自己紹介

自己紹介って何

前回の投稿で「次回自己紹介をします」とは書いたものの「自己紹介って何だ」となっている。
そういえば、今まで経験してきた自己紹介を思い返してみると、向こうからお題を与えられたとき以外は、名前+所属先(大学とか)と自分が演出家をやっているということぐらいしか言ってなかったな、と…。自己紹介で気が利いたこと、相手が求めている情報を即座に言える人のことは本当に尊敬する。与えられたお題でさえ即答できない。「好きな食べ物って何…好きな色って…」とフリーズしてしまう。

多分このアカウントの目的を考えると、自分がどういう芸術に触れてきて、どういう考えを持つようになったのかを書けばいいのだと思う。
断片的に書いてみる(実際に書いてみて、なんで次回は自己紹介しますなんて言ったんだろ、ってなってる。)。

ライオンキング

人生で初めて見た舞台芸術は劇団四季の「ライオンキング」だった。幼稚園児の頃で、当時は名古屋に住んでいた。
大人のシンバ役は腕に鉄輪のようなものをはめている(写真参照)。

大人のシンバ

小学生高学年まで、この腕輪は本当の鉄でできていて、腕にぴったしはまっているために、シンバ役をやる人はオペでしかこれを取ることができないと本気で思っていた(ギプスみたいな)。
まだ上手く言語化はできないけど、この考えと私の俳優感はつながっていて、それは今も変わっていない気がする。

ウィキッド

こんな感じで私には勘違いと妄想が多い。でもこの勘違いが私を演出家志望にさせたのかもしれない。
人生で初めて手にしたCDはサンタクロースに貰った劇団四季の「ウィキッド」だった。
小学生の数年間ほぼ毎日これを聴いていた。
でも(未だに)観劇することは叶わず、ただただCDと歌詞カードと四季の会員雑誌「ラ・アルプ」に載っている写真から舞台の様子や物語を想像していた。
ウィキッドのとても有名な1幕ラストのナンバー「自由を求めて(Defying Gravity)」。エルファバが一人自ら信じた正義のために闘い抜くことを誓い、友人に別れを告げ空へ飛び立つナンバー。

この場面は演出も有名で、写真だけだったらウィキッドを知らなくても見たことがある人も多いかもしれない。地下鉄の広告でもよく流れてるし。

横から見ると

こんな感じ。
仕掛けを話してしまうと、実は空を飛んでいる場面に使われがちなワイヤーは不使用。つまりフライングではない。ゴンドラのようなもので、テコの原理で持ち上げられていて、その装置を隠すために布が地面まで垂れている(https://www.youtube.com/watch?v=yKDnWuCw_2g)。
この写真を見て、中学生までずっとエルファバは巨大化しているのかと思っていた(歌詞では「大空高く舞い上がるの」って歌ってるんだけどね…)。
巨大化しちゃうと二幕からの物語は繋がらなくなるけど、この装置の仕掛ありきで考えた時には未だに空を飛ぶよりも巨大化とした方が面白い、とは思っている。

ガラスの動物園

小学4年生の最後に静岡に引っ越してきた。
静岡で暇をしていた頃におじに、会社からSPACの「ガラスの動物園」の招待券をもらったからおばと一緒に見に行ってきたら、と言われた。
当時は劇団四季しか好きではなかったため(どのくらい劇団四季が好きだったかというと、テレビで浅利慶太のインタビューがあると姿勢を正して正座で聞いていたくらい。。。)、「劇団四季が好きだからって他の舞台が好きだと思うなよ」と思っていた。
当時は私にとって劇団四季が絶対的な存在で、その他の舞台芸術は、歌舞伎とは人形浄瑠璃はそこそこ好きだったけれど基本的に受け入れてなかった。
でも暇だし(当時は月に1度くる劇団四季の会員誌と年に2回来る劇団四季の公演だけが生きがいだった)、可愛らしいタイトルだし行ってみるかと思って行ったのが運の尽き。私の現代演劇との出会いとなった。
もうとにかく衝撃で。
まずは、舞台がずっと見えづらいこと!
このプロダクションのガラスの動物園ではほぼ全編紗幕がかかっていて、その奥でトムの追憶劇が繰り広げられている。


