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憧れのフェリー旅行 その2〜福岡編〜

船は予定時刻ぴったりに8:30に福岡県門司港に到着した。しかし車で出発するまで時間がかかったので、結局船を出たのは9時すぎだった。

とりあえず今回最初の目的地である宗像大社に向かった。高速道路で1時間半ほど走り無事到着した。時間は10:30だったが、とにかく夏真っ盛りの天気の良い日で、じっとしているだけで汗がとめどもなく流れて来る。数日前に飛鳥の友だちたちから宗像大社をおすすめされたのもあり、是非来て見たかったのだ。特に高宮祭場という古代の儀式の場のような所は重要な場所らしかった。

次男は虫籠と虫取り網を持ち、昆虫採集に真剣で入口すぐの森からなかなか動かなかったので、しばらく待ちながら写真を撮っていたら、太陽の周りに丸い虹が出ているのを発見した。奈良でも稀に見るハロという現象だ。

参拝中ずっと空に出ていた虹

ハロ:
太陽の周りに現れる、虹のような光の輪のことをハロ・日暈(ひがさ)ともいいます。
ハロは、雲の中にある氷の粒に太陽の光が屈折してできる現象。うすい雲が太陽にかかった時に見えます。


あまりにもぴったりなタイミングに、歓迎されているサインだと思った。いや、そう思いたかった。待っている間それは消える事なく、結局参拝中もずっとくっきりと現れていた。


長男はトイレからなかなか出て来ないし、次男と妻は昆虫採集に真剣で一向に来る気配がない。ついに痺れを切らし、ひとりで先に参拝することにした。ひょっとするとそれが必要なのかもしれなかった。本殿にお参りし、高宮祭場に向かった。徒歩10分ほど歩き、奥宮のような雰囲気の森を通りそれはあった。飛鳥の遺跡にも通じる古代感満載の場所だった。

飛鳥の遺跡を思わせる高宮祭場


ここに行くまでにも太陽の光が綺麗で、写真に虹のような光のシャワーがたくさん写った。後から長男と次男、妻が到着したけれど、またひとりで先に歩き出した。

光が降り注ぐ境内


続いて第二宮、第三宮に着いた。まるで伊勢神宮の別宮にある月読宮のような雰囲気そのままの佇まいの場所だった。これを書くのに調べていると、実際に伊勢神宮別宮の伊佐奈岐宮を移築したのが第二宮、伊佐奈弥宮を移築したのが第三宮で、似ていると言うよりそのままだった。

そして第二宮に参ろうとした時、ものすごいバイブレーションを感じた。こんなに暑いのに鳥肌がずっと出っぱなしで、直観的にここに来るために来た事を感じた。奈良の神社や伊勢神宮、たくさんの神社に訪れたがこんな感覚を味わうことは本当に稀だ。それはLOVEのバイブレーションというか、愛の源泉掛け流し的なフリーなエナジーで溢れていた。

第二宮 愛の沖津宮
まるで伊勢神宮別宮のようなたたずまい



なんの予備知識もなく訪れたのだが、宗像大社は天照大神の3姉妹を祭る神社で、別名辺津宮と言い、三女の市杵島姫神を祭る神社だそうだ。長女である田心姫神は実際には九州本土から北に約60km離れた沖乃島(沖津宮)に祭られてあり、次女の湍津姫神はその手前にある大島(中津宮)に祭られていて、それらの分霊を合わせた3神がここ宗像大社にまとめて祭られているという事らしい。特に沖津宮である沖乃島は宗像大社の神職しか踏み入る事が出来ない女人禁制の島らしく、相当に守られている聖域という事を後になって知った。しかし女人禁制というのは裏を返せば超女性性という事だ。それ故に女性は近づけないのだろう。ちなみに1番近い大島(中津宮)にもその遙拝所があり、一般人はそこからお参りできるという事だ。


とにかく重要なポイントであることは確かだけれど、それ以上のことは僕には分からない。第二宮という位置づけではあるが、宗像大社において最重要であり、個人的には日本(ひいては地球の?)にとって最重要なポイントなような気がしている。宗像氏という古代の豪族は一体なにを握っていたのだろうか。彼らは海の豪族で、おそらく現日本の窓口として当時グローバルに世界と繋がっていたのだろう。僕の住む(とくに檜前ということろは渡来人がたくさん住んでいた)飛鳥は日本はじまりの地でもあり、間違いなく密接に関わっているはずである。言わば宗像氏は日本の《扉》とも言える存在だ。その1番の重要なポイントとして沖乃島があるのだろう。


とにかくこの第二宮に来れただけで早くも今回の旅の目的は達成できたような気はした。個人的にもこのタイミングで来れたことは本当に良かったし、なにかこれからの転機を感じたりもした。それが何かは分からないけれど。


汗だくで神社を出たところに無添加のソフトクリームが売っていたので、家族で食べた。冷たくて優しいソフトクリームが熱いカラダに染み渡った。

いまだに出続けている虹とソフトクリーム


つづく

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