人と心を通わせることについて

心が通う人を求めている。
ずっとそうしている。
私の場合、心が通う人、それは大体同姓だ。
大体が似ているから。
だけれども、
時に異性にもそれを求める。
求められる。
ただし、大体それは嘘である。
心が通ったと思わせたい、思いたい。
のである。

そして、都合よく理解して、都合よく美化して
時を進めるのである。

誰かと心が通ったと思った時
何とも言えない嬉しさが込み上げてくるものだ。
嬉しいという気持ちは世界をクリアにしてくれる。
幸せな気分になる。
笑いが出てくる。
それを求めている。
そういう気分をいつも求めている。
だから、心が通う人をいつも探している。
あ、いいな。
なんか分かるな。
なんか分かってもらえたな。
同じ気持ちじゃん。
そういう気持ちをずっと探している。
一つ見つけても、また探し出す。

それはとても貴重なものなので、
時には嘘でもいいのである。
嘘でも満たされればそれでいいのである。
できるだけバレないようにすれば、
忘れた頃にバレるくらいにすれば。

…と言うのは簡単で、
分かってはいるが
分かった方が都合がいい年齢にはなってきたが、
それをそれで良しとするのは
自分の性格上至難の業なのである。

嘘は嫌だ。
白黒はっきりさせい!
伝わるまで伝えます。
理解するまで話を聞きなさい。
正直でありなさい。

でもやはり、
心が通じ合う時間というのは、貴重なのであるからして
コミュニケーションスキルを駆使して
もっと得ても良いのではないかと思うのである。

と、
そう、書きながら自分に言い聞かせている。

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