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[activity-report] 2023年10月活動報告

2023年10月の活動報告です。

⬅️ 前回はこちら(2023-09)

次回はこちら(2023-11)➡️


[overview]

  • 10月にnoteにアップした記事: なし(9月の活動報告ならある)

  • 10月になろうにアップした小説: なし

  • GitLab.com : 10月1日〜10月2日に xxxd0.1 および noshow.sh の細々とした変更、10月18日〜10月21日に yass (新規作成プロジェクト)


[on-repeat]
on repeat in my physical room。
10月によくわたくしの部屋(物理的な部屋)でかかっていたもの。


[on-repeat]
先月(2023年9月)は以下。


[on-repeat] で挙げるアーティスト名については今後もずっと英語表記にするかもしれないけど深い意味はない。


[correction] [code]
バリュードメインでの unloaded.me の取得、500円じゃなくて920円だったかも。


[code]
前回書き忘れていたこと。
9月22日に立ちデバッグを久々にやったんだった。
那覇の新都心のエディオンの店頭のMac。
このころは、なんとか9月中に [cdwdoc-2023-002] を完成させようと焦っていた。


[code]
この9月22日の時は、以下が想定通りに動くのを確認しただけ。


[code]
あとはまあ、これに関連して type コマンドの出力のあり方を確認したりとか。
ちなみにこの日触ったmacOSのバージョン、sw_vers の結果では、バージョン「13.5.2」でビルドは「22G91」だった。


[code]
この時は、コマンドの挙動とかそういうことより。
GitHubやGitLabの自分のプロフィール表示させてみて、shields.io の画像とかがわたくしの自室にあるモニター(1920x1080で22インチぐらい)とだいぶ違うように見えて驚いた。
いやなんかもうこれ、全然違うやんけっていう。
店頭で確認したのは、4.5KのRetinaだった。
いやそもそも「4.5K」て何?ていう。


[code]
エディオンがアップル製品の店頭での展示をやめてしまったりする日が来たりしないか不安。
そういうわけで、エディオンでアップル製品を買う際には、
「店頭で実際に触ってみることで購入を決意しました!!!購入前に触るの重要!!!」
みたいなことをアンケートに書いていただけると、わたくしに対する間接的な支援となるかもしれない。


[code]
いや、嘘を書くのはよくないけど。
もし本当に店頭で触ってみて購入の意思がより固まったとか、そういう要素が多少ともあるなら。


10月5日。当然ながら、日付が変わってすぐお金をおろした。
夜になってから、今年になって初めてのピザ。Mサイズ25.4cm。
もちろん一人で完食。
クーポン適用で2370円。


クーポン適用できるように麦職人を頼んだ。
サザンスターはたまに買うけど麦職人は久々。


ピザをたまに食べておかないと、左脇腹の痛みのコンディション確認活動ができないんよな。
2018年や2019年は脂っこいものやアルコールで痛みがすぐ(食後30分後〜数時間後)に強くなることが多かったが、最近少し「非同期的」になってる。


10月6日の夜、那覇の新都心のTSUTAYAに行ったんだが。
2FがTSUTAYAではなくなっていたということを知らず、
「えっ!?ハァッ!?えっ!?ハァッ!?」
としばらく呆然として、事態を飲み込むのに20秒ぐらいかかった。
2023年5月でレンタルコーナーは終了だった模様。
ゲオの2Fはゲオのままだった。


10月7日の夜は駿河屋するがやに再訪したわけだが。
今年はあんまりデニムショーパンをはいてなかったなあ、ショーパン履くなら今日が最後かなあ、と思ってショーパンで行った。
今年の夏はショーパンよりも5分丈ごぶだけレギンスの汎用性の高さに目覚めた年だった。


レギンス率高かったが、もちろんショーパンの良さも忘れていない。
全人類がショーパンの良さを忘れても、ラスト・ショーパン・ヒロインでいたい。


「レギンス」という言い方はそれなりに意味があって。男性目線だと「スパッツ」になりやすい気がして。
なんか最近、ショーパンとか水着とか下着とかより5分丈レギンスのほうがかえってエロくないか?と思う時があるのだが、この「エロい」は必ずしも男性目線での「シコい」とは限らない。


10月7日に駿河屋に行く前に、希望ヶ丘公園に立ち寄った。
奥武山おうのやま公園からあがる花火、希望ヶ丘公園から見えるかもと思って高台に登ってみたわけだが。
見事にマンションで隠れてしまった。

奥武山公園からあがる花火を希望ヶ丘公園から見た様子、2023年10月7日撮影
奥武山公園からあがる花火を希望ヶ丘公園から見た様子、2023年10月7日撮影

10月7日の夜、駿河屋から帰ってきた直後。

わたくし(cleemy desu wayo)、自室にて、2023年10月7日撮影(自撮り)
わたくし(cleemy desu wayo)、自室にて、2023年10月7日撮影(自撮り)

椅子に座ってるのを上から見てるから、若干足が太く見えるな。


10月7日の夜、駿河屋から帰ってくる途中で小雨。
赤信号の間だけ雨宿りしようと思って軒先に入ったが、すぐに見知らぬ男性も入ってきた。
何かをわたくしに言ったようにも聞こえたが、最初はとりあえず聞こえないフリした。
全身が硬直してた。


その男性は、そろそろ青信号に変わりそうというあたりで
「あの、これ、ナンパとかじゃないんですけど、大丈夫ですか?」
と聞いてきた。
わたくしは無言でうなずいた。
男性はそれ以上話しかけてこなかった。
「あなたが話しかけてきていること以外は大丈夫です」
とか言ったほうがよかっただろうか。


だが、これは本当に起こったことなのだろうか?
そもそも10月7日にショーパン姿の人物は本当に駿河屋に入店したのだろうか?
仮にそういう人が来ていたとして、それは本当にわたくしなのだろうか?
こういったことを、あなたはどうやって確認すればいいのだろうか?


10月9日深夜(日本時間)、「noteをはじめて3周年記念」のバッジが表示された。


10月10日、麦チョコを散乱させる活動を久々に実施した。
そのかいもあってか、10月11日の夜にようやく9月の活動報告をアップできた。

麦チョコを散乱させる活動、2023年10月10日撮影
麦チョコを散乱させる活動、2023年10月10日撮影

10月11日に9月の活動報告をアップ……うん。
これ、早速「納期」が守れてない。
毎月10日までにアップしようと決めてたのに。


10月11日にアップした9月の活動報告の中ではゲームのこといろいろ書いたりしたのに、なんかわたくし自身は最近あまりにもゲームやってなさすぎなのでは?とか思って、10月15日午前中(日本時間)から10月17日にかけてPS1のゲームをやったりしてた。
そしてまともに動くゲームコントローラがないことを思い出した。


『Wipeout XL』とかもキーボードだけでやってた。しかもPCSXRのデフォルトのキーマップのまま。
結果的には、「ネジコン必須」といわれる『Wipeout XL』だけどキーボードだけでもそれなりになんとかなるのでは?という検証をすることになった。
まあ、この検証は去年もちょっとだけやってたけど。


去年もずっと、ゲームコントローラをはやく買わんとあかんなあ、とは思ってた。
約1年前の2022年11月から生活保護を受給し始めてるけど、まだずっと購入できてない。


ちなみに『Wipeout XL』(1996年発売)については、わたくしが実際にハマってたのはたぶん1999年か2000年あたり。PS2でやってた可能性もある。
1998年ごろはサターンは持ってたけどプレステは持ってなかった。
でもあらためて確認したらサターン版の『Wipeout XL』もあるんだな。


前回の9月の活動報告で書いた『Depth』ってこっちね。
ぜんぶ大文字で『DEPTH』と表記すべきだったか。
今回ちょこっとだけこれやってみたりした。
ていうかケース割れてる。

PlayStationソフト『DEPTH』(SCPS-18003)、2023年11月17日撮影
PlayStationソフト『DEPTH』(SCPS-18003)、2023年11月17日撮影

Bio_100%の『SuperDepth』もよく覚えてる。小学生のころやってた。


9月の活動報告では購入直後のパスタとか缶詰の写真載せたけど。
節約してお金を残してるという話ではなくて、毎回保護費は全額を使い切ってるっていうのは大前提。
9月なんて、支給後48時間以内にほぼ全額を使い切ったわけで。
家賃補助(住宅扶助)以外には7万円強しかないわけで、買いだめによって食費を圧縮しないと、創作や研究は一切できないよねえ、という話ね。


飲食店の店内利用とか、風俗あるいはその色彩の強い店・サービスとか、ギャンブルとか、ガチャやスパチャの系統とか、そういうものには1円も使ってないけど。
でも7万円強しかないわけ。
電気・水道・ガスふくめて、全部この7万円強から。


まあそう言いつつ、支給直後はコンビニで1日4000円以上使ってる時とかあるけど。
どうしても支給直後は祝祭的になる。
ピザを頼んだのは、生活保護を受給し始めてからはこの10月5日が初めて。


以下は廃棄予定の缶詰。10月18日撮影。

廃棄予定の缶詰、2023年10月18日撮影
廃棄予定の缶詰、2023年10月18日撮影

10月18日夕方、プロフィールの README.md の、SNSアカウント持ってませんですわよ〜のところに「Both now and in the past」を追加。
https://gitlab.com/cleemy-desu-wayo/cleemy-desu-wayo/-/commit/2db5fa30d9c88eb415c0bd414a3c61b1363909f6
えっこの人、LINEのアカウントを一度も持ってたことないの?
そうなんですよ。
一度もないんですよ。
「そうこなくちゃ」と思うか「なにこの人怖い」と思うか。


[code]
10月15日〜10月17日はゲームをやりながらyassのことをうっすら考えていた。
名前をyassにするのかどうかということも含めて。


[code]
一部のゲームは、プレイしながらのマインドワンダリングというのがあるように思う。
でもこれを本当にマインドワンダリングと呼んでいいものかどうか、よく分からない。


[code]
yassについては、10月18日に「書くなら今だな」という感覚が強まった。
こういうのは気分が重要。
実際に書き始めたのは10月19日の朝(日本時間)。


[code]
一時期は、AWKでsedを実装するという形で解説するということも考えた。
でもコマンドライン引数の取り扱いのこともあって、RubyとPythonの両方で書いてみることにした。そう決めたのは今年の10月に入ってから。


[code]
yassの一部については、2005年ごろに考えていたことがほぼそのまま反映されている。
そして別の一部については、2014年にある本を読んだことがきっかけで思いついたもの。
さて、その本とはどれのことでしょう?


[code]
その本、ある方面にもともと興味がないとひたすらに意味不明な内容かもしれないが、INTxにオススメできる本だとはいえる。
yass の README.md では、11月後半(もしかしたら12月)には解説を README.md に書く予定だと予告しておいたけど、その解説の中でどの本かは書くつもり。
もし予告どおりに yass の README.md に解説を書くことができなかったとしても、どの本なのかということについては次の活動報告の中で明かすとしよう。


[code]
yass の README.md ってのは以下で確認できる。
https://gitlab.com/cleemy-desu-wayo/yass


[code]
実際のところ、2014年にyassを書くこともできた。
でもあの時にあわてて書いても、もっと分かりにくくて、もっと複雑なものになっていたかも。
18年構想を練って、書くのは2日。


[code]
10月21日はずっと、ああ……書いてしまったなあ……という気分。
これを書いてしまったら自分はもぬけの殻になってしまうのではないか、などと考えたこともあった。


[code]
yass については。
あらかじめ言っておきますが、実用的なシェルスクリプトを書くうえですぐに役立つ知識とかそういう要素はまったくありません。
82歳のおばあさんが!Pythonをペラペラ!しゃべり出した理由!
とかが分かったりもしません。


頭痛や奇妙な眠気があったから、10月22日からカフェイン抜くモードに。
10月23日〜10月25日の3日間は、PCの電源を一度も入れなかった。


10月21日19:00ごろの食事から10月23日15:00ごろの食事までの約44時間、固形物を摂取してなかった。
特に断食をしようと決めてたわけではない。
その後また食欲が戻ったので、まあ大丈夫だろう。
というか本当は哺乳類って、月に一回ぐらいはこういう断食があったほうがいいような気もする。


10月21日の朝に判明したあることがきっかけで、10月23日の夕方には役所の手続きに行ったり。
ある意味ではこれ、生活保護ゆえのめんどくささ。詳細はまた別の機会に。


10月23日の夕方、帰りに沖縄県立中央図書館に寄ったら、休館。
ああそうか火曜日だったか、などと思ったり。
いつもはそこを間違えるなんてことはないのに。
帰りに散策してて、夢に出てきたのと似た風景に遭遇。
その場所がそのようになってから一度も訪れてないはずなのに、夢でそのようになってたというのをあらかじめ知らされていたような、そういう状況。


うろ覚えだが、10月26日。
Beamモビリティの電動キックボード、初めて利用開始の瞬間を目撃した。
少し遠くから。
おお、そうやるのか、みたいな。
距離とかタイミング的なものなどから、心理的誘導のためにわざとわたくしの前でそういうことをやるというのはありえない。
わたくしは商業施設の2F部分にいて、タイミングを合わせるとかは不可能。


まあ使ってるのを見かけないのは、わたくしが外出しなすぎだからなのかもしれないのだが。
走ってる途中は見かけたことがあるかもしれないが、本当にこのキックボードなのかどうかという確証がない。


以下が那覇であちこちで見かけるBeamモビリティのやつ。
これは10月27日撮影。ジュンク堂の横のスペース。

Beamモビリティの、2023年10月27日撮影
Beamモビリティの電動キックボード、ジュンク堂の横のスペース、2023年10月27日撮影

10月27日に駿河屋するがやに行った。お昼どき。
学校帰りの中高生がいないせいもあってか、男性率が高かった。
あと「ジャニーズ生写真」がただの「生写真」になってた。
買取情報のとこにはまだ「ジャニーズ」という言い方は残ってた。

「アイドル」関連コーナー、駿河屋 那覇沖映通り店 2023年10月27日昼(日本時間)撮影
「アイドル」関連コーナー、駿河屋 那覇沖映通り店 2023年10月27日昼(日本時間)撮影

売れたのか、Oculus Quest 2がなくなってた気がする。


10月27日は、駿河屋に行くつもりだったわけじゃなくて。
しばらく会ってなかったポールシフトさん(仮称)に相談したいことがあって、アポなしでピンポン鳴らすつもりで外出した。
鉄の門を開けないとインターホンが押せないことに気づいて、結局、アポなしピンポンはしなかった。


結局、アポなしピンポンはせずに電話をかけた。
ポールシフトさん(仮称)は外出中だったことが分かった。
どちらにせよ、不在だったわけだ。


その後、断りきれずに飲食店の店内利用をしてしまった。
今年になってから初めての飲食店の店内利用。
でもまあ、これは久々に「行ってよかった」と思えるものだった。
お酒がないし。1対1だったし。


そしてポールシフトさん(仮称)は倍以上年齢が離れていることが判明して驚愕した。
2023年になって、倍以上も年齢が上の人と普通に食事に行ったりしている。


10月29日早朝の月食。すごい快晴だった。

部分月食、2023年11月29日撮影
部分月食、2023年10月29日撮影

ちなみに普段食べているパスタはこんな感じ。
10月31日撮影。
パスタ+うどんスープ+ドンキのノンオイルツナ缶。
この写真では分かりにくいけど、パスタはうどんスープにひたされた状態。
右に写ってるのはお湯。

パスタ+うどんスープ+ドンキのノンオイルツナ缶、2023年10月31日撮影

パスタだけの日は、だいたい1日2食。
写真では分かりにくいかもしれないけど、量はわりと多い。
減り方から推定すると、だいたい毎回130g〜180gぐらいをゆでてる。


[odaibako]
上記のパスタの写真をとった後、ふと思い立って「お題箱」を設置した。
https://odaibako.net/u/cleemy_desu_wayo
別に10月中に設置しようと決めていたわけではない。
「お題箱」を設置するかもしれないとジェネシスブロック記事に書いてたのも、完全に忘れてた。
まさにこれ、「ふと思い立って」。


[odaibako]
イタズラばかりになったり、得られるものより苦痛が大きくなったら閉じるだけなので、閉じてないなら空気を読まずになんでも質問してほしいところ。


[odaibako]
直接質問するということをせずに、疑問に答えてくれるなどと決して思わないでほしいというのもある。
わたくしは、あなたの疑問を解消するために生きているわけではない。


[odaibako]
質問の回答は、この活動報告の中で「[odaibako]」という文字列とともに回答をする予定。
場合によっては、単体の記事にすることもあるかも。


[code]
10月22日〜10月31日の間はずっと、[cdwdoc-2023-002] のことが頭の片隅にあった。
どうか?今なら再開できそうか?
でも無理に考えようとするとかえって嫌悪感が増してしまう場合もある。
そうなってしまうと、ああもうダメだこれ、1年以上間隔を空けないと、ということになってしまう。
もしかして10月中の完成もありうるか?どうか?と思ったけど、結局再び手をつけることはなくあえなく10月は終了。


[code]
10月22日〜10月31日の間は。
フィギュアスケートでのジャンプの直前の、さあ、飛ぶぞ?飛ぶぞ?という後ろ向きの滑走の時の感じが似てるかもしれない。
11月7日あたりまでそれが続いて、今回は結局飛べなかった。
いや、フィギュアスケートについてはあくまでも映像で見てるだけだが。


10月27日〜11月7日あたりは、断片的なアイディアだけがあった小説のプロット練ったりもしてた。
練るというか、断片的なアイディアが次々と浮かぶ感じ。
わたくしの構想のものとしては珍しく、なろうに適してるとされるような細切れで毎日更新、みたいなのをやろうと思えばできるかもしれない小説。
ちなみに比較的最近思いついたもの。たぶん去年後半か今年前半。


