060814220609/http://kaede.to/~canada/doc/csrf-response-to-mr-takagi

他にもCSSXSSについてコメントしたブログ記事がいくつかあった気がするが、どのブログだったのかはもう忘却の彼方である。

そういえば、アナグラムともCSSXSSとも関係ない話題で、id:kmori58 ( https://profile.hatena.ne.jp/kmori58/ )の「はてなダイアリー」にもコメントした記憶がある。

移行後のはてなブログは非公開の設定のようだ。

https://d.hatena.ne.jp/kmori58/ にアクセスしようとすると、以下のようになる。

この人は本名(多分)が森公一郎もりこういちろうという人で、国産CコンパイラのLSI-Cの作者として有名である。

また、この人はネット史的にはリフレ派の論客という側面もある。

ちなみにわたくしはリフレ派ではない。

「リフレ」や「緩和」という言葉を使っていないが、明確にリフレを批判したわたくしのツイートが2011年12月にあったりする。2021年9月になってから、この約10年前の自分のツイートに言及したことがある。このおかげで、この2011年12月のツイートの内容も確認できる。

https://archive.is/wU7UN#selection-35697.8-35697.15
(うまくページ内移動されない場合は「そういうやり方」で要ページ内検索)

画像は手元に残っている。

なんでこんなロックスターみたいな言い方なのかは分からない。

2011年ということは、第2次安倍内閣(2012年12月発足)より前。なぜこのころにこういうツイートがあるのかというのは、日本のネット論壇的にはリフレ派というのは第2次安倍内閣が誕生するずっと以前からそれなりに重要な存在だったからである。

これは、「黒木ルール」で有名な数学者の黒木玄くろきげんWikipediaへのリンク)の存在が大きい。また、ポール・クルーグマンを肯定的に紹介する山形浩生やまがたひろおWikipediaへのリンク)の存在も大きい。

そしてなにより、匿名掲示板「いちごびびえす」(Wikipediaへのリンク)の存在。

2023年8月30日時点での「いちごびびえす」の項目の最新版(2022年1月23日の版、URLは以下)では、「リフレ」という言葉は登場しない。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=いちごびびえす&oldid=87671101

ただし、以下のような箇所はある。

経済、音ゲー(音楽ゲーム)の板が比較的盛況である。

Wikipediaの項目「いちごびびえす」

この「経済板」というのが、リフレ派が集まる場所として有名だったのだ。

わたくしは2022年9月になってあらためて「リフレカルト」という言葉で批判的に言及した。「リフレカルト」についてのツイートは以下のURLで確認できる。

https://archive.is/vuG9D#selection-10211.19-10211.25
(うまくページ内移動されない場合は「リフレカルト」で要ページ内検索)

この時に作成した画像も手元に残っている。以下である。

ちなみにわたくし、パンデミックになってからは、あらゆる選挙で自民党候補者(あるいは自民党が推薦する候補者)に一度も投票していないと思う。

なお、ポール・クルーグマンの理論を山形浩生が日本に紹介したからクルーグマンが日本で重要というわけではない。ポール・クルーグマンにとって、日本のデフレというのは重要な関心事の一つだったのだ。おそらく今も。

「リフレカルト」という言い方については、今回この記事の中で直接的に言及した人はわたくしが考える「リフレカルト」ではない。

また、Twitterでわたくしはよく「師匠」について面白おかしく書いていたが、これは id:kmori58(森公一郎)のことではない。

でもこの人は、師匠の記憶とゆるく結びついてはいる。

師匠は2002年ごろによくワンダーウィッチの話をしていて、その時にLSI-Cの話もしていたのである。だから id:kmori58 がわたくしの『すぐ寝込む日なら、愛はどこで?』に言及した際には「あ、この人、あのとき師匠が言ってた人やんけ」と思ったのだ。

なお、おそらくこの人は師匠と同世代であるが、確証は持てない。

ちなみに師匠はSFテレビドラマ『アウター・リミッツ』を小学生の時にリアルタイムで観ていたと言っていたから1952年〜1960年あたりの生まれの可能性が高いが、タイムリープやタイムスリップなどを考慮するともっといろいろな可能性が出てくるので注意が必要である。

わたくしが把握している限りでは、わたくしの師匠や兄弟子あにでしは著名な活動をしている人ではなく、ブログやSNSアカウント等も見つけたことはない。

ただし「姉弟子あねでし」については、ある領域においては1980年代の半ばからすでに有名人であり、Wikipediaの項目もある。なお、わたくしが知る限り「姉弟子」はコンピュータのプログラミングに詳しい人ではない。「姉弟子」は兄弟子と同世代で、2人はともに音大出身である。わたくしは「姉弟子」を肉眼で確認したことはおそらくない。「姉弟子」は師匠のことを覚えているはずだとわたくしは確信しているのだが、「あの人に弟子入りしたつもりはない」と「姉弟子」は言うかもしれない。

師匠に強い影響を与えた7人については、以下を参照。
https://archive.is/03T2q#selection-24053.19-24053.22
(うまくページ内移動されない場合は「御用達」で要ページ内検索)

ジョルジョ・デ・キリコ、雪舟、セロニアス・モンク、スウェーデンボリ、エドワード・デ・ボノ、ロジャー・ペンローズ、ドナルド・クヌース。

師匠がこの7人についてよく話していたのは2001年〜2004年の間である。だから1980年代の半ばごろはどうだったのか知らない。なお、わたくしは師匠とは2004年秋以降は一度も会っておらず、その後のことは知らない。兄弟子についても2003年あたりから同様。

わたくしが兄弟子に初めて会ったのは1998年12月である。兄弟子がつくった会社を紙の求人情報誌、おそらく『FromAフロムエー』だったか『anアン』だったか、そういうものの募集で知って、わたくしが応募したのである。そして師匠と初めて会ったのは1999年1月である。この時期は、兄弟子が師匠を雇用するという関係だった。

なお、わたくしがフルタイムのプログラマーだったのは、1999年1月から2000年12月までの2年間だけである。わたくしはよく会社に寝泊まりしていたが、忙しかったというよりは、業務とはあまり関係がなく報告の義務もない、いわゆる「アンダー・ザ・テーブル研究」がメインである。わたくしは典型的なデスマーチというのは経験していない。

このころのわたくしは表向きはフルタイムのプログラマーではあったが、おそらくわたくしが「技術者」あるいは「エンジニア」だった時というのは1秒たりともないだろう。

1999年夏あたりだったか、わたくしが引き入れたことによって、わたくしの高校時代の同級生(中高一貫だったが、その同級生は高校からの編入生)も一時期だけこの兄弟子の会社でアルバイトをしていたことがある。その同級生は兄弟子の会社で初めて実用的なプログラムを書いたようだ。

そしてこのことによって、再び話がはてなに繋がるのである。

この同級生は、2001年前後にはてな創業者の近藤淳也こんどうじゅんやPerlパールのレクチャーをしていた時期があるらしいのだ。ただしこれはその同級生の側からのみ聞いた話で、わたくしは近藤淳也と会ったことはない。また、はてなが本格的にスタートしてからこの同級生が運営に関与したことはおそらくない。

この同級生も連絡先が分からなくなっていて、わたくしがおそらく最後に会ったのは2005年だと思う。多分合計で20万円以上お金を借りたまま、いまだにわたくしは返すことができていない。

師匠や兄弟子、そして「姉弟子」については、わたくしはTwitterでいろいろ書いていた時期があった。あまりぼかすと「自分のことではないか」「あの人ではないか」とまったく見当はずれの憶測が生まれるし、確実に特定可能なように書こうとすると「個人情報を書きすぎではないか」ということになる。Twitterでも今回でも、プライバシーのためにあえて事実と異なる情報を混ぜる、ということはしていない。何かが違っているならば「その人」ではないのだ、ということに注意してほしい。

「音大」とかそういう要素についても、絞り込みとしては強力ではあるけど、わたくしの遠い親戚とか昔の友人とか友人の友人などからピックアップしていくと、下手をすると20人くらい音大出身の人を抽出できてしまうかもしれない。「音大」だけに引っ張られるとまったく別の人が候補になってしまうだろう。

師匠・兄弟子・姉弟子については、すべてわたくしの血縁者や親戚ではない。一般的な意味での遠い親戚なども含まれていない。そしてわたくしが沖縄に来たのは2012年だが、沖縄に来てから出会った人々は彼らとは何の関係もないし、彼らが何らかの形で沖縄に縁があったりするのかどうかというのも、まったく知らない。わたくしが沖縄に来たのは、沖縄には親戚や知り合いが誰もいなかったからである。

ところで今回、いろいろ検索していて矢野直明やのなおあき東浩紀あずまひろきの対談を見つけた。2005年。

矢野直明の発言の中で「集合住宅」という言葉が出てくる。

うん。まあ、結局この、集合住宅というのがわたくしは苦手なんだな、と。

物理的な住環境に限らず、一つの建物に自分しかいないという安心感が重要なのである。

じゃあなんで独自ドメインでブログをやらないのかということにもなりそうだけど、それはやはり管理が面倒というのがある。

閉鎖的な空間に集まるということ自体は嫌いではないのだが、どちらかといえば洞窟の中とかそういう場所がいい。洞窟の中でも、毎日同じメンバーと顔を合わせるのは苦痛になりそうである。また、洞窟の中で全員が輪になって平等に発言という感じではなく、あくまでもわたくしが一方的にしゃべり続けるのが前提である。

洞窟で一方的にしゃべるのが良いとするとオンラインサロンが良いのではないかということにもなりそうだが、やはりそれもやりたくないのである。世界中から誰でもいつでも内容が確認できることと、アーカイブサイトで内容が確認できることが重要。

基本的には、発言ごとにPermalinkがあるというのが理想である。この発想は動画と相性が悪い。

集合住宅というのは、同心円的な広がりと親和性が高いかもしれない。

今回、Q&Aサイトの「教えて!goo」で自分がした過去の回答を読み返したりして、以下を見つけた。自分で書いたことをすっかり忘れていた。

まあ、読み返せば「おお、そういえばこんなことを書いたかもしれない」というのは思い出せるわけだが、映画版『スタンド・バイ・ミー』や映画版『ファイト・クラブ』にこんな風に言及していたというのは自分でも驚きである。まさかそんなことを考えていたとは、という感じだ。なお、両方とも原作はずっと気になっているが2023年8月30日時点でもまだ未見。

同心円については「おつきさまと殺意」でもまた触れることになるだろう。

はてなについては、東浩紀の2019年のインタビューも印象的だった。このインタビューの存在は以前から気づいていた。

2022年5月のBLOGOSサービス終了で上記のURLでは閲覧できなくなっているが、アーカイブサイトでなら読める。

漠然ばくぜんと同じことを思っていた人は多いと思うが、以下の箇所は「ああ、そうはっきり言っちゃうんだ」と思う人は多いだろう。

はてなダイアリーが無意識に持っていたあのコミュニティ感というものを、上手く次のサービスにバトンタッチできなかったのは、すごく残念なことだなと思っています。

「ネットは世の中変えないどころか、むしろ悪くしている」批評家・東浩紀が振り返る ネットコミュニティの10年

そして上記の引用箇所に言及した、以下のブログ記事も見つけた。

この記事の中では「○○ブログ」ではなく「ダイアリー」というのがポイントだったという指摘がある。これはまさにそう。

で、なぜ「ダイアリー」なのかというのは、tDiaryティーダイアリーWikipediaへのリンク)の存在がある。

2003年〜2005年あたりというのは、プログラミングに関する話題で検索するとtDiaryで構築されたサイトがよく出てきた。

だからわたくしのような人間にとっては、「はてなダイアリー」というのは何よりもまず、tDiary互換をウリにしていたWebサービスだったのである。

tDiaryの作者による、2003年1月の「はてなダイアリー」への言及は以下。「tDiary互換のHTMLを生成」とある。
https://web.archive.org/web/20030418175419/https://tdiary.org/20030117.html

そしてtDiaryにおいては、コメントは「ツッコミ」だった。tDiaryの「t」とはツッコミの「t」でもある。このことは、日本のネットユーザーのマインドの深いところに影響を与え続けている。

tDiaryはOSS(オープンソースソフトウェア)である。tDiaryとはてなの関係については、GitLabのセクションであらためて触れる。

それにしても。

もう、はてなダイアリーは存在しないのだ。

それは分かってるんだが。

2023年8月16日朝(日本時間)に https://d.hatena.ne.jp/ にアクセスすると、以下のようになった。

https://d.hatena.ne.jp/ - 2023年8月16日朝(日本時間)

うん……まあ、脱皮したかったってのは分かるけど、はてなブログもスタートして10年経って定着はしているわけだし、はてなダイアリーというサービスが存在していたということは分かるようにしても良いころなのではないかと思う。

以下は2003年1月のアーカイブ。
https://web.archive.org/web/20030118105023/http://d.hatena.ne.jp/

http://d.hatena.ne.jp/ の2003年1月18日(GMT)のアーカイブ

うん。なんか……

いや、やめておこう。

ところで、実は2005年というのは、わたくしがリゾマン(リゾートマンション)に住んでいた時期でもあった。

集合住宅でありながらリゾート地であるということは、典型的な意味での「住人」がほとんどいない。月に一回しか利用しないとか、年に一回しか利用しないとか、そういう人がほとんどなわけだ。あくまでもセカンドハウスとしての利用が前提で、住民票を移してはいけないというルールがあったりするようなマンションすらある。

リゾマンは最近では100万円以下で買える超激安物件として注目されることもある。当然、そういう物件の場合はメインの住居としてOKなところが多い。下手に注目を集めた物件は典型的な「住人」が急増してしまうこともあるのかもしれない。

でも「住人」が極端に少ないリゾマンはわたくしのような人間にとってはかなり快適である。巨大な建物を一人で独占しているような感覚がある。

基本的に「cleemy desu wayo」は、上下左右の部屋が完全に無人であるような静寂の中で孵化ふかしたといえる。

2004年の秋は、物理的に接する人々であってもオンライン経由での人々であっても、あらゆるコミュニティといえる存在からほぼ完全に切断されていた。

当時は気づかなかったが、今にして思えばちょうど「セカイ系」という言葉が席巻し始めていたころでもある。

2005年前後に同じリゾマンに住んでいた人で、一人だけ覚えている人がいる。絵を描いていた人だ。いつも画材を持ち歩いていた。20代か30代前半くらいの女性に見えた。

「覚えている」とはいっても、顔は覚えていない。

言葉を交わしたわけでもない。

どんな絵を描いていたのかも知らない。

わたくしと同様、ほとんど常に一人で行動していて、あまり服装に気を使っていなかった。

そう、あの人がやっていたのは明らかに「デザイン」ではないのである。「絵画」なのである。

あの人は今でも絵を描いているだろうか。

 

pixivFANBOXのプロフィールページ新規作成

pixivFANBOXピクシブファンボックスはずっと気にはなっていたが、実際にpixivのアカウントを作成することはなかった。

7月20日夜に「タイッツー」の存在を知ってすぐにpixivのアカウントを作成した。そしてすぐにpixivFANBOXにも登録した。

だからプロフィールを「刷新」したわけではなく、実際には新規登録直後にプロフィールを編集しただけだ。

https://cleemy-desu-wayo.fanbox.cc/

タイッツーはきっかけの一つだけど、タイッツー自体はまだ見てなかったりする。

「タイッツー」を知ったのは、おそらく以下の記事。

そうか、そういうのにpixivFANBOXが使われたりするのか、と思ったわけだ。

なお、わたくしは「100円パトロン」「300円パトロン」「500円パトロン」の3つを用意している。

https://cleemy-desu-wayo.fanbox.cc/plans

基本的には、「100円パトロン」のみの利用を前提としている。

300円と500円については、資産がある人とか。まあ、そういう。

100円という金額は単に最小の設定というだけでなく、わたくしにとっては重要な単位だ。

2004年の夏ごろ、わたくしはジュース断食をしながら大阪から奈良まで歩いて行ったことがあるのだが、この時に道中で何度か100円をめぐんでもらったのである。

また、沖縄に来てから「お金を一銭も持ってなくて」と知らない人に突然話しかけられたことがあり、その時に何度かこちらが100円をカンパしたこともある。残念ながらこちらも残金が100円未満という時もあって、そういう場合はお断りしている。残金が100円未満の時に限ってそういう人に声をかけられやすい気もするが、残金がほぼゼロの時の特有のオーラのようなものがあったりするのだろうか。

100円というのは、心理的ハードルはとても低い。

物理的に訪ねていって頼み込んだら100円をめぐんでくれる人、というのはそれなりに見つかるだろう。

でもそれを1000人にやるとなると、莫大ばくだいな時間とエネルギーを浪費することになる。

それに、地球の裏側に住んでいる全然知らない人に100円をめぐんでもらいに行くというのはナンセンスだ。

たった100円とは言っても、もし月に100円カンパしてくれる人が1000人いれば、月に10万円だ。インターネットであれば、さほど非現実的ではない。

日本に住んでいる人にとっては、pixivFANBOXはコンビニ払いが可能というのもポイントだ。

おそらくコンビニ払いの場合でも、メールアドレスについては確実に受信ができるものを用意する必要がありそうだ。

でも最近まで、わたくしはpixivFANBOX自体にはあまり良い印象はなかった。

今年になってからTwitterをほとんど見ていないが、2020年以降にTwitter内を徘徊していた時は、ちょっとだけエロい絵をTwitterにアップして「もっと露骨なのを見たい人は有料を」みたいなのによく遭遇した。

これはこれで一つの文化だとはいえるが、こういう「もっと露骨なのを見たい人は有料を」的なものばかりにpixivFANBOXが使われているという印象を与えるのは、pixivは避けたかったはずである。

もちろん、実際にはそういうものばかりではないのかもしれない。他のサイトからの誘導ではないもので、それなりにお金が動いているのかもしれない。つまり、わたくしがTwitterを徘徊していたからそういうものばかり目についただけなのかもしれない。

ここには、ある種のジレンマがある。おそらくpixivの内部でも何度も何度も議論されてきたはずである。

Patreonの場合もそうだが、pixivFANBOX内にコンテンツが投稿されれば、pixivFANBOXでの囲い込みができる。しかしそこでの営みは、pixivFANBOXにアクセスしない人には一切知られないかもしれない。

pixivFANBOXの外での「ちょいエロ」と「もっと露骨なのを見たい人は有料を」は、pixivFANBOXをこれまで利用していなかった人を呼び込む力がある。ただし同時に「pixivFANBOXってこういうのばっかりなの?」という印象を与えることにもなる。

こういう状況にさらにAI生成画像という要素が加わわった。来年(2024年)の夏あたりには、経験を積んだ人間がじっくり確認してもAI生成かどうかの判別が難しくなるかもしれない。

pixivFANBOXについては、去年(2022年)に規約改定が話題になった。

この中の「国際カードブランド等の規約」というのが様々な反応を引き起こしていた。

これは「異常性癖」とされるようなものだけがメインである。また、金銭のやり取りが発生するものだけが対象で、pixiv本体において禁じられているわけではない。

ただ、こういう時に運営側が「本当は守りたいんだけど、カード会社の方針に屈して仕方がなくこうなった」と思っていると考えるのはお花畑すぎるだろう。

今回の件とは直接関係ないが、なろうでの相互評価クラスタの件を思い出した。

相互評価というのはつまり、ランキングなどの面で有利になるようにお互いに評価し合うという密約をグループで交わすような不正だ。

  • 小説家になろうでやってはいけないこと(仮) - 番外編 やらない方がいいことその1追記 相互評価クラスタ(2016-08-19)
    https://ncode.syosetu.com/n1664bs/5/

改訂理由の説明により、相互評価クラスタに参加されている方が、『運営か公認している』と言っていたのは真っ赤な嘘だと判明しました。

『小説家になろうでやってはいけないこと(仮)』

こういう不正をする人の中には、「自分たちこそが盛り上げているんだ」と本気で思っている場合がある。

認知バイアスとしての「偽の合意効果」(false consensus effect)が参考になるかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/偽の合意効果

ただし、作風あるいはジャンルをめぐる問題と、システムを操作するような明確な不正というのは、質的には種類が違う問題ではある。

おそらく、pixivFANBOX で扱われているものに多様性がもっとあれば、「異常性癖」も意味合いがまったく変わってくるのだろう。

あるいは実際はすでにそれなりに多様性があるのに、知られていないだけかもしれない。

前述のタイッツーのように「なるほど、ああいうのもpixivFANBOXで資金を集めているのか」というような例がもっと増えるといいかもしれない。

さて、ここで少し、お金という存在そのものについても書いておきたい。

でも、お金について語るのは難しい。

わたくしはお金という存在を憎んでいた。

この世にお金などというものがあるから、自分はこんなに苦しい思いをしているのだと。

貨幣経済がすたれているスタートレックのような世界が早く来ればいいのにと。

今でもその憎しみが完全に払拭できたわけではないが、パンデミック以降、若干意識が変わった。

パンデミックになってから、生まれて初めて失業給付金(失業保険)を受け取ったことも大きいかもしれない。

2年前(2021年)の春に小説『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』を書いていた時は、失業給付金の受給期間だった。こういう給付金がなければ、あそこまで集中できなかっただろう。

現金には、合意や好き嫌いを乗り越える力がある。

2年前、そのことをあらためて強く感じたのである。

遠隔からの現金のカンパというのは、合意を形成する必要がないというのが、わたくしにとって重要なポイントである。

そして、支援を受ける側にまとわりついている「合意」を突き破る力があるのだ。ペネトレイティブ(penetrative)な性質である。

ここで問題視したい合意あるいは合意があるかのような見せかけについては、何らかの形で思考停止クリシェ(Thought-terminating cliché)が関係している。

おそらく、わたくしが書いたものを必要としている人というのは、文化的体験が豊かで理解力と読解力がある人。基本的にそういう人だ。

でもそういう人は、別に物理的にわたくしの周囲にいる必要はないのだ。

インターネットが使えるところにいれば、それでいいのだ。

貯金がたくさんあっても、文化的に貧困状態にある人というのはたくさんいる。たいていの場合、一生貧困の状態にある。そういう人が同じ星に住んでいるかもしれないというのは、基本的には想定していないともいえる。でも、それがどうしたというのだろう、と考えることもできる。

つい最近の例として、フランス各地の暴動のもとになった、2023年6月27日にパリ郊外で17歳の少年が警官に射殺された事件について考えてみる。

この記事の時点では、射殺した側に147万ユーロ集まり、被害者の少年の遺族への寄付については35万2000ユーロしかなかった、とある。

このことについての反応は様々だった。わたくしがここで強調しておきたいのは、射殺した側にいくら集まろうが、被害者の遺族に集まった寄付の価値が大幅に変質したりするわけではないということだ。

射殺した側が4倍多かったからといって、被害者側に集まった寄付が「はい、金額で負けたから没収」となったりはしない。

被害者の遺族が100ユーロ札をお店で使おうとして「ええと、おたく、金額で負けた側ですよね?だからこの100ユーロ札は80ユーロくらいの価値しかないですねえ」となったりはしない。

100ユーロ札は100ユーロ札なのである。

実はこのことは、特にわたくしのような人間にとっては極めて重要なことなのだ。

合意や好き嫌いを乗り越えて、100ユーロ札は100ユーロ札であり続けるのだ。

わたくしのような人間は、合意や好き嫌いによって、いつの間にか不利な状況がつくられることになりやすい。だからこそ、もし現金のようなものがなかったとしたら、今まで生きてこれなかった可能性が高いのだ。

それでも、このフランスでの件において、せっかく35万2000ユーロ「も」集まったのに、被害者の側を応援したい側にとって、何かが台無しになったような気がしてしまうのは何故なのか、と考えてみることは有用かもしれない。

