怯えた目でわたしを見ないで
たまに、怯えられることがあります。
法事の帰り、喪服のまま
俯きがちでブランコを漕いでいたときに
夜、ぼんやりした灯りを手に
狭い私道から抜け出たときに
ペットの餌(たんぽぽの葉)を採取する為に
近所の公園にハサミを持って立ち入ったときに
ときに霊的なものに見間違えられて
あるいは、すわ不審者かと危ぶまれて。
女で小柄で薄い顔ゆえか、わたしは
人から怯えられる経験値が低いのです。
外回り営業をしていた頃、
住宅街を頻繁にウロウロしていても
職務質問をされたこともないし
マンションの管理人さんにも話しかけられず
アポ無し営業でも割と話を聞いてもらえる
警戒心を持たれない、という点で
わたしはもしかしたら
詐欺師とか潜入捜査官とかスナイパーに
向いているのかもしれません。
(だが能力的に難ありだから無理か)
同じく営業をしていた長身で顔の濃い男性社員が、初対面の際に必ず先方から怪しまれ怖がられることを悲しんでいたのを思い出します。
みんな、俺を怖がるんだ…
哀しきモンスターのように項垂れる彼を見て、そうか「人から怯えられない」というのはわたしの持つ優位性なのかもしれないな、と思ったのです。
優位性を持っていると
無自覚になります。
怯えられるかもしれない、という意識が欠けている故に、喪服姿でブランコに乗ってしまうし、暗がりから飛び出してしまうし、ハサミを持って公園に行ってしまうのです。
もしかしたら
高い社会的優位性を持つ人も
そうなのかもしれません。
彼らは、恐ろしくつまらない駄洒落を言っても笑って貰えるし、時代錯誤な振る舞いをしても誰からも注意されません。
そして、人に嫌な思いをさせるかもしれない
周りは実のところ困っているのかもしれない
という慮りを行う習慣がなくなっていく。
だから、無自覚になるのかもしれません。
わたしと同じですね。
…
わたしは晴れて中年となり、格段にQOLが上がりました。
人間として扱ってもらえるようになった、というか。
初対面でバカにされたり
知らない人に肩を掴まれてどかされたり
話を遮られて関係の無い話を始められたり
そういうことが、減りました(なくはないけど)。
反比例して、怯えられる回数が増えました。
恐る恐る意見を求められるとか
いつの間にか敬語で話されているとか
こちらが恐縮するほど気を遣われるとか
あ、わたしも怯えられるんだ、と認知してから、周りの人に恐怖を与えないようにしようという意識が芽生えました。
自分の状況を正しく自覚するのって
大事なこと、なのかもしれません。
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