「笑点」新メンバーに晴の輔さんとは

「笑点」というTVの長寿番組をご存じだろうか。
この番組は故立川談志さん発案によるものということだが、その談志さん(初代司会者)以来、立川流から初めてメンバーになったのが志の輔さんの総領弟子、晴の輔さんである。
聞いたときには、あ、そうきたか、へえ、と驚いた。
まずは、笑点メンバーにこれでようやく東京での落語会派の4団体が出そろったということ。
加えて、立川流にとっても談志さんの孫弟子世代からTVで名前と顔を売る落語家が出てきた、ということ。


立川流の家元・立川談志さん没後、そもそも立川流の一切の中心・カリスマの抜けた穴はあまりにも大きく、その後、この団体がどうなっていくのかとひそかに成り行きを見守っていた。
最初に、家元制と上納金制度は早々に廃止。当初の代表理事制もなくなり、弟子の昇進は師匠が判断、会の運営は合議で決めるなど、師匠方の自己責任&かなり民主的(というより、働く人が全員が出資し経営に参加するワーカーズコレクティブのような・・。真打ち以外は発言権はないにせよ)、というのか権力構造の生まれる余地がなにもない、最低限の規則だけの職能団体になったように見受けられる。


当初の立川流の作りからすると、この団体の代表は家元を襲名する者であるはずだったのだろう。ただ、なにしろカリスマだった談志さんの名を継ぐとなると、ファンを始めうるさいことや面倒なことを言う人がごまんといる、ように思う。どう考えても、あと何十年もたたない限り、あの談志さんの名前を継ぐなどという話はでてきそうにない(談志さん自身が後継指名したなら話は別だったろう。ただ、談志さんがそんなことを存命のうちにすることはなかった)。
というわけで家元は談志さん限り、という整理になり上納金制度も廃止され、落語に関しての唯一の基準=談志さん亡き後は弟子達の昇進試験もなくなり、師匠方がそれぞれ自分の弟子の昇進に責任を持つ、ということになった、ということか。


そもそもは、落語家の襲名と団体の代表や運営の仕組みは別物であるはずだが、立川流は談志さんが弟子の昇進試験の結果に疑問を持ち、落語協会を脱退して作った会派である、ゆえに、興業・弟子の育成・会派の運営などあらゆることが談志さんの判断に委ねられることになるのは当然のことだろうか。
寄席に出られなくなった、ということも大きく、立川流の落語家は自分が落語を語る場所から開拓する必要に迫られる。
以前よく談春さんが「「フィールド・オブ・ドリームス(映画)」のように、野球をするなら、まず草むしりからはじめてグラウンドを作るところから始めなければならなかった」と語っていたが。
結果として、志の輔さんのように演劇的な要素を取り入れた「志の輔落語」でパルコ劇場で1ヶ月の落語会、という常識破りの会も誕生する訳なのだが、起業家的な資質(あるいは強力なセルフプロデュースの能力)がない人には生き延びることが厳しい会派ということになるだろうか。

家元と襲名問題、会派の運営の方針が整理できたとして、残るのは、立川流とは、立川談志とはなんだったのか、ということだけだろう。
それはすなわち、立川の名前の元で落語家をする弟子や孫弟子すべてが、立川流=立川談志の独自性をどう継承していくか、ということに尽きる。
「伝統を現代に」、「人間の業の肯定」と談志さんが旗印にしたキャッチーなフレーズは多いが(「江戸の風」というフレーズだけは、談志さんの落語の好みだったように思うので、個人的にはこれは別ものという気がする。あるいは映画『ゴジラ -1.0』の監督が「ゴジラは昭和のもの」と語ったように「落語は江戸のもの(現代人の考える”江戸っぽさ”の中での話)」という程度のことなのかも知れない)、これも、弟子それぞれが自分の解釈で体現していけばいいだけの話だ。


と、つらつら考えると、晴の輔さんがまずは笑点メンバーとして順当に売れてくれることが大事だと思えてくる。くせの強い立川流にしては珍しく、ごくごく普通に見えるところもなかなかいいように思う。
まだまだ緊張のせいか固くはあるが・・・


立川流の孫弟子世代も、ぜひにも後に続いて活躍してほしい。
人気や実力を身につけ、自分の落語につくファンを着実に増やす。


「笑点」は大喜利だけで落語番組ではないからなあ、と思っていたのだが。
なんだか久々に明るい気分になれたので、応援がてらしばらく番組を視聴しようと思っている。メンバーも若返ったことだし。
「笑点」を現代に。
談志さんにならって。なんてね。

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