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笑えてほんとに「よかった」の?

「改心したのかな」が口癖の人がいます。

以前はひどく感じが悪かったけれど
最近受け答えがマシになった人がいたとき

常に仏頂面だったけれど、ここのところ
愛想笑いが出来るようになった人を見たとき

取引先や社内の人など、誰か周りの人が
「(自分から見て)以前より扱いやすくなった」
とき、その人はニヤニヤと「あいつもついに改心したのかな」などと言うのです。

改心。

改心って、今までの行いを反省して心を入れ替える、よい方に変わる、という意味ですよね。

以前も書きましたが、わたしは「感じが悪い女の人」に興味があります。

その無愛想さを前面あるいは全方向に押し出し、まごうこと無き「感じの悪い女」として堂々と生きる姿はもはや神々しく、どこまでその感じを貫くんだろうとワクワクするのです。

※なぜ女性限定なのかは、以前も書いたので省略します。

そんな彼女が、感じ良くなったとき。
周囲に笑顔を振り撒くようになったとき。

それは、本当に「改心」なのだろうか
と思うのです。

もし彼女の変化が、何かよんどころない事情で自身を曲げざるを得ず起きたものだったら。

感じが悪かったときに比べて縮こまり、悲しみを帯びた毎日を過ごしているとしたら。

それは本当に「よい方に変わった」と言えるのでしょうか。

常にハッピーで、何の迷いも悲しみも生きづらさも無い人なんて、いません。
だから「いつも感じがいい人」というのは、必ずどこかで無理をしている瞬間があるはずです。

自分の気持ちよりも他者の気持ちを慮るのは美しくもあるけれど、苦しみも伴うこと。

その苦痛を彼女に強いるのは、本当に必要なことだったのか。
そのままで生きられる道は、場所は、無かったのか。
感じが悪いだけで心根は優しかった、かもしれないのに、その独特の良さを消してしまった可能性はないのだろうか。

そんなことを、考えてしまうのです。

そもそも、「改心したのかな」が口癖の人にも欠点はたくさんあります。

そう言うあなたはどうなの?
あなたは既に「改心済」なの?
もしくは改心する必要がない人なの?
どうしてそう認識したの?何を根拠に?
と思ってしまう。

だからわたしは、この口癖がきらいなのです。

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