もやは、戦後ではない。

というのは1956年の経済白書で宣言されたフレーズで有名です。
太平洋戦争の後、焼け野原からみるみるうちに回復して戦前の経済規模を上回ったタイミングでの発言だったわけでさぁね。

それから20年余り高度経済成長ということで、日本はどんどん発展、躍進を遂げて世界指折りの経済力を持つ先進国となりました。

何か誇らしいというか面映いというか、それは素晴らしいことだった。
良い時代だったと言えるのかもしれません。

細かいことを言い出すと中々の分量になってしまうので、各々のディテールは別の機会に譲りますが、そんな輝く期間には大きな代償がありました。

そもそもの民族としての誇りやアイデンティティや将来に対する青図のようなものを軽視してしまったことと、
そういう基本的な設計のような部分を占領軍から指示された形で行うこととなってしまったことです。

この代償は経済的な発展を遂げた後、意外な形で顕在化されます。

食料や医療、エネルギーといった国家の背骨のような産業において海外資本に依存した形となってしまい、
実質的に気が付きにくいかたちで経済植民地かの如く働いてもどんどん価値を生み出しているはずなのに再配分がうまくいかないようになってしまいました。

一人一人のメンタルも現状に諦めたような冷めてしまった考え方が主流となってしまい、どうせ…
とか、自分さえ良ければ…といった
若者が増えてしまいました。

世界中で日本だけが7回目8回目のワクチンをせっせと打っています。

売れ残りの処理を押し付けられていることは明らかなんですけど…
あまり憤っている人はいないようです。
今に始まったことでは無いですよね。

非加熱製剤の時もそうでしたし、
わかりやすく言えばチェルノブイリで原発事故があって小麦の穀倉地帯の安全性に疑問符がついた直後のタイミングで、日本では空前のイタメシブームでピザだパスタだとヨーロッパ産の小麦粉を仕入れまくりました。

敗戦国というのはこういう風にじんわりといじめられるんだなぁと当時学生だった僕は感じていました。

バブル時代なんかを通して僕たちはとんでもない勘違いや思い上がりをしてしまっているのかもしれません。

もはや、一流国家ではない。
もはや、国の体を成していない。
もはや、やり直す最後のチャンス。

とか、その辺のキャッチフレーズを抱いて眉尻を上げて前を向かなくてはいけない時代だと思います。

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