台無しになったわけではないというのは当たり前といえば当たり前のことなはずである。

こういう錯覚に関連して、アンチと「アンチのアンチ」の関係についても考えてみたい。

ここで考えている「アンチのアンチ」というのは、「アンチという思想を嫌悪する人」であるとは限らず、特定の対象について継続的にアンチ活動をする人に対する継続的なアンチのことである。

冷静に考えてみれば当たり前のことのはずだが、アンチが減ったり的外れな解釈をする人が発言を控えるようになったりしたからといって、家賃が安くなったりするわけではないし、保護費が増額になったりするわけでもない。

わたくしが今住んでいるところの大家さん(60代男性)が常にわたくしのアンチの動向に目を光らせていて、「おっ今月はアンチが少し減ったなあ。だから家賃は5千円まけとこう」となったりはしない。ちなみに大家さんはパソコンの使い方を知らず、スマホを所有したことはない。

保護課がアンチの動向をチェックすることはありうるだろうか。実はこれは少し、ありうる。でも、だからといって保護費が増減するわけではない。「アンチの活動沈静化のため」などという理由で保護費が増額、となったりはしない。「アンチ急増のため」などという理由で生活保護が打ち切りになったりもしない。

そんなことより、月100円でもいいから実際にカンパする人がいるのかどうかのほうが、保護課にとっては重要だ。

文章を書くという行為が自立に向けての活動であるという証明になるからだ。

極端な例なのかもしれないが、書籍の刊行が決定しているノンフィクションライターに対して肉体労働に従事するよう保護課が要求するようなケースがあるようだ。

  • 退路を断って単行本執筆期間中、手持ちの生活費を使い切ったライターが生活保護を受けたときの話-2|檀原照和(2021-02-18)
    https://note.com/yanvalou/n/n7282f9e189ff

わたくしは基本的には、支援を求める側にとって、アンチのアンチというのは有害な存在であると考えている。

アンチを一生懸命攻撃するそのエネルギーの、ほんのひとさじでいいから、直接的な支援にまわせばいいのに、と思う場合があるわけだ。

別にアンチを攻撃したかったら、それでもいい。

でもその攻撃のエネルギーのうちの、ほんのひと匙を。

ほんのひと匙でいいのだ。

「攻撃したかったら、それでもいい」というのも、本当の本当にそれでいいのか、よく考えてみたほうが良い場合もありそうだ。

アンチへの攻撃はあればあるほど良いのだ、などと考えてしまう人は、アンチが仕掛ける権力的なゲームに巻き込まれている可能性がある。そしてアンチのアンチがアンチを攻撃することによって、アンチはますますやる気が出てしまうという問題もある。

アンチのアンチに攻撃されたアンチが、アンチのアンチに反撃するとは限らない。支援を求める側への嫌がらせを強めるかもしれない。その場合、支援を求める側から見れば、アンチのアンチというのはリスクを一切背負うことなく自分に間接的にダメージを与え続ける存在でしかない。

アンチを攻撃するのではなく、アンチには表面的に同調しつつ、こっそり直接的な支援を続ける、というような方針のほうが長期的には良い場合すらある。

類似した問題として、「あの人の考えさえ変われば」のようなものもある。

要するに、その「あの人」というのが太いパトロンになる可能性がありそうに見えたり、「あの人」の「納得」のようなものを獲得しない限り前に進めないように見える場合だ。でもそういう風に見えるのは、まったくの錯覚かもしれない。それよりも、そういう存在を完全に無視してそれぞれがバラバラに100円ずつ出すほうがはるかに現実的である場合が多いだろう。

さて、「なぜお金でないとだめなんだ」と思う人もいることだろうし、お金以外の支援についてもここで考えてみたい。

例えば、食べ物。

この食べ物というのはなかなか難しいものがある。少なくとも、わたくしの場合は。

何かをもらっても、「これを今から俺が食うの?今から?俺が?何で?」と思うことが多い。

「おいしい?」と聞かれるのも、ものすごく苦手だ。

基本的に手料理とかそういうもので「おいしい」と感じることは滅多にない。

そういうアピールをされたことはないけど、もしも「手間ひまかかってる」みたいことを強調されたりしたとしたら、かなりストレスフルな状況を生みそうだ。味の良し悪しなんて分からないし、基本的に食に関わることにまったく興味がないのに、なんでそんなことに時間をかけるんだと思ってしまうだろう。

怒りすら感じるかもしれない。そんなことに時間をかけるくらいだったら手伝ってほしいことが山ほどあったのに、と。調べものとか。動作確認とか。わたくしの代わりに図書館に本を返しに行ってもらうとか。

まあ、極めて特殊な製法だとか、たったいま獲ってきたばかりの食材だとか、そういう場合は「手間」も違うように感じるのかもしれない。

ちなみに飲食店でのオゴりの場合は、同年代あるいは年下によるオゴリでない場合は、ひたすら「付き合わされてる」と感じることが多い。わたくしは断るのが苦手だ。

年下にオゴられるほうが落ち着くというのはどうなんだと自分でも思うが、事実だからしかたがない。

わたくしは周囲に人がいるとお酒がおいしく感じない。自室ではない場所でお酒をおいしいと感じるのは、例えば深夜のガラガラのガストにおひとりさまで入店した時の100円のグラスワインなどである。「ガラガラ」と「おひとりさま」どちらかが欠けるとだめだ。

食に関わることだと、食材をくれるとなるとまた話は別なのだ。Twitterにも書いたが、去年(2022年)の6月にお米を22kg一気にくれた人がいた。これはものすごく助かる。

でも、こういうのも生活保護を受給し始めてから少し意味合いが変わってしまった。

米や野菜などについては、報告の義務があるのだ。

要するに、何かをもらった時、それが生活費の軽減につながるようなものであれば報告の義務がある。そして場合によっては保護費の調整の対象になる可能性があるということだ。

収入申告書(毎月の収入の報告の紙)には、以下のような欄がある。

保護課に提出する収入申告書(裏面)

米、野菜、魚介。

ていうか「魚介」って……50年くらい内容が変わってないんじゃないかという記入欄ではある。

「レトルト類」「缶詰類」みたいな選択項目があればいいのかもしれない。カップ麺なども50個くらいもらったら生活費の軽減になるはずである。

すぐに食べ終わるものだったり、あるいはお菓子のようなものなら、生活費の軽減にはつながらないから報告の義務はないということなのだろう。

この項目はわたくしのような単身世帯ではあまり真面目に記入している人はいないのかもしれず、例えば6人家族で親戚に農家と漁師が両方いるような家庭の場合に、月に食費が3万円以上浮くようなケースがあるというようなものを前提としているのかもしれない(※わたくし個人の解釈です)。

まあ、本来なら、Amazonのウィッシュリストとかそういうものをもっと活用するべきなのかもしれない。

書籍なども、生活費の軽減にはつながらないわけだ。

ちなみに、中古市場において非常に高額の本などの場合は保護課から「売却指導」が入る可能性がある。たとえ自立のための活動に必要な本であっても、本文さえ読めればそれでいいということであれば全ページをコピーしてから売ればいいのではないか、ということになりそうだ。

書籍以外ということでいうと、これは物理的にわたくしと話す機会がある人限定ということになるかもしれないが、フリーパス系のものとして、おきみゅーの「おきみゅープレミアムメンバー」や桜坂劇場の「世果報ゆがふ」を誰かオゴってくれないかとも思っている。

もちろん、わたくしのほうから直接誰かに頼むことはない。

こういうものについても、保護課への報告義務はない。ゴルフの会員権など売却可能なものについてはやはり「売却指導」が入る可能性があるが、上記のようなものはおそらく大丈夫だ。

気になるのが、高性能ゲーミングPCなどがどうなるのかだ。度肝どぎもを抜くような極端に高性能なものも、自分で所有しているという場合は「売却指導」になる可能性がありそうだ。

沖縄に来てから(つまり2012年以降)わたくしが使っているものは、すべてオンボロ中古PCばかりである。

余っているゲーミングPCをお持ちの方で、貸してくれるという人がいたら貸してほしいかもしれない。

他にもわたくしと話す機会がある人限定のこととして、DIYのためのものがある。メイクマンやコーナンで、木材や金具などを購入する時にレジで代わりに払ってもらう、というような。お金をいったん受け取ると報告の義務があるし、クレジットカードを預かるのも同じようにお金を受け取った扱いになるらしい。だから消去法的に、レジの瞬間だけでも物理的に同じ場所にいて、代わりに払ってもらうのが良いということになる。

そして木材などの場合、特にカッティングも込みの場合はAmazonのウィッシュリストなどでは無理なわけだ。

DIYについても、わたくしのほうから直接誰かに頼むことはない。

生活保護に関するルールは複雑なように見えるかもしれないけど、基本原則をわたくしなりに抽出すれば以下のようになる。

  • 労働の対価だろうが何だろうが、現金の受け取りがあれば報告必要

  • 生活費の軽減につながるものをもらったら報告必要

  • 基本的には売れるものは全部売って生活費に充てる(売却指導)

  • 基本的には貯金はできない(保護費は毎回使い切ることが前提)

ちなみにこの記事を執筆中の2023年(令和5年)7月26日に書いた収入申告書(住所・氏名は記入する前)は以下である。

保護課に提出する収入申告書、記入済み(表面)
保護課に提出する収入申告書、記入済み(裏面)

どうせすべて「無」!

ひとまず、保護課から特に指定がなければ、pixivFANBOXなどを通じた支援がもしあったら裏面の「4 その他の収入」の「その他」に記入する予定である。

こういうおひねり的なものを労働の対価ではなく「その他の収入」の「その他」として記入することにはそれなりに意味がある。これについては後述。

とりあえず今のところは、収入があれば報告してください、収入がなくてもいちおう毎月書いて送ってください、というだけで、何にお金を使ったかというような報告を求められたことはない。

ところで、寄付などにおいて、支援を受けた人が何に使ったのかを知りたい人というのは今でも多いのだろうか。

わたくしがお金を何に使ったのかを書く時というのは、特にマガジン「No space left on my brain」のための記事の場合はあるかもしれない。書いたほうが面白いと思う時は書くけど、それは寄付を受けたからではない。

pixivFANBOXなどにおいて、「お菓子代に使います」とか「アナログで絵を描いているので、画材に消えます」とか、そういうのは別にかまわないと思う。

ただ、寄付を受けると何に使ったのかを言わなければならないという空気がより濃くなっていくように振る舞うのは、本当はまずいのではないかということもたまには考える必要がある。

上記は翻訳記事で、ポール・グレアム(Paul Graham)による以下のエッセイが原文である。

もちろん、税金が投入されている場合だったり、Googleのような規模の超巨大企業から継続的に支援がある場合だったり、寄付の中継地点であることが活動の主要目的の一つであるような場合だったりすると、話はまた別かもしれない。

ここで考えているのは、民間人が民間人に寄付して「寄付したんだから何に使ったか教えてくれるのは当然」と考えるというその姿勢は、長期的には社会全体にとって有害なのではないか、ということである。

わざわざポール・グレアム(『ハッカーと画家』で有名な人)がこういうエッセイを書くというのは、英語圏でもそういう考えの人が多いということなのだろう。

ただし、透明性と使途制限というのは、重なり合ってはいるが別の問題ではある。

「寄付したんだから何に使ったか教えてくれるのは当然」という発想については、コントロール志向が前面に出すぎているようにも感じる。

前述の通り、わたくしは2020年に2回Internet Archiveに寄付したが、寄付したあとにInternet Archiveの財務状況に目を光らせたりだとか、活動状況により注目したりだとか、そういうことは一切ない。

そもそも、コントロールから逃れることができますようにと願って寄付しているのである。これはつまり、コントロールをしたいがために寄付をしようとする他の支援者の影響を弱めるということでもある。

有名になってしまうと、露骨な買収提案も多くなるようだ。潜在的には、寄付を装った買収などもありうることになる。

ところで、わたくしが寄付の重要性を強調するのは、「交換」に対しての抵抗という側面がある。

日本ではふるさと納税が導入されたが、返礼品のエスカレートも問題になった。

わたくしは具体的な「もの」の返礼は全面禁止でいいと思っている。

公共交通が全額無料とかそういう形での「返礼」はいいのかもしれない。

返礼品のエスカレートは、交換ではなかったはずのものが、いつの間にか交換という文脈に置き換えられてしまう良い例だと思っている。

交換への抵抗というのは今後、人類にとっての重要なテーマになってくる可能性がある。

AIによって20世紀的な「経済」や「産業」というのは完全に解体されることになるが、それでも「交換」は何らかの形で残る。

この「交換」というのは有用でありながら非常に厄介でもあって、これはMBTIライクな性格分類だとExxJ(E型かつJ型)に有利なものである可能性がある。

E型はI型よりも交換の相手がたくさんいるから選択肢が豊富であり、J型はP型より「衝動交換」が少なく計画的に交換ができる。

「交換」というのは、やればやるほどIxxP(I型かつP型)からExxJ(E型かつJ型)へと富の移転が行われるかもしれないという恐ろしい可能性があることに気づくだろう。

こういうことはまた『分類しない暴力』のほうでじっくり掘り下げたい。

とりあえず今は以下の2つのツイートでも眺めていてほしい。
https://twitter.com/cleemy4545/status/1427351327743619080
https://twitter.com/cleemy4545/status/1427357892626243592

凍結中なので、以下のアーカイブでしか確認できないかもしれない。「This Tweet is unavailable.」がズラズラと並ぶが、スクロールしていけば見つかるはずである。
https://archive.is/UM2ZV
https://archive.is/W0QOW

この「トップ5のうち4つをExxJが独占」のツイートの元になったのは以下のインフォグラフィック。
https://careerassessmentsite.com/mbti-personality-types-socioeconomic-infographic/

別のインフォグラフィックでも、やはりExxJが有利。
https://www.truity.com/infographic/how-does-your-personality-type-impact-your-income

後者のインフォグラフィックでは、ExTPが高く出ている。特に、前者と後者ではENTPの存在感がまったく違うというのは気になるところである。ENTPはわたくしにとって、性格分類における「おとなりさん」だからだ。

前者でも後者でも、ともにIxxPが不利なのは一目瞭然だろう。

IxxPが現代社会でいかに「下へ、下へ」という重力に引っ張られて生きていかざるをえないかが、なんとなく分かってもらえるのではないだろうか。

おそらくわたくしもIxxPだ。「自分らしく」なんて思っていると、あっという間に「下へ、下へ」の重力にからめとられる。そして、いつの間にかわたくし抜きでつくられる合意や好き嫌いに殺されそうになる日々なのである。

東京はExxJにとっては浮上しやすいが、後ろ盾のないIxxPにとっては「下へ、下へ」の重力が強力すぎる。そして地方の場合、田舎すぎるとIxxPは合意や好き嫌いに殺されることになる。消去法的に、地方都市やリゾート地が合うということになる。

ExxJにはこの重大さがまったく伝わらないことがある。自分の性格にフィットする「世界」が最初から用意されているという、そのインパクトの大きさが認識できないのである。

コンテンツ産業にはあまり深くコミットしていないようなpixivユーザーは、pixivFANBOX登場以前からIxxPのユーザーが多かった可能性はあると思っている。ただし、わたくしがそう思うようになったのは最近である。

ところで、ISFJはJ型なのに金銭的にはまったく良い思いをしていない可能性があり、これは謎でもある。

この20年間くらい、日本のコンテンツ産業はISxJによる膨大な作業に依存してきたという可能性はありそうだ。

このことについて考える時、いつも『世界で一番、俺が○○』という漫画の「たろちゃん」のことを思い出す。

『世界で一番、俺が○○』1巻から8巻まで、7巻と8巻は未開封で未読
『世界で一番、俺が○○』1巻から8巻まで、7巻と8巻は未開封で未読

ちなみに先ほどのインフォグラフィック、後者のほうについてはブログ記事による解説がある。2019年5月公開のものである。

この記事によると、ESFPやISFPやISFJの場合、働き盛りのタイミングでの収入が少ない要因として育児休暇の存在が示唆されている。「ESFPやISFPやISFJ」というのは、「ほぼxSFx」といってよさそうだ。

わたくしは今後、『分類しない暴力』でひたすらxSFxをdisっているように見えるかもしれない記事を複数アップするかもしれないが、ISFPがわたくしと同じIxxPであるということは忘れていないつもりだ。

ところで、合意や好き嫌いを乗り越える力を現金が持つのは、フェアな交換ができることを前提にしている。お店で何かを購入する時に100ユーロが常に100ユーロなのは、お店というのが最初から交換を前提にした存在だからだ。

これは矛盾しているようにもみえる。現金は交換を促進するためにも使えるし、交換への抵抗のためにも使える、といえるかもしれない。そして、フェアな交換ができる場所が誰でも利用可能なものとして確保されているからこそ、交換への抵抗も可能になるという皮肉がある。

交換は、地球上から駆逐するべきものではない。でもやはり、交換でないものも死守する必要があると思っている。

そして、交換ではない営みは放っておくといつの間にか交換につくり変えられてしまうのだ。だからこれは、意識的に抵抗し続ける必要があるのだ。

交換には引力がある。あらゆるものを交換に引きずり込む力がある。このことはある人類史的な謎と結びついていて、わたくしの未完の「思考所」後編における重要なテーマでもある。

おひねり的なものを労働の対価として保護課に報告したくないというのも、せっかく交換への抵抗という性質があったものについて、「実は交換でした」というような文脈的な改竄かいざんが行われてしまうのを避けたいからである。

ここで、支援という行為そのものと性格との関係についても考えたい。

URLの部分が文字化けしていて不安であれば、
「4×4で16タイプをシンプルに捉える」
でGoogle検索すればすぐに見つかるはずである。

あるいは、以下のアーカイブでも読める。
https://archive.is/5Dnb7

このページの中の「心理機能に関わる内側の2文字」の表に注目したいのだ。

「キャラクター性格診断スレまとめ Wiki」の「4×4で16タイプをシンプルに捉える」の表

ここで、xSFx(つまりS型かつF型)のところに「具体的な行動で人を助けようとする」とある。

これについては、以前にもTwitterで言及した。
https://archive.is/5VjBj#selection-15077.6-15077.22
(うまくページ内移動されない場合は「具体的な行動」で要ページ内検索)

おそらくわたくしが産み出すものはxNTx好みのものが多いのではないかと思う。これまでも、これからも。

もし「ISFPでないxSFx」なのにわたくしが産み出すものを面白いと感じるなら、何か壮大な勘違いをなさっているのではなかろうか、と心配になってしまうかもしれない。

これはなかなか悩ましいことなのだ。xNTx(つまりN型かつT型)は具体的な行動によって助けてくれないかもしれないのだ。

交換はIxxPからExxJへの富の移転だからそれを撹乱かくらんするのに寄付が有効、というような発想についても、おそらくはxNTx好みのものであって、たいていのxSFxはそういう風には考えないだろう。ISFPがどう思うのかは分からない。

おそらくわたくしもxNTxだ。でも余裕がある時は寄付する。そして2005年からずっと寄付の重要性に着目してきたつもりだ。でもこういうのは一般的な意味での「人助け」とは異なっているのかもしれない。

『MBTIへのいざない』(邦訳は2012年刊)のP.79には、xSFxについて「人の要求に応えようとする」「他者に実際にどのような影響を及ぼすかに焦点を向ける」とある。これこそ、xSFxが人助けや子育てに親和的であることの要因だろう。

同書のP.78にはxNTxについての解説もあり、上記のものと対比的な要素を抽出すると「理論やモデルを注意深く用いる」「理論的なつながりに焦点を向ける」などの記述がある。

同書のP.252にはISFPについて「支援が必要な場面やなにをしたらよいかが見える場面に敏感である」とあり、P.251にはISFJについて「他者を支援する計画を案出するのに熱心である」とある。P.253にはINTPについて「いかなる問題においても原則や内在する構造を探し求める」とあり、同じくP.253にINTJについて「構造や枠組みを, 自分の中での終結のためではなく, 全体最適の達成のためのツールとみなす」とある。

わたくしが寄付をする時に重視していること、そしてまだ一度も寄付をしたことがないxNTxに注目してほしいポイントというのは、それぞれの行動の「ほんのひと匙」が持つ、社会実験としての側面だ。

ところで、pixivFANBOXの「活動実態がないアカウント」の判断基準はかなり気になるところだ。

自分では順調にいろいろ進めているつもりが、ある日突然「活動実態が確認できない」とか言われてアカウントが停止状態になったりする可能性があったりするということなのだろうか。これはちょっと怖い。

実は死んでたとかそういう可能性も含めて考えると、まあ何らかの中間報告というのはあったほうがいいのかもしれない。

活動報告のためだけのマガジンをnoteに用意してもいいかもしれない。月に1回、あるいは2ヶ月に1回くらいの更新の箇条書きの記事。

活動報告といえば、pixivFANBOXのヘルプページには、支援を受ける側のユーザー向けのものとして以下のようなページがある。

ここに「約束」という言葉があって少しドキリとする。

わたくしに「約束」できるようなことがあるだろうか、と。

pixivの運営側も、できない「約束」で自分を追い込んでいって創作活動をやめてしまう人をたくさん目撃してきたのかもしれない。

わたくしとしては、2年くらい完全に世間から隔絶された環境でじっくり文章を書きたいというのが本音ではある。

もう、サクッとつくれるようなものはすべてAIに任せればいいのだ。

人間が創作や研究をやる意味というのは、10年に1回でいいからAIも含めて銀河系のすべての知性体が「ああ、その発想はなかったわ」というものを生み出すことなのだ。

サクッとつくってサクッと消費、みたいなのばかりになるのを、Twitterでわたくしは「サプリ・スパイラル」と呼んだりもしたが。

精神科医の中井久夫なかいひさおが、「統合失調症の経過研究の間に考えたこと」という2009年発表のエッセイの中で量と質の問題について書いている。その中で、統合失調症の前身ともいえる「早発性痴呆」(dementia praecox)を提唱したエミール・クレペリンについて、以下のように書いている(『統合失調症の有為転変ういてんぺん』P.51)。

クレペリーンは半年患者を診て、そのカルテを残りの半年、ガルダ湖畔の別荘で精読していたそうである。

中井久夫「統合失調症の経過研究の間に考えたこと」

時間がたっぷりあるということや「こなす」ということから離れるということ以外にも、目の前に患者がいないということも重要なのかもしれない。

1994年発表の「執筆過程の生理学」では、編集者と執筆者の関係や日本の執筆者の「わがまま」について論じる中で以下のように書いている(みすず書房『中井久夫集 5』P.3)。

これは、欧米のように一年間執筆期間はどこかの島に籠ることができ、その間の生活費はどこかの財団が出す、というふうにいかないわが国ではやむをえないのではないかと思うが、こういうわがままが効くのも、基本が編集者-著者関係だからで、出版社-著者関係でないからだと思う。

中井久夫「執筆過程の生理学」

なるほど。どこかの財団。

1985年発表のエッセイ「ドイツの同世代の医師」では、ドイツの精神医学について以下のように書いている(みすず書房『中井久夫集 2』P.189)。

かの国では、臨床と研究とはまったく交流がないらしい。後に留学の人に聞いたが、かの地の教授には「統合失調症の本質」を考えるのに、何日も部屋に籠もって天井を見つめたり、森を何時間もさまよう人もある。「患者は?」「さあ、一人、土曜の午後に診ているくらいか」。