そういうわけで、今回もnoteにいかなる記事もアップできないまま活動報告だけがアップされた。
とても悲しいことだ。


とにかく、気分が重要。
すべては、飽きとの戦い。あらゆることにおいて。


パスタを毎日食べすぎてパスタのことを考えるだけで吐きそうになる状態と、離岸流にはおそらく共通の感覚がある。


ちなみに10月は後半ずっと夜は建物内に一人だけだったから、集中はしやすい環境だった。


「僕は国民全員がシコい国家で暮らすことに決めた」


最初は活動報告、毎回3,000字ぐらいかなあとか思ってた。
今回だと、冒頭からここまでがいわば「第2overview」みたいな感じだけど、ここまででもうすでに7,000字超えてしまってる。

https://twitter.com/sugaaanuma/status/1234453874032824320


対話的コミュニケーションあるいは同期コミュニケーションには、「今すぐこの言葉を飲み込んで」という強制力がある。
コントロールしたい側が、この強制力を利用することがある。


[code]

本はオープンコードだ。それは何も隠さない。本はそのソースを公開する——というか、まさにソースそのものだ!本の読者や採用者は、いつも自分のほしい章だけを読むという選択肢を持っている。

ローレンス・レッシグ『CODE VERSION 2.0』邦訳P.212(第8章)

まあ、コントロールから逃れるためにうまく対話的・同期的なものが使える場合というのも、ないわけではない。


わたくしがここで書いていることも、もちろん。
「今すぐ飲み込んで」というわけではないのだ。


「すぐに飲み込みます!いま飲み込みました!すでに消化が始まっています!あっもう半分くらい消化しました!」
と言われても、いやいやいやちょっと待ってくれ、せっかく……
という場合だってあるだろう。


[code]
前回の9月の活動報告で『BlenderユーザーのためのPython入門』(2021年刊)て本を立ち読みしてたって話を書いたけど。
11月2日になってから、12月に『Blender Python完全ガイド』てのが出る予定になってることに気づいた。
でも4000円超えかあ。うーん。


[news]
58号線のハイウェイ食堂がなくなってたのはこの動画で知った。
存在自体忘れてたけど。
あと、一銀通りのいちぎん食堂が外から見て雰囲気が似てるなあとは思ってたけど、やっぱり同じ経営者だったというのをこの動画で知った。

  • 「悲しすぎる、実家よりも家庭の味」衝撃が走った老舗食堂の閉店 次々と姿消す大衆食堂 その背景にある現状(2023-10-07)
    https://www.youtube.com/watch?v=RBXkdPMIZJc
    (RBC、7分弱)


ハイウェイ食堂、沖縄に来たばかりの2012年にも何度か行った。
2017年〜2019年あたりもよく行ってた。
典型的な意味でのチェーン店ではないような飲食店で、オゴりではなく自腹で100回以上行った飲食店って、沖縄ではハイウェイ食堂が唯一かも。


そういうわけで、収入がある人や資産がある人は、つぶれてほしくない飲食店に行ってあげてください。
当分、わたくしはオゴりじゃないと行きませんけど。
オゴりでも断ることがあるかもしれませんけど。


58号線の「軽食の店 ルビー」はまだ健在なんだな。
創価学会の施設が近くにあるけど、ルビーは赤旗が置いてあるような店。
今でも置いてるのかは知らん。


6年前「軽食の店 ルビー」をオゴってくれた人はわたくしに少し似ている気がした。
ルビーについてはオゴってくれたのだが、そもそもあまり飲食店に行かないようだった。


前回の9月の活動報告でドキュメントについて書いたけど。
同じように文章を書くとはいっても、企業活動の中だとプレゼン資料の作成が連想されるかもしれないというのは、まったく考慮してなかった。

  • 【落合陽一】「ホワイトカラーの生産性、低すぎ」「ボツ前提の資料の為に労働」糸井重里が考えるクリエイティブな組織「俺の癖を味わってくれ!が表現」伝説のRPG『MOTHER』生みの親、課金ゲームに思う事は(2023-10-23)
    https://www.youtube.com/watch?v=_bTfZX31vck
    (「NewsPicks」チャンネル、16分強)


この動画、ファミコンのRPG『MOTHER』(1989年発売)の話も出てくる。
2021年11月収録のものの抜粋だろうか。


GitLabのいうドキュメントと、プレゼン資料の違い(※わたくし個人の解釈です)。

  • ドキュメントは蓄積されていき、あとから検索によってたどり着くものであり、「ボツ」がない(プルリクベースだと更新の提案を拒絶することはある)

  • ドキュメントは公開後(社内公開後)にすぐに理解されなくてもかまわない(10年後や20年後なら容易に理解できるかもしれないという可能性を織り込んでおく)

  • プレゼンでは口頭のトークが主であり、資料は補助でしかない(あくまでも同期コミュニケーションがメイン)


まあでも、わたくしにとって一番重要な違いはここかもしれない。
プレゼン資料では、これは絶対にありえない。

公開後20年ぐらい経った記事も、まるで昨日書いたように「これは [cdwdoc-20xx-xxx] でも書いたように」とか言いたい。

2023年9月の活動報告( https://note.com/cleemy/n/n4e3b21b3c290

でも実際のところ、日本の企業で技術者でない正社員の人が、実際に物理的に会社にいる時に何をしているのかというのが、わたくしにはうまくイメージできないんよな。
儀式のためとかボツ前提のプレゼン資料とかは、まあなるほどという感じはする。


X(がTwitterだったころ)のことを考えると、何度も何度も同じことをツイートするというのはドキュメント的ではなくプレゼン的なのかもしれない。
わたくしですら、X(がTwitterだったころ)においては若干プレゼン的世界観に引っ張られていたという要素があったかもしれない。


おそらくわたくしは、企業活動に関連したものとしての狭義きょうぎのプレゼンというものを一度もやったことがない。


わたくしが2019年にALISに書いてた3部作の記事とか、ああいうものについても、企画書のようなのものだと思ってしまう人がいるのかもしれない。
何よりもまず、あれは技術文書なのだと気づけるかどうか。
技術文書だから、誰も乗っかってこなかったとしても価値がなくなるわけではない。


読み返さずに書いてるので、実際に自分で読み返してみたら「いやこれが技術文書というのはさすがに無理があるだろ」と思うのかもしれないけど。


前回の9月の活動報告で、小学生のころはほとんどテレビ見てなかったと書いたけど。
よく考えると、アニメと大河ドラマ以外にも、あるにはあったかも。
例えば、『宇宙刑事シャイダー』(1984年〜1985年)や『時空戦士スピルバン』(1986年〜1987年)とかの系統。
戦隊モノはどうだったんだろう。よく覚えてない。


『平成教育委員会』(1991年〜1997年)も、最初のころは見てた。
でもスペシャル回の時以外は、自分で見たくて見てる番組ではなかったかも。


あとは、『ウルトラアイ』(1978年〜1986年)と、その後継の『トライ&トライ』(1986年〜1991年)も見てた。
この系統のNHKの番組は内容は覚えてないけど、強烈に惹きつけられてたのはよく覚えてる。


おそらくは『くらべてみれば』(1991年〜1994年)も見てた可能性は高いが、よく覚えてない。
子供ながらに「イマイチになったな」とか思ってた可能性もありそう。
『ためしてガッテン』(1995年〜2016年)が始まった時は、かなりはっきりと失望を感じた記憶がある。


『ためしてガッテン』は父方の祖父母がそれなりに楽しんで見ているようでもあったから、複雑な気分ではあった。
あるいは、内容そのものより「結局こういうほうがいいのかよ」という、視聴者に対して失望を感じていたのかもしれない。
自分が大切にしている感覚が大衆性によって蹂躙じゅうりんされてゆき、しかもそれを受け入れなければならないのかというあきらめをねじ込まれる事態に最初に遭遇したのは『ためしてガッテン』かもしれない。


VHSでテレビ番組を熱心に録画してたのは1998年と1999年。
この2年間は、自分の部屋にテレビがあったから。
『たけしの誰でもピカソ』とか、よく録画してた。
『デジタル・スタジアム』とかも。


誰でもピカソで紹介されてた気がする自主映画、今でも観てみたいと思ってるのが一つある。
断片的に覚えてる内容は以下。
詳細をご存知の方、情報ください。わりとマジで。

  • 主人公は女性

  • 主人公が幼少期(赤ちゃん?)のころにいきなり両親が暗殺される、そのシーンで主人公はキューピー人形だったか何かで登場する

  • 主人公が男性(彼氏?)に「はい、これ、マンションの権利書」と言って何かを渡そうとするが、その男性に「もうお前のこと好きじゃなくなったんだ」と返されるシーンがある

  • 終盤、主人公は選挙か何かに立候補する


デジスタで「クローカ」というタイトルのフルデジタルアニメがあって、あれも観てみたいんよな。
ていうかデジスタって1998年あたりにも放送してたような気がするけど記憶違いなんだろうか。うーん。


2005年あたりからだと思うが、「スベる」という言い方が蔓延まんえんしすぎている気はする。
「スベる」という言い方によって、同期コミュニケーションの文脈で解釈することを強要するものになりがち。
あらゆるものが、すぐに意味が分かるものばかりで構成されていなければならない、ということになってしまう。
「スベる」という概念が確実に世の中をつまらなくしていると思う。


どんなものも、受け取る側の精神状態などによって、笑える時もあれば深刻な気分になる時もある。
社会情勢の違いや前提となる知識のあり方によって、まったく違う意味が浮かび上がってくる。
非同期的に受け取るなら、それが当たり前のはず。


最近はアマプラのNHKオンデマンド、利用してない。
受信料払ってないけど、NHKオンデマンドになら月1000円は余裕で出せるなあ、とか以前は思ってたけど。
観たい動画がわりとすぐに再生できなくなってしまうのが。


「BS世界のドキュメンタリー」とか、これはNHK内部の誰かと意識が連動してるとしか思えない、というような神がかり的なセレクションのセンスを感じる時がある。
連動どころか、深いところで完全に意識が融合してるとしか思えない時もある。


でも「これ絶対観よう!」と思ったとしても、しばらくすると忘れてしまう。
で、思い出した時にはもう再生できない状態。
他局が制作したドキュメンタリーは契約とかいろいろあるんだろうけど、せめて3年ぐらいは再生できる状態にならないものか。
「BS世界のドキュメンタリー」が放送後3年間再生できるなら、これとNスペと「BSドキュメンタリー」だけでも、月に1000円出す価値はある。


ああ!それ観ようと思ってたのに!と思ってモヤモヤがずっと残るから、最近はもう「BS世界のドキュメンタリー」で何が放送されてたかすらチェックしてない。
これも非同期がもたらすものかもしれない。
「これ絶対観よう!」と思っても、実際に再生するまでに3ヶ月〜1年くらいのタイムラグがあるのは当たり前。


ていうか、なんか平然と「(1978年〜1986年)」とか書いてるけど。
これ全部、Wikipedia情報である。
これが事実であると、あなたはどうやって確認すればいいのだろうか?
そもそも『ウルトラアイ』や『トライ&トライ』をはっきり覚えているという人がどれだけいるのだろうか?
そんな番組は本当にあったのだろうか?


それは本当に起こったことなのだろうか?


10月はいろんなニュースがあった。
YouTubeのニュース映像を非ログイン状態でよく見てた。
X(旧Twitter)にはほとんどアクセスしてない。


来年(2024年)の夏はセーラーワンピが着れそうだろうか。どうだろうか。
公約としては、核戦争が起きそうにないなら着るということだったと記憶しているが。


ハイレグってギャグでしかないけどこれも世代によるんだろうな。
1980年以降に生まれた人間とっては、男性目線かどうかに関わらずローレグ・ローライズよなあ。
まあ漫画やアニメなどの文化的体験の度合いが濃いかどうかによっての違いはあるだろうけど。


専門家にはシコれなかった。だれか、このせりふが書かれた超ローレグのある種の何かだけを身につけて練り歩くべきだろう。


[news]
財政的にギリギリだそうです。


[news]
1クールで40箱の資料。


[news]
10年前の時点で30分の1話が1500万円。そうなのか。
ネトフリによって状況が変わって1話5000~6000万円のケースがあるとのこと。


2019年か2020年あたりに押井守が複数のインタビューで「動画配信サービス系はカネがたくさんあるのに俺の企画については通しやがらねえ」みたいなことを嘆いていた気がするけど、あれは今もそうなんだろうか。


[news]
話題の無人書店。東京。


本屋に入るのにLINEのアカウントが必要という。
今はまだそういう本屋は少数とはいえ、増えてくると「知る権利」などにも抵触してきて、LINEのアカウントがないとガチで「人権」がないという扱いになってくるんだろうか。
それでもまだ、わたくしは当分はLINEのアカウントをつくる気はない。


[news]
そして無人古本屋「BOOK ROAD」の存在を今頃になって知った。


那覇のパラソル通りの「みんなのほんだな」ってうまくいってるんだろうか。
あと最近できたものとして、平和通りに24時間営業の「無人古着屋アイナ」がある。


[news]
これも無人古本屋「BOOK ROAD」について。
この動画の終盤、こういうのもまさに非同期コミュニケーションだよな。
実店舗だからといって、同期コミュニケーションに限定されるわけではない。

  • 無人の明かりを灯す「古本屋」の物語… “人と人をつなぐ”ワケ 『the SOCIAL』傑作選(2018年10月26日放送より)
    https://www.youtube.com/watch?v=ZpiL2qSBIeI
    (日テレ、2分強)


沖映おきえい通りのドラッグイレブンがあった建物、空き物件になってるけど。どん亭のとなり。
ブックオフ来ないかな。
あれだと中途半端な広さではあるけど、かつてはひめゆり通りの「姫百合橋」交差点のとこにも、かなり小規模なブックオフがあった。
2012年に沖縄に来てから初めて訪れたブックオフが多分ここで、まだ見るものすべてが新鮮だったから「そうなんだ!沖縄のブックオフって沖縄本だけの棚があるんだ!」とかそういうことにいちいち驚いてた。


ドラッグイレブンがあった建物、あそこは沖映通りだよな。
そこはごまかしちゃいけないよな。


もしわたくしがいま、現金で2億円以上持ってたとしたら。
すでに古物の免許持ってて、かつ「那覇市内」という中古PCショップをちとせ商店街ビル周辺(あるいは沖映通り周辺)で開きたいという人がいたら、無担保で1000万円くらい貸してもいい。
でもわたくしには現金や換金可能な資産がないので、100円カンパくらいしかできない。


あとそれとは別に、今でもイオシス(同人サークルじゃないほう)が那覇に来たらいいのにと本気で思っております。
何度か中古ノートPCをオタロードのイオシスで購入した記憶があります。
また大阪に住みたいとはまったく思いませんが、オタロードは恋しいんです。


これは以前X(がTwitterだったころ)にも書いたが。
わたくしが10代のころは「オタロード」という言い方は誰もしてなかった気がするし、あのあたりにはあまり行ってなかった。
それよりも地下鉄の恵美須町駅周辺こそが「中心地」だった。
でもあの周辺はもう、マンションデベロッパーの思惑に占領されたんよな。
北部への「退避」はやむをえない。


そういやGitHubやGitLabのプロフィール(README.md)で「Takara Dynovisor」に言及したけど。

これも地下鉄の恵美須町駅周辺にかつて存在したソフマップで購入。
喜多商店きたしょうてんの隣にあったソフマップ。


以下は2022年9月12日にX(がTwitterだったころ)にポストした画像。
そんなに頻繁にここで買い物をしていたわけじゃないけど、まさかここがソフマップでなくなる日が来るとは、ていう。
この今はこげ茶色の外壁になってる建物、ストビューでさかのぼっても、2009年12月の時点ですでにソフマップではないことが分かる。


誰かclusterかZEPETOで、あの頃の恵美須町駅周辺を再現したりしないかな。


恵美須町駅の北側の出口の近くのマクドナルドとか、よく行った。
移転前のシリコンハウス共立が隣にあった、あのころの、あのマクドナルドに、また行きたいんよな。
ほぼ毎回おひとりさまで、誰かと一緒に行ったのは1回か2回ぐらい。


かつて歩道橋があったほうのマクドナルド(日本橋三丁目店)はまだ健在なんだな。
こっちのマクドナルドもほぼ毎回おひとりさまだったが、おそらく2000年の春〜秋あたり、一度だけ近くで師匠を偶然見かけてマクドナルドでも行きませんかと誘ったことがある。
マクドナルド店内で、漫☆画太郎まんがたろうの話をした記憶がある。
バナナ和音(仮称)については、まだ聴かされていないころ。


この時点では、親戚でもなんでもないこの倍以上年齢が離れているであろう人に、のちにほぼ又貸しみたいな感じで自分が借りた部屋を使わせたりするようになる(※2001年春〜2004年秋の話)なんて、夢にも思ってない。


わたくしのダイノバイザー、はじめて一人暮らしをした時に買った記憶があるから、1999年12月〜2001年春のどこか。
2004年秋から何度か荷物の大規模処分を余儀なくされたが、それらをくぐり抜けてきたサバイバー。


以下は、去年(2022年)の9月にわたくしの自室の「アイテムストレージ」から引っ張り出してきたダイノバイザー。
9800円の「Sofmap」の値札がある。
どうしても欲しいという方にはおゆずりしてもいいですが、わたくしが「使用済」なので最低10BTCからとなります。


[news]
実店舗で非同期コミュニケーションといえば、ゲーセンノートがあるけど。

  • 80年代にあった文化「交流ノート」についてのマンガから漂う当時の雰囲気が懐かしすぎて泣きそう - Togetter(2021-04-27)
    https://togetter.com/li/1705715

