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支配者になりたくない、から子ども産みたくないのかもしれない

子どもの頃から、制服や作業着が好きです。
学生さんのではなく、働く人の装いとしてのそれが。

警備員さんとか
駅員さんとか
大工さんとか
鳶職人さんとか
漁師さんとか

語らずとも職業がわかり、性格すら垣間見え、矢鱈と似合っており、プロっぽさがどうしようもなく滲み出ている佇まいを発見すると、つい目で追ってしまいます。

職人さんたちが休憩してる様なんかも麗しい。

手に職があって、自分の腕ひとつで生活してるーって感じがして、いいなぁと思います。

反対に「富」「名声」「権力」「支配」「圧力」みたいなものを感じるアイテムには魅力を感じません。

高級車とか
ブランド物とか
宝石ジャラジャラとか
タワマンとか?

わかりやすくそれを体現してる人はまだ健やかなところがあるけど、
普段「うちは恐妻家でね、立場弱いんですよ」って雰囲気出してる人の隠しきれない傲岸さが些細な行動から現れ出たりすると、ああ…と残念な気持ちになります。

権力を持ちそれを行使するってことは、人を従わせるってことで
人を従わせるってことは、人の自由を奪うってことで
わたしは自由を奪われるのがこの世で1番きらいです。

当然、わたしも人の自由を奪いたくありません。

親って、最大の権力者だと思うんです。
子どもはある程度まで親、もしくはそれに準ずる大人無しでは生きられません。
自分の着るもの食べるもの住むところ通うところ、みんな親のお金と労力で与えられている以上、子どもに真の自由はありません。
駄々をこねたり反抗することは出来ても、命を握られているわけですから、最終的に大人に従うほかありません。

この間「直ちゃんは小学5年生」を見たときも思ったけど、彼らは無邪気なようでひどく不自由です。

わたしが子どもを産みたくない理由は色々ありますが、
「支配者になりたくない」というのもその一つなのかも、ということに思い至りました。

親になっても支配者にならない人もいる、とは思うんです。

ただわたしは、自分のお腹の中で10か月と10日育んだ後苦しみと共に産んで、
なんも出来ないのをしんどい思いして育ててお金も労力もかけて、

十分に育ったら
「さ、あとは好きにしなさい」
って言えるほど、自分の人間が出来ている自信がないのです。

わたしはこんなに苦労したんだから、わたしの言うことを聞けって思ったり言ったりしてしまうかもしれません。
いや、たぶん思っちゃうし言っちゃいます。
わたし、卑小だし狭量なので。

「親の立場」という権力を手にしてしまったら、それを笠にきて
わたしがこれまで心の底から忌み嫌ってきたもの、最もなりたくない姿の一つになってしまう予感があるのです。

あるいは、予想外に子どもと良好な関係、らしきものが作れるかもしれません。
でも、わたし自身もまた、自分の母親と傍から見たら仲良しな「友だち親子」みたいな振りをしながら
母からの支配と干渉に苦しんだ娘の1人ですから、
笑って寛いで楽しんでいるように見えるからと言って上手くいっているとは限らないことは、骨身に沁みてよく分かっています。

周りの大人たち(に育てられた子どもたちも)は「育ててもらった恩」「親子の絆」「家族愛」「母親の無償の愛」「仲良しで羨ましい」「理想のお母さんね」「感謝しないとね」とか
何も知らんと、こぞってやいやい言うてきますからね。
今思えば余計なお世話だけど、あの頃は自分の矛盾を自分で責めるしかありませんでした。

わたしはできる限り、すべての他者と対等な関係でありたい。
従わされるのも、従わせるのもいや。

夫と2人でいる限り、わたしは卑小で狭量な自分を安心して受け止めて、愛していられます。

世の中には本当に、本当に、うまく行っている親子もいるんでしょうし、
本当の意味での無償の愛を持った親もいるんだろうな、
尊いな、とは思います。

でもわたしは夫と2人がいいし、
夫がいないなら1人がいい。

時間が許す限り、2人の関係をじっくりコトコト煮詰めていきたい。

全然苦労してないし責任もない他者に、1人のただの関係ない大人としてやさしくしたり、たまに厳しくしたりするくらいが、ちょうどいいなと思っています。

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