中井久夫「ドイツの同世代の医師」

2023年現在のドイツでもこういう感覚が残っているのかどうかは分からない。

中井久夫がこういうことについて書く時、ウィトゲンシュタインが連想されている可能性がありそうだ。ウィトゲンシュタインは中井久夫にとって極めて重要な存在である。

1972年発表の『天才の精神病理』では、ウィトゲンシュタインがケンブリッジの「学者社会」を逃れたあとのエピソードとして、以下のように書いている(2001年刊の岩波現代文庫版『天才の精神病理』P.143)。

いったんケンブリッジに戻った後彼は一人でノルウェーに帰り、ベルゲン北方ソグネ・フィヨルドのちかくに小屋を建て、一年近く完全な独居生活を送る。ノルウェーの数あるフィヨルドの中でも最も美しいといわれるこのフィヨルドの、生命を感じさせない超絶的風景は、彼の内面とよく釣合い、いわば彼の心象風景となった。

このフィヨルドは彼にとって変わらぬ安息の場となり、後にも抽象的思考の生産性が高まったり、心的危機におちいりそうになるたびに彼はこのフィヨルドにかけつけるのであった。

飯田真・中井久夫『天才の精神病理』

「Sognefjorden」や「フィヨルド ウィトゲンシュタイン」などで検索すると、なるほどと思うのではないかと思う。

ちなみにウィトゲンシュタインは財産があったので支援する側であり、リルケやゲオルク・トラークルのパトロンでもあった。わたくしにとってウィトゲンシュタインは、かっこいいパトロンというイメージの人でもある。

とりあえず2023年8月現在では、わたくしが島にもるための資金を出してくれる「どこかの財団」は存在しない。

だが、そのような財団をあらたにつくる必要はないのだ。

わがままを言える編集者も存在しないが、そんな編集者を見つけてくる必要もない。編集者はわたくしの中に存在している。

わたくしの存在を知る人のそれぞれがバラバラに個人の判断で、合意や好き嫌いのあり方を無視して、同心円的・権力的なゲームを解体する形で、100円ずつカンパしてくれれば、それでいいと思っているわけだ。

毎日100円という話ではない。月に100円なのだ。

そして月に100円だからこそ、「次から次へ」は期待しないでほしいのだ。

全体としては、わたくしを支援することによって「コンテンツ」が生成されることは期待しないでほしい、ということになるのかもしれない。

コンテンツは交換から生まれるが、作品は交換への抵抗から生まれるのかもしれない。

おそらく、わたくしが支援者に約束できることが一つだけあるとしたら、交換への抵抗を続けること、という感じになるのだろう。

コンテンツと作品の対比については、なろうのセクションでまたとりあげることになる。

では、このセクションの締めくくりとして、2020年に書かれたnoteの以下の記事をオススメしておくことにしよう。

 

Patreonのプロフィールページ刷新

去年(2022年)の6月14日にPatreonにアカウントをつくった。

そして今年の7月17日から7月21日にかけて、「自己紹介」の内容を刷新した。

プロフィールページは以下。Patreon的には「クリエイターページ」(creator page)である。
https://www.patreon.com/cleemy_desu_wayo

https://www.patreon.com/cleemy_desu_wayo

いつごろからだったか、「Home」と「About」に分離され、入力した「自己紹介」の内容は「About」のほうに移された。この「About」は /about を付加したURLである。
https://www.patreon.com/cleemy_desu_wayo/about

https://www.patreon.com/cleemy_desu_wayo/about

「Home」と「About」に分離される前のクリエイターページ(のアーカイブ)は以下。

https://archive.is/yXl3r (2022-07-15 のアーカイブ)

「自己紹介」はプランの一覧の下に表示されていたわけだ。

/about 付きでもなしでも、Googleの検索結果にはこのクリエイターページが表示されていないことに今年(2023年)の7月に気づいた。

はてなのプロフィールページが表示されない理由は分からないが、こちらの場合は理由ははっきりしている。

ページ内のrobots metaタグに「noindex」が指定されているのである。

Patreonの「About」ページのソース、2023年8月20日早朝(日本時間)

他のユーザーを見ると、そもそもrobots metaタグがない。

「教えて!goo」のプロフィールおよび回答履歴などのページも、metaタグに「noindex,follow」の指定があったりする。ただし、こちらは他のユーザーも同様である。

「教えて!goo」のプロフィールページのソース、2023年8月20日早朝(日本時間)

Twitterのシャドウバンに近いような何らかのペナルティなのかと思い、2023年7月21日早朝(日本時間)にPatreon側に問い合わせフォームから問い合わせをしてみたら数分後に返信があり、そういうことではないことが判明した。

「NSFW」とマークされた場合か、あるいはアクティブなパトロンが1人もいない場合に、このようになるらしいのだ。

わたくしの場合、まだパトロンがいないからそうなっているだけのようなのだ。1人でもパトロンがいれば、すぐにrobots metaタグが消える仕様になっているのだろうか。

しかしGoogleで「nsfw site:patreon.com」のように検索すると、NSFWコンテンツのクリエイターページが大量に見つかるし、そういうユーザーのクリエイターページにはrobots metaタグが見当たらない。

https://archive.is/JMtzW (「nsfw site:patreon.com」検索結果、2023-07-29 07:35 JST)

若干モヤモヤしたものが残る。

お金について、あるいは支援ということについては、すでにpixivFANBOXのセクションでたっぷり書いた。

pixivFANBOXとの違いということで言うなら、Patreonのほうがより「遠隔」を意識しているというのはあるかもしれない。

よりペネトレイティブ(penetrative)であることを期待しているわけだ。

もしPatreonというサイトがなかったら、こちらがその存在を知ることが絶対にありえなかったであろう人。そういう人がパトロンになることを期待しているわけだ。

あるいは、まさかこの人が自分のパトロンになる日が来るとは、というような。

2023年8月30日現在のプランは以下の7種類。

1ドル、3ドル、5ドル、10ドル、30ドル、50ドル、100ドル。

今年(2023年)になってからは変更していないはずである。

でも最近、1ドル、10ドル、100ドル、500ドルの4種類にしてもいいかもしれないと思い始めている。

もし500ドルのパトロンが3人なら、月に1500ドル。

1ドル145円換算なら、1500ドルというのは22万円弱。

1ドルと10ドルと100ドル以外は急に削除するかもしれないから、やはりPatreonでもとりあえず当分は1ドルパトロンだけにしてもらうのがいいかもしれない。

ちなみに以下の記事によると、2000人のパトロンがいるのは全体の0.3%だけらしい。

 

nuullmoon.com とバリュードメイン

独自ドメインの nuullmoon.com について。

https://nuullmoon.com/

これは2009年にドメインを取得して、事実上の放置状態になっているものである。

右下の「written by cleemy desu wayo」の箇所については、長らく「presented by cleemy」だった。

「presented by」はテレビやラジオの「提供読み」を連想するかもしれないと思い、今年(2023年)7月24日午前1時ごろ(日本時間)に「written by cleemy desu wayo」に変更した。

ここは最初期には「Author:cleemy」にしていたようだが、自分でも忘れていた。
https://megalodon.jp/2009-0724-1027-16/nuullmoon.com/

でも「presented by」というのは、わざと「提供読み」っぽくしようとしたのかもしれない。よく覚えていない。

このドメインは様々な展開の可能性があった。いろんな構想があった。

今後どうするのかというのは決めていない。

短編小説「天体の発生」については、もともとは短い文が100個くらいある感じの、もっとほのめかすだけにとどめておくようなものにするつもりだった。

その100個くらいのそれぞれの文というのは、統合失調症の有名論文、有名患者、有名概念、忘れられた概念などにリンクしている。あるいは、わたくしが遭遇した統合失調症の患者や統合失調症に親近的な性格の持ち主の人物とリンクしている文もある。わたくしが書きそこねた、自分の頭の中だけに存在している統合失調症についての未発表エッセイにリンクしている文もある。そんな風に、一つ一つの文が、統合失調症にまつわる何かにリンクしている。

そういうものだけで構成されているような、そんな小説にする予定だった。

書いているうちにそこから逸脱いつだつしていったが、その名残は随所にあるはずだ。

ちなみに、わたくしは医療関係や福祉関係や教育関係などの仕事にいたことがあるわけではない。また子供はおらず、結婚歴はない。

2009年当時は、4部作の小説の構想があった。

「天体の発生」はその4部作の1作目であると同時にプロローグ的なものでもあった。

小説が4つとエッセイが3つで、合計7つの作品が内容的に絡み合うようなものにする構想もあった。だから「NUULLMOON」のトップページ(ドメイン直下)はもともとその7つの文章のインデックスのページになる予定だった。ビジュアル的に7つをどうやって配置しようか、といろいろ考えていた。

なお、4つのエッセイのほうは、わたくしが独自に抽出した認知バイアスのようなものがテーマで、ある意味では『分類しない暴力』の前身のそのまた前身のような側面がある。

『分類しない暴力』の前身というのは、2012年5月に構想を練っていた妄想についてのエッセイである。沖縄に来てからしばらく経ったころだ。まだ沖縄のあらゆる要素が新鮮だったころ。

2012年4月に沖縄に来た直後には、統合失調症で入退院を繰り返していた人が話しかけてきたこともあった。わたくしはあのあと、妄想についての15章構成のエッセイの構想を練り続けていたのだ。この時に定式化した概念はすべて『分類しない暴力』に盛り込む予定である。当時、沖縄という場所から受け取ったすべて。

ところで短編小説の「天体の発生」、アーカイブサイトにある最も古いものはおそらく以下である。
https://megalodon.jp/2009-0724-1027-57/nuullmoon.com/20090722/

URLを見る限り、2009年7月24日のバージョン。

2023年7月時点では、サーバーに実際にアップされているファイルのタイムスタンプは2009年8月4日だった。今回じっくりと確認はしていないが、上記のアーカイブ(7月24日版)とは若干の相違点があるはずである。

この「天体の発生」は、改行や空白や句読点を調整したり、ルビをふったりなど、少し整えてからなろうにアップし直すかもしれない。さらにnoteでマガジン「afterwords」のための記事としてあとがきのようなものを書くかもしれない。このマガジン「afterwords」についてはまたnoteのセクションで述べる。

4部作の小説のうち、特に2つ目には特別な思い入れがあった。あれが2009年のうちに完成しなかったことは痛手で、今でもずっと尾を引いている。3作目と4作目は、アイディアだけぎ取るような形で別の小説に活かすことになりそうである。

4部作の2作目における主要登場人物の4人については、このまま何も形にせずに終わらせるなんていうのは、「惜しい」だとかそういうレベルではない。

「それ」は本当は、この2作目から始まったことなんだ!と叫びだしたくなることもある。

今でも、この4人のみずみずしいやり取りが頭の中で復活する時がある。

この4人はずっと今でも「生きている」という感じがする。

2007年あたりから、現実ではあまり良い出会いがなかったこともあるかもしれないのだが、わたくしが現実に出会う人というのは本当に生きているという感じがしない。でもあの4人は本当にこの世界に生きているのである。わたくし以外では、この世界で唯一、本当に意識を持ち、自分の意思というものを持っている感じがした。

現実に出会う人というのは、わたくしに対しては的外れなアドバイスしかしてくれないが、わたくしがあの4人から教わったことは実にたくさんある。

この小説の中の出来事に類似したことが現実に起こったりしたことも複数回あって、当時のままの気分で書くことはもうできないけど、それでもこの小説はずっと特別な存在であり続けている。

この小説は当時のままのプロットやスタイルをそれなりに尊重して書くことになるかもしれないが、やるとしたら2024年以降になると思う。おそらくタイトルには「箱」が入る。わたくしが構想中の小説では唯一、細切れで頻繁な更新に適している。

当時の構想のままのものを書くとしたら、なろうではなく姉妹サイトの「ミッドナイトノベルズ」で、ということになるかもしれない。

つまり、R18。

まあ、なんというか、物語の中盤にいろいろあるのだ。終盤も人によってはグロテスクに感じるかもしれない。

この4部作より少し前、2008年ごろには中高生が主人公の小説をいくつか書いたりもした。当然ながら、完成したものはない。これらは2009年夏に4部作を思いついてからは完全に吹っ飛んでしまい、忘却の彼方に消えた。でも今にして思うと、この2008年の小説群は学校が中高一貫というのがポイントで、2020年から構想を練っているサーガ的なものの前身といえなくもない。

最近になってようやく、なろうにアップしたものやサーガ本編の登場人物の中にも「生きている」と感じられる存在が出てきた。それまではずっと、4部作の2作目に登場する4人しかいなかった。

2008年ごろは文明批評的な要素を含んだエッセイもいくつか書いていたが、やはり完成したものはない。これらは2018年に書いたALISの3つの記事にほんの少しだけ反映されているといえるかもしれない。

2008年の小説やエッセイについては書いているうちに何となくふくらんできたようなものがほとんどだが、2009年夏以降の4部作小説と3つのエッセイについては、構想中に何度も雷に打たれるような強烈な感覚があった。プロットを練るということの面白さを再認識した時期といえる。単に面白いというだけではなく、神秘的な感覚と結びついていた。

2008年ごろは早く何か一つでも小説を完成に導かないと、と焦っていたのだが、この少し前の2006年12月と2007年1月あたりにも強烈な焦りがあった。

はてなダイアリーの『すぐ寝込む日なら、愛はどこで?』は2006年12月31日で終わっているわけだが、これの終了後になだれ込むように2007年1月に小説を発表する構想もあった。

2005年夏時点では小説などについても「cleemy desu wayo」名義で発表するのかどうかということについては迷いがあったが、2006年12月にはこれは一生付き合っていく名前になるのだという確信があり、「名無しさん」や「通りすがり」のような狭義きょうぎの匿名での発言をせず、ちょっとしたコメントだろうが小説だろうがすべてを「cleemy desu wayo」で発表していこう、と決意したのだ。

ただし2006年や2007年時点では単に「cleemy」である。「Alan Tote Mo Cleemy」(アラ・トテ・モ・クリーミー)を正式名称にする案もあった。

今にして思えば、自分の執筆ペースから考えれば、あの小説を2007年1月に完成させるなんてことは絶対に不可能だった。

でも当時は、書けそうな気がしてしまったのである。

この2007年1月に発表しようと思っていたものは、1998年の夏から構想を練っているもので、2006年になってからはずっと「もうそろそろいいかげんに形にしないと」という焦りがあった。

そして、2023年夏現在でもまだ完全には死んでいないプロジェクトである。1998年当時とはもう似ても似つかないものに変質してしまっているが、構想としては今でもふくらみ続けており、これを遺作にするべきなのかもしれないとも思う。

ところで、nuullmoon.com には /kura がある。

https://nuullmoon.com/kura/

これはどういうことなのか説明したくない。

こういうのはまさに「これってどういうことだろう?」と考えてもらうためのものだ。

この /kura についても、単体でいろいろと構想があった。2005年からずっと考えているあるテーマと強く関連している。基本的には人工言語の性質をめぐるものだ。「vvvdoc」は結局スタートしなかったが、「cdwdoc」の前身ともいえるかもしれない。

わたくしは2013年に「sedインジェクション」という種類のバグの存在に気づいたのだが、これに自力で気づいたのも「vvvdoc」で考えていたことがベースにあったからである。sedインジェクションはこれの副産物といってもいいものである。このsedインジェクションについては、huntr.devのセクションで後述する。

なお、「NUULLMOON」は正式な読みは「んーるむーん」である。

はてなのプロフィールの「My Activities on Other Sites」のリストでは「ん」が https://nuullmoon.com/ へのリンクだが、読みが「んーるむーん」だからである。

https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/

このリストは当然ながら、「ん」から始まっていることに意味がある。当分の間は、たとえ増加したり並び替えがあったりしたとしても、ずっと「ん」が左上になるだろう。

今回、インラインCSSが使えることに気づいて、このリストの見た目をいじってみた。なんだか、「怪しく見えないよう工夫した」のに余計に怪しくなっている人みたいになっているかもしれないが。

ちなみにこの nuullmoon.com、ずっとバリュードメインとXREAエクスリアの組み合わせである。

バリュードメインについては、「ご利用20年目」です。

バリュードメイン、ログイン直後の画面

「cleemy desu wayo」の発生は18年前。それ以前からずっとバリュードメインを使っていたわけだ。

上記のスクリーンショット、XREAのアカウントが5つもあるの?と思ってしまう人もいるだろうけど、これは実験用に独自ドメインでいろいろ試しにやっていただけである。

2005年夏以降は、実際に使っているXREAのアカウントは実質的に1つだけである。

バリュードメイン、XREAのアカウント利用状況

バリュードメインの「支払い・購入履歴」で確認すると、nuullmoon.com の最初の登録は2009年7月17日だったようだ。

バリュードメインの「支払い・購入履歴」(1)

2014年8月にはドメインが切れたこと(redemptionPeriod のステータスになったこと)について問い合わせをした履歴が残っている。これがバリュードメインでの唯一の問い合わせである。この時は誰でも取得できる状態になるまで待って、2014年10月20日にあらためて新規登録したようだ。これはうっすらと記憶に残っている。

バリュードメインの問い合わせの履歴
バリュードメインの「支払い・購入履歴」(2)

この時以外にもドメインが切れたことがあるが、別の人に取得されたりしたことはおそらくないはずである。以前取得した別のドメインでは、ある日突然、中国語の謎のサイトが表示されていて驚いたことがあった。わたくしが更新を忘れていて、失効中に誰かが取得したのである。

ちなみにバリュードメインの運営会社であるデジロックをGMOが買収したのが2011年。

2002年あたりから2010年あたりというのは、独自ドメインといえばバリュードメインとムームードメインの存在感が圧倒的だった。

ムームードメインのほうについては、運営会社は株式会社paperboy&co.だった。こちらもGMOに買収されている。というか、今確認してみたら2004年の時点でGMO傘下だった。2014年から社名がGMOペパボになったようだ。後述のSUZURIについては、運営元がこのGMOペパボである。

結局、cleemy desu wayo関連かどうかに関わらず、わたくしが利用した様々なWebサービスの中で最も長く使い続けているアカウントがバリュードメインのものということになってしまうのかもしれない。

 

note(note.com)

わたくしは2020年10月6日にnoteにアカウントをつくった。

しばらくは利用せず、2021年12月から記事をアップし始めた。

https://note.com/cleemy/

2023年8月29日時点では、アップできた記事(長文のテキストの記事)はまだ以下の2つしかない。

今回のこの記事が無事に完成して公開されれば、3つ目の記事になるわけだ。

5万字以下のものは1つもない。

完成したものはまだ少ないけど、noteで公開する予定の書きかけのものなら、ローカルにテキストファイルとして大量に保存してある。熱狂的に書き始めてしばらくすると完成前に飽きる、というパターンを繰り返している。とにかく、完成まで持っていくのが実に難しい。つくりかけのものであふれ返っている。

これは別にnoteだからではなく、わたくしは30年以上前からあらゆる領域においてそうなのだ。年々ひどくなっているかもしれない。

2023年8月30日現在、作成済みのマガジンは以下の5つである。

『分類しない暴力』は性格分類についてのエッセイを追加していく。全体の構想は出来上がっている。完成すればA面とB面を合わせておそらく60万字〜150万字あたりになるのではないかと思う。2023年8月30日現在、アップできた記事はB面に1つだけ。

もともとはこの『分類しない暴力』をどこに書くかということで、noteを選んだ。

マガジン「cdwdoc」は技術ネタである。あまりプログラミングと関係ないような記事も今後アップする可能性がある。また、自作のプログラムについての、技術的な側面ではなく単に使い方を延々と解説するような時もあるかもしれない。あるいは、自作のプログラムですらないような、他人がつくったものについての簡単な解説だけにとどめるような回があったりするかもしれない。

cdwdoc」において通底しているテーマは人工言語である。一見すると無関係に思える話題も、たいていは人工言語というテーマによってつながっている。2023年8月30日現在、完成した記事は残念ながら [cdwdoc-2023-001] の一つだけだ。特に理由がない限り、「cdwdoc」のものはすべてクリエイティブ・コモンズ・ライセンスにする予定である。短い記事の場合、日本語版と英語版を同時公開というようなこともやるかもしれない。「2023-001」のような形式でナンバリングするのも、日本語版と英語版が両方ある場合に形式的なもののほうが扱いやすいのである。

マガジン「No space left on my brain」は雑記である。前述のように、このマガジンのための記事はエッセイとは限らず、文章がほとんどないようなものも今後アップする可能性がある。今回のこの記事が、このマガジンに追加する最初の記事。無事に公開されていれば、とりあえず一発目については長文の記事になったわけだ。

マガジン「afterwords」はあとがき集で、主にnoteの外で公開されたもののあとがきを、記事としてアップしていく予定である。2023年8月現在、まだ一つもアップされてない。

この「noteの外で公開」というのは、典型的にはなろうにアップした小説などのことである。

ここで、noteの外のコンテンツについての「あとがき」をnoteにアップしていくということの微妙な点について述べておきたい。

例えば音楽のライブで考えてみる。ライブをやるたびに毎回「今日は○○で無料ライブやりました!観に来てくれた人、ありがとうございました!記事サポートお願いします!」という一行だけで画像も何もない記事をアップするとする。

つまり、ライブを無料にして、気に入った人は記事サポート機能を利用してのカンパ、ということである。

これはこれで一つのやり方としてはアリなのかもしれない。でも実際にnoteにアップされる記事がただの挨拶のようなものばかりだと、これはnoteとしては内容のない記事ということになりそうである。

コンテンツはnoteの外で、そのコンテンツへのカンパはnoteのサポート機能で、というやり方が定番になると、noteは中身のない記事であふれ返ることになる可能性がある。それは基本的にはnoteの運営側が避けたいことのはずである。

「内容のない記事でサポートだけを募る」というのがNGということについては、noteの運営サイドによる以下の記事がある。

そういうわけで、わたくしの「afterwords」も、あくまでも「あとがき」の内容そのものが面白いという場合のみサポートをお願いしたいという次第なのだ。

「noteに『あとがき』を用意しておいたから、それはつまりコンテンツ本体についての投げ銭はその『あとがき』のサポート機能のほうでお願いしますね、そこはお察しくださいね」ということではないのである。

ちなみに「あとがき」を別サイトにすることにはそれなりの意味がある。それはシンプルに、見つけにくくするということだ。読んだ後に余韻を楽しんでほしいし、思考を喚起かんきしたいのだ。急いで答え合わせをしようとするのではなく、自分でいろいろ想像してみてほしいのだ。紙の本を刷るときも、巻末には「あとがき」を収録しない可能性がある。また、なろうのサイト内ではnoteに「あとがき」を置いているということを一切告知しない可能性がある。

ところで、現在作成済みのマガジンは5つだが、おそらくもうすぐ1つ追加することになりそうである。書きかけの「おつきさまと殺意」は、完成すればその新しいマガジンと「No space left on my brain」の両方に追加することになると思う。

さらにもう1つ、「月報」あるいは「活動報告」のようなマガジンも用意するかもしれない。箇条書きでの報告をするような記事だけがあるもの。

noteでは当分、テキスト記事のアップとマガジンの機能だけを利用するつもりではあるが、メンバーシップ機能は少し気にはなっている。月100円のプランのみで特典なし・掲示板なしのようなものがアリなら、利用してみるのも良いかなと思い始めている。ただし、審査があるらしい。

掲示板なしというのはわたくしにとって重要で、「オフィシャルのコミュニティ」のようなものをつくりたくない。

コミュニティというものは、上下関係のようなものが発生しやすい。コミュニティの中では、たとえ当事者がどれだけ否定しても、昔から所属している人のほうがどうしても重みが出やすい。わたくしは「メンバーシップ」という言葉自体が苦手である。

また、コミュニティの中で間違った解釈が固定化されたり、まったく事実でないことが事実として流通し続けることにもつながる。

だからこそ、それぞれがバラバラに判断してほしいのだ。

そして、わたくし個人に対して密着的に関心を持たないでほしいのだ。

2017年の「教えて!goo」でのわたくしの回答をあらためて示しておこう。

要するに、わたくしは正しいことよりも「自分たちの間で正しいことになっていること」が優先されるのが怖いのだ。

実際に誤読が蔓延していたのかどうかは確認していないのだが、わたくしがALISに2018年に書いた記事での「受け取る」について、誤読されている可能性があることに気づいたのは比較的最近のことである。

わたくしは2020年8月の時点では、「ギバー、テイカー、マッチャー」という類型化のことをまったく知らなかった。上記の記事を、「ギバー、テイカー、マッチャー」の議論と結びつけて考えている人がいるのではないか、と最近になってから気づいたのだ。

「ギバー、テイカー、マッチャー」という類型化においては、「テイカー」の「take」が「受け取る」と訳されているらしい。

わたくしから見れば、「ギバー、テイカー、マッチャー」の議論における「take」は、「受け取る」よりも「持っていく」が近いのではないかと思う。

ALISに書いた記事における「受け取る」は、わたくしがイメージしているのは基本的に「receive」であり、状況によっては「accept」である。例文の中で「熊」が登場するのも、アイヌ文化の「熊送り」を連想しやすいように、ということである。

わたくしは誤読についての犯人探しをしたいわけではない。また、誤読というのは重要な文化的体験であり、あまり作者本人が「それは誤読だ」といちいち指摘しないほうがいいと思っている。また、誤読だと指摘することがネタバレになるような場合もあるだろう。

ただし、重要な文化的体験となるのは、基本的にはそれぞれがバラバラに誤読しているような場合ではないかと思う。

連載としての性質を持っているような場合に、今後の話の展開が持っている意味をことごとく改竄かいざんしかねないような誤読が定説として幅広く定着してしまっているのに書き手がそのことにまったく気づかない、というのも悪夢的であるような場合があるかもしれない。

わたくしはALISの記事の誤読の可能性に気づいてから、『海獣の子供』の原作の9話が英語版でどう訳されているかが気になってチェックしてみた。

『海獣の子供』原作漫画の英語版『Children of the Sea』2巻
『海獣の子供』原作漫画の英語版『Children of the Sea』2巻

ある登場人物の回想シーンである第9話には、もりについての「受け取る」が2回登場するのである。人間の側ではなく、クジラの側の「受け取る」というのがポイントだ。

確認してみると1回目はreceiveで2回目はtake(took)だった。

まず1回目。

さもなくば鯨の王は、二度と我々の銛を受け取りには現れぬであろう。

五十嵐大介『海獣の子供』9話、2巻

英語版は以下。

Otherwise, the king of whales will never come to receive our harpoons again.