ミュージカルというのは結局、難解と言われるソンドハイムでさえもある種見やすさを追求した舞台芸術だと思う。劇団四季のストレートプレイと呼ばれる類のものも見てきたけれど、ほぼミュージカルだけに触れてきた私にとってこの「見えない世界」に自由を感じた。
「観客に見せなくてもいいんだ!」と。
もう一つは、卑猥な言葉を公衆の面前で叫んでいたこと。
今にしてみれば大した言葉ではないのだけれど、当時覚えたての他の人には言ってはいけないと思っっていた卑猥な言葉をこんなに多くの人の前で(阿部さんが)叫んでいる。
これにも自由を感じた。
多分現代演劇の自由さに憧れを抱いたんだろうな。
それからは一人で電話予約をして、お小遣いでずっとSPACを見続けてきた。
陽代さんのアマンダと布施さんのローラの、胸にズシンとくる痛々しさは今でも忘れられない。
とにかく自分にとって新しい世界だった。
そして一人での観劇はなんだか大人の世界に仲間入りしたような気分だった。

アトリエみるめ

SPACで芝居を見るようになってから、折込チラシを頼りに色んな静岡の演劇を見るようになった。それに加えてgoogleで「演劇」と調べて出てくるものを片っ端から調べた(宗教劇団ぴゃーの検索履歴を見た親に心配された過去も。)。
折込チラシで「アトリエみるめ」という、どうやら倉庫を改装して劇場にしたらしい場所で夏祭りを開催するということを知った。その場所が見たくてたまらなくてアトリエみるめに行ってみた。
到着したときは「ほんとにここ??」と戸惑った。ほんとに倉庫だったから。小劇場との出会い。

アトリエみるめの外観

そこで支配人の蔭山ひさ枝さんと知り合い「小学生でお金もないと思うから中学生までは電話をしてくれればいつでも観劇招待するよ」と言ってくださり、SPACに加えてアトリエみるめ、そして移転先のこのみる劇場、やどりぎ座で観劇したものが自分の主な 血肉となっている(そして大学生になってからは二回の演出と出演、一回の演出助手と出演の関係でご一緒できた)。

運が良かった

そんな感じで、今もだけれど自分はいい大人に恵まれてたなと思う。そういう運に自分は長けている。
劇団渡辺の皆さん、SPACの方々、小銭をかき集めたけどチケット代金が足りなかった時にこっそり入れてくれたどくんごの方…etc
あとは、そもそも静岡という地方都市にSPACという世界基準を目指した公共劇団があったこと(そしてそのSPACがちょうどアヴィニョンを目指して熱気を強く帯びていた時期に存在を知れたこと)、アトリエみるめがあったこと、そこで劇団渡辺がブレヒトばっかり上演していたこと、最寄りの図書館にやたらと戯曲が揃っていたこと、家がwowowに加入していたこと(オペラや演劇の放送が豊富)。(変な)舞台を好きになる条件があまりにも揃いすぎていた。あとは親がサラリーマンで無かったためにそれを将来の選択肢に思い付かなかったこと。

自分の経験を踏まえて「若者にどうしたら演劇を好きになってもらえるか」ということの答えとしては、私の経験からは
・子供用ではない芝居が
・低価格で
・金銭的にも距離的にも来やすい距離
で観劇できて、初めての観劇を小学4年生までに済ませること。
難しいのはわかっているけどね。
中学生になってしまうと、自意識が優位になりすぎてそれが純粋な観劇体験を邪魔してしまうのではないかと思う。初めてだと特に。

私は学校公演と子供用の芝居には基本的に反対。
前者は雑な理由で、学校公演は同級生と見なければいけないから。
後者の子供用の芝居に関してはミヒャエルエンデが私が言いたいことを代弁していた。

わたしは子どものための特別な文学があるということに根本において反対なのです……人間の経験することで、子どもが原則的に関心をもたないテーマ、あるいは、子どもにはわからないテーマというものは、事実ありません。そのテーマをいかに語るか、つまり心をもってするか、頭でするかにかかっていると思います。