  • 小樽・札幌ゲーセン物語展 Web版6「その他展示&告知サイト」|藤井 昌樹(2021-05-09)
    https://note.com/hilow_zero/n/n89f3e181dfc6

  • 【藤田直哉・吉田寛・五百蔵容】アーケードゲームのこれまでとこれから 『ゲームが教える世界の論点』vol.5(2023-07-25)
    https://www.youtube.com/watch?v=sMhiKQkGwiI
    (「未来に残したい授業」チャンネル、1時間40分強、この動画の0:39:30〜0:50:40あたりを参照)


最後の動画の0:47:30〜0:50:40あたり、スト2では非同期コミュニケーション、バーチャでは同期コミュニケーション、というのが面白い。


バーチャ革命およびセガによる「ファミリー」を意識した改革(動画の0:40:25〜0:40:50あたり)によって日本のゲーセンに同期コミュニケーションが持ち込まれたといえるのかもしれないが、一方で、ネットワークケーブルによって挨拶あいさつ不要の対戦を定着させたアストロシティがセガ(動画の0:45:49〜0:46:43あたり)というのも面白い。


同期コミュニケーションを重視する人による、「非同期コミュニケーションは本当のコミュニケーションではない」というような観点をどう考えればいいか。
あるいは非同期コミュニケーションはしょせん、同期コミュニケーションに引きずりこむためのトリガーに過ぎないのだ、というような。


わたくしのような人間は当然、逆なわけだ。
物理的に会ってすごく濃い話をしたあと、送られてくるメールがテンプレ的で会話での論点が反映されてないものだったりすると、異様な感覚になることがある。
こういうのって非常に普遍的なテーマであるが、同時にパンデミックが終わりつつあるかもしれないというタイミングにおいては非常にタイムリーな話題でもある。


わたくし自身はハイスコア追求はやらなかったけど。
ハイスコアを残すことによるコミュニケーションも、まさに非同期コミュニケーション。
前述の動画だと、1:15:55〜1:21:15あたりにハイスコアの話が出てくる。


非同期でなければ絶対に生まれない情緒というものがある。

  • 「ゲームニクス」で考えるゲームの魅力 第一回 ネームレジスト | ゲーム文化保存研究所(2020-01-25)
    https://igcc.jp/game-nics-01/


ちなみに上條淳士かみじょうあつしの漫画『SEX』にもハイスコアをめぐる描写がある。


以下の「リモートとリアルのハイブリットは難しい」は重要。
重要なことはすべてリモートファーストで、というのを徹底しないと、いつの間にか同期コミュニケーションで上書きされる。


リモートファーストというのは物理的に離れているだけではなく非同期ファーストなのだ、というのを周知しておかないと混乱することになりそう。
これは特にVRを前提にすると重要になってくる。
単に物理的に離れているというだけだと、VR空間で「会う」のも「リモート」なんだということになる。
それを続けていくと、「ええい、直接会ったほうがはやいわ!」となってしまう。


長い時間をかけて話し合って、その結果として既存のドキュメントには書かれていない新しい論点を抽出することに成功した、という場合。
そしてその新しい論点は一行で書けるという場合。
ここでおそらく、「あんなにいろいろ話し合って、一行だけかよ」と矮小化わいしょうかされたように感じる人がいるのだろう。


「もう何も書き加えることがないと思われていたあの完璧なドキュメントに、新しい一行が加わるかもしれないんだ!だから長い時間をかけて話し合って、本当に良かった!」と本気で思える人たちで「集まる」ということをやらないと、フルリモートは難しいだろう。


この一行というのは、古代には石に刻むものだった。
「削る」という感覚と「書く」という感覚と非同期コミュニケーションは、すべてつながっている。


まさにパンデミックが終わりつつあるかもしれない2023年10月31日にわたくしは「お題箱」設置したけど。
SNSアカウントを含めた個人情報をわたくしには一切伝えることなく、ジュンク堂で本をオゴることも可能なのかもしれない。
「ポイントたまってるんで、○月○日○時ごろにジュンク堂那覇店に来てくれたら○○円までの本だったらオゴリますが来ますか?」みたいな「質問」をしてくれる人がいないかと期待しているわけだが。


でも、現れた人がわたくしだとどうやって証明したらいいだろう?
全然関係ない人に『人間革命』全巻を買い与えてしまった、みたいな事案が発生したりしないだろうか。


こういう例もある。
ガチなのか、それとも話題づくり的なものだったりするのかは知らん。

  • レンタルなんもしない人が依頼人が来なくて電話したら、依頼人はなりすましの人についていってた話 - Togetter(2023-10-31)
    https://togetter.com/li/2250319


わたくしの場合。
身長164cmで体重45kg前後(測ってないけど、ここ数年は実際はたぶん43kg前後)というのは、なりすますのはそれなりにハードル高いとは思うけど。
言っとくけど、太もも周り43cmだからな。41cmぐらいの時もあるからな。
でも声はかなり低いからな。


最近の悩みということで言うと、シンプルにまず金銭面のこともあるけど。
窓口をつくることができないというか。
今のわたくしの状況だと、チャンネルを確立できないというのがある。
どうしても表に出してほしくない交渉ごとみたいなことについての窓口を設けることができない。


わたくしの窓口になれる人。

  1. 行動力がある

  2. わたくしと文化的体験や年齢が近い(1966年〜1994年生まれあたり)

  3. 「書かれる」「対象化される」といったことに慣れている

  4. ログインウォールの向こう側でない場所での活動実績(3年以上の継続的な発言の履歴)がある

  5. Facebookやmixiなどのこともある程度分かる

  6. 宗教二世・三世ではなく、本人も宗教団体に所属していない

  7. 電通や経済産業省やテレビ局や大手出版社に一切忖度そんたくする必要がない

  8. 公務員・準公務員・みなし公務員などではない

  9. わたくしのことを崇拝していたり、恋愛感情を持っていたりしない

  10. ベースにある感覚がゼロサム的でなく相乗効果への期待


いやあの、これは。
該当しない人は関わってくんな、とかそういう意味ではなくて。
あくまでも窓口になれるかどうかという観点。
あと、文化的体験が近いというのは、わたくしが書いていることをすべて完全に理解しているという意味ではない。


10個すべてに合致してる人、沖縄に来てから出会った人(つまり2012年春以降に出会った人)の中にはいない。
実はあの人がそうだった、みたいな見落としがある可能性というのもあるけど、現時点で「確実にこの人は合致している」という確証がない。
年齢が離れてる人の中には、いるような気はするんよな。でもやっぱ世代的に遠すぎて「2.」が該当しないことになる。


まあ基本的にはやっぱ、わたくしの側がまだその存在すら知らない人の中にいそう。
でもどうだろう。うーん。


1966年〜1994年生まれだと、例えば兄弟子あにでし姉弟子あねでしはもしかしたら微妙にはずれるわけだが。
若くして評価された姉弟子の1980年代半ばのこととか考えると、この頃ってわたくしは完全に幼少期なわけで。
世代としてはだいぶ違うよなっていう。
わたくしからすれば、姉弟子の活躍って神話の世界の話なんよな。


あ、あと、わたくしと直接物理的に会う機会があるのに、窓口がどうとかそういうことをわたくしが切り出さないからといって、その人が適任でないとわたくしが判断してるとは限らない。
わたくしからこういう話を切り出すということはない。


まあそもそも、こういう話をわたくしのほうから切り出すのを待つ人って、たぶんわたくしと合わないと思う。


「どうやってこの住所を知った!」とかそういう野暮なことは絶対に言わないから、郵便物を送ってきてほしいというのはある。
どうしてもというなら、アポなしでピンポン鳴らしてくれてもかまわない。
勧誘とかじゃないなら。
もし不在の場合、可能なら簡単なメモを入れてくれたほうが助かる。(具体的に「誰」というのが特定できないメモでも可)


ちとせ商店街ビルに住んでた時、住所を公開してたことあるけど。
せっかく住所を公開してるんだから、アポなしで来るか連絡をとってきてほしいと思う人が何人かいた。
しかしながら、ものの見事に、誰一人として連絡をとってこなかった。
ドアの前まで来たけどノックするのはやめた、みたいな人はいた可能性もあるかもしれないけど。


せっかく来たならせめてメモは残してほしい。


まあそもそも、特定の誰かに期待をするのはよくない。
あの人はわたくしに連絡をとってくるべきである、というような思考。
「特定の誰か」を思い浮かべてしまうと、もしその人が期待した行動をとらなかったという場合に、何年も引きずってしまう。


強引な人が苦手だが、同時に意思表示が曖昧な人も苦手、というのはあるかもしれない。
まあこれはたいていのINTPに当てはまる。


自分と関わりがある人は、少なくとも自分に対しては力強く意思表示をしてほしい、という。
でも強引なのはイヤという。
めんどくさい人ですかね。


わりとINTP、自分はこんな風だからそっちに行動力がないとどうしようもないだろ、と思いがち。
あとで触れる「INTPの中でもカスの奴」という記事と同じ人による、以下の記事。

この記事の以下の箇所。

なんかこう、真面目すぎたり消極的すぎたりする人は、恋愛対象としては私には合わないのかな?と思った。
私が落ち着いてるんだから、落ち着かないでほしい。(黙れカス)(生意気言ってすみませんでした)

「家庭を築きたいINTP女」

恋愛に限らず、あらゆることについて。
INxPは基本的に待ちの構え。
自分が待ちの構えだから、相手も待ちの構えだとイライラするんよな。


そういや記事の埋め込みによって、引用をしなくなったというのはあるかもしれない。
自らの責任において、引用と分かる形ではっきり引用して自らのコンテンツの一部とする。
引用の範囲内なのであれば、誰もそれを制限することはできない。


あなたはその記事の、どこを面白いと思ったの?
それを開示せずに、どうして私と結婚できると思ったの?


2003年夏〜2004年春の間だけなんですが、恋人と呼ばれる存在がわたくしにもいました。
そういう奇跡的な期間というのが、わたくしにもあったのです。
当然ながらというかなんというか、たいへん行動力のある相手でした。
CLAMPの『東京BABYLON』に心酔しておられました。
なので皇田北都すめらぎたほくとさん(仮称)としておきます。


まあ当然ながら、別れ話についても皇田北都さん(仮称)のほうからで。
たいへんスムーズに、そのまま部屋を追い出される形となりました。


おかげさまで、いない歴20年が目前です。


ちなみに出会ったのはバイト先のまんが喫茶です。


で、ですね。
皇田北都さん(仮称)はですね、倉田真由美くらたまゆみさんの取材を受けたことがあるのではないかという。
そういう疑惑がわたくしの中であるんですが。
直接の取材ではないというような可能性もありますが。
もちろん、単にエピソード的に似てるだけとかそういう可能性もありますが。


でも実際のところ、もしじっくり時間をとって直接取材を受けたんだとしたら、倉田真由美に「だめだこれ話が複雑すぎて漫画にしにくい」と思われた可能性もあるんよな。


まず『東京BABYLON』を最後まで読んでおかないと、皇田北都さん(仮称)のことは永遠に分からない。
わたくしも、付き合うまでこういう漫画が好きだというのは知らなかった。
こういう漫画に心酔しつつも、行動力があって社会常識があって空気も読める女性、という。


その皇田北都さん(仮称)がわたくしを金銭面で支えつつ、でも同時にわたくしは倍以上も年が離れた師匠を金銭面で支えつつ。
そして皇田北都さん(仮称)は師匠の存在を知らないことになっていた、という。


まんが喫茶でのバイト、皇田北都さん(仮称)がいた店舗では、アルバイトスタッフ同士の交流としてアナログのノートが活用されていた。
お客さんには見せないスタッフ同士だけのものではあるが、ゲーセンノート(交流ノート)に近い要素があるといえなくもない。


わたくしと付き合うことになる直前だったか直後だったか、スタッフ用交流ノートに皇田北都さん(仮称)が発作的に膨大な量の文章を(もちろん手書きで)書き込んだことがあった。
当然、わたくしのことも書かれていた。
わたくしは別の店舗だったが、わたくしの存在についてはスタッフ全員が知っていた。


皇田北都さん(仮称)がいた店舗は大阪市内で、大都市のど真ん中の駅近えきちかの小規模店舗という感じ。
わたくしがいたのは大阪市内ではなく大阪府内の地方都市の幹線道路沿いで、どの駅からも離れた大規模店舗という感じ。わたくしはもともとその土地に縁があったわけではない。
この2つの店舗は同じチェーン。
チェーンとしては多分まだ存在してるけど、店舗としては両方とも今はなくなってる。


ちなみに2002年というのは、ちょうど大阪で個室型の複合カフェが登場し始めたころ。
わたくしの中では、2002年が個室型複合カフェ元年。


皇田北都さん(仮称)は生まれた年としてはわたくしより一年遅い。
でも皇田北都さん(仮称)は早生まれなので、学年としてはわたくしと同じ。


皇田北都さん(仮称)がバイトしてた店の近くにたこやき屋があって。
そこに2000年末ごろだけ、師匠がバイトしてた。グダグダになって辞めた感じだったけど。
この話、皇田北都さん(仮称)に信じてもらえなかったんですが、わたくしの話ってそんなに信用できないんですかね。
本当に本当の話なんですが。


わたくしの師匠は、単なる社会不適合者というわけではなくて。
いろいろと「ガチすぎて引く」レベルで。
一方で、親から勘当かんどうされてるとかそういう笑えないグダグダのエピソードも満載で。
あと、姉弟子あねでしが誰なのかに気づけば、本当の本当に神話の世界の話であることも分かるはず。少なくとも姉弟子については。


で、その姉弟子と兄弟子あにでしは一時期……
まあそれはおいといて、とにかく姉弟子の存在とかそういうのはわたくしはまったく知らずに、兄弟子の会社の募集に応募したわけ。
ちなみに応募した1998年当時、兄弟子はすでに結婚してて姉弟子とは疎遠になってたはず。


2000年後半あたりから兄弟子と師匠の関係が急速に悪化し、2001年春からはわたくしが借りた大阪市内のワンルームを師匠に又貸しの状態で。
いつまでも又貸し状態にできないから2001年夏に宝塚市内に3LDKを借りたけど、今度はその3LDKを師匠が「一人で使いたい」と言い出したために、わたくしはバイト先のまんが喫茶で寝泊まりしたり。
そもそもまんが喫茶のバイトは、3LDKの家賃の捻出ねんしゅつのためで。


そういう流れがあって、バイト先で出会った皇田北都さん(仮称)との急接近があったわけだ。


出会った当初は、皇田北都さん(仮称)は車中泊をしているような状態で。
バイトしながら皇田北都さん(仮称)が大阪市内にワンルーム(正確には1K)を借りて、そこにわたくしが転がりこむという流れで。
転がりこむと同時にわたくしはバイトを辞めて。
それが2003年夏だったわけです。


2003年秋〜2004年春あたりだったと思うが、師匠が「何を描けばいいか分からない」と言い出したことがあった。「何を描くかcleemyさんが考えてくれない?」みたいな提案も。
彼にだますつもりがなかったのは確かだが。
でもわたくしとしては「だまされた」という思いも多少はあった。
3LDKを「一人で使いたい」というのを受け入れたのも、一人で落ち着いて取り組めば絵が完成すると信じていたからなのだ。


構図や配色についての膨大な実験の記録があって、その一部は見せてもらった。
一部だけでも膨大な量で、見てはいけないものを見た気がした。
そして自分の確固たる理論というものも持っていた。


でも、「何を描けばいいか分からない」。
師匠は音楽のほうでは人脈がなかったけど、絵画のほうでは画廊の知り合いなんかも複数いて、絵が何枚か完成すれば容易にお金をつくることが可能だとわたくしも思い込んでいた。


わたくしが2005年前後にリゾマンで遭遇した画家とは違って。
師匠はスケッチブックを持ち歩いたりするような、そういう画家ではないんよな。


要するに師匠は音楽でも視覚表現でも、基礎研究しかしていない。
というか、それしかできない。


結局、師匠には研究者だという自己規定がなかったために、全体像が見えにくくなってるというのがある。
『だめんず・うぉ〜か〜』と『これからのエリック・ホッファーのために』を両方読むと、いろいろと謎が解けることもあるかと思う。


そして、X(がTwitterだったころ)に何度も何度も書いたように。
バルザックの『絶対の探求』。


ただし音楽については、完成した曲もあった。


恋愛とか関係なく、仕事の面とか趣味のつながりとかオンラインゲームとか引っ越しの手伝いみたいなのも含めて、なんでもそうだけど。
INxx同士だと情報の共有が阻害されたりしやすい気がする。
あまりにも多くのことを感じる(受け取る)がゆえに、さんざん迷ったあげく何も伝えない、ということを繰り返してしまう。
情報のブラックホール。


第三者として、情報格差が生じないように動き回るENxx(あるいはENxxに擬態ぎたいが可能であるような、INxxや高知能ISTx)が継続的に関与するとまた全然違ってくるわけだが。


あ、ちなみにわたくしがまんが喫茶でバイトしてた2002年10月あたり〜2003年8月あたりというのは、リネージュやラグナロクオンラインの全盛期。
でもわたくしはMMORPGはあんまりガッツリとはやらずに、ハンゲームとかボンバーマンオンラインとかそういうのをやってた。


2003年当時印象的だったのは、アルバイトスタッフの中でゲーマーでもないしまったくオタク的でもないような複数の人が、ハンゲやってるとアバターの衣装を購入したくなると言ってたこと。実際に購入した人がいたかどうかは知らん。
無課金だと、「初期アバター」と呼ばれるショボい服装のアバターになる。
https://twitter.com/gantaku0x/status/1613886627444830210


ハンゲの初期アバター、検索すると「白T」という言い方がされたりしてたみたいだけど、2003年当時そういう言い方してる人なんていたっけ?という感じもある。


SAOのキリトくんとか。
あとは『中二病でも恋がしたい!』の勇太とか、『神霊狩/GHOST HOUND』の太郎とかもそうだけど。
なんとなく、初期アバター顔だなあとか思ってた。


