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みんな、本能で生きてる?


僕は今、深夜に宙に浮きながらこれを書いている。とは言えあぐらを組んで必死の形相で浮かんでいるわけではない。教祖かとびっくりした方にはくれぐれも言っておきたい。満天の星の下、ハンモックに揺られながらこれを書いているのだ。


家族で今日から奥伊勢は三重県大台町で2泊3日のキャンプ。先日の九州フェリー旅行に続き、夏休み思い出企画第二弾だ。しかし来てみて気付いたのだが、前に他のキャンプ場に行った時に一度立ち寄った温泉が運営しているキャンプ場だった。建物や場所は憶えていて、近くに来た時にすぐ分かった。実際どんな温泉だったか印象が薄くて全く憶えてなかったけれど。そう言えばキャンプ場もあるって書いてあったな。

今回はSNOW PEAK アメニティドームMとタープの組み合わせ。



しかし満天の星の下ハンモックとは優雅で心地良さそうなイメージがするかもしれないが、これがとても寝づらい。というか不快。上部は蚊帳になっていて虫の心配はないものの、とても狭くて窮屈。そしてなんだか蒸れて暑い。あと木にロープをしばりつけてるのでいつ落ちるか分からない不安もある。だからこうしてゆらゆらしていてもまったく安心できない。一応寝袋を敷いて寝ているが、寝返りも打てずただただ空を見上げるしかない。そしてこうしてiPhoneを操作していてもすぐに手がつりそうになって、ついにする事がなくなってしまった。

蚊帳付きハンモック


というわけでハンモックでの就寝はあきらめ、現在夜中の3時すぎ、椅子に座って星空をゆっくりと眺めることにした。ちょうどペルセウス座流星群が見れるタイミングらしく、流れ星が次から次へと空を流れて行って、文字通り天体ショーを小一時間見た。そして暇だから試しにUFOを呼んでみた。

すると場所をキープしながらもゆらゆらと揺れている星が突然現れて僕は興奮した。とにかくUFOに感謝して感動の中ずっと観察した。しかしようやく考えてみるとじっと星を見ていたから目の錯覚で星が動いて見えてただけで、UFOではなかった。それにしても人工衛星のようなものがたくさん夜空を横切って行ったけれど、あれは本当に衛星だったのだろうか?

UFOに落胆し、そろそろテントで寝ようと思ったその時、特大級の流れ星が尾を引いて空を落ちて行った。最後に最高のクライマックスが見れたところでテントで寝た。もう空が白みはじめていた。



タイトルの《みんな、本能で生きてる?》
とは一世を風靡した芸人、ブルゾンちえみの名言だ。なぜこのタイトルにしたかと言うと、キャンプの受付嬢がもろにブルゾンちえみくりそつだったからだ。そういえばブルゾンちえみはコロナ禍に芸名を捨て、藤原しおりという本名で活動しているそうだ。本人自身が架空のキャラクターと自分のギャップに悩み、本能で生きてみようと思ったらしい。手にした名声を捨てゼロから出発する勇気は素晴らしいと思う。僕も本能で生きれてるのか自問するいい機会だ。ひょっとすると受付嬢は本人だったのかもしれない。

ブルゾンちえみ



ということで二泊のキャンプなのだが、初日は晴天でも台風が来ていて二日目から雨の模様だ。僕がキャンプする時はほぼ必ずと言っていいほど雨が降る。もう慣れたものだ。

思い出すのは台風の中禅寺湖キャンプ。タープが雨風で飛ばされそうになってみんなで必死で支えた琵琶湖キャンプ。電車を乗り継ぎテントを抱えて行った北海道のアイヌモシリ祭りでは台風で地形が変わり、テントが流されてる人もいた。ひどいのはそんなところだが、とにかく毎回ほぼ雨なのだ。しかし行き帰りの積み下ろしに雨が降ると難儀なので、それだけは避けたい。特に帰りに濡れたテントを家で干す作業が本当に面倒くさい。ここ最近は途中雨が降ってもなぜか撤収時には晴れることが多いからありがたいのだが、今回も奇跡が起きて最終的に晴れてくれることを祈る。



コロナの影響で世の中は空前のキャンプブームになったわけだが、僕はそんなこととは関係なく、ずいぶん前からキャンプが好きで暇を見つけては行くようにしている。行った場所も栃木、北海道、福島、広島、島根、鳥取…。この20年でいろんなところでキャンプした。大量の荷物を準備して車に積んで設営して料理を作ってまた片付けて帰る、というしんどいことをわざわざやるのだから、自分でもなにを好き好んでキャンプをしているのかわからないが、とにかくキャンプが好きなのだ。


