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わたしにしかわたしの苦しみは分からない、と知っているのに

わたしにしか、わたしの苦しみは分からない。
あなたの苦しみを完全に理解することも出来ない。

どんなに言葉を重ねても、すごく気が合うように感じても、全部、丸ごと、分かってもらうことなどあり得ないし、そんな単純なわたしでもあなたでもない。

という認識のもと、日々を暮らしています。

わたしにとって唯一無二の存在であり、わたしの一番の理解者であると断言できる夫であっても、わたしの苦しみや悲しみやコンプレックスや、悩みや自分でもどうにもならないトラウマを分かってもらうことは出来ません。

だって、夫はわたしではなく、他者だから。

家族だから、他人だから、と線を引いているのではありません。
血が繋がっていようがいなかろうが、一緒に暮らしていようがいなかろうが、自分以外はすべて「他者」という意味です。

変な言い方ですが、わたしと一番長く一緒にいるのはわたしだし、わたしのことを一番理解できるのも、様々な苦しみや哀しみを一緒に乗り越えてきたのもまた、わたしだけ。

夫は今まで生きてきた中で最高に素敵な人だし、一緒にいて息苦しさを覚えない唯一の人ですが、他者は他者。

最愛の夫だけど、わたしそのものではない。
寄りかかり過ぎちゃいけないし、同化させてはいけない。

分かっているのに、たまに、期待してしまうのです。

夫なら、分かってくれるのではないか。
話したら大きく頷いてくれるのではないか。
言葉を尽くせば、あるいは。

でもやはり、優しい夫でもそりゃあ全部丸ごと受け入れてくれるわけはありません。
ちょっと何言ってるか分からない、となることも、言わないまでも頭の上に大きなクエスチョンマークが浮かんでいることも、重大事案と認識せずに携帯をいじりながら対応することも、ある。
聞いてほしいことを聞いてくれず、スルーされることも、ある。

分かっているのに、知っているのに、ついうっかり、悲しい気持ちになってしまったり、します。

わたしだって、夫がこぼした愚痴がピンとこないこともあるし、生返事してしまうこともあります。
落ち込んでいる夫に何と声を掛けていいのか、放っておくべきなのか慰めるべきなのか分からないこともあって、お互い様です。

理屈では、分かっているのですが。

過度の期待をせず、その人をその人のまま尊重し、それでもどうしても受け入れられない場合はまずは自分の対処でどうにかならないか検討し、それでも無理なら相手と話し合い折衷案を探る。
相手が他者であることを決して忘れない。

共に生きる為に、がんばろう。わたし。

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