ちなみにハンゲ、オセロとか囲碁とか将棋とかそういうゲームでも、ずっと画面上にアバターの全身が表示されてた。
すべてのゲームでそうだったかは覚えてないけど。
以下は2008年ごろの五目ならべのスクリーンショットがあるブログ記事。


ちなみにFF11とかって、存在自体をまったく覚えてないんよな。
時期としては、2002年スタートだけど。
存在自体を覚えてないっていうのが。
解離性健忘?
ゲーム内で何かつらいことがあったの?
うーんでも……なんていうか、少なくともアルバイトスタッフの間では誰もFF11のことを話題にしてなかったような気がするんよな。


だいぶ前に「教えて!goo」でも書いた気がするけど。
こちらが質問や提案をシャワーのように受け取る関係というのは、すごくやりやすい。


いま住んでるとこの大家さん(60代男性)とか、なんかもう、そのあまりの安直さに絶句してしまうような時が多々あって。
それでも、大家さんの「とりあえず言ってみる」みたいな傾向に救われてるところがある。


「間違えちゃだめだ」という思いが強すぎる人は、そもそもわたくしのような人間とは関係が成立しない。


皇田北都さん(仮称)の時は転がりこむのが先だったというのもあるかもしれないけど。
待ち合わせのデートというのはしていないんよな。


「待ち合わせのデート」という言い方はつまり、「このあとどっか行く?」みたいなのとか「今からそっち行くからそこで待ってて」とかそういうのなら、ないわけでもないってこと。
あるいは特に会う約束をしていなかった日に電話でやりとりしてるうちに「じゃあとりあえずここに来て」とかそういうのも、典型的な待ち合わせというのとは違う。


何日も前から、○月○日○時にこの場所で!という、そういう待ち合わせのデートというものを、わたくしはオンライン空間だろうと物理的空間だろうと、人生で一度も経験していない。


今までの人生で、「思い切ってこちらから連絡をとる」「こちらから積極的に関与してみる」みたいなことをあえてわたくしがやってみたこともあるが、それによって長期的に良い方向に事態が動いたことが一度たりともないんよな。
ものの見事に、一度たりとも。
そういうのもあって、待ちの構えにならざるをえない。


1998年12月(もしかして11月の可能性もあり)の、兄弟子がつくった会社に応募した時というのは。
あれは唯一、わたくしから思い切って行動をとって長期的によかったと思えるものかも。
本当に、あれが唯一。


ちなみに去年(2022年)、技術者向け求人サイトに登録していくつか応募したりとかしてみた。
まあ当然、毎回お祈りメッセージで終了だわな。
あまりにも早いエンドロールの到来。


そういうわけで去年(2022年)、ついにオンライン面接を一回だけやってしまった。
ええ、一社だけ。
その求人サイトで、面接までこぎつけたところがあるんですわ。
目的のあるビデオ通話って、人生でその一回だけ。
オンラインミーティングとかはまだ一回もやったことがない。

https://twitter.com/sugaaanuma/status/1485235292395261957


ていうか、納期が守れないことが分かってて応募するってどうなんだっていう。
以前別のサイトでは「納期なし」と明記してるとこもあったりはしたけど。
まだまだレアなんよな。


納期がなかったらそれでOKなのかというと、それもどうだろう。
そもそも、他人が依頼してきたものやアサインしてきたものに関心を持つということができない。
やっぱ基本的には、わたくしは研究しかできない。
でも大学を出てないから研究職はありえない。
だから結局、「仕事」ではなくてパトロンが必要だよねえ、という結論に毎回落ち着く。


サイトを利用して応募したとこって、サイト上の文言とか見てると遠回しにわたくしにメッセージを送ってきているように思えてしまうところばかりで。
でもそういうのってまったくの勘違いで、わたくしの存在を知ってたわけではないのだろう。
まあ、今の日本企業はわたくしのような存在をほっしていないということはよく分かった。


この会社はわたくしと発想が近いのではないか、と思ういくつかのところは「高卒以上」とか「実務経験あり」とかで締め出されてる感じがあって最初から応募してない。


そういえば、今にして思うと。
小学生のころ、同級生の家に遊びに行くことってあんまりなかったんよな。
9割以上、わたくしの家に遊びに来てもらうという形だった。


[news]

  • 元Jr.が証言「噂レベルなんてことは絶対あり得ません」ジャニー氏の性加害が広がった背景を検証【報道特集】(2023-10-07)
    https://www.youtube.com/watch?v=LZbvCQSYYrI
    (TBS、16分半)

あまりにも被害者の数が多いけど、ある程度の選別があった可能性はあると思う。
つまり、問題になりにくそうな人間をチョイスするセンスがあったのではないかなと。


[news]
パレスチナ関連。


[news]
「テロリスト」という呼称。

「理解をさまたげる」というのはポイントで。
どんなトピックでも、正義感にもとづいて「他人の理解を妨げたい」という人が一定数いる。


ポリコレも、「他人の理解を妨げたい」という人にとって便利な道具になり下がってしまったという側面がある。


「敵対的メディア認知」(hostile media effect)あるいは「第三者効果」(third-person effect)も関係しているかもしれない。


わたくしは日本の「自称リベラル」については、基本的にはあまり信用してない。
「リベラル」なのに中国の人権状況をスルーするというのはありえない。


統一教会信者ではないけど勝共連合にいた、というような人をどう考えればいいかだが。
基本的には、日本においては「反共」というその発想自体が昭和の遺物としかいいようがないだろう。
昭和が終わって何年経ってると思ってるんだっていう。


[news]

この動画の21:22〜25:03あたり、分析・想像力を重視するCIAと、作戦機能・オペレーションを重視するイスラエルの情報機関という対比、面白い。


一般論として。
「即実行」が重要な組織では、間違っててもウヤムヤにするスキルみたいなものがどうしても発達しがちではある。
「怪しいと思ったら即実行!」で、いやいやいや、間違ってたらどうすんのっていう。


2017年9月からわたくしはコールセンターで仕事したりしたけど。
とりあえず低賃金労働でもなんでもいいから家賃を払うための仕事を、と思って。
これ、最初は気づかなかったけど。コールセンターって何よりもまずオペレーション業務なんよな。


頭脳労働として最もハードコアとされることもあるプログラマーは10代の時にすでに経験して。
肉体労働として最もハードコアとされるドカタ(土木・解体)も少しやってみて。
で、感情労働として最もハードコアといえばコールセンターかなあ、と思ったんだが。
でも、違った。そうじゃなかった。あれは感情労働ではない。


感情をこめているという演技をしながら、ひたすらに「処理」をする、という。


まあ、INxPにとっては、「処理」をひたすらに要求されるがゆえに「感情にクる」みたいなところはあるけど。
じっくり考えることを許さない環境によって発狂しそうになるっていう。
電話かけてきてる人が怒ってるとかそういうのはどうでもいいんよな。


INxPは「処理」が遅いんじゃない。
ESxJがやっているような形では、「処理」をしてない。
コールセンター勤務者にESxJがすごく多いのかというと、よく分からないけど。


当たり前といえば当たり前なんだが、医療も「医療現場」ではオペレーション業務なんよな。
生活保護でも窓口業務とか直接受給者と接するケースワーカーはオペレーション業務という側面がある。
だから、なんか。
コールセンターやってみてオペレーション業務というものがどういうものなのかが見えてしまってから、医療とか生活保護とかそういうことについても見方が変わってしまった。


ここ数年、日本の生活保護での「水際作戦」が話題だけど。
この世のあらゆるオペレーション業務で、なんらかの「水際作戦」が行われてるんよな。


なんらかの「イリーガル」な対応というのがないと、オペレーション業務ってまわらないという現実がある。
一般的にいう「上司の決済が必要」は、ここで考える「イリーガル」とは全然違う。
こういうことについて誤解を招かないようにどう説明するかっていうのは結構難しい。


ちなみにわたくしは、去年(2022年)の11月に100%完全に丸腰で申請に行った。
診断書などは何もなし。民生委員や共産党員や宗教がらみの人と一緒に窓口に行ったりとかも一切なし。丸腰の単独行動。
とにかく、最初に何かを紙に書く際には、「生活保護」という言葉と「申請します」というフレーズを明記しよう、とだけ決めて行った。


[news]
そういや9.11のあとはエリック・レイモンドのような人が「Why We Fight — An Anti-Idiotarian Manifesto」を書いたり。


そもそもNRA会員だったりするし、いかにもリベラルという人ばかりではなくてこういう人が伝道師になってくれたおかげでOSSの発想が浸透した、という可能性もあるとは思ってる。


まあわたくしも、日本は潜水空母をつくったほうがいいとは思ってるけど。


[news]

ツイッター時代の元従業員らは以前、新オーナーのイーロン・マスク氏の下で進められた人員整理により、国家ぐるみの偽情報からもはや身を守れなくなっていると話していた。

BBCの解説記事 「イスラエル・ガザ戦争の偽情報と憎悪投稿、背後に誰がいるのか」

やはりProof of Humanityのような発想は、ある程度は必要になってくるのかもしれない、とは思う。


今のわたくしには、「頻繁に連絡をとりあっている友人」なんてものは、現在の太陽系に生息する生命体の中には一人もいない。
まあ、そういう人はおそらくわたくしのような生活保護受給者に多いのではないかと思うが、自然に「友人の証言」みたいなのをたどっていくことができない人たちがいる。


Proof of Humanityのように、ある種の枠組みがあり、ある程度は強制的でありかつ形式的な「確認」がないと、「そういう人間が現実に存在していた」ということが証明できない人がいる。


で、「そういう人間」って、どういう人間?ていう。


わたくしがいま住んでるとこの大家さん(60代男性)はわたくしのことなどまったく理解していないし、理解を求めること自体が「虐待的」だろう。
そんなの分かるわけないんだから。


わたくしが生活保護を受給しているというのも。
こういうのって他人が確認できるものなんだろうか。
まあ、おそらくジャーナリストならば容易に確認できるはず、というのは前提にして書いてる。
でも実際のところどうやって真実性を確認するのかは知らない。


あと究極的には、「背後に誰もいない」みたいなのは永遠に証明できないというのはあるかもしれない。


わたくしは1999年1月から2年間、フルタイムのプログラマーだったが。
この2年間の仕事で関わりのあった人の中で、cleemy desu wayoとしてのわたくしを知ってる人がいるのかどうかは分からないけど、もし知ってたら今の状況ってどういうふうにみえるんだろうか、とか思ったり。


「cleemy desu wayo」と名乗ってて、沖縄に住んでて、ずっと独身で、今でも小説を書いていて、生活保護を受給していて、CVEホルダーで、今でもコードはちょくちょく書いてる。
うん。これ……
「なるほど、いかにもあの人らしい」という感じなのか、それとも「信じられない」という感じなのか。


「こんなやつが普通の人生送るわけない」と思う人は多かっただろうし、実際にそういうことを複数回言われた。
だけど「ガッツリ貧困」というのを、果たしてどれだけの人が予想していただろうか。
あのころは、「10億ぐらいもうかったら1億くれ」みたいなことをわりと気軽に言われることが多かった。
これを言うのは全員男性で、結構いろんな立場の人から言われた記憶がある。


「結婚したら太るよ〜」というのもよく言われた。
これを言うのは全員女性だった。
結婚はしなかったし、おそらくわたくしは薬の副作用とかそういうものでない限り、生涯にわたって、いくら食べても太らない体質のままだろう。


前述のBBCの記事とか、ああいうのを見るとたまに不安になるのが、わたくしのような存在について「こんなやつが現代日本にいるわけないから、虚偽の主張が含まれているか、複数人で運営しているアカウントか、あるいはなんらかの背景を持つ偽アカウントだ」と判断するような「専門家」がいるのではないか、ということ。


結局、「たどる」っていうのが重要なんよな。


ジャーナリストがそれなりにコストをかけて調べればわたくしの「実在性」は容易に確認できるはずだけど、プラットフォームで雇われて仕事をする「専門家」っていうのが、果たしてどういう風に判断をするものなのか。


それにしても、当時からずっと、家賃という存在には苦しめられてきた。
もちろん今でも。
まあこの1年間は、生活保護があるけど。


家賃というものが創造性に与える悪影響。
とにかく、家賃のせいで失われたものがあまりも大きすぎる。
家賃の捻出に関連して、公共料金などについてどれの支払いをどれくらい遅らせようかとか、誰からどうやってお金を借りるかとか。
別に大きい金額じゃなくて、3万円とか5万円とか、そういう金額を確保することに四苦八苦していた。
そういうことを考えるのに、莫大な時間とエネルギーを投入しなくてはならなかった。


2003年夏あたりに、勢いでサラ金からお金を借りたりもした。
だからその頃からは、金利の支払いのことも加わっていたわけだ。


まんが喫茶のバイトで。
わたくしと同時に雇われて2002年10月ごろに出会った逢坂野大河あいさかのたいがさん(仮称、1981年〜1984年あたりの生まれ)のことが強く印象に残っている人がこの活動報告を読むと、「コイツなんで逢坂野大河さん(仮称)のことを書かないのだろう」と思ってしまう人が出てくるかもしれない。
X(がTwitterだったころ)にわたくしがいろいろ書いていた時にも、そう思ってた人がいるかもしれない。


まあ、向こうはもうわたくしのことは忘れているかもしれないので、その場合は思い出そうとしないほうがいいだろう。
そしてcleemy desu wayoとしてのわたくしを知らないなら、そのまま知らないほうがいいだろう。


2002年10月というのは、チェーン店としては「本当に関西に進出するの?どうなの?」みたいな時期だったようで。
2002年10月だけ存在したβ版ベータばんのような店があった。たぶん20日〜40日くらいで閉店。
本当に10月だったかは若干あやふやだけど、とりあえず10月ということにしておく。
で、その超短命に終わったβ版のような店舗の存在を知らないアルバイトスタッフは、逢坂野大河さん(仮称)のことも知らない可能性が高い。


わたくしは個室型の複合カフェのようなものが登場してるということを知らなかったから、採用されてから最初に「β版」を訪れた時は驚いた。
うわなんかこれ、想像してたのとあまりにもちゃうわ、っていう。
あのころは、こういう業態が本当に定着していくのかどうかすら、あやふやな時代だった。


あ、ちなみに『とらドラ!』はずっと観ようと思ってまだ観てません。
だからストーリー等は一切把握はあくしてません。


「ピアノ」や「写真」についての話題とか、ちょっと話ができすぎというか、大がかりなドッキリなのではないかとか。
わたくしの動きを偵察するために送り込まれてきたのではないかとか。
いろいろ考えたこともあった。


これまでのcleemy desu wayoとしての活動の中のあることについて。逢坂野大河さん(仮称)の本名とからめて、ダジャレで秘密のメッセージのような何かを贈ろうとしていたわけではないということはそろそろ明言しておいたほうがいいだろう。


逢坂野大河さん(仮称)はピアノを弾けるということで、わたくしが若干前のめりになってしまって、ウザがられてた時期もあったかもしれない。
あと、口説こうとしてると思われたかもしれないし。


写真については、逢坂野大河さん(仮称)と何を話したのか詳細はあまり覚えてないけど。
バイト先にこういう人がいて写真についてこんなことを話したよ、ということを師匠に話したのは覚えてる。
そしてその後、師匠も写真(というかクラシックカメラ)についての関心がぶり返してしまった。
2003年秋〜2004年秋あたり、全振りではないにせよ師匠の関心がクラカメに向かってしまったこと自体は短期的にはダメージだったが、この時の師匠とのやりとりというのは、わたくしがジェネシスブロック記事にも書いたproof-of-existenceプルーフ・オブ・イグジステンスと撮影日時特定についての話にも、多少は影響を与えている。


というわけで、逢坂野大河さん(仮称)との会話はトータルでは1時間を超えないようなものだったかもしれないけど、その後のことっていうのを考えると、まあなんといいますか、いろいろあるわけです。


うろ覚えだが、逢坂野大河さん(仮称)は2002年11月半ば〜2002年12月半ばあたりに引き抜かれるような形で、店舗サイドではなく事業部サイドのほうに行ってしまった。
正確には、雇われてからわりとすぐ事業部サイドに行って、「β版」終了後に「事実上の関西1号店」ができて再び店舗側に戻ってきて、5日〜20日ぐらいだけ店舗にいてその後また事業部に戻った、という感じだったかも。
とにかく、2002年クリスマスの時点では確実に店舗にいなかったという記憶がある。


そういうわけで、こちらからすると、2002年12月には「今も事業部のほうにいるらしい」というような曖昧な情報だけで、事実上の消息不明という状態になってしまった。
ああしまった、せっかくピアノ弾ける人がバイト先にいるのに、と少し焦ってはいた。
でもまあピアノが弾ける人なんてたくさんいるしなあ、と、とりあえずは思い込もうとした。


あとになってつくづく思うのが、巻き込まなくてよかったな、ということ。
強引に巻き込んでたら、いろんなことがぐちゃぐちゃになってただろうなあ、と。


ピアノを弾ける人というのは。
まあ、いるにはいる。
でも、楽譜どおりに弾けるとか、昔ピアノ習ってたとかそれだけじゃなくて、創作をするというのはどういうことか、とか。研究とは何か、とか。
そういう話ができる人というのが本当に少ないのだなと。


ライブじゃないから、アドリブができるかどうかというのはどうでもよかった。


でも最近になって気づいたけど。
やっている研究の内容がどういう性質のものかを100%完全に理解したうえで、内容そのものには好意的にとらえているにもかかわらず、「あ、これ、下手に関わるとこっちの人生やキャリアがめちゃくちゃになる可能性あるやつかも」と思って「昔ピアノ習ってました」みたいに意図的に矮小化わいしょうかして距離を置こうとするケースもあったりするのかもしれない。


