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不完全さを愛する人は

日本では「不完全なもの」を礼賛する傾向が強いように思います。

例えばアイドル。

ちょっと音程が外れていたり
踊りが不揃いだったり
物を知らなかったり

プロとしてどうなのだろう、というレベルであっても、いや、だからこそ積極的に表に出してダメなところをアピールし、ファンはその成長過程を応援することを楽しんだりするみたいですね。

むしろ完璧過ぎると興ざめする、という場合すらあるらしい。

こういう感覚、わたしには
あまり、理解できないのです。

ピアノの発表会とか
合唱コンクールとか
学芸会とかもそう。

わたしには「覚束ないものを微笑ましく思う」という機能が備わっていないようです。

音楽なら、プロの演奏家による超絶技巧や情感溢れる演奏を聴きたい。
演劇は、十分に研鑽を積んだ俳優さんの迫力ある、鬼気迫る演技が見たい。

手作り感は、要らない。

クッキーとかチョコもそう。
素人が一生懸命手間暇かけて作った、割にはボソボソして纏まりがなかったり、ただ溶かして固めただけだから変に硬くて食べにくいものよりも、元々上手な人が修行や試行錯誤を経て作ったお菓子の方が美味しいに決まってる。

自宅に置く棚とか飾り付けの類もそうです。
初めてのDIYで中途半端なものを作り、結局崩れてきてその辺の適当なもので間に合わせる事態に陥るなら最初から、職人が素材を選び抜き丹精込めて作ったものを、納得した上で購入したい。

***

不完全なものを褒め称える言葉として
「かわいい」
があります。

端的に言えば下手だし、
不出来だし、
プロとは言えない。
それは分かっている。
でも、かわいい~の「かわいい」。

(「かわいい」には色々種類がありますよね)

思うに、この「かわいい」にはちょっと、上から目線の要素が含まれている気がするのですよね。

ダメな子で、たまに失敗するところがかわいい。
完璧で一分の隙もないと興ざめする。

そう思うのは、相手を「仰ぎ見る対象」だと認識していないからなのではないか。

わたしは何か芸術を鑑賞する際「下から目線」でいたいのかもしれません。

すごい!
なんてことなの!
こんなの初めて!
神々しい!

と、感動したい。
賛辞を呈したい。
喝采を送りたい。

だから、明らかにプロのレベルに達していないものを見たときにハテナの気持ちになってしまうのでしょう。

これは、何を見させられているのかな?
これを見て、どう思えばいいのかな?

わたしと、不完全なものを愛する人とでは、鑑賞対象との「立ち位置」が異なるのかもしれないな、と思った次第です。

とはいえ。

十五夜を寿ぎつつ、少し欠けた十三夜も味わい深いものとする日本人の感覚や、「14番目の月がいちばん好き」と歌うユーミンの気持ちは分かる。

完璧な不完全さ、というのもある気はします。

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