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ラブリーボーン

お風呂でお気に入りのボディソープを泡立て
身体を洗っている時
ふと、この皮膚の下では60兆の細胞たちが
やんややんやと騒がしく生きているんだよなぁと思った。

これはとても不思議なことだ。

魂が抜けてしまったあとの
他人の身体のなかを見ることはできても

ただいま生きている
私の身体の中を
この肉眼で、リアルタイムに見ることは絶対にできない。


血管をものすごい勢いで流れる血、
血の中にもまた細胞たちがやんややんやと
元気に生きていて

真っ白くすべすべであろう骨も
間違いなくちゃんと存在していて、
骨の中にはまた細胞たちがやんややんやと
元気に生きている。



変わり映えしない自分の身体の
なんでもない一部分に触れ
まじまじと見つめてみて、

皮膚の下にいる
リアルタイムお祭り騒ぎ中の細胞たちのことを考える。

なんだか不思議な気分だ。


この身体一つの中に
たくさんの小さな命が生きている。

宿主は私という存在だけど
細胞一つ一つは別の生き物のように思える。




昔観た『ラブリーボーン』という映画。
胸糞悪い事件に巻き込まれた少女の話だった。



題名の意味がどういう意味なのか
色々な考察があるけど
私はそのまま「かわいい骨」「美しい骨」でいいと思う。


主人公の少女は魂の存在になったあと
人生を共に生きた自分の身体——
骨を心から愛しく思ったのではないか。


今生きていて、
自分の皮膚の下をリアルタイムに見ることは
もちろんできないが

いつかこの身体の細胞
一つ一つの活動が止まって
魂だけの存在になったら
絶対に、自分の骨を見てあの世に行きたい。

若くしてそうなった場合、
きっとすべすべで、
真っ白な美しい骨が残るだろう。


長く生きたのであれば、
細胞たちをすり減らした分だけ
ホロホロと崩れていることだろう。

私はその骨の欠片たちを
愛おしく見つめるんだろうな。










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