始まりの記憶

昨日は、沢山電話で話をしたね。
それもあって、書くことにまた
戸惑いが出てしまった。
誰かのためじゃ無いし
自分のためになってるのかも解らない。
記録を増やす度
涙が溢れるんだよ。
言えないし、言わないけれどね。

始まりの記憶として
気胸を発症した後のこと
思い出していたよ。
女性で気胸を起こす人は少ない。
この言葉は自分を凄く不安にさせて
何かしないとじっとしては
居られなかった。
狂った様に幾つか調べた時
月経随伴性気胸という
また初めて知る言葉が出てきた。
玉川病院。

何も解らないし、突然の電話なんて
迷惑かも知れない。
でも怖くて、何か知りたくて
もしかして万一これなんじゃないか
だとしたら地元の大病院とは言え
ここじゃ治療が出来ないんじゃ無いか。
そう思って電話をした。

電話が回されたら
専門医が直接電話に出てくれて
内視鏡で見ないと解らないけれど
ただの気胸とは違う可能性があると伝えられ
また、体中の力が消えた。

あの時、とにかく妻の命を支えたくて
探して探して辿り着いたのに
妻の両親から
わざわざそんな遠くの病院に
行く必要があるのかとかまで言われ始めて
複雑な気持ちになった事を
思い出した。

でも、検査の結果
もっと怖い結果を
医師から聞いた。

今でも時々、思い出すよ。
病室での姿
それから、ちょっと歩ける様になって
帰りの最終バスに乗り込む時
ぽつんと一人
暗闇の正面玄関で、
バスから見えなくなるまで
見送ってくれていた姿。

暗闇で小さく、弱々しく
手を振る姿。
見てるの、辛かったな。
今は、もっと辛くて、無力で
記憶だけ、残ってる。
会いに行くから、
待っていてね。


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