児童文学アカデミー大賞受賞記念講演(上田真而子)からの引用を安達忠夫「ミヒャエルエンデ」から孫引き

あと、子供向けの舞台になると普段かっこいい舞台を作っていてもとたんにレゴブロックみたいなデザインの舞台になる人がいる。
それは、大人からみた子供の世界であって、大人用の子供向け芝居だ。
子供は本当にレゴブロックの方が親近感が湧くのか、理解が深まるのか真剣に考えてみてほしい。

転勤族

我が家は転勤族だった。
今まで
千葉⇒名古屋⇒金沢⇒徳島⇒静岡⇒オーストリア⇒静岡⇒東京(今)
に住んできた。

色んなところで色んな舞台芸術と出会ってきた。
名古屋には四季劇場があり(当時はまだ新名古屋ミュージカル劇場)、劇団四季に。金沢では歌舞伎。徳島では人形浄瑠璃。正確にいうと阿波人形浄瑠璃で、頭(かしら)が文楽より大きい。その大きい理由は野外でも上演するからなのだけれど、地元の祭りに行けばそこでは必ず人形浄瑠璃が上演されてた。あと少し足を伸ばすと香川県には人形劇専門の劇場があって、一年を通して様々な人形劇をやっていた。静岡では勿論現代演劇に、オーストリアではオペレッタに(オペラはもう既にwowowがきっかけでかなり好きだった(からウィーンは半分天国だった))。
このごった煮感が私の演劇観を形作っていると思う。

演出家という存在

先述の通り、浅利慶太のことが好きだった。
そして、現代演劇はどうしても演出家が主役みたいなところがあるから、私が演出家を志すのは必然だったのだと思う。
あと、そもそも多分自分は演出家という生き物が好きなのだと思う。
よく演出家は「作家の欲望(鈴木忠志は集中力、という言い方をする)」を自分の演出作品の中で暴こうとする。その作家の変態性を分析しようとする。
でもその当の演出家も大概なのではないかと思う。
でもあまり演出家をそのような目線で見る人はいない。
演出家の理性と理論で隠された本能の部分にとても興味がある(その皮をいつか剥ぐような作品を作りたい)。だから自分は演出家だけれど、演出家を遠くから観察しているただの演劇オタクな演出家、だと自分では思っている。

演劇しか知らない

自分は劇団四季を見た幼児園児のときから舞台のことしか考えてこない人生だった。
もう潰しは効かないし、視野も狭くなっているのではないかと心配になった時期もあった。
でも、
「あれ、演劇に繋がってないものがない……。」
と気付いた。
例えば、スポーツは「ルール」や「身体性」等を通して繋がっているし、不動産だって人がそこに生きること、という点で演劇的な要素がある。不動産屋にも来店者をその気にさせる会話術に演劇があるかもしれない。
余談だけど、私はSPACの芝居を見る中で、西洋戯曲を読み解くためにはキリスト教についての造詣が深くなくてはいけないのだなと気付き、高校はミッション系に入学した。

つまり、世の中には演劇と繋がらないものがない。というか演劇じゃないものがない。
演劇はそれほど懐が広くて、(こんなこと書くの恥ずかしいけど)世界そのものなんだと思う。
私も例に漏れずだけど、だから「世の中の仕組みを理解したいから」「世界の真理を理解したいから」という理由で演劇を続けている人が多いのではないかと思う。
というわけで私は今後も演劇界に身を置き続けたいと思う。

東京へ

その後東京へ行き、本格的に演出を学び始め、創作活動もスタートした。
布施さんと和田さんの「祖母の退化論」との出会い、オリザさん、山田和也先生、稲葉賀恵さんの「ブレイキング・ザ・コード」の衝撃、セイルさんとの創作。。。
様々な刺激を受け、日々目まぐるしく私の演劇観は変化し続けている。だからまだここについては客観的に見れない。

ということで自己紹介、でした。。。
なんじゃこりゃ。

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