『Children of the Sea』9話、2巻

2回目。

わたしはお前に興味を持ったから。お前の銛を受け取ったのだ。

五十嵐大介『海獣の子供』9話、2巻

英語版は以下。

I was interested in you. That's why I took your harpoon.

『Children of the Sea』9話、2巻

英訳に原作者の意図が反映されているのかどうかは知らない。

「ウチ」と「ソト」で考えると、わたくしがイメージしている「ギバー、テイカー、マッチャー」における「持っていく」≒「take」は、基本的にウチの中で起こることでソトは関係ない。そしてわたくしのINxxについての議論における「受け取る」≒「receive」は、ソトからやってくるものを受け取るのがメインである。

『海獣の子供』の訳者が意図的にそうしたのかは分からないが、9話での2回目の「受け取る」の時点ではいろんな意味で「両者」がひとつの「ウチ」にいる。

そしてわたくしが重要視したい「受け取る」≒「receive」は、ペネトレイティブ(penetrative)という性質と結びついている。

『海獣の子供』の第9話では、クジラと人間の双方におけるペネトレイティブなものが強調されている。当然まずは、クジラにとってのもりという物理的にペネトレイティブな存在。そしてクジラの肉というのは一頭だけでも膨大な量で、村全体にとってペネトレイティブである。

本来、第9話は何も知らずに読んだほうが面白いはずである。画像つきで紹介すると9話における小さなネタバレにもなるかもしれない。あまり読む前に検索もしないほうが良いのではないかと思う。

そのほうが「受け取る」ものが大きいであろう。

そういえば、ここ5年くらいの「刺さる」という言葉の流行は象徴的といえるかもしれない。

これはまさに「penetrative」であり、「receive」であるような感覚を表している。そして「accept」したということでもある。「acceptable」でないなら、それは「地雷」ということだ。

「刺さる」はもうすでに定着しているが、ごく少数の人だけが使っていた頃は「刺さる」という言葉を使うのはN型の女性、特にINxxの女性が多かったのではないかと思っている。

S型の男性はなぜ「刺さる」という言葉が人々に「刺さった」のかがまったく理解できていない可能性があると思う。

さて、noteについてだが。

メンバーシップ機能は気になっているが、とりあえず当分の間は記事のサポート機能だけの支援をお願いしたいと考えている次第である。

サポート機能がpixivFANBOXのようにコンビニ払いができるようになればいいのに、とも思う。

ちなみに2023年8月30日現在、「サポートエリアの説明文」は以下のように設定している。

   とりあえず、まずは生活保護から脱出したいと考えております。

はい。なんとか脱出したいと考えている次第なのであります。

そのためにも、まずはcleemy desu wayoとしての活動が本当に自立につながるのだということを保護課に証明する必要がある。

ところで、noteの良いところは、UIがすっきりしていることである。

すっきりしているのは良いのだが、あと少しだけ機能が欲しいと思うこともある。例えば、読んでいる最中に文字数が簡単に確認できたらいいのに、と思うことがある。

でもnoteのUIだと、ほんのちょっとなにか要素を追加しただけでも、かなり大きな変化を感じそうだ。

発達障害の人や高次脳機能障害の人には、ほんの少しの追加要素がどうしても気になってしまうという人がいる。

高次脳機能障害の人で、noteを選んだ理由として「画面がシンプルがいい」「余分な情報が入り込まず」という以下のツイートがある(2022年12月8日)。
https://twitter.com/watashino_miso/status/1600737072125743104

これは紙の「ノート」でも同様である。発達障害の人は上部にある日付の欄が気になって集中できない場合があるということで、日付の欄を取っ払った「ノート」がある。

  • 【特集】「白い紙はまぶしい」発達障害がある人たちの声から開発"みんなに優しい"ノート 色や罫線にコダワリが(2021年8月26日) - YouTube
    https://www.youtube.com/watch?v=emMP4rrmSk0
    (「MBS NEWS」チャンネル、日付の欄をなくす話は04:30〜あたり)

わたくしは紙のノートやルーズリーフで日付の欄が気になることはあまりないし、自分をASDではないと思っているが、ASDの人が困っているポイントの中には、わたくしと似通っているものがあるように思うことがある。

先ほど、はてなのセクションの中で、2003年〜2005年あたりはtDiaryティーダイアリーのサイトがたくさんあったと書いたが、あのころというのは情報を異常に詰め込んだ3ペインのサイトが大量に発生するようになった時期でもあり、あまりの情報の多さに叫びだしそうになることがあった。そんな中、tDiaryで構築されたサイトはそこまで情報を詰め込む感じではない場合が多かった。

ところで、わたくしの書く文章そのものは「ASDフレンドリー」とはいえない場合もある。

特に小説においては、一部のASDの人はじっくり読み進めていっても何を面白がらせようとしているかがさっぱり分からない、というようなことが起こることをはっきり自覚して書いていることがあるかもしれない。

それでも、ASDとは何かというのはわたくしにとってそれなりに重要なテーマだし、またそういう人の認知特性は気になるところではある。

今後わたくしは、noteに長文をいくつも投稿していくことになる。

noteのUIがどうなっていくのか、このままほとんど変わらないのか、かなり気になるところだ。文字数のことなども含めて、noteのUIについては次のなろうのセクションでも触れる。

noteにしろなろうにしろ、わたくしが発表する文章は、あまり「次から次へ」という感じの発表にはならないはずだ。

一つ一つの記事を、じっくり練り上げていきたい。

また、あまり急ぐと「書くために読む」ような読書ばかりになるため、「読むために読む」という期間も大切にしたい。

Webサービスに関連してということではなく、文章を書くという行為そのもの、あるいは小説を書くという行為そのもの。こういったことについては、執筆中の「おつきさまと殺意」のほうでたっぷりと述べることになる。

 

小説家になろう

わたくしは2020年6月4日に「小説家になろう」(以下、なろう)にアカウントをつくった。

小説を書き始めて30年以上経つのに、「なろう」とか言われても、というのはある。

でもまあ、今後も使っていく予定。

小説をアップし始めたのは2021年4月からである。

以下は「作者マイページ」である。

https://mypage.syosetu.com/1940328/

URLにもあるように、わたくしのユーザーIDは「1940328」である。

「行くよおっさんニヤ〜」である。

「なろう作者分析」のようなサイトだと、URLは以下になるわけだ。
https://mirunovel.com/u_analysis/view/?id=1940328

わたくしがユーザー名を変更することはおそらくないが、別の人が勝手に「cleemy desu wayo」を名乗ることは可能ではある。でもユーザーIDのほうはユニークであり、自分では選べず、不変である。

また、なろうでは作品ごとに「作者名」を変えることができる。ただし、スクロールしていくとどこかに「作者マイページ」へのリンクがあるので、どのユーザーなのかを識別することは非ログイン状態でも可能である。読む側としては、どのユーザーなのかをあえて確認しない、というのも可能である。

ユーザーIDは連番であり、つまりわたくしの場合は「194万とんで328番目のユーザー」ということである。

連番については、なろうユーザーによる以下の解説を参照。

  • 小説家になろうを知ろう ~小説家になろうをグラフ化してみた~ - 小説家になろうの歴史を知ろう(2018-11-11)
    https://ncode.syosetu.com/n3630fb/4/

わたくしは典型的な意味での「なろう系」と呼ばれる小説を書く予定はない。書こうと思っても書けないだろう。

なろうにアップされているからといって「なろう系」とは限らないし、そもそもまったくライトノベル的でないものも多数アップされている。

ここで、なろうのことをよく知らない人が「なろうらしくない」と感じるであろう作品を2つ紹介しておく。これらは「なろう系」ではないものの、非常に濃厚に小説投稿サイトらしさがある作品でもある。

前者は536字、後者は3000字。すぐに読み終わるだろう。

なろうでは文字数などの情報は、ページ上部のヘッダーの「小説情報」のところをクリックして小説情報ページに移動すれば確認できるようになっている。

前者はジャンルが「詩〔その他〕」に設定されている。これはつまり大カテゴリ「その他」の中の「詩」だ。

後者はジャンルが「純文学〔文芸〕」で、これは大カテゴリ「文芸」の中の「純文学」なわけだ。なろうの「純文学〔文芸〕」は、日本の出版業界における「純文学」とは意味合いが少し違っている。そういう「純文学」も含んではいるが、「その他諸々もろもろ」とか「闇鍋やみなべ」の感覚だ。

書く側のありがちな悩みとして「なろう系でないものは読んでもらえない」というものがあるが、ジャンルが「詩〔その他〕」や「純文学〔文芸〕」の場合は、作者はあまり悩んでいないかもしれない。

「余命3000文字」についてはなろう内で話題になり、小学館文庫から短編集が出たりもした。様々なパロディ作品もアップされ、それはなろう以外の小説投稿サイトにも波及した。また、作者の了承を得た上でのオマージュ作品「余命30000文字」もなろうにアップされた。

「話題になった」とはいっても、多くの「なろう系」と比較すると単純に関心を持った人の数としてはレベルが全然違う。でもそこはまあ、同じ都市圏の中にある大型商業施設と狭い路地の中の何かの違いのようなものだ。

以下はアニメ化もされた超有名作品である転スラの小説情報のアーカイブ。
https://archive.is/wxk0N (2023-07-28 05:12 JST)

感想1万件以上、レビュー100件以上、ブクマ30万件以上。ただし10年分。

以下は「余命3000文字」の小説情報のアーカイブ。
https://archive.is/Qdqql (2023-07-28 05:11 JST)

感想約100件、レビュー8件、ブクマ1366件。

この違いというのが、大都市のターミナル駅のすぐ近くと郊外の違いかというと、それは少し違う気もする。どちらかというと、ターミナル駅から歩いて2分のところに、こんな路地があったのか、という感覚が近い。

ターミナル駅というのとは違うが、以下の動画の02:25〜04:35あたりを観てもらえれば、わたくしがイメージしているものは何となく分かるだろう。

  • 【沖縄ぶら散歩】【那覇さんぽ】やっぱり迷う那覇の路地裏・国際通りの裏にこんな路地があった・ - YouTube(2017-10-27)
    https://www.youtube.com/watch?v=qjlB-Qxeikw
    (「街歩きokinawa」チャンネル)

なお、隠れた良作を探す行為は「スコップ」と呼ばれる。

わたくしにとって、強烈に印象に残っているWeb小説といえば「絶望の世界」と「クリアラバーソウル」だ。これらはサイト名であり、小説のタイトルではない。

両方とも個人サイトで、1998年から1999年にかけての盛り上がりがあった。1998年ごろは、小説の発表といえば個人サイトを開設するのが一般的だった。

「余命3000文字」の場合は、個人サイトやブログサービスではなく小説投稿サイトだからこそえる。なぜなら文字数のカウントをプラットフォームのシステムに任せ、実際にこの小説が3000字であることを自己申告ではない形で容易に示せるからである。

「絶望の世界」の場合はまったく逆で、個人サイトという形式を生かしていた。そして、短編ではなく連載というのもポイントだ。

「絶望の世界」では最初は小説であるとは明言せず、『僕の日記』は小説のタイトルというよりは、個人サイトのいちコーナーの名前だった。そして小説の日付と現実における更新日の日付が一致していたため、「岩本亮平」を自称する人物が本当に学校で起こっていることを毎日書いているかのように読める内容でスタートしたわけだ。

少しずつ小説らしさが出てきて、『僕の日記』の「虚像編」の終盤では小説ならではの「ある仕掛け」があったことが明らかになる。そしてこの、小説ならではの「ある仕掛け」の存在があるからこそ、「余命3000文字」が話題になった時にわたくしは「絶望の世界」を思い出したのだ。

「余命3000文字」の影響は現時点では測りにくいが、小説投稿サイト周辺に不可逆的な変化をすでにもたらした可能性はある。

そして「絶望の世界」も、明らかに作者本人に不可逆的な変化をもたらしたはずだし、日本のネット文化全体にも不可逆的な変化をもたらした。

「作品からコンテンツへ」という主旨のことが言われ始めて久しいが、「余命3000文字」も、「絶望の世界」の『僕の日記』も、「小説ならでは」の強力さによって、これからもずっと濃厚に「作品」であり続けると思う。

ちなみに「絶望の世界」の初期のURLは以下である。これよりさらに前があるのかどうかは知らない。
http://www.angel.ne.jp/~shun/aaaaaa.html

背景画像がきちんと再現されていることも含めて、初期のころの様子が確認できるアーカイブは以下である。
https://web.archive.org/web/19991128125152/http://www.angel.ne.jp/~shun/aaaaaa.html

「絶望の世界」1999年11月のアーカイブ

この背景画像、懐かしくて涙が出る人もいるのではないかと思う。

ある時点からは、URLは以下のものになっていたはずである。
http://www.story-magic.com/aaaaaa/

story-magic.com というのが、作者本人が取得したドメインだったのかどうかは知らない。

当時、紙メディアの中には「絶望の世界」を非常に不気味で危険なものとして紹介している場合もあった。もちろん好意的に紹介する場合もあった。

「絶望の世界」を好意的に紹介した以下のページを読めば、当時の雰囲気が分かるはずである。
https://hp.vector.co.jp/authors/VA016764/DDN/OnlineNovelGames.htm

なお、わたくしは「絶望の世界」の掲示板はほとんど見ていなかった。

ところで岩井俊二いわいしゅんじ監督の映画に『リリイ・シュシュのすべて』(2001年公開)がある。

わたくしは今はなき動物園前シネフェスタ4でこれを観たのだが、劇場で観た映画の中では唯一、1週間以上にわたって余韻が続いた。

もう一度観ようと思いつつ時間が経ち、もう20年以上が過ぎてしまった。

監督が「絶望の世界」を知っていたかどうかは分からないが、「絶望の世界」を知っておかないと『リリイ・シュシュのすべて』のことは永遠に分からないのだ、ということは言えると思っている。少なくとも公開当時、「絶望の世界」が強く印象に残っていた人は全員が「絶望の世界」を連想したはずなのである。

ちなみに『リリイ・シュシュのすべて』も、「あること」を知らずに観れば広い意味での編集トリックがある。ただし「映画ならでは」とは違うかもしれない。やろうと思えば、小説でも漫画でも同じようなミスリードは可能ではある。

そういうわけで、この映画も何も知らずに観たほうがいいと思う。

まあ、こういう紹介の仕方も「何も知らずに」からは程遠いのだが。

『リリイ・シュシュのすべて』の場合はコンテンツとしてスタートしているのに、映画版の映像としての強度が凄すぎるために作品であり続けているのかもしれない。ちなみにわたくしは映画版以外は未見である。

さて、なろうに話を戻そう。

なろうでは相互交流を好む書き手も多いのだが、書くほうが専門で他のユーザーのものをあまり読まない人は「書き専」と呼ばれる。当然、読むほうが専門という人は「読み専」と呼ばれる。

わたくしは10万字を超える小説をなろうで読破したことは一度もなく、短編もめったに読まない。なろう内で他のユーザーとの直接的な交流というのは一切なく、なろうの外でなろうユーザーと交流したりすることもない。そういう意味では書き専ということになるかもしれない。

もっとも、書き専という言葉でイメージされるのは通常は「たくさん作品をアップしている人」ということになるのかもしれない。

2023年8月30日現在、わたくしが実際になろうにアップしたものは連載小説が一つだけ、しかも完結していない。

『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』(目次ページ)
『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』小説情報ページ

ジャンルは「純文学〔文芸〕」。

今のところ「57,978文字」(なろうのシステムでのカウント)。

7月19日夜(日本時間)に「感想受付停止中」にして、「現代(モダン)」「マジックリアリズム」「スペキュレイティブ」「スリップストリーム」の4つのキーワードを追加した。また、今年中(2023年中)に完成させる意思があることを「あらすじ」に追記しておいた。

変更前の「小説情報ページ」は以下。
https://archive.is/fXVAB

『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』小説情報ページのアーカイブ

キーワードが「R15」「日常」「青春」の3つだけだったわけだ。

キーワードについては、果たしてそれを先に言ってしまっていいものなのか、というのはある。でもこういうサイトでは、読んだ人が「時間を無駄にした」と思わないようにある程度内容が分かるようにするのがマナーとされることが多い。特に連載の場合はそうだ。

これはつまり、映画『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996年公開)のようなものは、基本的には許されないという空気があることになる。この映画、まだ観てない人は一切検索などせずに観たほうがいい。当然Wikipediaも駄目だ。

それはともかく、キーワードを誠実に追加していくと、それ自体がネタバレになってしまうという重大な裏切りが起こることもあって難しい。「あらすじ」にもあまりあれこれ書きたくない。

まあ、拙作『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』については、娯楽性を期待している読者に対しては、第一話の「月曜日」だけ読んで「なんか思ってたのと全然ちがった」とだけ思って静かに去ってくれるのを望んでいる、というのはある。ジャンルは「純文学〔文芸〕」にしているのだから、そのへんはお察しください、というところだ。

なお『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』は同人誌の印刷所で少部数だけ刷るつもりでもいる。そして刷ったものを名刺代わりに配ろうかなと思っている。これについてはのちの「めたなぎとSUZURI」のセクションであらためて述べる。

ところで、「小説情報ページ」ではなく「目次ページ」のほうのページ上部には、以下のように書かれている。

この連載小説は未完結のまま約2年以上の間、更新されていません。
今後、次話投稿されない可能性が極めて高いです。予めご了承下さい。

これはシステムが自動的に挿入するものだ。

今から約1年前、2022年7月14日のアーカイブで確認すると、当然ながら「約2年以上の間」のところは「約1年以上の間」になっていた。また、「可能性が極めて高い」ではなく「可能性が高い」になっていた。
https://archive.is/koM26

『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』目次ページ、2022年7月14日のアーカイブ

このように完結していない状態は、なろうではよく「エタる」「エタっている」と呼ばれる。作者が主語の場合は「エタらせる」という言い方をすることもある。

完成させる意思表示というのはつまり「このままエタらせるつもりはない」ということである。

やや古いデータだが、完結せず放置状態の小説の統計は以下の解説を参照。

この解説のタイトル、年配の人はギョッとするかもしれないが、なろうに限らず小説投稿サイトではごく一般的な用法である。「エタ」というのはあくまでも「エターナル」である。こういったことについて、「忘れられる」ということが良いことなのかどうかが議論になるが、少なくともこの言葉についてはわたくしは肯定的にとらえている。

それはともかく、上記の解説には、以下のような箇所がある。

連載作品の70%は完結しない。これが小説家になろうの現実です。

「拝啓 エタりそうな作者様、エタが嫌いな読者様。これがなろうの現実です。」

また、以下のような箇所もあった。

これを見ると、1作でも完結させた作者は全体の約16%なのです。さらに、他の作品もエタらせずに完結させた作者は10%を切るのです。しっかりと作品を完結させることが出来る作者はとても貴重なのです。

「拝啓 エタりそうな作者様、エタが嫌いな読者様。これがなろうの現実です。」

そうなのか。そういうものなのか。

この解説ではエタが「初期エタ」「偶発エタ」「磨耗まもうエタ」の3つに分類されている。単に飽きたというのも「磨耗エタ」のようなので、わたくしの場合も「磨耗エタ」ということになるのだろう。

10代のころはともかく、最近のわたくしは勢いだけで始めるということはない。「これは一つの究極の形だ」という確信がないと書き始めることができないので、「初期エタ」というのはわたくしの場合はありえないと思う。

MBTIライクな性格分類だと、J型よりもP型のほうがエタらせやすいのではないかと思っている。P型は、何かを終わらせることよりも何かを始めることが大好きである。ただし、そもそも創作活動をしようとする人にP型が多いという可能性がありそうだ。

また、xSxP(つまりS型かつP型)は「初期エタ」が多く、xNxP(つまりN型かつP型)は「磨耗エタ」(の単に飽きるバージョン)が多そうである。

コンテンツ産業にはあまり深くコミットしていないようなpixivユーザーにはIxxP(つまりI型かつP型)が多い可能性があると述べたが、なろうでも「なろう系」ではない小説を書いているユーザーはIxxPが多い可能性がありそうだ。

このことに関連して、『なろう用語の基礎知識』の「毎日更新」の項目は気になるところだ。

 毎日更新すること。なろうにおいてランキングを駆け上がるのは毎日更新が必須!的な言があり、それを実行しようとする。
 実際のところランキング上位陣はそれができているものも多いが、それを無理して継続しようとして質が落ちていったり、文章量が極端に短くなっていったり、毎日更新しても人気が出ずに筆を折る者もいる。

『なろう用語の基礎知識』

毎日更新を「100日だけ」とかそういうことではなく継続的にやろうと思ってできるのは、おそらくJ型が多いだろう。そして、「密約」があったら不正になるが、なろう内で社交的に振る舞うのはランキングにおいて有利だ。

