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夫は、わたしのものではない

先日レビューを書いた「けむたい姉とずるい妹」。

内容は非常に興味深いのですが、ドラマの中でこれでもかというほど繰り返される同じセリフに、どうにも引っ掛かりを覚えています。

「彼は、私のものだったのに」
「大丈夫、彼はあたしのもの」

夫(元彼)を「自分のもの(だった)」とする表現です。

わたしの…もの?

どうも、もやっとします。

その発言がいちいち気になり過ぎて、次のセリフが入ってこないまま話が進んでしまい、慌てて早戻しするほどに。

ふと、昔の昼ドラなどでよく発せられていた
「この、女狐が!」
というセリフにも、当時から違和感を覚えていたことを思い出しました。

令和を生きる皆さんにお伝えしておくと、平成以前の言葉である「女狐(めぎつね)」というのは、自分のパートナーである男性の浮気が見つかったとき、相手の女性を責める言葉です。

女狐…?

「わたしのもの」呼ばわりをするのも、
浮気が発覚したとき、当の本人ではなく
相手の女性を罵り責めるのも

自分のパートナーを
ひとりの人間と
認めていないからこそ
生まれる発想なのでは?
と思うのです。

本人の意志は
どこいった?

***

わたしには夫がいますが、わたしは夫のことを「わたしのもの」とは認識していません。

夫は自分のことを自分で決めるべき
1人の自立した大人だと思っています。

もし夫が誰か別の人とよい仲になったとして、恐らくわたしはその相手ではなく、夫に事情を聞こうとするでしょう。

相手の人がどんなに妖艶で、且つ巧みに夫を誘惑したとしても、最終的に裏切りという選択をとることに決めたのは、夫なのですから。

これがもし、指輪が盗まれたというなら
わたしは迷わず、盗んだ相手を責めるでしょう。
だって、指輪には意志がないから。

でも、夫はものではありません。
強いて言うなら、夫は夫のものです。

わたしもまた、夫のものじゃない。
わたしは、わたしのもの。

わたしたちはそれぞれ1人の人間で、意志もあれば感情もある。
だから盗ったり、盗られたり、するものではない。

「彼は、私のものだったのに」
「大丈夫、彼はあたしのもの」

やっぱりどうも、引っ掛かる。

ドラマでは、前回放送分の第6話にしてようやく、夫の思いが明らかになってきました。

自分のことを互いに「わたしのもの」だと言い張る姉妹のことを、彼が今までどう思ってきたのか、今、どう感じているのか、少しずつ語り始めたのです。

最終話までどのように話が進んでいくのか、わたしのこのモヤモヤは晴れるのか、しっかり見届けたいと思います。

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