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何もかもついていないと思える日も

わたしは、赤ちゃんの泣き声が苦手です。

泣いているということは、お腹が空いたか、暑いか寒いか眠いか痛いか痒いか気持ち悪いか悲しいか納得できないか、何かしらの理由で「不快」ということでしょう。

わたしは人の苦しみを察知すると、共鳴してしまう質です。
誰かが痛そうにしていると、わたしも同じ箇所が痛いような気がしてくるのです。
だからボクシングや格闘技は見ていられないし、他のスポーツでも転倒や衝突の場面は可能な限り目を逸らします。

きっと、赤ちゃんの泣き声が苦手なのも同じことなのだと思います。

とは言え、赤ちゃんが泣いたとき、嫌な顔をされたり大袈裟にため息をつかれるなど肩身の狭い思いをすることが多いだろう親御さんの為に、赤ちゃんに笑いかけてあやす、「かわいい赤ちゃんね」と話し掛ける、などの高等テクニックを披露する…ことは出来ないまでも、あらゆるスイッチをOFFにして架空の壁を形成し、全力で気付かない振りをするよう努めています。せめて。

小説を読んでいるときも、登場人物の怪我か手術か何かで痛みの描写が出てくると薄目にして、物語の理解を損なわない(と思われる)範囲内で読み飛ばします。

それでも、実際に手の力が抜けてしまって物が掴めなくなったり、足に力が入らずに立っているのがしんどくなったりします。
不便です。
おちおち読書もできない。

ある日、口内炎ができました。
理由は明確です。食事中にうっかり、唇の裏を噛んでしまったからです。

マウスウォッシュを習慣にしてからはほとんど出来ることのなかった口内炎が、ポツリと出現するや否や徐々に大きく深くなり、言葉を発するのも水を飲むのも辛い状態になりました。

わたしは人が痛そうにしているのも嫌ですが、自分の痛みにも敏感です。
痛い。痛い。痛い。で頭がいっぱいになってしまいます。

でも口内炎は、いつか治ります。

治る痛みには1つだけいいことがあります。
痛くない、という喜びを感じられることです。

生きていれば、
色々上手くいかなくて
世の中は不条理で
何もかもついていない、
と思える日もありますが

「でも、わたしは今、どこも痛くない」
というのはこの上ない行幸です。

昨日泣いていた赤ちゃんも
駅のホームで喧嘩していた人も
どこか思い詰めたように
人ごみを見つめていた人も

痛みが消えて
「あ、痛くない」と
喜びを感じてくれるといい。

みんな痛くなくて
辛くなくて
不快じゃなくなるといい、と思います。

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