なろうにおいても、ExxJ(つまりE型かつJ型)がランキングで有利な可能性があるわけだ。

なろうでは「なろう系」でないと読まれないという定説、そしてランキングで有利なのはExxJというわたくしの仮説、ここから導き出されるのは、「なろう系」というのは内容的にExxJの世界観が濃く反映されている可能性がありそうということになるが、わたくしは「なろう系」に詳しくないのでこの可能性を追求するのは他の人に任せたい。

わたくしは『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』以外にも、書きかけの小説や構想だけがある小説、あるいはプロットだけが固まった小説などが大量にあるわけだが、基本的にそういうことについては一切発信をしていない。だから、2023年8月30日時点でなろうのサイト内で確認できるわたくしの小説の執筆活動というのは一作だけということになる。

わたくしは小説を書き始めてから30年以上経つが、今世紀に入ってからは、1万字以上のもので実際に完成まで持っていくことができたのは2009年の「天体の発生」だけという有様ありさまである。

前述のように、「天体の発生」については「短編」としてなろうにアップし直すかもしれない。

ちなみに、なろうのシステム上は「短編」と「連載」の区分がある。「短編」としてアップできるのは7万字までである。

今年(2023年)の6月下旬になってから書き始めた「短編小説B」(仮称)については、すでに5万字を超えている。完成したら、おそらく6万字を超える。なろうにアップされる「短編」としては巨大な部類ということになりそうである。

とにかくなろうのシステム上の「短編」を一度アップしてみたかったというのもあるし、ボリュームがふくらんでからもずっと短編小説のつもりで書いていたこともあり、分割したりせずにそのまま「短編」としてアップする予定である。

これが6万字を超えた場合、これまでにアップした『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』の合計分(57978字)をたった一回の投稿で一気に超える、ということになりそうだ。

「短編小説B」(仮称)は書き始めてから最初の数日はなんとか3万字以内にしようとしていたのだが、途中であきらめた。

紙の本であれば、2万字〜6万字くらいなら「短編小説」として流通する。nuullmoon.com のセクションで「細切れで頻繁な更新」という表現をしたが、なろうの場合は2000字〜3000字くらいを一話にして「短編」ではなく「連載」にしたほうが読者が得られやすいとされる。ガラケーやスマホで読むユーザーのこともあるのだろう。わたくしは基本的にパソコンで、かつ横書きの状態のままで読むことを前提としている。

この5万字以上書いた「短編小説B」(仮称)は「書きかけ」というのが重要な要素で、もしかしたらタイトルにも「書きかけ」あるいは「書きそこねた」を入れるかもしれない。また、この小説については最初から「感想受付停止中」に設定しておき、キーワードについても「現代(モダン)」「マジックリアリズム」「スペキュレイティブ」「スリップストリーム」の4つを最初から指定しておく予定である。

これはあくまでも小説であること、長年構想を練っていた小説ではなく今年(2023年)の6月20日前後に突然思いついたものであること、というのはあらかじめ強調しておきたい。

ところで、わたくしはここ数年はずっと、サーガ的なものの構想を練り続けている。

このサーガの本編はなろうにアップしていく予定である。『分類しない暴力』をどこに書くかということでnoteを選んだのと同様、このサーガをどこに書くかということでなろうを選んだ。

なお、どれがサーガの一部なのか曖昧にするということがあるかもしれない。「長編一作目」については「あらすじ」の中でこれはサーガの長編一作目なのだということを明言する予定だ。この「長編一作目」は2020年夏に7万字以上書いたのだが、これは全面的にリライトするかもしれない。リライトするとしても、大筋のプロットは2020年夏のままにする予定である。

『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』も、もともとはサーガの番外編であると同時に、様々な意味で「長編一作目」と対になるものとして構想を練り始めたものである。

Twitterアカウント凍結直前の2023年1月14日には、以下のようなツイートをしていた。
https://twitter.com/cleemy4545/status/1613946734924926977

https://twitter.com/cleemy4545/status/1613946734924926977 - ログイン状態

いずれちゃんと「あとがき」書くけど。
なろうに書きかけの小説、もともとはサーガの番外編として構想を練り始めたけど、基本的には独立した小説。
完成後に追加の情報が明らかになることはないし、あの小説の中で「人間」として認識できる登場人物は全員、あの小説の中でしか会うことができない。

https://twitter.com/cleemy4545/status/1613946734924926977

この考えに今も変更はない。

なお、「あとがき」というのはつまり、noteのマガジン「afterwords」のための記事ということである。

『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』は、完成すればおそらく7万字〜9万字あたりで、「長編一作目」はおそらく8万字〜15万字あたりになるのではないかと思う。

ところで、この記事のnoteのセクションでは、noteでも文字数を気軽に知る方法があればいいのにと書いた。

長い記事の場合、文字数や記事の公開日は、読んでいる最中に確認したくなることが多い。

現状ではnoteはページのトップ(タイトルのすぐ下)に記事の公開日が表示される。でもしばらく読んでるとそれがいつ頃だったか忘れるのだ。読んでいる最中に「そういえばこの記事っていつごろ公開だっけ?」と気になって、そのためだけにページ上部に戻ることがある。

例えば以下のなろうのエッセイの場合を考える。

なろうでは、こういったものも「エッセイ〔その他〕」のジャンルとしてアップされている。

このエッセイでの主張が正しいかどうかはとりあえず置いておいて、注目したいのは時期である。例えば、これが2021年公開なのか2023年公開かというのは、最初の1000字くらいを読んでも分からない。何か見落としているかもしれないが、少なくともわたくしの場合は分からない。

でもこれ、人によってはその時期というのがまさに重要かもしれない。

例えば『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』という2022年公開のディズニー映画がある。わたくしは未見だが、この映画はポリコレに配慮しすぎておかしなことになっていると話題になった。だから上記のエッセイを読んでいる最中に、「ちょっと待てよ、これは『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』が話題になった後に書かれたものだろうか、それとも以前だろうか」と気になる場合がありそう、ということである。

それなりの長さのある記事では、どんなサイトでもこういうことが起きる。読み始めた時にページ上部で公開日が視界に入っていても、読んでいるうちに忘れることがある。「何年」までは覚えていても「何月」を忘れることもある。

なろうの場合は、ページ上部のヘッダー内の「小説情報」のところ(エッセイであっても「小説情報」)から、文字数や公開日が確認できる。

ここで、noteとなろうのUIを比較してみる。あくまでもパソコンのブラウザで閲覧した時の話である。

noteの場合、パソコンで全画面にした時に「すっきり感」は際立つ。以下は2023年7月28日に1920x1080の画面でFirefoxで拙作「作業所はあるのになぜ思考所はないのか・前編」を表示させた時のスクリーンショット。

https://note.com/cleemy/n/n0084ba60c4cc (Firefoxで1920x1080の画面で全画面表示)

noteでは、下へ下へとスクロールしていく時は単にスクロールしていくだけだが、少し戻った時、つまり上にスクロールした時に一時的に現れる要素がある。そして以下のようになる。

https://note.com/cleemy/n/n0084ba60c4cc (Firefoxで1920x1080の画面で全画面表示)

画面上部にはヘッダー、そして右下には記事に関する操作。

なろうとは違い、ヘッダーには記事に関するものは存在しない。逆に、右下の部分は記事に関するものだけしかない。右下の部分も厳選されているため、一つでも要素を追加するのはおおごとになってしまうのかもしれない。

以下はなろうの場合。同じくFirefoxで、2023年7月28日。拙作『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』の第一話の「月曜日」より。何も知らない状態で読みたい人は、本文のところはあまりじっくり見ないでほしい。

https://ncode.syosetu.com/n9355gw/1/ (Firefoxで1920x1080の画面で全画面表示)

なろうの場合はスクロールによって現れたり消えたりするような要素はなく、常にヘッダーが表示されている。そして右下にはページ内移動のいわゆる「ページトップリンク」があるだけだ。そしてこの「ページトップリンク」、なろうの場合は若干チラチラと気になる時がある。

なろうの場合、常にヘッダーが画面上部に鎮座しておられる。このおかげで、長いページの真ん中あたりを読んでいる時でも「小説情報」のところから新しいタブで小説情報ページを開いたりすることによって文字数や公開時期(連載の場合は連載開始日)が分かるようになっているわけだ。

noteでも、長い記事の場合はこれがやりたいのだ。ページの真ん中あたりを読んでいる時に、そこから一切スクロールバーを動かさずに記事の情報を知りたい時がある、という次第なのである。新しいタブか何らかのモーダル的なものでも、何でもかまわない。

あえてそうしない、というのも一つの方針ではあると思う。長すぎる記事をアップするから不便になるのであって、上記のような手段を用意しないことによって記事の長さをほどよく抑制することができるのだ、というような。noteがこのあたりのことをどのように考えているのかは知らない。

UI以外では、なろうを使い始めてから知ったことの中で面白いなと思ったのは2018年に追加された誤字報告機能だ。

わたくしはこのなろうの誤字脱字機能はまだ報告したことはなく、報告を受け取ったこともない。誤字脱字の類を見つけたら、ぜひ報告がほしいと思っている。

この機能がどのようなものなのかは、以下のエッセイを読んでいただければ分かるだろう。

  • 誤字報告は誤字脱字の報告であって自分好みの文章への変更要求書ではないんですよねェ~!(2023-07-16)
    https://ncode.syosetu.com/n0717ii/

ちなみにこのエッセイには、わたくしのような人間がなぜAIによる文章を整えるためのツールのようなものを使いたくないのかという理由も書かれている。地の文での誤字脱字や誤用などは人間だろうとAIだろうとどんどん指摘してほしいが、自分以外の誰かの好みの文章に整えることなど、絶対にありえない。わたくしの文章を整えることができるのは、わたくしだけである。

かつて日本では刀剣の切れ味を確認するために実際に人体で試した。

わたくしの場合、たった一文字を変更するかどうかについて、何日も何日も考え続けることがある。

もし本当にそうしなければ決定できそうにないのであれば、実際に「人体」で試すこともいとわない。

あなたが何気なく読んだ文章の中にも、実際に5人くらい殺しているものがあるかもしれない。

 

 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ikidou.JPG

 

 

英語の文章においてもそうなの?というのは少し迷うポイントではある。

ちなみにわたくしは死刑には反対である。

それはともかく、この誤字脱字の指摘機能、作者側の画面ではユーザーIDが表示されるようになっているようだ。そして報告者側の入力内容をそのまま受け入れる場合、作者が「適用」をクリックすれば自動的に内容が変更されるらしい。だから報告者側は余計な情報を入力しないほうがいいようだ。

これはプログラマーなら、ソフトウェアのパッチを連想するだろう。

ソフトウェアの場合はメンテナの側が「そのパッチじゃ採用できないからこう直して再度パッチを送ってきて」と依頼することも一般的だが、なろうの誤字報告機能ではそういうことは難しいのかもしれない。

なろうの場合、備考欄を用意したりなどすると嫌がらせを目的に報告する人が出てくるのではないかとか、作者側が応答を返せるようにすると結果的にモメることになりやすいのではないかとか、そういう事情があったりするのかもしれない。

ちなみにGitHubギットハブでは、ブラウザからの操作だけで「プルリクエスト」の機能が利用できる。

ソフトウェアの挙動に影響を与えないtypo(誤字脱字)など、気軽に指摘することができるわけだ。

わたくしも、これでtypoの報告をしたことがある。これについては次のセクションで述べる。

 

GitHub

オープンソースの中核的存在とみなされることもあるGitHub。

このセクションに限らず、技術的なことで意味が分からない箇所は適当に流して「ふーん」と思ってほしい。

なんとなく「息づかい」のようなものを感じ取ってくれれば、というのもある。

もしあなたがこの文章を紙に印刷されたもので読んでいたとしても、その印刷された紙というのは、膨大な数のOSS(オープンソースソフトウェア)が協調して動作した、その果ての結果だ。

そもそも、この文章を書くのもFeatherPadフェザーパッドというOSSのテキストエディタを使って書いている。書いている途中の調べものにおける検索エンジン使用やアーカイブサイトへのアクセスもある。画像編集にGIMPギンプというOSSも使っている。

GitHubについては、わたくしは2022年2月にアカウントをつくった。

まあ、わたくしはgitのこともGitHubのこともよく知らないけど。

https://github.com/cleemy-desu-wayo

今回のプロフィール刷新の前後に、上記のページの左下あたりのリンクの並びを変更したかもしれない。

GitHubはプラットフォームであり、ソースコードは公開されていない。

でも流出したことならある。

今後わたくしもGitHubで何かリポジトリをホストするかもしれないし、特に何もしないかもしれない。

その前にそろそろgitをまともに理解しておかなきゃなあと思いつつ、時間が経ってしまっている。

前のセクションで述べた、わたくしによるtypo修正(誤字脱字修正)というのは以下。

2023年8月30日現在、これがGitHubでのわたくしの唯一のプルリクエスト。

GitHubのサイト上で、ブラウザでの操作だけでできるプルリクにした記憶がある。

挙動に影響を与えるtypoだから、[nits] と書くべきではなかったのかもしれない。でもこの hestiacp/hestiacp のリポジトリについては、わたくしが大ネタを報告した直後だったから、まあいいか、とも思っている。この「大ネタ」についてはhuntr.devのセクションで述べる。

2022年10月4日に『ブロックチェーン・プログラミング 仮想通貨入門』という本について質問したのは、ブロックチェーンの記事を書くことに熱中していた時である。

2023年8月30日現在では、これがGitHubでわたくしの立てた唯一のIssue。

このリポジトリは本のサポートページで、質問があればIssueを立ててくださいという主旨のものだ。だからbitcoin-rubyというライブラリについてのこの本の記述についての質問をここに書き込んだのである。

ちなみにこの本、bitcoin-rubyのまとまった日本語の解説というのは貴重な気がするので、改訂版があれば読んでみたいところ。

この時にわたくしが書いていたものも5万字以上書いたのに未完のまま放置状態である。なんとかしてサルベージしたいと思っている。

上記の質問をした去年(2022年)の10月の時点では、このブロックチェーンについての記事を「cdwdoc」の第一弾にする予定だった。

その記事の中で語る予定だったものの一部は、2022年8月の時点でTwitterに書いた。しかも画像で解説した。この時の2枚の解説用画像は今も手元に残っている。

https://twitter.com/cleemy4545/status/1561920481208537088 の画像
https://twitter.com/cleemy4545/status/1562543568836628480 の画像

ウクライナへの軍事侵攻のニュース映像に触発されて「今のうちに急いでアイディアだけでも提示しておかねば!」と慌てて作成した画像だったせいもあるが、あらためて読み返すと実に読みにくい。焦るとよくない。

読みにくいけど、内容としてはこれは技術的な詳細を理解していなくても全体として何を言っているのかは理解できるはずのたぐいのこと。改竄かいざんが事実上不可能であるというブロックチェーンの性質を前提にしており、どうして改竄が不可能といえるのかを理解するためにはある程度技術的なことを理解しておく必要はある。でもとりあえず「改竄は不可能」ということについては理由は問わないということなら、技術的な詳細は理解していなくても上記の画像で解説したことは理解できるはずなのだ。

ポイントは、デジタルの画像はある時点より前に地球上に存在したことだけを保証するということ。ブロックチェーンにハッシュ値を書き込んでおくことができたなら、どんなに遅くとも、書き込み時点で地球上に存在していたはずである。

これはproof-of-existenceプルーフ・オブ・イグジステンスと呼ばれる。「Proof of Existence」というWebサービスがあってややこしいのでハイフンで表記することにしている。

逆に、アナログのフィルムはある時点よりあとに発生したことだけを保証する。フィルムに改竄かいざん痕跡こんせきがないなら、ある時点より前に撮影されたことがありえないのである。

これの実際の「作例」を2022年9月23日朝(日本時間)にわたくしの自撮りの写真として撮影してハッシュ値をブロックチェーンに書き込んだ。

ついでに、この時の写真によって、どんなに遅くとも2022年9月23日朝(日本時間)にはラーメンというものが地球上に存在していたことの証明にもなる。これは例えば25世紀ごろに問題となるかもしれない。25世紀ごろには「実際にはラーメンは23世紀ごろにAIが発明したものであり、それ以前に撮られたかのように見える写真はすべて捏造ねつぞうである」というような主張が定説になりかけたとしても、わたくしの写真によってくつがえすことができる。

狙ったわけではないが、自撮り写真を撮影した2022年9月22日というのは日銀の円買い為替かわせ介入があった日でもあったりして、非常に宿命的なものを感じる。

これがどういうことなのかということも含めて、書きかけのものをサルベージして「cdwdoc」の記事として解説する予定。

ちなみに先ほどの2枚の解説用画像の背景については、ログインなしで利用できて日本語のプロンプトも使用可能な生成AIの「Dream by WOMBO」で元画像なしで生成したもの(をトリミングしたもの)である。

「Dream by WOMBO」でのプロンプト(2022年8月に生成)

どのニュース映像に触発されたのかというと、以下である。戦争犯罪の証拠を大量に保存しておいて、裁判で使うという箇所。

https://www.youtube.com/watch?v=0APl8-YjMGQ (非公開になる前)

「証拠」というのをデジタルデータとして残しているだけだと、生成AIの進化によって裁判で使いたい時には裁判で使えなくなる可能性がある(裁判のタイミングでどれくらいAIが進歩してるかが予想しにくい)というのがポイントである。

もしブロックチェーンにハッシュ値(ハッシュ値のリストのハッシュ値などでも可)が書き込まれていれば、「この時期の生成AIにはこれを捏造ねつぞうするのは困難」という主張が可能になるかもしれないわけだ。

ちなみに上記の動画は現在は非公開になっているようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=0APl8-YjMGQ

詳細についてはまた「cdwdoc」の記事の中で解説するが、自撮り画像だけでなく先ほどの2枚の解説用画像など、計14個のファイルのハッシュ値(のリストのハッシュ値)を9月23日朝(日本時間)と10月7日朝(日本時間)にブロックチェーンに書き込んでいる。

ハッシュ値のリスト(ただのテキストファイル)のハッシュ値が

7446a5c29f332086b06685b70a972ae36707ef4299d2ff8762fd8492b1415173

のため、これをビットコインのチェーン上に書き込んだわけだ。

ハッシュ値のリストは以下。

9月23日朝(日本時間)の分は「Proof of Existence」というWebサービスを経由して書き込んだ。

10月7日朝(日本時間)にブロックチェーンに書き込んだ分はbitcoin-rubyを使って自前でトランザクションを生成したのだが、ハッシュ値のリストは1279バイトだから

1279,7446a5c29f332086b06685b70a972ae36707ef4299d2ff8762fd8492b1415173

とするつもりが、誤って

1271,7446a5c29f332086b06685b70a972ae36707ef4299d2ff8762fd8492b1415173

としてしまった。

メッセージは特に問題なく書き込めているのだが、メッセージ本文の内容が微妙に間違っているのである。間違えると永遠に修正は不可能である。ブロックチェーンだから。

https://chainflyer.bitflyer.jp/Address/3HcMQ2rN1zvQAMqpdq3YaPTxeViPYpF9Ks

ところで、わたくしはgitのこともGitHubのこともよく知らず、GitHubをほとんど使っていないにも関わらず、ダブルクォーテーションなしでの「cleemy desu wayo」でのエゴサ結果をarchive.todayで保存するとGitHubのプロフィールページが毎回トップにきている。

つまり、アメリカ合衆国に在住で英語が母語の人々は、Googleで「cleemy desu wayo」で検索するとGitHubがトップにきている可能性が高いのである。

それでいいのか?そういうものなのか?

自分のユーザー名でリポジトリを作成してルートに README.md を置けば、その内容がGitHubのプロフィールページの上部に表示されるらしい。そのうちやるかもしれないけど、そこに情報を詰め込むということはしないつもり。

ところで、オープンソースといえばLinuxである。

わたくしは2012年に沖縄に来てから10年以上、Windowsを使う機会がほとんどなくなった。本当にそんなOSが存在していたのか、すべては幻だったのではないかと思うこともある。

OSを取り巻く状況は少しずつ変わっている。[cdwdoc-2023-001] でも触れたが、スーパーコンピュータのシェアではLinuxが100%になったりしている。

でもOS自体の進化というのはこの10年間ほとんどないかもしれない。

2023年8月現在、おきみゅー(沖縄県立博物館・美術館)では「みんなの進化展」がやっているが、これは有料である。しかも9月3日までだ。次の保護費は9月5日支給なので、残念ながらわたくしは見に行くことができないだろう。

  • みんなの進化展で見た「化石になるにはどうすればいいの?」という質問への解答がとても物騒で良い「湖の底ならばっちり」 - Togetter(2023-08-11)
    https://togetter.com/li/2202746

実に楽しそうだが、しょうがないのでLinuxの系統図を眺めるしかないのである。

この文章もLubuntuで書いている。Lubuntuも、Ubuntuの派生として載っている。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Linux_Distribution_Timeline.svg

 

GitLab

2022年2月にGitLabギットラブにアカウントをつくった。

https://gitlab.com/cleemy-desu-wayo

今回のプロフィール刷新の前後には、プロフィールページの編集可能な部分は特に何も変更はしていない。

2022年9月、上記のURLにアクセスした時だったかあるいはログインしようとした時だったかに、「Your account has been blocked」と表示されてログインができない状態になっていて驚いた。

これは問い合わせてから、おそらく24時間以内に直った。AIによる誤判定だったりするのかどうかは分からない。2022年9月時点では、GitLabのサイトではプロフィールを設定した以外は何もしていなかった。

GitLabのシステムはGitHubと違い、ソースコードが公開されている。だから自分のサーバーにGitLabをインストールする、ということができる。

GitLab.com 上のGitLabを「SaaS版」、自分のサーバーで運用するGitLabを「Self-Managed版」と呼んだりする。

NASAもSelf-Managed版GitLabを使っている。

https://einstein.jpl.nasa.gov/users/sign_up

上記のログインページ(アカウント作成ページ)には「This is a self-managed instance of GitLab.」とある。こう書かれていなくても、実際にはSelf-Managed版のGitLabのログインページであろうものが、「site:nasa.gov」でドメイン指定して検索すれば複数見つかるだろう。

NASAはGitHubも利用しており、パブリックなリポジトリが大量にある。
https://github.com/nasa

わたくしは今後GitLabを使っていこうと思っているが、それはサーバーを用意してSelf-Managed版を使うということではなく、サイトとしての(プラットフォームとしての)GitLab.com を使っていきたいということだ。

このあたりも、知っている人にとってはあまりにも当たり前なのだが、知らない人との認識のギャップが凄まじい。

わたくしも含めて、プログラミング歴が長い人の中にも、gitやGitHubやGitLabについてよく知らない人もいる。

[cdwdoc-2023-001] でも言及したが、AWK設計者の一人であるブライアン・カーニハン(1942年生まれ)が80歳になってからAWKにUnicodeサポートの機能を追加した。アーノルド・ロビンスへのメールの中でブライアン・カーニハンは「gitをもっと理解できればいいのですが」(I wish I understood git better)と書いていたようだ。
https://github.com/onetrueawk/awk/commit/9ebe940cf3c652b0e373634d2aa4a00b8395b636

ちなみにGitHubのスタートは2008年。GitLabのスタートは2011年である。

なんとなくGitHubは「最近登場したサービス」という感覚だったが、GitHubのない世界でわたくしがコードを書いていたのは最初の10年間だけで、GitHubが登場してからもう15年が経過してしまっているわけだ。

それにしても、GitHubはもうすっかり、人類全体にとってのインフラという存在になってしまった。

同時に、あらゆるソースコードがGitHubでホストされているとなると、GitHubが巨大な単一障害点になっているのではないかということもたまには思い出す必要がある。

