見出し画像

わたしはネアンデルタール人

今日は何故だか気分がいいのです。

川上弘美さんの小説を読んでいるからか、
朝からパッキリ寒いなか完全防備してすこし散歩したからか。

冷え込んだ朝にあったかい恰好をして歩くのは、かなり好きです。
冬はつとめて。
清少納言も自由に外出できる身だったら、冬の散歩、好きだった気がします。

今日は気分がいいので、ホモサピエンスとネアンデルタール人の話をします(急に)。

筋骨隆々で頭も良かったネアンデルタール人が滅んで、
ネアンデルタール人に比べて身体的に劣る上、特別賢いわけでもなかったホモサピエンス(我々)が何故生き残ったのか。

これ、まだ解明してないみたいですね。
まあ理由なんて一つじゃないでしょうしね。

でも一説には、ホモサピエンスには協調性があったから、って言われてるようです。

(NHKスペシャル 人類誕生第2集「最強ライバルとの出会い そして別れ」でやってました。NHKスペシャルは大体面白い。攻めてるし。)

個々の力が優れているよりも、集団で協力し合える方が強い、こともあると。
なんか、日本人が好きそうなシチュエーションですね。

あと、
ホモサピエンスは滅ぶ前のネアンデルタール人と交配していて、
わたしたちの遺伝子にもネアンデルタール人のものがすこーし残ってるんですって。

ネアンデルタール人は、わたしたちの中に生きているのね!

それでハタと思ったんですが、
わたし、結構ネアンデルタール人なんじゃないかしら。

筋肉全然ないし、身長も体重も平均以下なので見た目は貧弱で全然ネアンデル感ないんですが、精神性がね。

冷えるとすぐ体調崩すし逆上がりも出来ないし跳び箱も飛べないし雲梯も渡れないしドッヂボールはキャッチできないし大縄跳びには引っかかるし登り棒も登れない(つまり小学生時代=闇)くせに、

なんかラグビー観てるとプロップ(スクラムの最前線)に肩入れしてしまうのは、
わたしの中のネアンデルタール人が叫びたがっているのではないか説

一般に、明るくて人との交流を厭わず
誰とでもすぐに打ち解けられる性質を持ってると
人として優れてる判定されることが多いと思うんですが、

この「優れてる」ってホモサピエンスの特徴ズバリだったわけですね。

社会性がある=「優れてる」としないと、自分たちが生き残った理由を否定することになるもんね。

人との交わりを最小限にしたい、
「みんな仲良く」なんて幻想だ、
人はみんな根源的に一人なんだ…!
とか言っているわたしは、ホモサピエンスとして規格から外れていると言わざるを得ません。

そういう目で世の中の人々を見てみると
この人はネアンデルタール寄りだな、
あの人は生粋のホモサピエンスだな、
とニマニマできます。

今後、底抜けに明るくてみんなと仲良くできる人気者を見たら、人として優れてるなぁ、わたしなんか…と思うのではなくて
「すごくホモサピエンスっぽいなあ」
と思うようにしようかしら。

そうしたら、人見知りの自分を否定することなく、他者をも尊重できる。
優劣じゃなくて、単なる「違い」として認識できる。

ということで、わたしは今後、ホモサピエンスの皮を被ったネアンデルタール人として生きていこうと思います。

思うのは自由ですからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?