実はわたくし、逢坂野大河さん(仮称)の声を覚えてなかったりする。
もし向こうがわたくしのことを存在としては覚えてるけど声を忘れているという場合、悠木碧ゆうきあおい井澤詩織いざわしおりの声で上書きしていただければと考えております。
だいたいそういう感じでお願いします。
誰に何をお願いしているのかはよく分かりませんが。


逢坂野大河さん(仮称)のことをおそらく知らないであろうアルバイトスタッフの中で、夜勤で一緒だった音ゲーくん(仮称、1982年〜1985年あたりの生まれ)が今のVRをどう思ってるのかとか、SAO観たのかどうかとか、気になってはいるところ。
わたくしが直接物理的に会って話したことがある人の中で、ゲーム全般のこと分かってて、音ゲーが席巻してからのゲーセンのこともちゃんと分かってて、しかも分析的な視点を持ってて、可能性についての議論もできるっていう、そういう人っていうのが音ゲーくん(仮称)しか知らんのよな。


ちなみにわたくしの認識では、音ゲー元年は1998年。


2003年当時、音ゲーくん(仮称)が「音ゲーのこと知らない人からは凄いと言われるけど、どこそこ周辺のゲーセンは全然次元が違う」とか「どこそこのゲーセンは意外と大したことなかった」とかそういう主旨の話をしてて、そういう判断がハイスコアのチェックによる場合もあった。
おお、やっぱり今でもハイスコアチェックしたりするんだ、とか思ったものだった。


2003年当時、音ゲーくん(仮称)に大暮維人おおぐれいとの『天上天下』をどう思うかって何度も何度も聞かれた気がする。
あのうこれ、ほんとに申し訳ないんですが、当店ではいまだに通読という形での確認っていうのが、できてない状況でして……


なんか複合カフェという存在をどうとらえていいのかというのが、2023年時点でもあやふやな感じはある。
たぶんビジネスホテルとかカプセルホテルとかそういう方面からは「クソいまいましい」みたいな感じで思われてて、実際に複合カフェが客を奪った側面はある。
そしてラブホ関係からは最初は「戦々恐々」という感じだったけど意外に競合してないということが分かったはず。


音ゲーくん(仮称)との会話を思い出してて、「ゲームが好きだけど家にいたくない」という10代を取り込んだ可能性もある。


わたくしは夜勤だったが、昼間は近所の小学生が来て、最低料金(たぶん200円前後)だけで帰る子供もいた。
ついだジュースをブースに持っていかずにドリンクバーの前で一気飲みして、すぐに2杯目をついだりとか。
ゲームが上手でも下手でも200円で30分遊べて、漫画は読み放題で、ジュースは飲み放題で。そういう場所を小学生の時に知ってしまって、果たして1プレイ100円のゲーセンに行きたいと思うかどうか。


これって2003年の話。
だからそういう小学生の中にも、もう30代になってる人がいるわけだ。


[news]
こういうの見てて、わたくしがいたまんが喫茶の「事実上の関西1号店」のアルバイトスタッフってなんであんなにモラルが高かったのだろう、と思うことがある。


モラル面で意識が高いというのとは違う。「自分に言い聞かせる」というような要素が一切必要ない、もっと根本的なもの。


あのあとわたくしもいろいろとアルバイト的なものを経験したが、やはりあれは錯覚ではなかったという確信がある。
あれは本当に奇跡的だったのだ。


他の職場では適当なことをやってた人も、あの店については「ここでやるのはありえない」というような感覚があったはず。


2002年9月か10月あたりの募集、つまりβ版の時はわたくしのように複合カフェの存在を知らずに迷い込んだ人がいた。
でも2002年11月半ば以降に「事実上の関西1号店」の店の中で面接して採用された人っていうのは、複合カフェの存在を知ってて、そういうのが面白そうと思った人ばかりだったはずなんよな。
多少なりとも、未知の状況に飛び込むという要素があったはず。


搾取と自己保身というのは結びつきやすい。
特に継続的な搾取というのは、自己保身なしには成立しない。
自己保身を重視する人は未知の状況に飛び込むのを避ける傾向があるとはいえるかもしれない。


まあそう言いながら、わたくしの場合はお金を借りたまま返してない人が何人かいたりするけど。
わたくしの言動は全体的に支離滅裂しりめつれつに見えていたかもしれないので、とりあえずわたくしのことは置いといて。


あと、一般論として「奇跡のメンバー」みたいに言うのは潜在的には危ういものをはらんでいる。実は何かハラスメントがあったという時に、「みんなのファンタジーを守るには、私が黙っていればいいのだろう」という思考になりやすい。
ジャニーズ問題でも、ジャニーズ事務所は「楽しいところ」で「ジャニーさん」は「面白い人」だというファンタジーが問題の表面化を遅らせた。


xNxP(N型かつP型)であるわたくしとしては。
「事実上の関西1号店」でオープニングスタッフとして最初からいたこと、そして複合カフェが自体新しい業態だったこと。
この二重の「オープニング」の要素があって、良い思い出として残り続けてるというのはありそう。


いろいろ書いてるけど、わたくしが同窓会的なものに参加することはたぶんないでしょう。


会うなら仮想空間で会いましょう。
どこでなのかは知りませんが。


あ、でも、本人確認は重要なので「物理的に会って確認した」という人を何人かつくっておくことっていうのは重要かもしれない。


本人確認を拒んだりするのは偽物。
わたくしは今いろいろと身動きがとれない状況ではあるけど、那覇に来てくれたのに、わたくしが会うのを拒むということはまずありえない。


FF14とかPSO2とか、まだやったことないけど。
メタバースプラットフォーム的にとらえられることがあっても、こういうのはやっぱゲームだから、「cleemy desu wayo」とはっきり名乗らずにプレイすることがあるかもしれない。


VRChatとかclusterとかZEPETOとかそういうプラットフォームの場合、「cleemy desu wayo」とはっきり名乗ってないのは偽物。
何か技術的に試したいことがあって一時的に仮のアカウントを使うとか、全くありえないわけではないけど。
いや、これらのプラットフォームについても、まだアカウントすらつくってないけど。


あと、継続的にそのプラットフォームを使うなら、必ずはてなのプロフィールページの「My Activities on Other Sites」のところにリンクがあるはず。
https://profile.hatena.ne.jp/cleemy/


あ、あと。
曖昧にしとこうかなと思ったけど。
ジェネシスブロック記事に登場したISxJの友人。

大阪に住んでいる友人(ほぼ同世代で男性でたぶんISxJ)が電話に出てくれなくなったことくらいか。

ジェネシスブロック記事( https://note.com/cleemy/n/n96474b06fa3b

この人も「事実上の関西1号店」の元アルバイトスタッフ。形式上は社員だったかも。
唯一この人だけ連絡先を知ってたから、去年(2022年)の春ごろまで連絡とってた。


わたくしはケータイとか、わりとすぐに強制解約になる。
そしてケータイ本体も行方不明になるから、わたくしの側からしてもいろんな人の連絡先が分からなくなってしまうわけだが、この人の場合は電話番号をわたくしが語呂合わせで覚えてた。
2012年に沖縄に来てからしばらくの間はケータイがない時期が続いたが、公衆電話からかけたりしてた。


基本的に、こちらから連絡しなきゃいけないっていうのは、わたくしのような人間にとってはものすごくストレスフルな関係なわけだが。
このISxJの友人だけは例外だった。
数学の話ができる唯一の人でもあった。


去年(2022年)6月に米22kgをくれた整数論さん(仮称)は。
整数論やってたけど、なんていうか……数学の話ができる人ではないんよな。数学からほぼ完全に関心が離れてしまってるから。


あ、整数論さん(仮称)はわたくしがバイトしてたまんが喫茶とは何の関係もないです。世代ももっと上です。そもそも関西出身ではないです。
あと、沖縄にはたまにしか来ない人です。


あと、今回の記事の中で、別の名前で呼ばれてる人はシンプルに別の人。
「実はこの人とこの人は同一人物」とかそういうのは一切ない。


[news]
東京なんて住むもんじゃない。


まあ、東京も。
無条件で、家賃が3年間ずっとタダで、しかももともと住んでた場所のほうも3年間ずっと家賃を出してくれてキープし続けることが可能、とかそういう保証があるならまた別。
「無条件」が重要。


[news]

わたくしは「たまにはウナギを食べたい」なんて絶対思わない。少なくともウナギには行かない。
たとえ思ったとしても、支給日の当日に買いに行けばいいだけ。
同時に、とりあえず現時点では、こういうデモを迷惑だと思ったりもしない。


ちなみにわたくしが産み出すものは、基本的には「働いてる人」が見ることは想定していない。
どうかこの文章も「働いてる人」の視界には入りませんように。


無理して「会社員」に擬態ぎたいしているINxPとか、あるいはIT関係・ゲーム関係・メディア関係の会社とかはまた別だけど。
でも結局それってわたくしがイメージする「働いてる人」とはちょっと違うよね、ていう。


生活保護の額を上げるんじゃなくて、若い人が家賃の心配をしなくていいように、困窮してるかどうかに関わらず全員が3万2000円程度の家賃補助(住宅扶助)を受けられるようにしてほしい。
浮いたお金でわたくしのような人間にカンパする人も増えるかもしれないし。


あとは、翌日に繰り越せない・貯めることができないというのが前提の、食料品のみ購入できる何かとか。
これについては以前X(がTwitterだったころ)にも書いたけど。
結局、生活保護を受けてる人の中で「足りない」という訴えをする人の中には、トータルの金額が足りないというわけではない場合があるということ。
たとえ金額が多少増えたとしても、結局数日で使い切ってしまうなら意味がない。少しずつ渡す仕組みが必要。


「翌日に繰り越せない・貯めることができない」というのはすごく重要で。
J型の人は納得いかないかもしれないけど。


LCCとかも、「ギリギリ間に合ってない」みたいな乗客への救済がない。
そういうのがないからこそあの価格が実現できるんだろうけど、行政サービスを含めて新しい「おトクなサービス」が登場したとしても、J型はますます得をしてP型は(相対的に)損をする構図というのが変わらない。
変わらないというか、強化される。
当然ながら、わたくしのような人間はLCCで頻繁に乗り遅れる。パンデミックになってからは一回も飛行機乗ってないけど。


ちなみにピーチで那覇←→関空だと、早いタイミングで6000円〜8000円くらいで取得しておいて、でも乗り遅れてしまって、20000円〜25000円くらいで当日の夕方の便を購入し直す、みたいなことが多かった。
クレジットカード持ってなくても、「ピーチポイント」だったか何かそういうものをコンビニ払いで購入することによって、当日のチケットの取得が可能だった。
あくまでも2015年〜2019年あたりの話で、最近のことは知らん。


生活保護って、貯金は原則禁止だが。
例えば食料品や日用品を少しずつ余るように買いだめ(つまり、次の支給日の時に少し余ってる状態になるように買いだめ)を続け、食料品や日用品については3ヶ月間くらいは何も買わなくても過ごせるくらいのストックができたタイミングでガス代や水道代を一時的に滞納することによって、一切の貯金をせずに5万円くらいのものを買うということも、不可能ではない。


ちなみにわたくしの場合、毎日パスタだと月に8kgぐらいの消費。
だから毎月8kgずつ買うのではなく10kgずつとかにすれば、毎月2kgずつ「備蓄」が増えてゆき、1年後には24kgの「備蓄」が生まれる計算。
24kgあれば、とりあえず3ヶ月はパスタを一切買わなくても暮らせる、というわけ。


禁止ではなくても、そもそも「お金を残しておく」ということが性格的に不可能なわたくしではあるが、パスタならたくさん備蓄があっても食べすぎてしまうということはない。
缶詰の場合はちょっと微妙。
ノンオイルなら単体としておいしくないけど、単体としておいしいものは小腹がすいた時についつい食べすぎてしまう。


わたくしのような単身世帯では、「交際費」といえるようなものが完全にゼロであり、予定外の出費というのもあまりない。
単身世帯で、家賃補助(住宅扶助)以外に7万円あれば、とりあえず生存権が侵害されるということはない。
たいていは、次の支給日付近までお金を残しておくことに失敗してるということだと思う。
難しいのは、子供がいる世帯。


まあ単身世帯でも、週に1回飲みに行かないと死んでしまう、みたいな人もいるのかもしれないけど。


今回のパンデミックで衝撃的だったのは「どうしても飲みに行きたい」という感覚とモラトリアムが結びついているイメージの人が多かったこと。
そうじゃなくて、ある種の人々にとっては、飲み会を断ることができるというのがモラトリアムなんですよ……


世の中の飲み会の95%くらいは、存在自体がアビリーンのパラドックス的なものだと思ってた時期もある。


あ、でも、打ち上げっていうのはやったほういいのかもしれないと思うことがある。
打ち上げには呪術的な効果がある。


[news]

  • 「子どもだけで留守番禁止」条例案撤回 反対意見1005件、賛成は2件のみ 「胸痛めていた」と埼玉県知事:東京新聞 TOKYO Web(2023-10-10)
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/282810

こういうのって本気で禁止したいと思ってる人がいるんだろうか。
一人でいることが苦痛な人が、本気でかわいそうとか思ったりするんだろうか。


「伝統的」な家族観がどうとかそういう背景がある場合は、意図が分かりやすいという意味ではしっくりくる。


もしE型が、よかれと思ってI型に対して無自覚な虐待をしているとすると、やるせない。


「いまこの建物には自分一人しかいない」ということがもたらす圧倒的な安心感と充足感。
これの代わりになるものって、ないんよな。


特に小学生くらいのころは、もともと鍵っ子というわけでもない限り「いまこの建物には自分一人しかいない」という機会が、頻繁にはない。
だからこそ、そういう時間は特別なものとなる。


あと女性の場合、結婚してから自分の部屋というものを持つことができないことがあるのは現代日本でもそうだろう。


子供のころにおける建物内に一人だけという時の祝祭性については、あまりフィクションでも描かれないけど。
ひぐちアサの漫画『家族のそれから』(連載は2000年)の第1話でそういう描写がある。
まあこの漫画の場合は、もう高校生になってる登場人物だけど。


2007年か2008年あたりだったと思うが、おそらくE型と思われる人(50代か60代くらいの女性)にひぐちアサの『家族のそれから』を貸した記憶がある。
その人は自分が幼い頃に留守番で不安な思いをしたということを話してたから、いやいや留守番が祝祭だっていう子供もいるんですよ〜みたいな感じで。


漫画をわたくしに返す時は、何も感想は言わず「まあ……これは……返すわ……」みたいな微妙な空気になった。
あんまり聞き出すのもよくないかなと思ってこちらも何も聞かなかったけど。
漫画を読んでどう思ったのかは分からない。


そのE型と思われる人はやたらとネグレクトがどうのこうの、という人で、過干渉かかんしょうが苦痛な子供の気持ちはまったく分からないようだった。
まあネグレクトのこと以外にも、「1を聞いてマイナス10を知る」みたいなところがある人だったけど。


でもまさにわたくしのような人間がネグレクトをしてしまう側なのかもしれない。
自分の子供とかあるいは預かった子供とかがもしE型だったらどうすんの?ていうのはある。
「うるせえ黙ってろ!」とか「いま話しかけてくんな!」とか言ってしまったり、何日も自室から出てこないとか。やってしまいそう。
どうしても一人の空間がほしいから21時になるまで帰ってくんな、とか。


だから100%確実に「一人が好き」という子供じゃないと、育てるっていうのはできない気がする。
特に、貧困あるいはそれに近い状態のまま一人で育てるというのは無理だろう。
わたくしが一人の空間を必要としているからこそ、「一人で育てる」ができないというのは逆説的でもあるけど。


濃厚なI型の結婚相手がVTuberであれば、ダンナ(あるいは嫁)が相手してくれない、寂しい寂しい、配信やってないと死んじゃう、という構図をつくりだすことが可能となり、全員がウィンウィンという場合があるのかもしれない。


E型とI型の違い。
これについては、「分類しない暴力【A面】」( https://note.com/cleemy/m/m3c861812c2a0 )でちゃんと解説書こうと思いつつ。
なんかもう、あまりに時間が経ちすぎてしまってるけど。


とりあえず、教育やマネジメントに関わる人は『MBTIへのいざない』邦訳のP.182〜P.185とP.218〜P.220は読んどいたほうがいいと思う。
「反応がおそい」場合にE型がI型を「信用できない」と思いやすいこと、そして大きな組織においてE型がE型を引っ張り上げて上層部がE型で固められやすいという構図。


『超一流の諜報員が教える CIA式 極秘心理術』(邦訳は2020年刊)という本のP.310(第12章)に、恐ろしい判別方法が書かれている。
「反応がおそい」人は「信用できない」と思っている人がこれを読むと、ますますそういう世界観を強化してしまうのではないか。


『超一流の諜報員が教える CIA式 極秘心理術』P.310の判別方法、わたくしとしては、初対面であんな異様な質問をされて動揺せずにスラスラ答えられる人というのは詐欺師なのではないかと思ってしまう。
まあ、状況によっては「ある意味頼りになるなあ」とか思うかもしれないけど、「あまり深くは関わりたくないなあ」というのも同時に考えるのではないかと思う。


『MBTIへのいざない』P.182〜P.185は、『超一流の諜報員が教える CIA式 極秘心理術』P.310〜P.313のような記述をどう考えればいいのかを解説しているかのように読めてしまう。


E型がよかれと思って即答ばかりすると、I型は「適当にあしらわれてる」「こちらの質問はまともに答える価値がないということなのか」と思ってしまう場合がある。
まあ、オンライン越しだと、即答はまた違う意味を持つこともあるけど。