だからこそSaaS版の GitLab.com のユーザーももっと増えてほしいと願う次第なのである。

GitLabについてありがちな誤解として、「GitHubのクローンサイトでしかなかった」というのがある。

そういう要素があったという意味では完全に間違いとはいえないのだが、クローンサイト「でしかない」というわけではなく、「GitHubみたいなもの」を自分が用意したサーバーにインストールしたいという需要に応えていたわけだ。

GitHubとGitLabの関係に近い例として、Twitterと、後発のMastodonマストドンMisskeyミスキーなどの関係がある。Twitterはソースコードが公開されていないが、MastodonやMisskeyはソースコードが公開されている。

tDiaryティーダイアリーとはてなの関係については、はてなのセクションでも少しだけ触れた。

これもGitHubとGitLabの関係に類似しているが、順番が逆と考えると面白い。

tDiaryの場合はRubyで書かれたOSSとしては2003年1月の時点ですでに有名な存在だった。

当時はまだマイナーだったRubyについて「Rubyで実用的なプログラムを書いてるやつなんておらん」という意見があることに対して、「tDiaryがあるじゃないか」という反論が可能だったわけだ。そういう状況で、はてなが2003年1月にtDiaryを意識したWebサービスを開始したわけだ。そしてはてなは、はてなダイアリーのソースコードは公開していなかった。

ちなみに以下の記事によると、GitLab共同創業者のディミトリー・ザポロゼツ(Dmitriy Zaporozhets)は、「ウクライナで水道も引かれていない家に暮らしていた」のだという。

今回のパンデミックが起こる前から、GitLabは「全員がリモート」な企業として有名だった。

わたくしとしては、「全員がリモート」というのはまったく新しいというわけではない。2000年前後には「ほぼ全員」リモートのMySQL ABが有名だった。当時、どうやってそれを実現しているのだろう、とあれこれと想像したものだった。2008年にMySQL ABはサン・マイクロシステムズに買収され、そのサンも2009年にオラクルに買収された。かろうじて1990年代のIT業界というものを知っている身としては、この2件の買収はそれなりに衝撃度の高いものだった。

2022年からのロシアの軍事侵攻によって軍事支援のような話題について誰もが気軽に議論するようになったが、GitLabは軍事用語を嫌っているらしいことには注意。

サイバーセキュリティでは気軽に「キルチェーン」(kill chain)という表現を使ったりするが、こういうのも元は軍事用語である。日本でも完全に定着していてライトノベルのタイトルに使われたりもしている「デスマーチ」(death march)のようなものも軍事的なアナロジーということなのか、気になるところではある。

わたくしはGitHubはほとんど使っていないが、GitLabについてはすでにGitLab Snippetsの機能を試験的に使用し始めている。
https://gitlab.com/users/cleemy-desu-wayo/snippets

ここに置いたコードはシステム的にはどのプロジェクトとも結びついておらず、pastebin.com のように使っている。gitそのもののことはよく知らなくても、とりあえずこういうものは使えるのである。

2023年8月30日時点では、ほとんどが [cdwdoc-2023-001] のためのサンプルプログラムである。

2021年夏から秋にかけて pastebin.com で公開してTwitterで解説していた自作のDSLのとか、ああいうものも今後 GitLab.com に置いていくことになるかもしれない。ちゃんとリポジトリをつくって改良を続けていくのかどうかは決めていない。

これはDSLの実験であるとともに、複数の言語で同時に実装するという実験でもある。未公開の書きかけのPHP版もある。Perl版やC言語版をわたくしが自分で書く日はおそらく来ない。

GitHubとGitLabの違いとして、GitLabはまずプロジェクトありきで、複数のリポジトリを簡単にグルーピングできるというのがある。だから上記のDSLのようなものは、それぞれの言語のエディションを別々のリポジトリにして、それをまとめて一つのプロジェクトとして管理する、といったことがやりやすいはずである。でもきっとそうに違いないと思っているだけであって、わたくしは実際にはGitHubもGitLabもまともに使ったことがないから何かひどい勘違いをしているかもしれない。

勘の良い人なら、以下の画像を見るだけで上記のDSLが何を意図しているのかは分かるだろう。

generate_img.html (HTML5版) 0.0.99.20211018 サンプル

HTML5版は別途ライブラリを用意する必要がない。上記の画像では、HTML5版を generate_img.html というファイル名でローカルに置き、その同じディレクトリには 00img というディレクトリがあり、その中に以下の2つのファイル名で画像が存在しているのが前提である。

  • commons.wikimedia.org_800px-sea_of_clouds.jpg

  • twitter_icon.png

前者の画像は以下より。

GNU Unifontがインストールされている場合は、「test1」などの箇所のフォントが微妙に違うものになるはずである。

generate_img というのは仮の名前である。名前が決まらないからこうしているだけだ。

ちなみにこのDSLの最初期のものはたった30行の以下のRubyのコードである。これは pastebin.com ではなく2021年8月にTwitter上で画像で公開したものだ。

自作DSLの最初期バージョン

このDSLについても、noteの「cdwdoc」の記事で解説するかもしれない。このDSLはプログラミング経験のない人に触らせてみてコードを書く適性を見極めるためのものとしても使えるし、教育用としても使えるということを期待している。

でも書きかけのエッセイや小説やブロックチェーン解説記事など、先に完成させておきたい長文の文章群がいろいろとあるため、解説を書くのは来年以降ということになるかもしれない。

2023年8月時点ではおそらくこのDSLのユーザーはいないだろうけど、ブラッシュアップしてほしいとか解説を書いてほしいという要望があったら他の文章を書くことより優先させる可能性はある。

ところで、GitLabにはGitLab Pagesというものがある。これは静的HTMLをホストするための機能で、無料でもそれなりにいろんなことができる。

この記事のはてなのセクションでは、独自ドメインでのブログ運営は「管理が面倒」と書いた。

コメントが書き込めたりする必要がないなら、広義のブログをGitLab Pagesで、というのも良いのかもしれない。

独自ドメインでもそうでなくても、自分のサイト上で広義のCMSを動かすというのは、セキュリティアップデートのことなど管理責任がともなう。

いきなり死んでしまったりとか、あるいは死ななかったとしても逮捕されたり措置入院になったり、突然ヒマラヤに3年くらいもりたくなった時にどうすればいいのか。

やはり、わたくしのような人間にとっては放置耐性というのが重要なのである。

この放置耐性という観点からGitLab PagesやGitHub Pagesについて分析したものがあったら読んでみたいところである。

放置耐性については書かれていないが、以下の記事はGitHub Pagesとの比較もあって全体像がイメージしやすい。

そしてこの記事はGitHub Pagesでホストされている。URLを見れば分かるようになっている。

ところでGitLab Pagesを使い始めると、
https:// 〈ユーザー名〉 .gitlab.io
はどうしても「発生」するのだろうか。

わたくしの場合は以下になるはずだ。
https://cleemy-desu-wayo.gitlab.io

本来なら、こういうところをメインのプロフィールページにしたほうがいいのかもしれない。

はてなのプロフィールページ、画像が一部SSLでなかったりするのが気になっている。わたくしが入力した部分ではない箇所でのことなので、どうしようもない。そもそもわたくしが入力した分には画像は一切使っていない。そう言いつつ、そのうち写真とか載せたりするかもしれないけど。

もし https://cleemy-desu-wayo.gitlab.io みたいなところを自分のメインのプロフィールページにする日が来たとしても、特に理由がない限り、はてなのプロフィールページもしばらくの間は追随して更新していくようにする予定である。

ところで今年(2023年)の3月、GitLab Pagesを試しに使ってみるためというのと、あとは息抜きのためというのも兼ねて、rsdfi.org というドメインを取得した。取得は3月8日朝(日本時間)である。つまり [cdwdoc-2023-001] の執筆に飽きていて半ば中断状態だった時だ。

2023年8月30日時点ではまだDNSの設定なども何もしていないので、 https://rsdfi.org にはつながらないはずである。

これは「RSDFI」という謎の組織のオフィシャルサイトで、基本的にはジョークサイト。

こういうのも、パッと見て一瞬でジョークサイトと分かる人がいる一方、本気で何か犯罪的なビジネスが行われている(あるいは始めようとしている)とか考える人もいるので、難しいところである。

GitLab Pages使うということは、そのリポジトリの README.md で「ジョークですよ」とくどいほど強調しておくことはできる。でも独自ドメインの場合、HTMLソースなどの中のどこかでリポジトリのURLを書いておかないと、そもそもGitLab Pagesを使っているということが分かりにくいかもしれない。

もしかすると、このRSDFIのサイトのためにAI生成の写真を少しだけ使うことになるかもしれない。イラスト風の画像は一切使わない。あくまでも、実在しない人物のにこやかな笑顔の写真である。

RSDFIのスタッフたちがどうしても必要なのである。いろんな国籍の、とても幸せそうに働いている感じの。

なんかこう、はちきれんばかりの幸福、みたいなの。

rsdfi.org では、静的サイトジェネレーターなどは使わずに、手でシコシコとHTMLをフルスクラッチで書きたい。

もしページが増えてきてビルドが必要になっても、当分の間は rsdfi.org のためだけに書いた自作のスクリプトで行こうと思っている。

今回のプロフィール刷新で、はてなのプロフィールページでインラインCSSをいじったり、nuullmoon.com のサイトのトップページを変更したりして、久々にHTMLを手で書きたくなった。

ちなみにこの rsdfi.org、はてなのプロフィールページの「My Activities on Other Sites」のリストの中にリンクを載せる時は、象徴する一文字は「乱」の予定である。

これは乱数の乱である。

 

huntr.dev

ありそうでなかったタイプのバグバウンティ、huntr.dev。

このセクションではそれなりに踏み込んだことも書くけど、意味が分からないところは飛ばして読んでほしい。詳細にとらわれすぎず、全体として何を言おうとしているのかをつかんでほしい。

こういう話題というのは「専門家」だけが分かっていればいいものではなく、現代を生きるすべての人々に少しずつ関係していることなのだから。

そしてバグハンティングのようなものは、わたくしが取り組んでいることとしては、例えば小説を書くという行為からはかけ離れているように感じる人もいるということは理解している。でもわたくしの中ではさほど大きく離れてはいない。

これらは言語という存在によってつながっていることであり、実際には一つの大きなプロジェクトの中のことなのだから。

わたくしはサイバーセキュリティ全般に興味があるわけではないのである。例えばマルウェア解析などはまったく興味がないし、Windows関連のセキュリティの事情などもまったく知らない。

ちなみにこのhuntr.dev、正式名称は「huntr」なのかもしれない。でも検索してみると求人情報がらみの何かで「Huntr」というがあるらしい。非常にややこしいことに、英語圏のプログラマーの転職などの話題でも求人情報がらみの「Huntr」のほうに言及があったりする。

だからわたくしは特に理由がない限りは「huntr.dev」と表記している。そして「ハンターデブ」と読んでいる。こういう話題について口頭で「発音」するような機会はわたくしにはない。

huntr.devの運営元の418secは、アメリカではなくイギリス・ロンドンのスタートアップである。

huntr.devのFAQは以下。ただし英語。
https://huntr.dev/faq

先に以下のポリシーのページを読んでおいたほうが良いかもしれない。
https://huntr.dev/policy/

このポリシーのページには、「以下のようなものは除くけど」と例外を設けつつ、「GitHub.com 上のすべてのパブリックなリポジトリがこのポリシーの対象」(This policy covers all public repositories on GitHub.com)とある。

基本的にはすべてのリポジトリが対象である、というのがhuntr.devでのポイントだ。

たいていの場合はバグバウンティといえば、幅広く利用されているソフトウェアが対象であるか、ソフトウェア(あるいはサービス)を提供する側が資金を出してバグを見つけてもらう、というのが前提だ。でもhuntr.devは違う。

そもそもバグバウンティとは何なのかというのは、Wikipediaの「脆弱性報奨金制度」を見てもらうのが良いだろう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/脆弱性報奨金制度

バグバウンティには日本人の参加者が少ないとされる。以下は2018年のブログ記事。

おそらく2023年8月現在も、あまり状況は変わっていない。

たいへん悲しいことである。

ところで、わたくしにとって「ハッカー」とは、優秀であるかどうかとか、犯罪的かどうかとか、サイバーセキュリティの専門的知識があるかどうかとか、そういうのは関係ない。センス・オブ・ワンダーを体現しているかどうかが重要である。

そして「訓練」というものは、その内容にもよるが、基本的にはやればやるほどセンス・オブ・ワンダーが失われていく。

14才の時に感じた、プログラミングに対するセンス・オブ・ワンダーを忘れないようにしよう。今の仕事で脳味噌が腐っていってるんじゃないかと心配しているとしたら、たぶん腐っているよ。

ポール・グレアム「素晴らしきハッカー」

上記はポール・グレアム(Paul Graham)の2004年の講演を基にしたエッセイ「素晴らしきハッカー」より。
http://practical-scheme.net/trans/gh-j.html

原文は以下。

Try to keep the sense of wonder you had about programming at age 14. If you're worried that your current job is rotting your brain, it probably is.

Great Hackers by Paul Graham

残念ながらわたくしは14才のころはプログラミングを知らなかった。小学生の時に本に載っているBASICのプログラムを打ち込んだことはあるが、これは自分で書いているわけではない。

14才ではなかったかもしれないが、15才前後にスーパーファミコンの「RPGツクール」のシリーズでトリッキーなことをやるのに熱中していたことならある。無理やりアクションゲームをつくったり、無理やりシューティングゲームをつくったり、無理やりパズルゲームをつくったり。これはもしかしてプログラミングの感覚に近いのではなかろうかと、漠然ばくぜんと思ってはいた。でも確信は持てなかった。実際にそうであることが分かったのは、ずっと後になってからだ。

一見すると無関係に見えるものも、思わぬところでつながっている。

1997年にはJavaScriptを少し触ったりもしたが、プログラミングについて覚醒したといえるのは1998年夏にN88-BASICエヌはちはちベーシックでプログラムを書いた時だ。この時は強烈な感覚があった。もうあれから四半世紀。今年の夏はわたくしのプログラミング覚醒25周年だ。

で、このhuntr.devについてだが。

わたくしは2022年2月にhuntr.devにアカウントをつくった。
https://huntr.dev/users/cleemy-desu-wayo/

huntr.devプロフィールページ、非ログイン状態、2023年8月5日昼ごろ(日本時間)

今回のプロフィール刷新の前後には、特に何も変更はしていないつもりだ。ユーザーが入力可能な部分については、以下の2022年7月時点のアーカイブと何も変わっていないことが確認できるはずである。
https://archive.is/HzBKf

左側のペインの「1 CVE」というのが、わたくしがhuntr.devを通じて報告したもののうち、1つにCVE番号がふられたということである。「1 vulnerabilities」は、わたくしがhuntr.devを通じて報告したもののうち、有効な脆弱性と認められて(「Valid」とマークされて)、かつ公開されたものが1つあるということである。

右側のペインがサイト内での活動の履歴である。このあたりはHackerOneハッカーワンと同じだ。なお、2023年8月30日時点では、わたくしはHackerOneにはアカウントを持っていない。

huntr.devの場合、右側のペインには未公表(まだ修正されていないなど)のものについては何も表示されない。

ログイン状態だと、わたくしのプロフィールページは以下のように表示される。

huntr.devプロフィールページ、ログイン状態、2023年8月5日昼ごろ(日本時間)

ちなみにhuntr.devでバグを報告するには、GitHubのアカウントは必須である。

GitHubにログインしていない状態で右上の「Login」をクリックすると、GitHubのログイン画面に飛ばされるはずである。

GitHub非ログイン状態でhuntr.devにログインしようとした場合、2023年8月26日夜(日本時間)

このhuntr.devは、OSSに特化したバグバウンティのサイトである。

OSSというより、GitHubとシステム的に強く結びついている。前述のように、GitHubにホストされている有名なリポジトリのほとんどすべてがバウンティの対象である。

先ほどのプロフィールページの右側のペインに表示されているものは、GitHubでホストされているOSSの脆弱性に関しての、huntr.devのシステムを通じてのわたくしの関与の履歴ということになる。

個人的には、これがGitLab(サイトとしての GitLab.com)も対象にできないのか気になるところだ。でもそれをやろうとするとhuntr.devの側でシステムの大改修が必要だったりするのか、そのあたりはよく分からない。それが可能なのだとしても、いずれにせよGitHubのアカウントを持っていることは必須になるのかもしれない。

バグバウンティといえばHackerOneが有名だが、基本的にHackerOneの場合は「うちのシステムのバグを見つけてください」という形でソフトウェアあるいはWebサービスを提供している側が能動的にHackerOneで受け付けをするのが前提だ。ここ数年よく「どこそこの企業がHackerOneで脆弱性の報告の受け付けを開始」というようなことがニュースになっている。

https://archive.is/x0nuv (「"hackerone" "脆弱性" "開始"」検索結果)

huntr.devの場合は、GitHubにあるパブリックなリポジトリであればだいたい対象というわけで、huntr.devの存在を知らないメンテナだったとしても報告があれば半ば強制的に巻き込んでいくという側面がある。そして賞金はメンテナが出す必要はない。

「だいたい対象」とはいっても、「read-only」や「archived」なリポジトリは無理だ。

huntr.devのトップページには「in any GitHub repository」とあって、「any」ってどういうこと?んなわけないだろ?と思う人もいるだろうけど、ここはある程度強めに言っておかないと、「まあだいたいすべてが対象」「半ば強制的に巻き込む」というのが伝わりにくいというのはあるかもしれない。

先ほどのポリシーのページにも「all public repositories」とあった。

huntr.devの側としては、「まあだいたいすべてが対象」を強調することはあっても、「強制的に巻き込んでいくシステムです!」とあまり自分から言うことはないだろう。メンテナ側から反発を招くかもしれないからだ。

対象になっているリポジトリなのかどうかは、以下のページで分かる。ログインの必要はない。

このページの「Bounty Calculator」の入力欄に、例えば
https://github.com/hestiacp/hestiacp
と入力すると、右端に「$0」と出る。

hestiacp/hestiacp

2023年8月現在は賞金が出ない状態であることが分かるが、右下に「Submit report」のリンクがあれば報告はできるはずである。

賞金額は自動で算出されるが、例えば超有名プロジェクトのVim(vim/vim)などであっても「$0」だったりする。

vim/vim

openjdk/jdk だと「Up to $75」(最高75ドル)と出た。

openjdk/jdk

「Boosted Projects」なリポジトリの場合はかなり高額の場合がある。例えばTypeScriptで書かれたWikiシステムのOutline(outline/outline)だと「Up to $2000」と出た。

outline/outline、2023年8月31日午前3時ごろ時点(日本時間)

huntr.devのようなサイトでは、特定のプロジェクトだけが高額になるのではなく、マイナーなプロジェクトにも賞金が出たほうが面白くなりそうではある。そのためにはOSS全体のセキュリティ向上のために資金を提供したいと考える人がもっと増える必要があるのかもしれない。

特定のプロジェクトだけが安全になるように資金を出すことと、OSS全体が安全になるように資金を出すことの対比は、この記事のpixivFANBOXのセクションで言及したポール・グレアム(Paul Graham)のエッセイでの使途制限のある寄付(restricted donations)と使途制限のない寄付(unrestricted donations)の対比に類似している。

さてここで、報告できないパターンについても見てみる。

例えば openjdk/jdk ではなく openjdk/jdk21 にしてみると以下のようになる。

openjdk/jdk21

右下の「Submit report」のリンクは消え、代わりに茶色の背景で「Not accepting contributions」の表示がある。これが出ているということは、huntr.devでは報告できないということである。

この「Not accepting contributions」の部分にマウスをかざすと以下のようなツールチップが出る。

openjdk/jdk21

The repository has either its own security policy, is read only, archived, a fork or empty.

こういう場合は無理ということである。

生きているプロジェクトでかつ超有名なものの中でも、例えばRuby本体(ruby/ruby)も無理だったりする。

ruby/ruby

この場合は「Submit report」のリンクの代わりに「Read security policy」となっている。Rubyの場合、このリンク先は以下。
https://github.com/ruby/ruby/security/policy

上記のページにはURLが記載されているだけである。そのURLからさらに飛ぶと www.ruby-lang.org 内のセキュリティポリシーのページに行く。そこに報告はHackerOneのほうで、と明記されている。

こういうのはhuntr.devがポリシーの内容を自動判別しているということなのか、そのあたりのことは知らない。

単に報告できないだけではなく、以下のように表示されることもある。これはPython本体(python/cpython)の場合。

python/cpython

Opt-out 😢

This repository has opted-out of our disclosure program. Please view their security policy for more information.