生きることの真理はなにかのためや、生きる理由を求めがちだが、意味がなくてもやりたいことをただやる、無目的な欲求こそが《生きる》ということなのだと思う。子どものようにただ今この瞬間にしたいことをする、それが生きるということの真髄なのだ。それが本能で生きる、ということなんだろう。そういう意味では僕は本能で生きれてるのかもしれない。どんなに自分が納得のいく素晴らしいものを作ったとしても特に評価されないのに、ただただやり続けている。もちろん有名になったり生活の糧になればいいのだけれど、残念ながらそことは無縁の世界で生きてきた。だから期待もたいしてしないし、やることをただやるだけだ。何故それをするのか?と聞かれれば、ただそれがしたいからとしか言えない。



さて、キャンプと言えば料理なのだが、お決まりのBBQに家族も飽き出したので、今回は1日目の夕食は人気のYOUTUBEドラマ《おやじキャンプ飯》さながら中華鍋を持ってきて麻婆豆腐を作った。張り切りすぎて豆板醤を多めに入れてしまい、小2の次男からは辛いというクレームが入ったが、なかなかに新鮮なキャンプ飯だった。そして二日目の朝は毎回お決まりのホットサンド。今回はベーコンと目玉焼きにトマトを挟んだホットサンドでなかなかに美味しくできた。キャンプで淹れるコーヒーも美味い。

メニューは麻婆豆腐と冷凍餃子と茄子のグリル
目玉焼きとベーコンのホットサンド



朝食後、あまご釣りのできる釣り堀があったので子どもたちとチャレンジしてみたが、まったく釣れなかった。他の人も釣れてる人がいなかったからよっぽど釣れないのだろうが、むきになってしまい、いつものように子どもたちが先に飽きて帰ろうと言ってるのに、大人の自分が最後まで頑張ってしまった。帰りに次男が売店で魚とり網と虫カゴを欲しがったので買って、川遊びをした。メダカぐらいの小さい魚をいっぱい獲った。川はとても綺麗だったが、流れが強くて、極度のカナヅチな僕はよろよろと細心の注意を払いながら向こう岸に渡って魚獲りに明け暮れた。

全然釣れないあまご釣り
川遊び。



お昼はこれまたはじめての試みで唐揚げを作った。昨年買ったUNIFLAMEのツインバーナーがすこぶる調子いい。スタイリッシュで市販のカセットボンベが使えるからリーズナブル。コーヒーはもちろん、いろんな料理が出来てとても便利なのだ。スーパーで添加物の入っていない米粉の唐揚げ粉を発見したからそれで簡単に作ったが、子どもたちは美味しいと食べてくれた。小さいフライパンで少量の油で揚げたが、それでもコンロに油がたくさん飛び散って掃除が大変だったけれど。夜は定番のカレーを作った。キャンプで作るカレーは不思議と家で食べるカレーよりも美味しい。あれはなんだろう?やっぱり外で食べるからかな?

キチンと作ったチキンカレー



そして温泉に入ってから(温泉でも流れ星が見えた!)音楽を聴きながら夜中まで焚き火をした。初日には何組かいたキャンプの人も雨の予報だからか、ただでさえひろびろフリーサイトという名前の区画には誰もいなくなったので、ひろびろ自由にできた。通常はキャンプ場では9時以降はサイレントタイムだから(先日の広島でのキャンプでは常識という概念がない嫁がギターを弾いて近隣の人から怒られていた)ある意味贅沢なキャンプになった。

癒しの焚き火タイム



最終日、朝の3時半ごろに雨の音で目が覚めた。予報よりも早く雨が降り出して、片付けのことなど心配で眠れずにこれを書いている。空が明るくなってきた。さて、早めに朝ごはんを作って台風が近づく前に帰るとしよう。帰ったらまた片付けが大変だけれど。

キャンプとは人生のようなものだ。

人生とはキャンプのようなものだ。


わざわざ頼まれもしない、しんどいことを自ら選び、行い、飽きもせず、雨でも台風でも、懲りずについまたやってしまうのだ。本当に自分でも何故やってるのか分からない。大量の荷物を積んで、車を運転して、時には遠くまで。効率を考えたら家でゆっくりしたら良いだけなのに。それなのにわざわざ面倒なことを、大変な事が分かってるのにやってしまうのだ。それが人間のいちばん不思議なところかもしれない。


でも理由はただ、

《それがやりたいから》


それに尽きる。


わざわざ生まれてきて、面倒くさい人生を生きて、そして死んでいく。

本当に人間とは変な生き物だ。

そもそも全員が変なんだから、ちょっとぐらい変でも平気でしょう。まわりのことを気にして、失敗するのがこわくてためらってたらなんにもできない。


だって、地球上にそんな人間が何人いると思ってるの?

《80億❤️》



あと4500万人(2023年調べ)。

みんな、本能で生きてる?


奇跡的に晴れてきた最終日朝。タープの貼り方も上手くなってきた。


帰りに食べた念願の海鮮丼


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