I型でも、即答しようと思えばできる人もいる。
IxxPよりはIxxJに多そうだし、INxxよりはISxxに多そう。
だから『超一流の諜報員が教える CIA式 極秘心理術』のような本、ああいうものを読んだIxxJやISxxが真に受けてしまうことはないだろうか?大丈夫だろうか?などと心配になってしまうこともある(第三者効果)。


先ほど紹介した動画にあった、分析・想像力を重視するCIAと、作戦機能・オペレーションを重視するイスラエルの情報機関という対比。
これ、普通に考えれば、分析・想像力はINxxに親和的で、作戦機能・オペレーションはESxxに親和的。
だから邦訳のタイトルに「CIA式」と入っているのは皮肉なことかもしれない。基本的には、P.310〜P.313のような記述はE型が好む発想だからだ。


日本の警察でも、明文化されないある種のノウハウのようなものが共有されてたりしないかは気になる。
事情聴取などで「即答できないなら、やましい証拠」とか本気で思う人がいるかもしれないと考えると、恐ろしいものがある。
実際に冤罪えんざいにつながってたりするケースもあるかもしれない。
I型のほうが冤罪被害に遭いやすいといえるのかどうかはかなり気になるポイント。


男性はE型が多数派かというとそうでもないのもポイントで。
E型男性はいろんな意味で声が大きいので空気を支配する。


結果的にENxx男性が、INxxが考えたことを代弁してくれる時というのは多々ある。
でもESxx男性は代弁ではなく改竄かいざんになりがちなので、INxxの代弁ができるなどとは、ゆめゆめ思わないでほしいのです。どうかよろしくお願いします。


I型に対するおせっかいとして、非常に厄介なのが、よかれと思って一人の時間を奪うE型。


どうせおせっかいをするなら。
重要なのは、「一人の時間はちゃんと確保できているのか?」という質問を発することと、「あなたが一人の時間を確保するために提供できるリソースがあるかもしれない」ということを、はっきり言葉で伝えること。
もちろん「知恵をしぼる」というのもリソースの提供の一種である。
本人が「放っておいてほしい」という言い方をすることもあるが、それは介入的な人が一人の時間を奪う存在であることが多いから。


現実には、「放っておく」とか「そっとしておく」ということによって、一人の時間が奪われてめちゃくちゃになることがある。
一人の時間を確保できるようにするために介入をするという、そういう介入がありうるのだということを言葉で伝えたほうがいい。
同時にそれは、I型の感覚を理解してくれる人がいるのだという安心につながる。


I型にとって、他者というものがことごとく一人の時間を奪いにくる存在として認識されてしまうことがある。
一人の時間の重要性を理解しているということは早い段階ではっきり言葉で伝えないと、「どうせこいつも一人の時間を奪いにきたんだろう」と思われる場合がある。


これわりと、詳細知りたいかも。

噂だけど、韓国では就活でEじゃなきゃ採用しないところがあったり、初対面でまずMBTIを聞いたり、名刺にMBTIを書いたりするほど流行りまくってるらしい。

「INTPの中でもカスの奴」

日本より先にMBTIがブームになったのは、おそらく韓国の「xSxJ圧」みたいなものは日本より強烈だからだろうと思ってたけど。
「Eじゃなきゃ採用しない」みたいなのがほんとにあるとしたら、ブームの弊害のようなものといえるかも。


まあ、統一教会関係者に「あ、こいつI型だ(使い物にならねえから勧誘しないでおこう)」と思ってもらえるメリットはあるのかも。


日本最大のカルトは「サラリーマン」だと思うが、韓国の場合は「受験」なんじゃないかとか思ったり。


韓国でもGitLabのような非同期コミュニケーション原理主義みたいな会社が増えたらどうなるのかは気になる。
あるいはE型至上主義みたいなものへの反発として、すでに増えてる可能性もありそう。
やはり「原理主義」はそういう方向で発揮していただきたいものです。


わりと本気で、すべてのINxxにこういうの一人一個、配ってほしいなと。
空き家とか全部つぶして、これ置いとけばいいでしょ。
そのうち100万円下回るはず。

  • 3Dプリンターで作った住宅の値段は550万円 50平方メートルの広さでトイレ・キッチン・風呂付き(2023-08-31)
    https://www.youtube.com/watch?v=TrqhTC6Zi_w
    (CBCテレビ、3分半)


いやまあ、古民家とかはもちろん、文化的な価値があるので可能な限り残したほうが良いとは思うけど。


ちなみにわたくしがいま住んでるとこ、古民家ではなくボロい小屋でしかない。
家賃35000円。
ボロすぎてNHKの集金が来ないというメリットはある。


[news]

  • 歴史学者・ハラリ氏緊急インタビュー「イスラエル人もパレスチナ人も“苦痛の海”にいるからこそ」【ユヴァル・ノア・ハラリ】【Yuval Noah Harari】【報ステ ノーカット】(2023-10-20)
    https://www.youtube.com/watch?v=eVhGKMmqikY
    (ANN、36分弱、※報ステのインタビューのロングバージョン)


動画の27:04〜あたり。
壁(wall)や境界線(barrier)をつくる必要性について語るなら、思考と口の間に壁をつくる必要もある、と。
うん。
ただまあ、わたくしとしては、壁をつくることは必ずしも他者の否定ではない、とは思う。
重要なのは距離で、壁や境界線はその手段。


メキシコの国境のことなどが話題になって、どうしても「壁」は差別的な視点と結びついたものとしてとらえられやすい。
「隔離」もいまだにアパルトヘイトのことが連想されてしまう。
他者への理解を深めるための「壁」や「隔離」もある。


混ぜるから憎悪が生まれる場合もある。
距離があるからこそリスペクトしあえることもある。


動画の34:16〜あたりの、スペースをとっておく(preserve space for peace)という話は、距離との親和性はあるかもしれない。


性格分類というのは、人種を超えたものとして存在している。
例えば「E型にとって心地良い感覚を押し付けようとするE型に苦しめられているI型」というのは、どこの国にもいる。
当然、ガザにもイスラエルにもいる。


以前の日本は少し徒歩で移動すれば森の中に行くことができた。
現代では、人工の密集度が高い地域では一人の空間を確保するのにコストがかかる。
これは非常に地域性の強い話題ではあると同時に、いろんな国にある普遍的な問題でもある。
「国民性」のようなステレオタイプな議論を解体するものでもある。


わたくしはあえて「隔離」という言葉を使いたいが、クラスタリングのあり方とかそういうのでもいい。
昔の人類は、このクラスタリングをほどよく推進するための手段を持っていた。
それがどういうことなのかというのが、「思考所」の後編のメインテーマでもある。いまX(Twitter)は凍結中だが、noteに書いたものの中にも、随所にヒントは散りばめておいた。


分断回避強迫とでもいえるものがある。
自分にとって都合の悪い意見を「分断をつくるからよくない」と言って黙らせることが横行している気がする。
社会的論点とリンクしたことについて意見を表明するのは、それがどんな意見であっても、多少なりとも分断を生む要素がある。
いかなる分断も生まない「意見」というのは、「海水は液体の一種である」というようなものであり、ここで考えている「意見」とは違う。


[news]
ジェネリック。


[news]

  • 【ハマス】『人質200人』引き換えに同胞6000人の釈放要求...過去に『1人と1000人』交換成立 専門家「イスラエルは人質奪還を重くとらえる」【MBSニュース解説】(2023年10月18日)
    https://www.youtube.com/watch?v=1daheoEdkPI
    (MBS、11分弱)

04:03〜あたり。『BANANA FISH』だ。


昔『BANANA FISH』読んで、このカプセルの中に紙を入れるというやり方で意味ありげにメッセージを渡して、えっなんだろう?と開けてみるとものすごくどうでもいいことが書かれている、というようなイタズラをやろうとしていたことがあったけど。
こういうのってよく考えると、受け取った人が紙を開く時には、仕掛けた側はすぐ近くにはいないわけよな。


で、相手がちょうど開けた瞬間に宇宙から隕石が落下してきて、わたくしだけ死ぬ可能性というのは、ゼロではないわけだ。
で、そういう場合、受け取った人にとっては、謎のメッセージを受け取った直後にメッセージを発した側がそういう死に方をしたということで、カプセルの中の紙には触れてはならないこの宇宙の究極の秘密が書かれているかもしれないと思って、そのメッセージの謎を解くことに一生を捧げてしまうかもしれないわけよな。


だからこういうイタズラはよくよく準備してから決行する必要がある。ネタばらしに失敗した場合にどうするかという。


それは本当の本当に、起こったことなのか?


ジェネシスブロック記事にも書いたproof-of-existenceプルーフ・オブ・イグジステンスと撮影日時特定についての話、ウクライナのニュース映像に触発されたと書いたけど。
それは嘘ではないけど、そもそもあのツイートをしたころ(2022年8月)というのは安倍晋三あべしんぞう銃撃からまだ間もないころで。


何よりもまず、そういう銃撃が本当に起こったのかという。
それをどうやって確認すればいいのかという。
そういうことがあったとして、それが本当はいつ起こったのかという。
でもあのタイミングでそういうことを言うと、異様な主張をする陰謀論アカウントにわたくしが同調しているかのように見えてしまうということがあった。


1年経ってみて、そして生成AIの能力についての検証が大量にいろいろ出てきて、まあ安倍晋三銃撃については、高い確率でやはりそういう銃撃事件があったのだ、とはいえそうだ。
でもそういえるのは、あの銃撃が2022年の夏に起こったことだからだ。
もしあれが2025年だとしたら、どうなのか?
ニュースで誰それが銃撃されたと流れてきて、その写真や映像も公開されている時、我々は何を考えればいいのか?


「公衆の面前で」とか言われても。
いや俺はいなかったぞという。
もうこれからは、どんなに大勢に目撃されたとされる事件であっても、そもそもそれが本当に起こったことなのか、というのは常に疑っていく必要がある。


  • 先輩「Aさんは誘わんとこな」バイト先での「飲み会外し」を描いた漫画に賛否さまざま - Togetter(2023-10-25)
    https://togetter.com/li/2246944

わたくしのような人間がこれを読んでどう思ったかというと。
実はこの「Aさん」と「爽やかセンパイ」の間で話がついてる可能性があるという。


「爽やかセンパイ」は「よっしゃ俺が悪者になるから、俺がAさんを外したんだという形をとろう」と動いた可能性。
つまり「Aさん」には例えば以下のような事情があった。

  • 単純に飲み会に参加したくないが、それを知られたくない

  • 残金100円未満だけど、それを知られたくない

  • 「爽やかセンパイ」ではない誰かについて「この人とは同席したくない」的なものがあるけどそれを本人に知られたくない

そしてこういうことを「爽やかセンパイ」にだけは相談していた、と。
物事を単純化したがるおせっかいな人(ESFx率高い)が無理やり「Aさん」を連れてきてしまい、「Aさん」と「爽やかセンパイ」は「だめだこいつ分かってねえ……分かってねえ……」と思ってる可能性があるっていう。


それが成立しやすいのって多分「爽やかセンパイ」がENxxの場合よな。


あと、おせっかいな人は実は何も分かってないんじゃなくて、「Aさん」と「爽やかセンパイ」の密約の存在を見抜いて、すべてを分かったうえであえて「分かってない人」を演じてる可能性もある。
そういう高度なおせっかいはENFxが得意そう。
自分だけ参加せず逃げるみたいなのを快く思わない人が上層部にいるがそのことを伝えることができないという場合に、自分が「悪者」になってなんとか強制参加させるとか。
あとは、「お前、私とは飲みたくないっていろんな人に言ってるだろ」という高度な当てこすりの場合もあるかもしれない。


結局、用事をでっちあげるとか仮病とか、そういう古典的な方法にかえらざるをえないのかもしれない。


まあでも、様々な場面での「なめらかさ」のようなものが出せないわたくしのようなI型からすると。
ENxxの高度なふるまいには、感動することもある。


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スキが100回超えた模様。自分がするほう。

「統一協会ツイートまとめ」の記事に「スキ」する直前にこの画面が出た。
2023年10月17日早朝(日本時間)。


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わたくしが「スキ」した記事一覧の最新は https://note.com/cleemy/likes


二世問題で話題になってたもるすこ以外は、見事に全員、noteがなければその存在自体を知らなかったであろう人。


20年前は、大阪では創価学会の活動が活発だとされてたけど。
わたくしは関西にいたころは引っ越しも多かったし、住所不定状態の時も何度かあった。
1999年12月〜2001年春と2007年12月〜2012年春については、大阪市内で自分名義で借りたワンルームに一人暮らしだった。
この2回の一人暮らしの時のことでいうと、1回目の一人暮らしの時には、創価学会の存在をまったく感じる機会がなかった。


2007年前半あたりだったかに「ああ、創価学会というのは本当に実在しているんだ」と思うことが何度かあった。


2012年に沖縄に来てからは、逆に創価学会が沖縄にもあるというのが実感としてよく分からず、顕正会けんしょうかいの活動のほうに遭遇する機会が多かった。


経済産業省を解体したら、産総研はいじらずに総務省に移管でいいと思う。


「スキ」した記事のうち、4つの記事は「それぞれがバラバラ」で検索してたどり着いたもの。


「それぞれがバラバラ」で検索してみたら、ネガティブな文脈で使ってる人が想像以上に多いことに気づいた。
https://archive.is/XCuFP


「シェア街」云々の記事。
ある意味ではわたくしとは真逆まぎゃくである。
物理的に集まるということをやらないと成立しないわけだから。
でも、そうであるにも関わらず「それぞれがバラバラ」が良いのだと言ってるというのが面白い。


「INTPの解剖」の記事。

毎日Google使います。使わない日はありません。
気になったら調べずにはいられません。

「INTPの解剖」

そう。
そしてINTPの場合、調べものが「いや、おかしいだろ?今それを調べるか?」ということになりやすい。
だからこれも「それぞれがバラバラ」と関係ある。


わたくしの場合、どちらかというと寄り道は好きかもしれない。


あと、ここ10年くらいは、「なんで?」を言いすぎないようにしている。


えっ、なんで?


「INTPの中でもカスの奴」とか「INTPの私の大したことはないメモ」とか、記事のタイトルからしてそうだけど。
「INTPであるにも関わらず」みたいな視点がある。
もちろんわたくしにもある。
いろいろ書いてきたけど、結局生活保護なのかよ、とか。


INTPといえばアインシュタイン、みたいなイメージが浸透してしまってるのも大きいかもしれない。
「ああ、アインシュタインと比較されるのか……」という。
INTPに対して、ものすごく幻想的な期待を持ってる非INTPもみかける。


『怠け数学者の記』(岩波文庫版)のP.174に、アインシュタインのグダグダ感のある講義について書かれている。
まあそりゃそうだよなあ、本当にINTPだったらこうなるはずだよなあ、と思うINTPも多いかもしれない。
これは普通に解釈すれば、1950年前後のプリンストン高等研究所での講義を小平邦彦こだいらくにひこが聴講した時のエピソード。


このアインシュタインの講義に関連して、情報伝達が「口伝」にならざるをえない事情について書かれた箇所もあったりして面白い。


ちなみに『怠け数学者の記』(岩波文庫版)のP.170にはプリンストン高等研究所について、以下のようにある。

その高等研究所に来てみると英語がぜんぜんわからない。しかし優秀で親切な秘書がいて、何か用事があるときには彼女のところに行って黙って立っていると、ちゃんとこちらの意を察してくれる。何か不思議の国に移住したみたいで非常に印象が深かった。朝永先生曰く「天国に島流しになったみたいだ」。

小平邦彦『怠け数学者の記』

「朝永先生」というのはもちろん、朝永振一郎ともながしんいちろうのことである。


『怠け数学者の記』(岩波文庫版)のP.48(対談の箇所)では、アメリカでは講義はちゃんとやらないといけないけど「雑用はほとんどない」と小平邦彦は回想している。


[news]
10月末ごろにはこんなのも話題になってた。


わたくしは現状では他人のための雑用というのはほぼ完全に皆無。
生活保護のおかげで、今月の家賃をどうやって捻出するかとかそういうことについて頭を悩ますこともない。
自分のための雑用はもちろんある。図書館に本を返しに行くとか。
集中できてる時とか、なんでよりによって今日が返却日?とか思うことはある。


だいたいどんなことについても毎日遅刻、スケジュールが守れない、借りたことを忘れる、といったことがデフォルトの挙動であるわたくしですが、図書館の本についてはだいたい返却日を守っているつもり。
でもたまに遅れることもある。


いろいろグダグダなことを目撃しても、「INTPであるにも関わらず」ではなく、「INTPだから」なのかもしれないというのを考えてみてほしいと個人的には思う。
こういう発想って、よくいわれる「免罪符めんざいふにするな」に抵触するのかもしれないけど。


今回「スキ」した記事のうちの一つから。

まずINTPですが、とにかくINTJと似ています、傍から見てINTJかINTPかを見定めるのは至難の業です。

「INTJから見たわがままなNT型達」

INTPってINTJと似てるんだけれども、INTPの場合は他人が求める「処理」がうまくできないというのがある。


スピーディーに、高速で、この言葉はどうにも腑に落ちない

INTPには考える時間が必要だ。時間をかけて様々な角度から物事を吟味して。ただただ急いで結果がよかったとしてもその吟味と理解の過程がなければ納得ができない。(と思う)

「INTPの私の大したことはないメモ①」

ここ重要。


オンラインゲームについて書かれたこれも重要。

また別のギミックでの避け方についても、「こういう動きで避ければ攻撃にあたらないから」と教えられたとき、「その表面的な避け方については知っている。でもなぜそうすれば避けられのか仔細がないし、実際避けられていない。ということはこの解説には何か抜け落ちている点があり、故に私は理解に至っていない。」と、しっくりくる解説をされるまでずっと悩む羽目になった。