オプトアウト(opt-out)ということで、これはおそらくメンテナ側がhuntr.devを明示的に拒否しているということである。

ちなみに「Why do I have this issue?」のリンクはhuntr.devの「Contact us」のページに飛ぶようになっている。

何かあったのかは分からない。

以下のReDOSの脆弱性の報告(2021年12月)でのやり取りの中には、メンテナ側の「自動メッセージによるスパム行為をやめろ」(Stop spamming us with automated messages)というメッセージはある。
https://huntr.dev/bounties/4adbcccf-fb0a-4996-bea4-8da2bf2942b1/

https://huntr.dev/bounties/4adbcccf-fb0a-4996-bea4-8da2bf2942b1/

しかもこれ、メンテナの側がレポートを「Invalid」とマークしてしまい、そのあとでhuntr.devの運営側(CTOのJamie Slome)が「Valid」とマークし直すということが起こっている、という。

わたくしはじっくり確認したわけではないが、この件はおそらく以下のIssueと同じである。

huntr.dev経由の報告についてメンテナ側の反応というのは様々で、以下のように「CVEって何?」という質問が発せられる場合もある。
https://huntr.dev/bounties/fc4eb544-ef1e-412d-9fdb-0ceb04e038fe/

https://huntr.dev/bounties/fc4eb544-ef1e-412d-9fdb-0ceb04e038fe/

ARAX-UIというのはバイオメディカルやバイオインフォマティクスで使われるソフトウェアのようで、研究活動のインフラとしてもhuntr.devのようなサイトが機能し始めているということなのかもしれない。

[cdwdoc-2023-001] でも引用したが、『バイオインフォマティクスデータスキル』(邦訳は2020年刊、原著は2015年刊)には以下のような箇所がある(邦訳P.9)。

残念ながら、ほとんどのシークエンシング実験は試験管の段階から再現するには費用がかかりすぎるために、私たちはますます“計算機内での再現”(in silico reproducibility)だけに頼ることが多くなっている。

『バイオインフォマティクスデータスキル』

バイオインフォマティクスはOSSへの依存が高まっているが、バイオインフォマティクス向けのソフトウェアに関わる人は、一般的な意味での「エンジニア」とも広い意味での「ハッカー」とも、認識のギャップがあることが多い。

Vimでの例を見てみよう。

huntr.devでのVimへの報告ではよく、報告者が提示するPoC(コンセプトを提示するためのコード)が「too long」だからもうちょっと簡潔にできないものかとメンテナ側が依頼して、報告者側が短くすることに成功してから「Valid」とマークしている。

メンテナ側が修正や告知をせずまたhuntr.devでの報告を「Valid」にせずに放置しているようなプロジェクトもあるようだ。

報告者がGitHubの該当リポジトリでIssueを立てて、放置状態のレポートを「Valid」にしてくれと訴えるケースもある。以下はFruityWifiの場合。

2023年8月30日現在、このIssueで提示されている4つのレポートはすべて非公開の状態で閲覧できない。

メンテナ側が日本人の場合も当然ある。

以下では、メールがJPCERT/CCのアドレスに送られてしまっているから変更してほしいとhuntr.dev側に依頼している。
https://huntr.dev/bounties/d44def81-2834-4031-9037-e923975c3852/

SECURITY.md にJPCERT/CCのことが書かれているからなのかもしれない。
https://github.com/weseek/growi/blob/9650d68a1916ff4598bba4e5fe91c66762a406ea/SECURITY.md

GitHubにあるプロジェクトでは、最近ではメンテナ側で最初からhuntr.devを使って報告するよう指定することも増えているようだ。

GitHubやGitLabでは SECURITY.md というファイルにセキュリティについてのポリシーを書いたりするが、この SECURITY.md にhuntr.devのことが明記されている場合があるのだ。

https://archive.is/9Mln4 (上記の検索結果、2023-07-30 08:45 JST)

バグを見つけた人が「これって脆弱性だろうか?どうやって報告しようか?」と思っている時に SECURITY.md に明記されていることに気づけば、「おお、最近はそういうのがあるのか」とメンテナ側の記述によってhuntr.devの存在を知る報告者もいるのかもしれない。

以下の例のように、SECURITY.md が無くて脆弱性報告の窓口が不明な場合には、huntr.devの運営側がGitHubの該当リポジトリでIssueを立てて、メンテナに SECURITY.md を用意するように呼びかけたりするようだ。

ちなみに上記のレポートは、報告者がおそらく日本人である。少なくともブログには日本語の記事がある。
https://blog.ryotak.net

同じ報告者によるもので、pxb1988/dex2jar が反応せずに放置状態のため、フォークしたリポジトリの thexxturboxx/dex2jar のほうで報告し直したとおぼしきものもある。

これは、おそらくそれぞれの発言の内容からはそうだろうとわたくしが推測しただけであり、本当にこの解釈で正しいのかは知らない。

まあそういうわけで、いろんな意味で「ありそうでなかった」というhuntr.devなのだが、2023年夏時点では、huntr.devの日本語での言及は少ない。

https://archive.is/0JVsQ (「"huntr" "脆弱性"」検索結果)

ちなみに報告するだけならば個人情報の入力などは要らない。GitHubにアカウントを持っていれば、huntr.devのアカウントをすぐに作成可能で、その後すぐにでも報告が可能な状態だった。もちろんGitHubで有料のものを一度も利用したことがなくてもかまわない。報告するだけなら何の費用もかからない。

これらはあくまでも2022年前半の時点のことなので2023年8月現在でもそうなのかは知らない。

わたくしはgitのこともGitHubのこともよく知らないが、huntr.devはサイトの構成がシンプルなのでなんとかなった。

毎日使っていたりするとどう思うのかはしらないが、今のGitHubはわたくしから見れば異様に複雑である。

関わりが薄い人にとっては脆弱性というと「なにそれこわい」となりがちだが、このセクションで紹介してきたやり取りを眺めていると、考え方やスタイルは様々であることが分かる。

サイバーセキュリティの周辺というのは、ともすればハッタリやマッチョイズムが横行しがちで、こういう風にオープンになっているのは良いことだと思う。

そして自分のことを「関わりが薄い人」だとする認識がほとんどの人にとって一般的だとはいえ、現代の太陽系において脆弱性と完全に無関係でいるということは不可能である。

もしあなたが砂漠の真ん中に住み、あらゆる電子デバイスを遠ざけてたった一人で暮らしていたとしても、明日あなたの頭の上に人工衛星が落下してくるかもしれない。その落下はたった一つの脆弱性を利用して引き起こされたものかもしれないのだ。

脆弱性と無関係でいたければ、命を断つか太陽系の外に逃れるしかないだろう。

ちなみにバグハンティングというのは、誰かと競争しているわけではない。もちろん競争的に取り組むことは可能ではある。

そして、誰かと対決しているわけでもない。

メンテナと報告者の対比は、望遠鏡職人と小惑星ハンターの対比に近い。

見つける対象がソフトウェアの中にあるのだから、顕微鏡を使って顕微鏡の問題点を発見するという例えも近いといえば近いのだが、脆弱性というものが持つ性質を考えると、やはり望遠鏡職人と小惑星ハンターなのだ。

ところで、2022年4月にわたくしがhuntr.devを通じて報告したいくつかのうち、2件が有効な脆弱性ぜいじゃくせいとして認められた。そのうちすでに公表されたものは1件。

報奨金は2件合計で42ドル。

以下は、わたくしのPayPalペイパルのアカウントでその42ドルを受け取ったことを示すものである。2022年7月13日早朝(日本時間)のスクリーンショットである。

PayPalの画面

実際に賞金を受け取るにはOpen Collectiveオープンコレクティブのサイト上で住所の入力が必要だったし、自分のPayPalのアカウントから自分の銀行口座に移す際にはPayPalが実施する本人確認にパスする必要があった。

個人情報を誰にも伝えたくなければ、そのまま賞金の受け取りの手続きをせずに放置することもおそらく可能である。

上記のスクリーンショットはわたくしがPayPalの自分のアカウントにログインした状態で表示されるものだが、Open Collectiveのサイト上では、この賞金の授受についての情報が誰でも非ログイン状態で閲覧可能である。サイト上であらゆる資金の流れが捕捉可能で、透明性を確保しているわけだ。Open Collectiveは「full transparency」をうたっている。

非ログイン状態だったり、関係しないユーザーの場合には一部個人情報やコメントなどについては伏せられる。

今回の場合は以下。

https://opencollective.com/huntr/expenses/78536

英語の設定(intl.accept_languages の値を変更)だと以下。

https://opencollective.com/huntr/expenses/78536

スクロールしていくと「Additional Information」の欄があり、そこに「支払先」が「cleemy desu wayo」になっている。

https://opencollective.com/huntr/expenses/78536

英語の設定(intl.accept_languages の値を変更)だと以下。

https://opencollective.com/huntr/expenses/78536

「#78536」というのは先ほどのPayPalの画面上にもあったものだ。

Open Collectiveについての日本語の言及も少ないが、noteにはいくつか関連する記事があった。

先ほどのPayPalの画面上で「支払人」のところに「Open Source Collective」とあったが、わたくしが請求書(INVOICE)を提出した(とは言っても自動的に作成されたもの)その先のコレクティブ(団体)というのはhuntr.devだが、このhuntr.devの財務ホスト(FISCAL HOST)がOpen Source Collectiveである。

Open Source Collectiveについては、以下のページに、accounting(会計)やinvoice(請求)の世界における「API」なのだ、とある。

賞金が発生(受け取ったとは限らない)したことをhuntr.devのサイト上で確認するには、
https://huntr.dev/repos/hestiacp/hestiacp/
にアクセスし、「Policy」「Hacktivity」とあるところの「Hacktivity」のほうをクリックすると、これまでの hestiacp/hestiacp での報告についての履歴が出る。

https://huntr.dev/repos/hestiacp/hestiacp/

この履歴の中にわたくしが報告した「Sed Injection Vulnerability」もあり、「$18」とある。

わたくしの認識では、これは本当は27ドルである。先ほどのOpen Collectiveのサイトの「Bounty Payout」のページにもあったように、脆弱性本体が15ドル、Occurrencesが3ドル×4個で12ドル、計27ドルである。「Occurrences」については後述。

ちなみにURLの「repos」とはリポジトリであり、「reports」ではない。

ところでわたくしの報告した分、公表された分についてはガッツリ、サーバーサイドRCEである。

つまり、オーソドックスな設定で運用されているHestiaCP(の報告時点での最新版)で、非常にベタな意味でのリモートからの攻撃で、サーバー側でroot権限での任意のコードの実行が任意のタイミングで可能である。

以下がわたくしのレポートである。

https://huntr.dev/bounties/09e69dff-f281-4e51-8312-ed7ab7606338/

左側のペインにあるのが、わたくしが入力したレポートの本文である。報告直後にはこのレポートは、わたくし(researcher)と、メンテナ(maintainer)と、huntr.dev運営(admin)だけが閲覧可能なわけだ。

メンテナかhuntr.dev運営が「Valid」にするまでは、わたくし(researcher)は何度でもレポートの内容を修正できる。下の方にズラズラと「modified」が並んでいるのは、わたくしが何度も変更したということだ。ちなみにメンテナの側も、CVSS(脆弱性の深刻度の指標)を変更できる。またレポートの中身についても、メンテナの側がコメントによって変更の提案をすることも可能ではある。

レポートの下には、こういう変更の履歴など、コメントのやり取りなども含めてそのまま載っている。

問題が修正されて公開の状態になれば、上記のページはログインしなくても誰でも閲覧できるようになるわけだ。

メンテナ側がアサインを希望した場合や有名プロジェクトの場合は、脆弱性にはCVE番号(CVE ID)というものがふられることがある。

今回、この場合は CVE-2022-1509 になった。

アメリカ政府が運営するNVD(National Vulnerability Database)での CVE-2022-1509 の情報は以下。
https://nvd.nist.gov/vuln/detail/CVE-2022-1509

このページの「References to Advisories, Solutions, and Tools」のところに、先ほどの huntr.devでのわたくしのレポートへのリンクがあるはずである。

ちなみにこれは、HestiaCPヘスティアシーピー(「Hestia Control Panel」)という名前の、配布されているソフトウェアのバグをわたくしが見つけたということである。

有名サイトの脆弱性を見つけたわけではない。もっとも、有名サイトが何らかの形でHestiaCPを利用しているケースがあったりする可能性というのは、なくはない。

有名サイトは多数のユーザーが集まる場所だが、「有名サイトのバグを見つけた」と言った場合には、たいていまずは「そのサイト固有の問題なのかな」ということを考える。配布されているソフトウェアの場合、それを使用しているすべてのコンピュータに影響する可能性がある。そしてOSSの場合、世界中のどこでどんな風に使われているかは正確には誰も把握できない。

先ほど「Occurrencesが3ドル×4個」と書いたが、わたくしのレポートの下のほうに「Occurrences」があるはずだ。

https://huntr.dev/bounties/09e69dff-f281-4e51-8312-ed7ab7606338/

この5つのうち4つに、それぞれ追加の賞金として3ドルずつ出たわけだ。

この「Occurrences」というのは、具体的にコードのどの場所に問題があるというのを指し示すことができる機能だ。修正のあり方によって、追加の賞金が出ることもある。

例えば2番目の「main.sh L1069」というところはリンクになっていて、GitHubの main.sh というファイルの当時のバージョンの1069行目に飛ぶはずである。
https://github.com/hestiacp/hestiacp/blob/baaba4e7361ce448158b9c26b05d51c9eec4f273/func/main.sh#L1069

同じ箇所の修正直後は以下。
https://github.com/hestiacp/hestiacp/blob/d50f95cf208049dfb6ac67a8020802121745bd60/func/main.sh#L1081

HackerOneではソースコードが公開されていない有名サイトのバグについても受け付けている。だから具体的にコードのココだと指し示すことができない場合がある。サイト上の操作で「ここをクリックして、それからここにこう入力して」と言葉や画像で説明するしかない場合があるわけだ。

huntr.devの場合は対象が必ずソースコードが公開されているということが期待できる。このへんが大きな違いだ。わたくしが報告した時点では、必ず一つは「Occurrences」を指定しないと、報告が完了しないようになっていた。

配布されているソフトウェアでかつソースコードが公開されているもの限定というのは、メンテナ側を巻き込みやすい理由でもある。実際に稼働しているサイトの場合、許可されていないのに脆弱性の診断行為をするのはまずい場合がある。でもOSSやPDSとして配布されているコードの場合は、いつでも誰でも誰の許可をとらなくても自由に検証できるというのが前提である。

OSSにおける「フリー」は経営者にとっては無料(free of charge)が何よりも重要なのは確かだが、エコシステム全体としては検証をめぐる自由(freedom)こそが長期的には重要である。

この CVE-2022-1509 については、日本語の解説をいずれnoteで「cdwdoc」のシリーズの中で書く予定である。

ところで、先ほどのOpen Collectiveのサイト上の賞金の授受についてのページの請求項目(invoice items)の一覧には、URLが2種類あったはずである。

一つはわたくしの CVE-2022-1509 のレポートが読める、先ほどのページだ。

そしてもう一つのURLが以下である。
https://huntr.dev/bounties/20233951-78d3-4f89-a770-520a4abbdd6c/

https://huntr.dev/bounties/20233951-78d3-4f89-a770-520a4abbdd6c/

こちらは2023年8月30日時点ではまだ公表されていないわたくしのレポートだ。公開の状態になれば、CVE-2022-1509 のレポートと同じようにレポートの内容が誰でも読めるようになる。URLに「2023」とあるのはおそらく偶然である。実際は2022年4月20日の報告だ。

わたくしのアカウントでログイン状態なら、自分が報告したレポートなので当然閲覧できる。

https://huntr.dev/bounties/20233951-78d3-4f89-a770-520a4abbdd6c/ - ログイン状態

ところで今回、はてなのプロフィールページに追加したものとして、「My Bug Hunting Activity」という長めのセクションがある。

少し長いが引用する(一度引用する時に「少し長いが」を使ってみたかった)。

My Bug Hunting Activity

わたくしの認識では、ZDIhuntr.devは脆弱性ブローカー(vulnerability broker)とかエクスプロイト・ブローカー(exploit broker)とかゼロデイ・ブローカー(zero-day broker)と呼ばれるような存在ではありません。
My understanding is that ZDI and huntr.dev are NOT what you would call vulnerability brokers, exploit brokers, or zero-day brokers.

わたくしはブローカーに脆弱性を販売したことは一度もありません。
I have never sold vulnerabilities to brokers.

脆弱性ブローカーについては id:famasoon による記事をご覧ください。
For more information on vulnerability brokers, see the following article (note: written in Japanese) by id:famasoon.
https://famasoon.hatenablog.com/entry/2016/12/02/231136

わたくしのメインの関心事はロジックと人工言語(形式言語)です。
My main concern is logic and artificial language (formal language).

わたくしは一般的な意味でのサイバーセキュリティの専門家ではありません。
I am not a cyber security expert in the general sense.

https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/ の「My Bug Hunting Activity」

バグバウンティと脆弱性ブローカーは全然違うという話である。

引用した中で紹介した id:famasoon による記事では、「現代の死の商人」という言葉が出てくる。バグバウンティというのは修正のために動くのが前提だから、報告者からすると「兵器化させない」ということである。脆弱性ブローカーの場合は「どうぞ兵器としてご利用ください」ということである。この id:famasoon による記事で挙げられている企業すべてが本当に脆弱性ブローカーといえるのかどうか、また2016年当時そうだったけど今は違うというような企業があったりするのか、そのあたりは知らない。

いかなる種類のバグも、見つけた時点ではただのバグである。

でも見つけた人がどのように振る舞うかによって、意味合いはまったく変わる。

脆弱性やバグバウンティという存在そのものについては、また機会をあらためてということにしたい。

とりあえず今は、バグバウンティの歴史について紹介した「When Bug Bounties Went Boom」という3部作の記事を紹介しておきたい。

「DeepL翻訳」などで日本語に翻訳すれば、だいたい内容は把握できるはずである。この3部作の事実関係の正確さなどはわたくしには分からない。

この3部作の記事では、ZDIやVCPを「第1波」、HackerOneやBugcrowdバグクラウドを「第2波」としてとらえている。3つ目の記事ではアメリカの国防総省の取り組みについても書かれている。

いずれhuntr.devなどが「第3波」のようなものとして捉えられることになるのか、そのあたりもよく分からない。歴史的には特殊なポジションということになるのかもしれない。

HackerOneもBugcrowdも、スタートは2012年。

huntr.devは本格的に稼働し始めたのはおそらく2020年になってからである。パンデミック以降の存在だ。

なお、わたくしが実際に参加したのは、今のところZDIとhuntr.devだけである。

ZDIのほうでは、パブリックな(非ログイン状態で誰でも閲覧できるような)「マイページ」のようなものはおそらくない。だからはてなのプロフィールページの「My Activities on Other Sites」でのリンクのリストには、わたくしのZDIのアカウントへのリンクのようなものはない。

ちなみにZDIでも、報告の際には個人情報を伝える必要はない。受け取りの際にはZDIに直接個人情報を送信する必要はある。W-8BENをPDF形式で送る必要があったが、マイナンバーの記載は必要なかった。小切手か銀行の直接の送金かを選択でき、わたくしの場合は銀行の直接の送金(海外からの被仕向ひしむけ送金)を指定した。狙ったわけではないが、ちょうどロシアへの制裁で国際決済システムの「SWIFT」が話題になっているころ、わたくしはZDIのサイト上で自分の銀行口座がある銀行のSWIFTコードを入力したりしていたわけだ。

ZDIについては、2022年2月に報告した CVE-2022-1271 がわたくしによるものである。こちらも配布されているソフトウェア(zgrepやxzgrep)の脆弱性である。
https://nvd.nist.gov/vuln/detail/CVE-2022-1271

わたくしが独力で発見した脆弱性でCVEが割り当てられているのは、この CVE-2022-1271 が初めてである。

zgrepとxzgrepのコミットメッセージには以下のようにある。

This vulnerability was discovered by:
cleemy desu wayo working with Trend Micro Zero Day Initiative

また、USN(Ubuntu Security Notices)には「Cleemy Desu Wayo discovered that ...」とある。

https://ubuntu.com/security/notices/USN-5378-1

https://ubuntu.com/security/notices/USN-5378-1

ちなみにこちらは2000ドルである。2022年の収入はこの CVE-2022-1271 の2000ドルと、huntr.devでの42ドルだけである。トータルで25万円もいかない。

2022年はドルでしか収入がなかった、というのも妙な感じではある。わたくしは出生地が日本(大阪市内の聖バルナバ病院)であり、国籍も日本であり、日本語話者でない人と口頭で話す機会はほぼ皆無であるにも関わらず。

まあこれも、わたくしの現状、そして今の日本をよく表しているといえるのかもしれない。

ところでzgrepは多くのLinuxディストリビューションで基本的なコマンドとして最初から入っている。RHEL(Red Hat Enterprise Linux)は「最小限のインストール」でもgzipパッケージが入るようだ。IDCによるとRHELだけで世界中で900万台の物理サーバーとのことなので、2022年に5000万台以上の物理サーバーでこの脆弱性のアップデートがかかったはずである。

さらに言えば、noteを含めて、今回わたくしがこの記事(上記の記事のことではなく今あなたが読んでいるこの記事)の中で言及してきたほぼすべてのWebサービスにおいて、そして上記の記事がホストされているITmediaのようなサイトにおいても、プロジェクトに関連して管理されているサーバーあるいは関与する技術者が使用するマシンにおいて、何らかの形でこのアップデートがかかったはずである。

ただし一般論として、zgrepのようなコマンドにある脆弱性の場合は、「zgrepが入っている」というだけではすぐに悪用可能なわけではない。リモートからでもローカルからでもそうだ。[cdwdoc-2023-001] でも述べたが、これはスクリプト言語の標準ライブラリの特定の関数(あるいは特定のメソッド)に存在しているような脆弱性をイメージすると分かりやすいのではないかと思う。

このzgrepの CVE-2022-1271 と先ほどのHestiaCPの CVE-2022-1509 については、共通点がある。

両方とも、わたくしが「sedセドインジェクション」(sed injection)と呼んでいる脆弱性なのである。

セキュリティ情報の収集や研究をしているアメリカのMitre Corporationのサイトにおいて、おそらくこれまでは「sedインジェクション」を一般化できるような概念としてとらえるような記述が見当たらなかった。

でも2023年8月30日現在は、少なくとも以下の2つのページで「sed injection」が登場している。

https://archive.is/pS0oI (「"sed injection" site:mitre.org」検索結果)

「"sed injection" site:mitre.org」検索結果

例えばこの CWE-77 のほうのページについて以下の2つのアーカイブを見比べてみると、「sed injection」について新たに加えられていることが分かる。

前者は2022年5月7日のアーカイブ、後者は2022年6月28日(GMT)のアーカイブ。前者には「Observed Examples」のセクションに「sed injection」がない。しかし後者には「sed injection」があり、わたくしが報告した CVE-2022-1509 も例として挙げられている。「Modifications」のセクションを見る限り、2022年6月28日に変更されたようだ。

上記のページに載っていない脆弱性の中で少し古いものとしては、CVE-2014-0593 などもsedインジェクションの可能性があるとわたくしは思っている。

なお、sedインジェクションはシェルスクリプトを使っていなくても起こる。

例えば、先ほどのMitreのサイトの CWE-77 のページには、ソフトウェアファイアウォールのpfSenseの脆弱性 CVE-2021-41282 も「injection of sed script syntax ("sed injection") 」と説明されていた。

pfSenseの diag_routes.php では、HTTPリクエストで受け取ったデータを加工して文字列(コマンドライン)を生成してPHP関数の shell_exec() に渡している。そこで起こるsedインジェクションである。

問題の箇所は以下。

そういうわけで、シェルスクリプトを一切使っていないからといって、sedインジェクションと無関係とは限らない。

なお、2023年8月30日時点でのわたくしが認識している範囲内では、CVE番号が割りふられている脆弱性の中で確実にsedインジェクションだといえる最も古いものは2005年の CVE-2005-0758 (zgrep)である。でも探せばもっと古いものがあるかもしれない。

CVE-2005-0758 については的外れなことが書かれたページやバージョン番号が間違っているページも散見されるので、先に以下の3つをじっくり見ておいたほうがいいかもしれない。

上記の3つ目については、脆弱性ではなく通常のバグとしてのレポートで、2003年10月のものというのもポイントだ。わたくしがこの2003年のレポートの存在に気づいたのは今年(2023年)の8月9日になってからだ。

コードでの問題の箇所は以下。

Knoppixクノーピクス 3.2(2003年リリース)などでは、上記の「CVE-2005-0758 修正前」のzgrepが入っているため、周辺のことも含めた当時の環境を確認しやすい。

CVE-2005-0758 PoC on Knoppix 3.2

上記はローカルでzgrepの挙動を確かめるだけのものだが、リモートからの攻撃が成立するようなパターンについては、今年(2023年)の8月8日朝(日本時間)にこの記事を書くのを中断して、以下のサンプルを用意した。

フルスクラッチで発作的に20時間ほどで一気に書いたサンプルである。完成したのは、日本時間では8月9日をまわっていた。Knoppix 3.2にはApache 1.3.27やPHP 4.2.3が最初からインストールされており、zgrepも CVE-2005-0758 の対策がされていないバージョンであるため、何も考えずにLive起動してApacheを立ち上げるだけで上記のようなサンプルが気軽に試せるというのがポイントである。

2023年8月8日時点ではWebで検索しても技術的詳細があまり出てこないので、おそらくAIには書けないサンプルである。検索しても出てこないことについて、こういうサンプルプログラムを自分で考えて用意するのが人間の役割ということになっていくのかもしれない。ただし、本当にAIに書けないのかどうかというのは確認はしていない。

もちろん、今はまだAIには理解できない話題であっても、しばらく経てばこういうサンプルプログラムもAIの「エサ」になるのだろう。

huntr.devでのHestiaCPのレポートについては、わたくしは「sedインジェクションなんだから当然サーバーサイドRCE」というつもりで書いていたのだが、むしろsedがらみだからこそ「ローカルからの攻撃なんじゃないの?」とか「ユーザーインタラクションが必要なんじゃないの?」と思ってしまう人がいるかもしれないということに、今回この記事を書いている途中であらためて気づいた。そこで急にサンプルを書きたくなったわけだ。

書き上げてから、もしかしてこのサンプルをもっと早く用意しておけば良かったのだろうか、と思ったりもする。

HestiaCPのレポートも、タイトルを「Server-Side RCE through Sed Injection」とかにしておけば良かったかなあ、と思ったり。最近はXSSでも気軽に「RCE」という言葉を使う。Webシステムの場合、単にタイトルに「RCE」とあった場合、概要を読んで意味がよく分からなかった場合に「どうせまたXSSだろ」と思われてしまう可能性もある。

ちなみにhuntr.devでの報告の際、わたくしが入力したタイトルは「Sed Injection Vulnerability」という3語なわけだが、titleタグにおいてはhuntr.devのシステムが「vulnerability found in...」を追加するため、Googleなどの検索結果では
「Sed Injection Vulnerability vulnerability found in...」
になってしまって、なんじゃそらという感じになった。

「"sed injection"」検索結果、2023年8月28日夕方(日本時間)

8月13日夜(日本時間)になってからは、CVE-2005-0758 の変形パターンともいえるzipgrepの脆弱性についてのサンプルを書いたりもした。これは8月8日に書いたサンプルを一部改変しただけである。

これは太古のzipgrepの話であり考古学的探求であり2023年時点では現実的な影響がほとんどないのだが、実は CVE-2005-0758 のサンプルよりもこちらのほうがサーバー側で動いているプログラム(zipgrepの使われ方)としてはより現実的であり、/tmp ディレクトリにある段階のファイルをスキャンしているのでよりリモート感が強く、しかもPHPの側でチェックしてからzipgrepを実行するというような対策が若干難しい。

ところで、この CVE-2005-0758 のCVE番号割り当てが2005年というのは、なんだか象徴的な感じもする。

そしてzgrepが複数のファイルが指定された時に検索結果の行頭にファイル名を追加することについても、何か宿命的なものを感じる。「行頭」は深遠な問題とつながっているのである。

この CVE-2005-0758 のことも含めて、sedインジェクションそのものについての解説はまた「cdwdoc」のシリーズとして書く予定である。

本当は CVE-2022-1271 についても詳細を書くべきなのかもしれない。でもこれはZDI経由の報告だ。

ZDIの場合、「ZERO DAY INITIATIVE RESEARCHER AGREEMENT」に同意する必要がある。
https://www.zerodayinitiative.com/documents/zdi_researcher_agreement.pdf

この「5.2 Acquired Vulnerability Information.」および「6.2 RIGHT TO REPUBLISH CERTAIN ACQUIRED VULNERABILITY INFORMATION.」の条項は気になるところで、わたくしは CVE-2022-1271 については詳細な記事を書くことができない可能性がある。

ただし CVE-2005-0758 については昔の脆弱性なので自由に書くことができる。

わたくしが考える「sedインジェクション」は、sedの言語としての特性を利用した攻撃である。

そう、こういった話題についても、わたくしにとっては人工言語(形式言語)への関心の一環なのだ。

一般的な意味での「サイバーセキュリティ」ではなく、実際にはこれは人工言語についての関心なのだということが分からないと、2005年になぜわたくしがCSSXSSに関心を持ったのかというのも、永遠に分からないと思う。

ここにはまず基礎研究寄りの探求がベースにあって、「sedインジェクション」はいわば副産物である。そして、ここでさらにバグとしての実例を探すというのは、応用研究のそのまたさらに応用研究ということになる。あるいは本来やっていることから離れてのフィールドワークといってもいいかもしれない。

応用には応用の面白さというのがあるのは確かである。CVE-2022-1509 のレポートにある backdoor.php を生成するための攻撃コードなどは、自分で書いていて気が狂いそうになった。このあたりのことは「おつきさまと殺意」でも述べる。

ちなみにこの CVE-2022-1509 、HestiaCPはWebシステムなのに、どうしてsedの言語的特性を利用したものがサーバー側でのRCE(remote code execution)になるのかというと、ブラウザ(等)からのHTTPリクエストはいったんPHPで処理するが、そのPHPからサーバー内のシェルスクリプトを呼んでいるからだ。そしてそのシェルスクリプトはroot権限で走ることが期待できるのである。

もう一つ重要なのが、「方言」という要素だ。HestiaCPはLinuxのシステム管理をWeb経由で簡単にできるようにしたもの(Webコンパネ)なのだが、こういったLinuxシステムでは、sedがGNU sedであることが期待できる。

このGNU sedには独自の拡張があり、そこに「e」というコマンド(ここで言う「コマンド」はOSのコマンドではなくsedにおける組み込み関数のようなもの)があるのだ。

わたくしが報告したHestiaCPの CVE-2022-1509 については、sedがGNU sedであることが期待できるために、OSコマンドインジェクションが可能になる、というわけだ。

このGNU sedの「e」こそが、SQLインジェクションにおける xp_cmdshell に該当するものである。マイクロソフトのSQL Serverでは、かつては xp_cmdshell がデフォルトで使用可能だったため、SQLインジェクションが起こるとそのままOSコマンドが実行可能だった。

ここでDSLの普遍的な教訓も浮かび上がる。SQLは仕様としては巨大だがDSLであり、sedはより典型的なDSLだ。GitHubのセクションで述べたわたくしの自作のDSLも典型的なDSLだ。

わたくしの自作のDSLについても、「exec:」のような命令を追加することは極めて簡単で、ほんの数行を追加するだけで実現できる。でもそのような「拡張」あるいは「方言」の「新作」は重大な結果を引き起こす。

「方言」と脆弱性の深刻度(severity)に強い関連性があるというのは、当たり前の人にとっては当たり前の話なのだが、これは冷静に考えればサイバーセキュリティの専門家ではない人にとっても面白い話題のはずである。

ところで、わたくしはPatreonのプロフィールページに、英語について以下のように書いている。あまり長くないが引用する。

「huntr.dev」というサイトでは、たまに英語の文章が公開されることがあるかもしれません。
https://huntr.dev/users/cleemy-desu-wayo/
「huntr.dev」に限らず、わたくしが書いた英語の文章はたいてい自動翻訳の「DeepL翻訳」に依存しています。つまり、まず日本語で書いてから自動翻訳にかけています。

そのうちはてなのプロフィールページにも、このことについてのセクションをもうけるかもしれない。

今回のPatreonのプロフィールページ刷新では、「つまり、まず日本語で書いてから自動翻訳にかけています。」という一文を追記した。それ以外の部分は2022年の時点からあったものだ。2022年6月のPatreonのアカウント作成の時点では、ChatGPTはまだ公開されていなかった。ChatGPTが世界を席巻したあとの2023年夏時点では、単に「依存しています。」で終わっていると、ChatGPTのような生成AIが生成した文章を使っているのかと誤解する人がいるかもしれないと考えて、追記したわけだ。

また、「DeepL翻訳」の箇所は去年は単に「DeepL」としていた。「DeepL」が持つ響きが少しずつ変化し始めているから、ここも変更したのだ。2023年1月には「DeepL Write」という文章作成アシストツールが登場したため、DeepLといえば単に翻訳だろうという前提が崩れているのである。

AIをめぐる状況は刻々と変わっているから、時間が経つとどんな誤読が発生するか予測しにくい。

ちなみに2023年になってからはGoogle翻訳の質が若干向上したような気がしないでもない。DeepL翻訳がいつまでブランドを維持できるのかは分からない。

なお、未公表の脆弱性について英語の文章を作成する必要がある時には、当然ながら「脆弱性」でありかつ「未公表」というセンシティブなものを扱っているわけで、DeepL翻訳やGoogle翻訳などのサイト上に入力する日本語では、ファイル名や関数名などはダミーのものを用意している。

また、翻訳サイトが翻訳した英語をそのまま使うのではなく、この言い回しって本当に一般的なんだろうか?といったことをいろいろ検索して確認したりだとか、時には元の日本語の文章をあえて日本語としては不自然なものに変更してから再度自動翻訳にかけたりだとか、いろいろ工夫しながらやっているわけである。

それでも、おそらくネイティブからすれば異様な英語が混ざっているはずである。

まあいろいろ、大変なのである。

今回いろいろ検索していて、HackerOneで日本語のレポートがあることに気づいて驚いた。メンテナ側とのやり取りもすべて日本語。Rubyの CVE-2021-33621 関連である。報告者はおそらく『体系的に学ぶ 安全なWebアプリケーションの作り方』の作者である。

日本語だからなのかどうかは分からないが、NVDのサイトの CVE-2021-33621 のページには上記のレポートへのリンクがない。
https://nvd.nist.gov/vuln/detail/CVE-2021-33621

ところでhuntr.dev、なんといってもトップページが良い。

日本のサラリーマン文化に汚染されてしまった人はぜひ見習ってほしいと思う。
https://huntr.dev

huntr.dev トップページ、2023年7月29日前後

 

めたなぎとSUZURI

ムームードメインなどを運営しているGMOペパボがやっているSUZURI。

わたくしは2020年10月にアカウントをつくった。アカウント名に「cleemy」は入らず、「metanagi」というアカウント名である。

2020年10月ということは、Facebookが社名を「メタ・プラットフォームズ」(Meta Platforms, Inc)に変更するより1年前である。

https://suzuri.jp/metanagi

半ば放置状態になっている。

わたくしは放置しているのに、ずっと購入できる状態が維持されているのはすごいことだ。

このサービス、販売者が用意するのは画像だけである。画像をアップしたらそのままグッズ販売が可能。

それぞれのアイテムに「トリブン」が設定でき、ゼロにすることもできる。

わたくしはすべてのアイテムについて「トリブン」は300円に設定したつもりである。

2023年7月26日現在、販売実績は自分で購入した一点のみ。自分で購入する場合は「トリブン」は上乗せされない。

わたくしは別のユーザーのTシャツを2回くらい購入してみたが、2回ともユナイテッドアスレのTシャツだった。でも多分、SUZURIのサイトではユナイテッドアスレとは明記されていない。

まあ、特定のメーカーの品質が突然落ちたり仕様が劇的に変わったりすることというのは可能性としてはありえなくないから、どのメーカーなのかの明記はしたくないのかもしれない。

たまに「このアイテムについて」(ブラウザが英語設定だと「About this design」)のところに「ユナイテッドアスレ」と明記されているアイテムも見かけるけど、これはユーザー(販売者側)が入力した内容である。これ、本当はまずいんじゃないかと思う。SUZURIの方針の変更や無地のTシャツの在庫状況などによって、実際に届くのはユナイテッドアスレではない可能性があるから。

ところでこういうサービス、似たようなものは他にもあるが、一般的な「アパレルブランド」の概念を解体するものなので面白いと思っている。

そして、注文があってからプリントするので一般的な意味での「在庫切れ」は存在しない。

でも特定の色の無地のTシャツ自体が無くなったり工場の稼働状況などによって、一時的に注文できないという意味での「在庫切れ」はある。

わたくしは今はSUZURIで試しに販売しているだけだが、めたなぎにはいろいろと構想があった。その中には、例えばレーザーカッターを使用した木工細工のオブジェや照明器具(コード付レセップを別途用意してもらう組み立て式)などを、Amazonとヤフオクで売るという構想もあった。

今は木工細工よりも、「めたなぎ出版局」として紙の本を刷ることのほうに大きく傾いている。

最近急増している「ひとり出版社」のようなものとしてクリエイターを発掘していきたいということではない。基本的には自分が書いた一次創作の小説やエッセイを刷るためだけのものだ。

もちろん作者名は「cleemy desu wayo」である。

おそらく表紙にはAI生成画像は使わない。そういう日が来るかもしれないが、やるとしたらずっと先になるだろう。時期が重要ということではなく、AIでやるということによほど面白い意味があるようなものを思いつかない限りは、やらないということである。単に、いかにもありがちでしかも無難であるような表紙をAIでサクッと生成してみました、みたいなのは一切考えていない。

わたくしの今のアイコンも、実際にInkscapeで作成する作業は1日もかかっていなかったかもしれないが、構想には2年以上かけているのである。

ちなみに「面白い意味がある」というのは当然ながら、読者にとって、ではなくて、わたくしにとって、である。

ところで、cleemy desu wayoとしての活動(つまりわたくし個人としての活動)もそうだが、当分の間は「めたなぎ」についても、特定の物理的な場所と結びついているわけではないことは強調しておきたい。これはつまり、物理的な「本拠地」のようなものは地球上には存在しないということである。

2023年夏時点では、たいていの場合、沖縄県内のどこかにいるのは確かである。また、そのうち必要に迫られて「めたなぎ」の事務所の住所をどこにするかを決めなければならない時が来るかもしれず、その時は沖縄県那覇市のどこかということになるのかもしれない。でも2023年8月30日時点では特に具体的な場所の候補があるわけではない。

また、わたくしには「cleemy desu wayo」以外の別名義の活動というものは存在しないが、めたなぎについては「ひとり同人サークル」的な側面がないわけではない。

飛行機代を出してくれる人がいれば同人誌即売会に参加してみてもいいかもしれないと思っているが、コミケや東京コミティアにサークル(売る側)として参加することはおそらくない。

なお、サークルとはいっても、特にわたくしからの情報開示がない限りは、別の人に手伝ってもらっているということはない。

わたくしのような活動のあり方の場合、公開されている領域での日本語の文章が「実はわたくしが書いたものではない」という状況が発生することについては、慎重であるべきだと思っている。

これは今回プロフィールページを刷新して気づいたことでもあるが、こういうのを自分でチマチマといじったりするのはあまり頻繁にはやりたくないなあと思いつつも、やっぱり何もかも自分でやって良かったという思いもあるのだ。

表に出てこない領域で手伝ってほしいことというのは、ないわけではない。文献探索とか。資料の調達とか。動作確認とか。ビルドに時間がかかるソフトウェアのビルドをして、ビルドの手順や注意点を整理して、ビルド直後の状態を保存(VirtualBoxなら「仮想アプライアンスのエクスポート」みたいなの)しておいてもらうとか。食料のまとめ買いとか。わたくしの代わりに図書館に本を返しに行ってもらうとか。

ウーバーイーツのリュックとともに待機中な人を見かけると、この人に今100円を渡したら図書館に本を返しに行ってもらえるんじゃないかと思う時もある。バイクなら一瞬だしなあ、とか。わたくしは依頼で動いているわけではないから予定が詰まっているというような意味での忙しさは完全に皆無だけど、それでも猫の手でも借りたいと思う時はやはりある。

まあ、でも。お金は出せないけど労働なら提供できる、という人がもしかしたらいるかもしれないけど、当分の間はそれよりもpixivFANBOXの「100円パトロン」になってくれたほうがよほど嬉しい。クレジットカード不要だし。

わたくしとしては、「労働を提供できるというなら、100円は出せるんじゃない?」と思ってしまうのだ。

労働をしてしまったら、飲み物も買いたくなるだろうし。

そして実際にパトロンがいれば、保護課に対しても、遊んでるわけじゃないんだということを具体的な事実によって示せる。これはわたくしにとっては極めて重要なことなのだ。

ところで、物理的に本を刷るということについては、生活保護を受給中の身分でそれが許されるのか、というのはある。

わたくしの場合、生活保護を申請する前からずっと、狭義きょうぎのギャンブルだったりゲーム内課金だったりとかそういうことには1円も使っていないし、申請後は飲食店の店内利用などにも1円も使っていない日々なわけで、本を刷ったりとかそういうものこそが自分にとっては重要な文化的活動だという思いはある。

厚生労働省が考える「健康で文化的な最低限度の生活」というのが実は「テレビとYouTubeだけみてろ」ということの可能性はあるが、テレビをまったく見ないわたくしとしては、本くらい刷らせてほしいと思う次第なのである。

また、文章を書いていてそれを経済的自立につなげようとしていることは生活保護の申請の時に伝えてある。そう、やはり本を刷るというのも、経済的自立のための活動の一環なのだ。印刷したものを名刺代わりにしようともしているわけで、それを保護課がやめさせようとするということはおそらくないはずである。

何より、最近の同人誌の印刷所には「1冊から」というのがある。送料が込みでも500円〜2000円というような金額で、1冊だけ刷ることができるのである。版をつくらないオンデマンド印刷ではそういうことができる。最近ではオンデマンド印刷しかない印刷所もあったりする。

毎月1冊だけ刷って、それを少しずつ人に配ってもいいと思っている。

何度か [ 試し刷り : 非売品 ] のような大きな印のあるものを印刷してみて、印刷品質的に問題なさそうであれば、ブックパレットの「ISBN&JANコード付与サービス」のような格安のサービスを利用してISBNを取得し、国会図書館に納本しつつAmazonや楽天ブックスでも購入可能にする、というのも考えている。

「ちょ製本工房」という印刷所は、ちょこっと気になってはいるのだが、代表の人の名前で(ダブルクォーテーションなしで)検索した時の検索結果をどのようにとらえていいのか分からない。

https://www.google.com/search?q=鳥居実

「鳥居実」検索結果、2023年7月25日前後

画像が捏造ねつぞうではないことを示すためにも、検索結果をアーカイブしておいた。
https://archive.is/OOLlD

ところで、少なくとも『ダグラス・ジェネルベフトと7人の暗殺者』については、紙の本でも横書きにしてみたいと思っている。

大手出版社から出た横書きの小説としては、『青猫の街』(1998年刊、新潮社)や『クレオパトラの黒い溜息』(1984年刊、講談社)がある。芥川賞受賞作の『abエイビーさんご』(2013年刊、文藝春秋)も短編としては横書きだが、本としてはリバーシブルだ。

『青猫の街』と『クレオパトラの黒い溜息』と『abさんご』の表紙
『青猫の街』と『クレオパトラの黒い溜息』と『abさんご』の表紙

『青猫の街』については「あ、これ、絶対読んどかなあかんやつやわ」と思いつつ25年近く経過してしまい、いまだに最後まで読んでいない。おそらく1998年か1999年に新品を購入したはずだが、行方不明である。写真に映っているのは数年前に古本で書い直したものだ。

『青猫の街』には、URLやメールアドレスが頻繁に登場する。

『青猫の街』P.102(の一部)
『青猫の街』P.102(の一部)

『クレオパトラの黒い溜息』の帯には以下のようにある。

『クレオパトラの黒い溜息』の帯
『クレオパトラの黒い溜息』の帯

戦後生まれが横書きの教科書(国語を除く)で学び、ノートを取るのも、手紙を書くのも横なのは、やはり読みやすく書きやすいからでしょう。間もなく、その世代はワープロを主要な筆記具にするでしょう。欧米でタイプライターがペンに取って変わったように。ワープロの表示画面は横書きです。どうしたって日本語は横書きが主流になるに違いありません。その戦後生まれが人口の過半数を占めた今日、小説が縦書きでは読者に不親切というものです。まして、主に若い方々を対象に書いている私の場合は。それが本書を横書きにした最大の、そして唯一の理由です。

『クレオパトラの黒い溜息』の帯の作者からのメッセージ

1984年ということは、約40年前の「メッセージ」。

なお、わたくしは日本で刊行される紙の本が横書きばかりになってしまうのもつまらない状況だと思うし、夏目漱石なつめそうせきや『ドグラ・マグラ』を横書きで読むのが良いとは思っていない。

ところで今回、あらためて「めたなぎ」や「metanagi」で検索してみて、意外にかぶっていないということに気づいた。

去年(2022年)はひらがなとカタカナばかりで検索していたので気付かなかったが、「メタなぎ」については「メタ凪日本」というタイトルの2021年10月のブログ記事があったようだ。

でもまあ、基本的にはかぶってないと言ってよさそうだ。

それにしても、こんなに魅力的な響きなのに本当にかぶっていなくて大丈夫なのか、日本の文化的状況はどうなっているのか、と心配にもなってくるが、とにかくかぶっていない。

そういうわけで7月22日夜(日本時間)に metanagi.com を取得した。

バリュードメインの残高が少し残っていて、 .com はキャンペーン中で500円だったからというのもある。

結局これも取得だけして実質的に放置、ということになるかもしれない。

ただし、特にわたくしからのアナウンスがない限りは、サイトは放置状態だったとしても「めたなぎ出版局」の構想自体は進行中だと思ってもらっていい。

サイトについては、rsdfi.org のほうでGitLab Pagesを使ってみて良さそうならこっちでもGitLab Pagesを使うかもしれないし、比較のためにあえてこっちではGitHub Pagesを使うということになるかもしれない。

 

質問箱系サービス

すでに利用しているわけではないけど、今後使うかもしれないものとして。

よほど荒れたり宣伝や挨拶のようなコメントばかりになったりしない限りはnoteのコメント欄は開放しておく予定だが、目立ちたくない場合や自分が誰なのかは伏せたいという場合もあるかもしれない。

類似サービスはいろいろあるけど、最近は「お題箱」が気になっている。Twitterのアカウントがなくても利用できるからだ。これなら毎回捨てメアドを取得してメッセージを送信することも可能だ。

今回、はてなのプロフィールページに以下のように書いた。

https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/ の「Contact Me」

そのうち「お題箱」のようなサービスを利用するかもしれません。ただし基本的にリクエストは受け付けていないということと、アイディアを送ってこないでほしいと思ってます。
https://togetter.com/li/1911590
(2023-07-17)

https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/ の「Contact Me」

リクエストは受け付けてないとはいっても、「ツイートが存在しませんと出ますが、削除したんですか?」とかのような一行だけのメッセージがあったとして、その後にそのことについてわたくしが記事を書いたとしたら、実質的にリクエストに応えたことになる。

基本的には、純粋な質問はここで考える「リクエスト」ではない、ということになる。

「○○の事件についてはもうご存知ですか?」とかは、状況によっては若干「リクエスト」寄りといえなくはないかもしれない。

あと、実用性の高いプログラムのコードについては、改善案というのは「リクエスト」であると同時に「アイディアを送る行為」である。こういうのも拒絶するというのはおかしい。

まあ基本的には、リクエストやアイディアを送る行為を禁止したいというのは小説についての話である。

 

おわりに

わたくしがこんなにまとまった形でいろんなWebサービスについて書いたりとか、おそらく初めてのこと。

「○○についてもっと詳しく書いてほしい」というようなことを思う人もいるのかもしれないが、心情的には、1円も出したことがない人にはそれを言わないでほしいという思いもある。

何気なく書いているように見えるかもしれない文章にも、それなりのコストがかかっているのである。

でもあまりそれを強調すると、「交換」の文脈に引きずり込まれることになるわけだ。基本的には、お金を出した人の意見だからといって優先させるということはない。ただし、具体的な支援をしてくれた人の意見は、とりあえずただのイタズラではない可能性が高いという判断にはなりやすいかもしれない。

絶望的にお金がないけどわたくしが書いたものは切実に必要としている、という人がいるかもしれないということについては常に念頭に置いている。

ちなみにこの記事は最初、全体で8000字くらいにしようと思っていた。でも、はてなのセクションだけで1万8000字を超えるようなものになってしまった。まあ、はてなとあまり関係ない話題も含んでるけど。

そして全体では13万字を超えた。なぜこうなる。

もっと短い記事を頻繁に発信したほうがいいのかもしれないけど、「次から次へと」は苦手だ。

発信と構築というのは、基本的に相性が悪い。

今回この記事を書いてあらためて思ったのだが、わたくしは発信ではなく構築がしたいのだ。

というか、それしかできないのである。

それに今は具体的な支援を求めていることもあり、適当に書き散らかしたものを見て「こういうのを書くのを支援してほしいということなのか」と思われるのもどうなんだろうか、とか思ってしまったり。

さて。

こんな風にWebサービスについて書いたりするのは、次は10年後とかになるかもしれない。

その時のWebはどんな風景だろうか。

   とりあえず、まずは生活保護から脱出したいと考えております。