第三者からしてみたら面倒極まりないタイプだと思う。

「INTPの私の大したことはないメモ②」

「処理」が遅いのではなく、頭の中で同時並行的にどんどん連鎖的に思考が広がっていって、根本原理を抽出しようと際限なく探索を続けていくような状態。
根本原理の探索について最適化されてるのがINTP。
それが有利に働く時と不利に働く時がある。


アインシュタインのスイス特許庁の時代をどう考えればいいか。
簡単な仕事だから時間に余裕があったとか、そういうことではないんじゃないのか、というのはよく思う。
結局あれは、一般利用者に気づかれないように図書館で象をかくまうというような、そういう性質のものだったのではないかと。


これも良い意味での隔離の例。


今回のこの10月の活動報告。
こういうのも、仕上げに10日以上かかってるわけだが。
そして毎月10日までという縛りを自分で設定しておいて、大幅に超過。
活動報告は平均3,000字をイメージしてたけど、今回は69,000字超え。
INTJなら、こうはならない。


ブロックチェーンがからむ記事、技術的な内容を含むものは #ブロックチェーン技術 というタグを使用しようかと思ったけど。
でもそれだと #ブロックチェーン と両方のタグを使用していくことになるのか?ということになってやめた。
あと、noteって複数のタグでの検索はできないんだろうか。


複数のタグでの検索ができたら、「ブロックチェーン」と「プログラミング」が両方ある記事を抽出したりしやすい。
でもわたくしは、ブロックチェーンの技術的な議論というのは、プログラミングが必須とは限らないと思ってる。proof-of-existenceプルーフ・オブ・イグジステンスをめぐる話とか、必ずしもコードを書く人がこういう思考実験が得意とは限らないんよな。


わたくしがALISに書いた記事の中で、2019年の3部作としてブロックチェーンとゲームをからめた思考実験があるわけだが。
今にして思えばこれ、パンデミックになる直前だな。


2019年当時はNFTがこんなに盛り上がるなんてまったく予想していなかったわけで。
ALISに書いたこの3部作で語ったことの一部はNFTで実現されたようにも見えなくもないけど、コアとなる部分っていうのは、NFTとはほとんど何の関係もない。
まあ「ほとんど」であって、少しは関係あるけど。


ALISでの3部作を書いてた2019年ごろは「まあブロックハッシュみたいなのもありますけど」みたいな、おそるおそるご提案差し上げます、という感じだったけど。


時間が経ってみて、やっぱりブロックハッシュというのは重要だなと。
別にブロックハッシュである必要はないけど、ブロックハッシュってとにかく、他人に説明しやすい。
あまり複雑な方法で算出する何かだと、それが妥当であるかどうかをどうやって判断すればいいのか、とかそういう話にもなる。


ブロックハッシュが予測不能というのは結果としてそうなるだけとも言えるが、予測不能であることが大前提だからこそ暗号学的にチェーンになってる、とも言えるわけで。
基本的には、ブロックハッシュの予測不能性を否定あるいは無視するのは、ブロック同士が暗号学的にチェーンになってることを否定するも同然。


/dev/urandom の代わりになるわけではない、というのは意識しておく必要あるけど。
でもそういうものの代わりを期待するんじゃなくて、たとえ1日に1回だけでもいいから、ブロックハッシュのような「サイコロ」があるというのが重要。
おそらく人類の歴史において、そういう「サイコロ」が登場したのって初めてなのではないかと。


スターゲイザーが重要な役割を果たしていた古代〜中世においては、超新星爆発とかは近いかもしれないけど。


現代でも、宇宙線とかそういうのでもいいんじゃないの、というのはいえるかもしれない。
でも権力を持った存在による恣意性しいせいを厳密に排除、ということでいうと、アナログからデジタルに変換するようなプロセスがあってはならない。
この理由で、気温とか降水量とかも「サイコロ」としてはイマイチなわけだ。


時間にもアナログからデジタルへの変換があるといえるかもしれない。
だから、「24時間後の最新のブロックのブロックハッシュ」とかじゃなくて、「23時間後の最新のブロックより5つあとのブロックのブロックハッシュ」とかが良いということになる。
あるいは最初からブロック高だけで指定するか。


連続ではなく離散であること。
ブラックボックスではなくオープンであること。
この2つが重要。
ブロックハッシュは最初から離散的でオープン。


[news]
最近はブロックチェーンでトレーサビリティが云々、というのもよくいわれるけど。
以下のような事例って完全になくすことができるようになるわけではない。
デジタルデータはデジタルデータでしかない。


実際のところ、あなたが昨日食べた肉の中に、猫の肉が含まれていないということは、あなたはどうやって確認すればいいのだろう?
「ブラックボックステスト」に近い発想で、とにかくたくさんDNAを検査するというのも方法ではある。
でも結局のところ、様々なレイヤーでの人的ネットワークに依存した調査が途切れることなく存在し続けているからこそ、「まあたいていの場合は大丈夫」と安心できるのである。


そしてこのネコ1000匹救出という報道、これが事実だとどうやって確認すればいいのだろう?
何らかの人的ネットワークへの信頼なしには、事実だと確信することは難しい。


実際のところ、わたくしが昨日食べた肉の中に、習近平の肉が含まれていないということは、わたくしはどうやって確認すればいいのだろう?


このへんはソフトウェアのバグとは違う事情があるということになる。
バグの場合は、見つけた人が誰であっても、再現方法さえ分かればバグの分析や修正が可能。


僕メタ、まだじっくりとは読んではいないけど。
おお、そこで「バイラクタルTB2」が出てくるのか、とか思った。
あとは「ソーカル事件」とかも。
巻末の索引が欲しいかも。
ちなみに「バイラクタルTB2」はP.110、「ソーカル事件」はP.147に出てくる。


『ザ・メタバース 世界を創り変えしもの』(邦訳は2022年11月刊)とかも、巻末の索引が無いのが痛い。
この本にclusterやZEPETOに言及あるかどうかとか、気になってるけどまだ確認できてない。
まあこれも、電子書籍版で確認すれば一発なんだろうけど。
ちなみにRobloxについてはものすごく頻繁に登場する。


『ザ・メタバース 世界を創り変えしもの』邦訳P.362でRobloxについて以下のように書かれてて、なるほどそう持っていくか、と思った。
主にZ世代を意識した書き方だろう。

一方、『ロブロックス』には、フェイスブックの未来を脅かす消費者が集まっている。ソーシャルネットワークをやめるどころか、そもそも使おうともしない人々だ。

マシュー・ボール『ザ・メタバース 世界を創り変えしもの』

まあ、わたくしのようにインスタとLINEの両方について一度もアカウントつくったことない人って、日本のZ世代には少なそうではあるけど。


[news]
今年になってからの、WIREDの以下の記事。

ここでは、以下のようにある。

Robloxの没入的なビデオチャット機能は、メタが掲げるメタバースのビジョンの直接的な対抗馬として構想されている。しかし、両社は提携関係にもある。

すでにRobloxは、仮想現実(VR)ヘッドセット「Meta Quest」の全ユーザーがRobloxアプリのフル機能版を今月から使えるようになると発表している(これまではベータ版として提供されていた)。さらにRobloxはソニーの「PlayStation」でも近日中に利用できるようになといい、さらに利用者層が拡大していく可能性がある。

WIRED.jp 「Robloxはビデオチャット機能の搭載で利用者層の拡大に挑む」

まさにメタバースの存在によって、紙の本のプライバシーの高さは再注目されることになると思う。
でも紙の本って検索ができないから、せめて索引が欲しいと思ってしまうんよな。


これの日本語版出ないかな。


『解離の舞台』(2017年刊)のP.254には「沖縄」「ユタ」「マブイ」「マブイグミ」といった言葉が登場するけど、巻末の索引の中にはこの項目がない。
まあ、この本ではこれらはごく簡単にしか触れられてないわけだけど、そういう流れでそういうキーワードを出す作者なのかどうかというのを確認したい、という人もいるわけよな。
あとは、たとえ表面的に言及があるだけであったとしても、どういう風に言及されてるかが気になる人(さらに言及のあり方を収集してる人)とか。


この本の索引、立脚点が精神医学に寄りすぎているようにみえる、というのはあるかもしれない。
精神医学の本なんだから当然だろ、ともいえるけど、『神霊狩/GHOST HOUND』を観て超常現象と解離の関連性に関心を持った人を含めて、立脚点が超常現象あるいはシャーマニズムという人が『解離の舞台』にたどり着く場合もそれなりに多いんじゃないかと思うわけ。
でもまあ、「幽霊」や「霊魂」などの項目はあったりする。


『解離の舞台』の巻末の索引の中には暴露療法ばくろりょうほうの項目がないけど。
本当の本当に、この本には暴露療法には触れられてないのかどうか、というのが確信が持てない。
関連しているかもしれない話題はP.248〜P.251あたりにある。
この本も電子書籍版は未確認。


わたくしは同じ作者(柴山雅俊しばやままさとし)の他の著作は未見。
ただし『解離の舞台』は明らかに「決定版をつくる」という意気込みがあるはずで、帯にも「比類なき決定書」とある。

『解離の舞台』の帯、2023年11月17日撮影

プライバシーということでいうと、まさに解離なんかで問題になる。
女性の場合は特に、解離に関連したキーワードに関心を持っているということ自体を知られたくない、なるべく電子的な痕跡なども残したくない、という場合もあったりするはず。


漫画『サトラレ』がヒットしてたころ(2000年前後)も含めて、かつてのわたくしの考想伝播こうそうでんぱ体験をどう考えるかだが。
『解離の舞台』の第15章「解離と妄想」の中のP.233に、解離の考想伝播と統合失調症の考想伝播を比較する際のポイントとして3つ挙げられている。


『解離の舞台』P.233。
1つ目の身近な人なのか見知らぬ第三者なのかという点では、わたくしは見知らぬ第三者であり、解離よりは統合失調症寄り。


『解離の舞台』P.233。
2つ目の行動化ということでいうと、正直「なんともいえない」というところ。
考想伝播によって大胆な行動に発展することはない。それこそ「アイディアをパクりやがった」みたいなことを思って実際に報復しようとしたりするとか、そういうのは一切ない。
ただし、プログラミングの仕事のメールなどを含めて、じっくり一人で文章を書いている時に「本当は知ってるくせに」みたいな感覚を込めて書くことが多かったかもしれない。というわけで、「ほんの少し行動化しているといえなくもない」という感じで、解離よりは若干統合失調症寄りといえるのかもしれない。


『解離の舞台』P.233。
3つ目の「他者の先行性」はもっとよく分からない。
ここでは安永浩やすながひろしの「ファントム理論」や「パターン逆転」が強く意識されているようだ。
他者というか、すべてが宇宙的に決定されてしまっていて、わたくしも他者(同時代の人間)もそれに追随するしかないというような感覚の時はあったかもしれない。


『解離の舞台』P.185での解離とスキゾタイパル(統合失調型パーソナリティ障害)の対比では、わたくしはスキゾタイパル寄りかもしれない。
奇妙な体験において「不安や過敏、恐怖を伴」うことはあまりなかった。「「夢」の延長」も違う。
これはわりと今でもそうなのだが、奇妙な偶然の一致などに気づいた時などは、強烈な覚醒がもたらされる。


不安ということでいうと、何かの体験をきっかけにというわけではないような平常時においては、宇宙的でありながら漠然とした不安、とでもいえるようなものを感じることはある。


索引をつくる苦労についての記事がnoteにあった。
これ、前述のアニメの中間生産物の「タグ付け」も近いものがあるはず。


以下のブログ記事には、若者は索引を使わないとある。
でもわたくしの場合、10代のころや20歳前後は索引を使わなかったけど、徐々に徐々に索引を重視するようになった。
検索に慣れきっているからこそ、紙の本ではせめて索引があってほしいという人が今後増えるはず。


僕メタ、P.158には以下のような箇所がある。

例えばある川が氾濫はんらんして堤防が壊れたとします。この時、堤防の近くの地域だけでなく、ダメージを受けていない地域の住民も、うちもお金を出そうという意思決定ができる。

落合渉悟『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』

これは実に良い題材。
堤防の決壊があり、「ダメージを受けていない地域」の人々が意思決定に参加するとなると、その「ダメージを受けていない地域」の人々というのは、状況を肉眼では確認できない可能性があるということ。
そもそも、そういう決壊が実際にあるのだということを、どうやって確認すればいいのだろう?


ちょうど僕メタが出た数ヶ月後の2022年9月、水没画像のフェイクが話題になった。

これはすぐフェイクと分かるものだったが、もっと性能が向上したAIで、もっと入念に準備したものだとどうだろう。


そしてP.110には以下のような箇所がある。

国家がDAO化しても、例えば原発とか軍事には、専門的な訓練を積んだ、いわば失敗しない政策を立てるリーダーが必要かもしれない、とぼんやり見えてくるわけです。

落合渉悟『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』

国家がDAO化しても、事実の発掘と認定をどう考えるか。
災害発生時にその災害の実態をどうやって知ればいいか。そして「失敗しない政策」の前提となる事実を、どうやって発掘し整理すればいいか。


事実は待っていてもやって来ない。
我々に事実をもたらすのは、「専門的な訓練を積んだ」、広い意味でのファクトチェッカーである。


僕メタのP.258には「汚職ゼロのシステム」とある。
事実そのものを歪めることが出来る存在がいれば、DAOをベースにしていても利益誘導が可能になる。


今年(2023年)の5月のペンタゴンのフェイク。

この時、実際に株式市場に影響を与えたわけだが。
イーサリアムのスマートコントラクトではChainlinkのオラクルを介して金融取引データの取得ができるから、潜在的には、フェイクの拡散によってコントラクトの挙動に影響を与えることが出来るようなケースはすでに存在することになる。


DAOで財務省が消滅するというのは、ある程度はそうかもしれない。
たとえ国家がDAO化しても、完全になくなるわけではなく、財務の妥当性についての調査を行う組織としての「財務省」は残るだろう。
それは2023年時点の日本の財務省とは似ても似つかないもので、その「財務省」の職員というのは、大多数が高度なプログラミングの経験とサイバーセキュリティの知識を持っていて法律にも詳しいはずである。
そして一部職員は、ファクトチェックの専門部隊ということになるだろう。


『国際報道を問いなおす』(2022年7月刊、ちくま新書)の第1章では、開高健かいこうたけしが意識したという、武田泰淳たけだたいじゅんの「書斎にこもって酒ばかり飲んでないで町にでなさい」という言葉が紹介されている(P.35)。
しかし一方で第2章の冒頭では、街の人の声を丁寧に拾っていくことによって、「あてにならない」とかそういうレベルではないような、まったくのデタラメな構図が植え付けられてしまう危険性についても書かれている。
取材をするより「夜空の月を見ろ」という、中東専門の先輩記者のアドバイスも紹介されている。


社会学方面などにおいても、フィールドワークによってデタラメな構図を植え付けられることは起こりやすい。


それでも人的ネットワークは重要である。
人的ネットワークの維持のためには相手への深い理解が必要で、地縁・血縁よりも文化的体験のほうが重要である。


そして人的ネットワークの維持のためには、1年に1回くらいはアポなしピンポンをするタイミングがあって当然なのではないか。


そして10年に1回くらいは、ピンポン鳴らさずに突撃しないといけないタイミングが訪れたりするものなのではないか。


2019年にALISに書いてたこと。
FF14みたいなフルセットのゲーム世界でどういう話になるのか、と考えると話がややこしくなる。
要素を削ぎ落として考えるということと、NFTのブームによって取りこぼされたものをどう考えるか。


アイテムにフォーカスしすぎると、ソシャゲのガチャの改良版のようなものと誤解されかねないけど。
アイテムであっても、それぞれのワールド(ゲーム)において、決定的で影響範囲が大きく、両義的な存在で、神でもあり悪魔でもあり、災害という要素もあるような。
そういうものを考えてみたほうがイメージしやすい。
例えば、五十嵐大介いがらしだいすけ『魔女』の3つ目の話のような。


実際に五十嵐大介『魔女』の3つ目「PETRA GENITALIXペトラ・ゲニタリクス」を読んでもらえれば分かるとは思うけど。
ああいうものが突然出現する(別のワールドから移動してくる)、そして突然消失する(別のワールドへの移動する)、というような場合を考えると。
もし、移動先やタイミングが人間(プレイヤー)の意思で左右するのがまったく不可能という場合、それを決定するようなサイコロってどういうもの?ていう風に考えていくと。
現状では、万人が納得するようなサイコロはビットコインのブロックハッシュくらいしかない。


ランダムという要素と納得という要素。これは甘く見ないほうがいい。
誤解にもとづくものだったし、大きな広がりを見せたわけではないけど、かつてLinuxの乱数生成について署名活動が展開されたこともある。


現状で、五十嵐大介『魔女』の3つ目のようなものをオンラインゲームでやりにくいのは、運営の恣意性しいせいを勘ぐられると納得が得られないからだろう。
そこでさらに、複数の運営主体の間での調整が必要とかになってくると、まったく不可能。
ビットコインのような規模のブロックチェーンのブロックハッシュなら、この世界で誰も制御できないということが保証されてるから、この両方が同時にクリアできる。


もちろん、ああいうものが常に存在するのであれば、ああ、そういうゲームなんだなあ、ということでしかない。
ここで考えてるのは、その世界における日常を完全に破壊し、不可逆的な変化をもたらす何かが時々やってくるというもの。


ALISで書いてたころは自分でシンプルなPoWのブロックチェーンを実装してみたいというのがあって、それと混ざってしまってるけど。
ちょっとそこは忘れていただいて。
既存のブロックチェーンを使うとしたら、当然ビットコインが最重要候補になる。


2019年ごろはシンプルなPoWのチェーンを新たに立ち上げることに幻想的な期待があった。
2020年夏にETCの51%攻撃が実際に起こって、意識がビットコインに引き戻されたというのはあるかも。


「ETCのような小規模なPoWでは」というような説明がされることはあるけど。
新しくブロックチェーンを立ち上げるのもいいかも、とか思ってる側からすると、知名度的なものも考慮するとETCは圧倒的に巨大だったわけで。
よりによってETCで51%攻撃が起こるのかという。


あとあれだな。プレイヤーの移動とかアイテムの移動とか、そういうのを入れると焦点がボケるしNFT関連だと思われる可能性もある。
プレイヤーやアイテムの移動については、これはこれでいろいろと構想はあったけど。
「災害」的な存在の移動という、それだけに絞ったほうがいいんよな。


例えば、10個ぐらいのワールド(ゲーム)で取り決めをつくっておいて、常にその10個のどれかのワールドに「災害」が滞在しているというような。
それぞれのワールドで「災害」はまったく違う形になる。姿形が存在しないワールドもある。
当然、その10個のうちの1個がマルチユーザーのテキストアドベンチャーとかだったとしたら、そこでは「災害」はすべて文章で表現される。
移動のタイミングはいつ訪れるかわからないが、それもすべてブロックハッシュの値から容易に定まるようにしておく。


結局、ALISで書いてたことって。
なぜゲームに災害はないのか?
と問題を再設定したほうがいいのかもしれない。


わたくしが子供のころ出会ったゲームの中に『アクトレイザー』とか、そういうのはあるけど。
あれはプレイヤーが神で、地震を起こさないとクリアできないっていう。
広い意味での「シナリオ」と結びついているともいえるから野心的ではあった。


ただし、『アクトレイザー』の地震は、現実に起こる災害よりは、個人が管理している水槽に巨大な物体を投げ入れるような感覚に近い。
プレイヤー(神)とNPCの人間に非対称性が強すぎる。
ほとんどのプレイヤーにとっては、ゲームの外で実際に発生する災害と同じようなことが起こっているとは感じず、「ああ、災害がプログラム的に表現されているなあ」という、ただそれだけである。


そして、グラフィックなどをどんなにリアルにしていっても、「ああ、リアルに表現されているなあ」というだけである。
災害であるというためには、自分以外の人間にも災害として認識されており、災害の性質も共有しているという前提が必要。


2005年に発生して世界初のゲーム内パンデミックとして研究対象にもなっている、WoWのCorrupted Blood事件(Corrupted Blood incident)とかはまあ、災害といっていいかも。
ただしこれはバグ(というか仕様上の欠陥)が由来。


ここであらためて、前述のこの動画。終盤にも注目したい。

  • 【藤田直哉・吉田寛・五百蔵容】アーケードゲームのこれまでとこれから 『ゲームが教える世界の論点』vol.5(2023-07-25)
    https://www.youtube.com/watch?v=sMhiKQkGwiI
    (「未来に残したい授業」チャンネル、1時間40分強)

この1:26:25〜1:31:35あたり、セガ社内でよくいわれていたという「マギレをつくる」というのが気になるんよな。
これって「間切れ」?「紛れ」?将棋用語の「紛れ」に近いもの?


オンラインゲームの場合。
現実に起こる災害のインパクトを考えると、平常時のデスペナルティとは違うもの、例えばレベル99(MAX)の人がレベル1になったり、レベル1の人がレベル99になったり、全財産を失ったり、すべてのアイテムを失ったり、ものすごく苦労して自分の家を建てたのに地形が完全に変わってしまっていかなる再建もありえなかったり。
選ばれたごく一部のユーザーは、アホ毛の部分だけが480fpsになるとか。
やっぱそれぐらいのことは起こらないと。
そして、それがバグとか仕様上の欠陥とかには由来しないという。


そう考えていくと、2023年11月時点の地球上において、オンラインゲーム内の「災害」のふるまいを決定するような「サイコロ」で、万人が納得できるのってビットコインのブロックハッシュ以外にあるの?ていう。


コアなプレイヤーには運営側の意図が反映されたりはしていないと確信できていたとしても、例えば有名配信者が極端に有利(あるいは極端に不利)になった時に、ほぼ配信を通してしかそのゲームを知らないというような人々も含めての、そういう万人の納得というものを考えると。
いやほんと、もしブロックハッシュ以外にあったら教えてほしい。


マイナーが100人だけとかだと、国家が莫大なリソースを投入して100人のうち90人ぐらいに同時に拳銃をつきつけると、それなりにブロックハッシュも操作できてしまうかもしれない。
僕メタでは「脅迫耐性きょうはくたいせい」という言葉が使われてるけど(P.128、P.250)。
「強迫」ではなく、おどすほうの「脅迫」。
2023年時点のビットコインの規模なら、ブロックハッシュを脅迫によって左右することはほぼ不可能。


1990年代には、プログラムをどれだけ完璧にしてもシステム管理者に拳銃がつきつけられた場合にどうなるのかっていうのは永遠の課題だと思われていた。
部分的にせよ、ブロックチェーンによってその永遠性に終止符が打たれた。
たとえ部分的でも凄いことだ。


ブロックハッシュに関連したマイナーへの脅迫は、最も単純なものとしては、脅す側にとって都合の悪いブロックハッシュだった時にそれをブロードキャストさせない、というのがありうる。
マイニングプール寡占化をどう考えるかだが、マイニングプール参加者が自分の手元でブロック生成まで完結するような計算になってるかどうかは重要かもしれない。
ブロック生成に成功したはずなのにマイニングプール運営者がそれをブロードキャストしない、ということが続けば大きな騒動になることが期待できる。
マイニングプール参加者の計算資源の提供のあり方と脅迫耐性は結びついていることになる。


このあたりのこと、実際のマイニングプールでどうなってるかは知らない。


そもそもブロックが手元にあるなら、自分が立てているノードでブロードキャストすることは潜在的には可能ということになる。


「災害」の社会実験やる時は以下を強調したほうがいいだろう。
各種アレルギー源は含まれていませんよという。

  • ブロックハッシュを参照するだけであり、「ブロックチェーン技術」をゲームに組み込むわけではない

  • 実験に参加しているすべてのワールド(ゲーム)は誰でも無料で体験でき、ガチャ的な要素のある課金は一切ない

  • いかなるトークンも発行しない

  • NFTと一切からめない、「Web3」という言葉を使わない

  • 「ゲームで稼げる」的な要素が一切ない

  • コンテンツビジネスやキャラクタービジネスと切り離す


オンラインゲームだとゲームマスターがすべてをコントロールできる神のような存在だけど。
まあそれは当たり前といえば当たり前なわけで。


プレイヤーの諸君。
わたくしは「コントロールできない」を厳密に設計するほうに惹かれるのである。

https://twitter.com/sugaaanuma/status/1353635851276705792


ALISでいろいろ書いてたのに、ここしばらくSAOに言及してなかった気がするけど。


2019年のALISの3部作の記事は理論的なことを説明するための題材としてSAOを選んだというだけで、コンテンツビジネス的な何らかの事情とは一切関係ないし、2次創作的要素のある何かをやろうとしていたわけでもない。
まあそんなの記事をよく読めば分かるだろ、とは思うけど。ブロックチェーンの知識がないと読んでも意味が分からないかもしれないから念のため。


複数のゲーム世界とその接続としては、1980年代の『ネットワーク戦士ウォリアー』がある。
いろんな意味で凄いけど、ちょっと題材にはしづらい。
でもこれは本当に凄い漫画なので、文化史的観点からも『ネットワーク戦士』の英語版は是非とも出してほしい(まだ出てないなら)。


ちなみに『ネットワーク戦士』をはじめて知ったのはブックオフ。
2017年〜2019年あたりに一時的に大阪に滞在してた時に、大阪市内のブックオフで見つけた。
何冊か買った漫画のうちのひとつで、作品の存在を知らなかったし、まったく期待もしていなかったのだが、読んで驚愕した。


まあ……なんつうか。
SAOはやっぱ、2期のファントム・バレット編(GGO編)なわけですよ。
アポなしでピンポンにこだわるのも。
なぜなのかっていうのを書いてしまうと、まさにそこが思いっきりネタバレになってしまうわけですが。


まあとにかく、メタバースが重要になっていくほど、物理的にアポなしでピンポンというのも重要になるんですよ。


んで、やっぱり2期のファントム・バレット編を楽しむには、1期の最初の14話(アインクラッド編)を観ておかないと、わけが分からない箇所があるはず。
ゲーム内に「監禁」されていた2年間がどういうものだったのかというのを共有していないと。


アインクラッド編については色々と語りどころがあるけど、1期の15話〜25話(フェアリィ・ダンス編)は人によってはベタすぎてついていけないと思うかも。
勧善懲悪!意志の力!


ファントム・バレット編も、第10話「死の追撃者」の中の「ただ全力なんだ」みたいなセリフ(というか独白)はちょっと納得いかないところもある。
高校生とはいえ、詩乃しのには少なくとも暴露療法ばくろりょうほうなどについての知識はあるわけだし。
でもファントム・バレット編って全体としては、作画とか演出とか各種UIなどのディティールも含めて職人芸的な見どころがたくさんあって、わりと隅々すみずみまでわたくし好み。
なお原作は未見。


マザーズ・ロザリオ編(2期の第18話「森の家」〜第24話「マザーズ・ロザリオ」)もベタっちゃあベタだけど。
事前情報ほぼ一切なしで観たわたくしは
「ああ……そっちかあ……そっちかあああぁぁぁ……」
という感じで。


アインクラッド編ではシステム的にログアウトできない、ファントム・バレット編ではおそらくこういう可能性があるからログアウトしないほうがいい、ときて。
マザーズ・ロザリオ編の中盤で自分の意思で急にログアウトしてしまうシーンが2回でてきて、「えっなんで急にログアウトしちゃうの?えっ?なんで?なんで?」とか素で思った。


原作やゲームでの描写は知らないが、TVアニメにおけるアスナさんの、あのむせ返るような圧倒的正妻感はどう考えればいいか。


スキゾタイパルとASDを対比的に見た場合、キリトくんや茅場晶彦かやばあきひこはスキゾタイパル寄りで、アスナさんはASD寄りに思える。
あくまでも対比的に見れば、ということだが。


「茅場晶彦」で検索するとそれだけでネタバレが視界に飛び込んでくる場合があるので注意。
2019年にALISにも書いたが。現時点(2023年11月)でもそう。


「メインヒロイン」あるいは「正妻感」といったものとASDの間には重大な関連性があると思ってて。
これは文化史的には非常に重要だと思っているのだが、それについて語るにはあまりに文字数が足りない。
とりあえず言えるのは、やはり多少はASDの傾向がある人が一人はいないと、ある種の「物語」というのはまわっていかないのかもしれないということ。


あるいはASDの傾向がある人がいないと「世界」というのは成立しないのかもしれない。


アニメでは3期(アリシゼーション編)から登場する神代凛子こうじろりんこについては、あまりASDっぽくないんよな。
3期の第6話「アリシゼーション計画」の最後の4分間に、茅場との関係やアインクラッドの2年間の舞台裏について神代凛子が回想するシーンがある。
アインクラッド編を観終わったあとであれば、他をすっ飛ばして先にこの4分間の回想を観たとしても、深刻なネタバレを食らうことはないはず。


ASD(および自閉症)と仮想空間との関係については、日本人研究者による『ハイパーワールド——共感しあう自閉症アバターたち』(2017年3月刊)という本がある。
セカンドライフの話題が多く、Oculus Rift(一般向け発売は2016年3月)が登場してからのことはおそらくフォローされていない。


ちなみにこの本にも巻末の索引がないから、Oculus Riftへの言及が皆無なのかどうかは確認してない。
電子書籍版は未見。
あと立脚点が社会学だから、精神医学に関心がある人は不満に思うかも。


最近よく「グレーゾーン」といわれるようなマイルドなASDに関連して『ハイパーワールド』P.186〜P.189では、仮想空間内自助グループの常連が「不気味の谷現象」と結びつけて語っていたという話が紹介されてるけど。
これはスキゾタイパルにもいえる。
統合失調症だと「ああ、完全にあちら側の人だ」ということになりやすいが、スキゾタイパルはそうではない。


『ハイパーワールド』P.66〜P.72とP.227〜P.236の情報過多の問題も、スキゾタイパルの場合と似ている。
同書P.217〜P.218の、「定型発達者側」が「余計な想像をし、心理的エネルギーをすり減らして疲れはててしまう」のも、スキゾタイパルと似ている。


『ハイパーワールド』のP.184にある、ASDの人は「会話のやりとり」よりも「言いっぱなしのメディア」のほうが「とりつきやすい」という話、大筋としては同期コミュニケーションよりも非同期コミュニケーションに親和的、といって良さそう。
そしてこういうのも、スキゾタイパルと同じ。
INTPもだいたい当てはまる。おそらくINFPも。


大筋としては、「非同期ファースト」はASDフレンドリーで、かつINxPフレンドリーというのは言えると思う。


スキゾタイパルフレンドリーというのがありうるのかはよく分からない。
コミュニケーションの手段についてなら、ASDフレンドリーでかつINxPフレンドリーであれば、たいていはスキゾタイパルフレンドリーと言えるかもしれない。


『ハイパーワールド』の作者(ニューヨークを拠点にしている社会学者の池上英子いけがみえいこ)がゲーセンノート(交流ノート)のことをどう思ってるのかは気になるポイントではある。
ちなみに『ハイパーワールド』以外の著作は未見。


「利き手」と同じように「利きコミュニケーション」のようなものを考えてみてもいいかもしれない。
同期が「利き」なのか非同期が「利き」なのか。
わたくしは当然、非同期が「利き」。
「右利き」「左利き」と同じように言うなら「非同期利き」。


そういや『ハイパーワールド』には「NT」という言葉が頻繁に登場する。
ややこしいことに、語られている内容によっては、

  • NT ≒ xSFx

  • ASD(非NT) ≒ xNTx

なのではないか、と思えてくるような箇所もある。
こういうこともあって、MBTIライクな分類においてはなるべく「x」をつけたいと思ってる。
読む時は「x」は発音せず「エヌティー」と読んでる。とはいっても、こういうことについて話せる相手がいないから声に出して読む機会はわたくしにはないけど。


ちなみによくいわれる、ASDは具体的なことへのこだわりが強くて言葉を額面通りに解釈するというのがあるけど。
この場合は、

  • 定型 ≒ xNFx

  • ASD ≒ xSTx

に近い構図がある。
あと、政策に関心が強かったり大きな歴史的な視座を重視するような「文系」による「これだから理系の連中は」という視点は、xNFxから見たxSTxという側面があることが多いように思う。


スキゾタイパルとASDについては、『パーソナリティ障害——いかに接し、どう克服するか』(2004年刊)のP.194〜P.195(第8章の冒頭)で、

  • スキゾタイパル …… 超越的

  • ASD(アスペルガー) …… 解剖学的

という対比が示されている。


文章やソースコードなどの完成品だけを見て判断しようとしたり、オンラインでの言動だけを見て判断しようとしたりしても、スキゾタイパルの「超越的」な部分は分かりにくいことがある。
非常に理性的で合理的に判断し続けているように見える人が、驚くような迷信を信じていたり、まったく見当はずれな関係づけにとらわれていたり、というのはよくある。


最近の本では『増補改訂版 誤解だらけの発達障害』(2022年刊)のP.123〜P.126にも統合失調症、スキゾタイパル、シゾイドパーソナリティといった概念と発達障害との比較がある。
ある程度イメージが出来上がってる人でないと、ここでの記述によって余計に混乱するという人もいそうではあるけど、そう簡単に鑑別できるものではないというのも強調したいポイントのようだからそれでいいのかも。


いま30代か40代の人で。
SAOのアインクラッド編の第1話を観て「おお、なるほど」と思っても、第4話あたりで「あかんわこれ……無理やわ……これは中高生向けやろ……」と思ってしまう人がいるだろうけど、我慢して5話と6話(圏内けんない事件)を観てほしいと思う。
特にUIやUXに関心があって、かつVRにも興味がある人。


圏内事件、謎解き要素とVR特有のUI・UXとが結びついてて。
こういうのって、1980年代には出てこなかった発想の気がする。
厳密にはVR(というか3D)でなければできないトリックとはいえないけど。
それぞれの一人称の視点があることを前提としつつ「その場」を共有しているような、そういう大勢の人をミスリードするからこそ、うまくミスリードできた時の効果が強力だとはいえる。
もしわたくしが「その場」にいたら、絶対だまされると思う。


システムということでいうと。
圏内事件、ギルド内の投票や獲得したアイテムの行方といった要素がからむから、DAOに関心がある人はまた違うことを考えるかも。


あと圏内事件、真相をすべて知ったうえで観返すと、声優の演技が神がかってることが分かるはず。


情報の共有に問題が起こりやすいことを自覚しているわたくしとしては。
SAOのアインクラッド編の3話「赤鼻のトナカイ」の後半にちらっとだけ登場するアルゴみたいなのとか、実はああいうのが刺さりまくりだったりする。
あの声とかしゃべり方とか、ちょっとした言い回しとか。


ちなみにインターネット老人会としては、マザーズ・ロザリオ編は懐かしい感じがしたんよな。
「そっちかあ」というその「そっち」というのが。
あれは1990年代には、インターネットそのものについていわれてたことなんよな。
ああいう立場の人たちにとって、インターネットの登場がどういう意味を持つのかという。


というわけで人類には、年に一回くらいはアポなしでピンポンすることを強く求めたい次第なのである。


そして月を指差すわたくしの指ではなく、たまには月のほうも観てほしい次第なのである。
たまにでいいから。


世界は続く。


また来月。

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   とりあえず、まずは生活保護から脱出したいと考えております。