ぶるう

主婦51歳のわたしが人生の折り返し地点のスタートラインに立ちました。わたしにしかできな…

ぶるう

主婦51歳のわたしが人生の折り返し地点のスタートラインに立ちました。わたしにしかできない人生を自由におくるためにはどうすればいいのかを模索しています。

マガジン

  • わたしのことを知ってもらいたくて

    わたしがわたしを正直にふりかえりました。 お会いする前に知っておいてほしいことがつまっています。

最近の記事

わたしの忘備録

「ちょっと書けるキャリコンになる!」に方向転換することに決めた。 書いていくだけじゃ、到底ひとりで食べられるようにならないことがわかったから。食べていかれないほどの収入しか得られないのであれば、夫の扶養のままでいいわけで、それなら今までどおりにパートタイム派遣社員でもいいじゃない、という結論に達した。 それでは嫌なので、新たな道を見つけたのが「キャリアコンサルタント」「ちょっと書ける」をチャームポイントにして差別化を図りたい! そのために、忘備録を記す。 【受験資格】

    • 「はじめまして」と「ひさしぶり」

      「はじめまして」からはじまる会話と、「ひさしぶり」からはじまる会話の違いを考えてみた。 「はじめまして」の場合は、まずは緊張している。 「ひさしぶり」の場合も、とりあえず緊張している。 「はじめまして」の会話のはじめの方は、緊張のせいか、あまり覚えていない。 「ひさしぶり」の会話のはじめの方は、前回話した時を思い出しながら話しているかも。 「はじめまして」の場合だと、なぜか沈黙があまり気にならないけれど、「ひさしぶり」の場合だと、なぜか沈黙にたえられないかも。 いずれ

      • ひとりぼっちじゃないと思える

        わたしが知りえなかったことまで、わたしのことを知っている人は貴重な存在。 わたしのことを不憫に思ってくれていた人がいると思えるだけで、元気をもらえる。 わたしの幼少期の頃のあれこれを知っている叔母と従妹は、わたしの宝物。わたしがいちいち言い訳にしていることを、肯定してくれるから。 言葉を選ばず、カッコつけず、いい人ぶらなくても、わたしのことをほめてくれて、認めてくれて、はげましてくれて、可愛がってくれる。 そんな人がいてくれていると思えるだけで、がんばれる。 この世

        • 母親の血が流れているから

          全くもって認めたくないけれど、認めざるを得ないことがある。 自分の性格で、直したいのに直せない部分は、母親譲りだということ。 わたしは、一度、不信感や違和感を感じた人や場所に対して、一度、感じた不信感や違和感をくつがえすことができない。したいのにできない。した方が楽になれる、近道を通れるとわかっているのにできない。損をしても、不利になっても、苦労をすることになるとわかっていても、したくない。 これね、病気だよ。。。 なぜ、わたしは直せないのかと、美容院までの道のりをテク

        わたしの忘備録

        マガジン

        • わたしのことを知ってもらいたくて
          10本

        記事

          正義と自己主張

          ここのところ、違いを考えている言葉。 自分が気をつけたいと思っているから。 頭が弱いと感じる人って、単なる自己主張をしていることに気がついた。 自分の両親をふくめて、私よりも頭が弱い人(あくまでもわたしが基準なので、わたしの頭が強いと言っているわけではない)の意見がまったく入ってこない理由がわかった気がする。。。 スッと入ってくるのは、それが正しいからそれしかないからと私が思えているときで、そうじゃないときは、正しくないから単なるあなたの意見だからと私が感じているときに、

          正義と自己主張

          神様はいるのかも?

          神様と呼べるものは、いる(ある)のかもしれない。。。 何か月も前から準備していたものがボツになり、絶望感に陥っていたところに新たなカードが見つかった。 数時間前には、絶望感に押しつぶされそうになっていたのが噓のよう。 捨てる神あれば拾う神ありだと思っている。 子どものころには思えなかったけれど、大人になってからは、たびたびそんな出来事に遭遇する。 子どものころとの違いを考えると、誰かを頼ろうとするかしないか、困っていることを言うか言わないか、物事のよし悪しはいろいろ

          神様はいるのかも?

          相手のためになるには

          ふわっとしながら、まわりくどく言われるのがニガテ。 相手を傷つけないように、言葉を選んでいるうちにふわっとしてくるのかもしれないけれど、それって1周まわってくると、めんどくさい。 結局それって、相手のためと思いながらも、自分の保身に走っているだけじゃないかとも思えてくる。 本当に、相手のことを思う気持ちがあるならば、分かりやすく端的に伝えるほうがいいとさえ思う。 もしも、それが相手に伝わらないのであれば、それはそれでしょうがないということにするだけでいいと思う。 あ

          相手のためになるには

          わからないと言えるには

          今日は、これから子どもの英検のつきそいへ。 学年相当の級を受けるけれど、学校の授業についていけていないから大変なのかもしれない… わたしには、子どもが2人いる。 1人はわからないことをわからないと言える。 もう1人は、言えない。 言えないことをわかっているのに「わからないことをわからないままにしていると、わからないままで進んでいくだけだからね」と言ってしまうわたしは、だめな母親なのだろうか。。。 わからないと言えるようにしてあげられたら、英検も、学校の授業も、その他のこと

          わからないと言えるには

          社会性がないってこと?

          プライベートで自分から連絡を取ってまで会いたい人は、今のところ、この世に2人しかいない。1人は20年来の友人でもう1人は従妹。 誰とでもいろんな人と約束して、ランチに行ったりお酒を飲みに行ったりしている人に遭遇すると、どんな気持ちで、どんな話を、どの程度するのか聞きたくなる。。。 わたしには全く理解できないから。 だって、つきあいが浅い段階で会う場合は、緊張するだけで上っ面の中身のうすい話題で終わってしまいそうだし、つきあいが長くてもたくさんの人と会う場合は、つき合いの濃

          社会性がないってこと?

          将来の不安について

          前回の投稿から1ヶ月以上も経ってしまった。 その間に、年齢を1つ重ねている。 ぼやぼやしていてはいけないと、勝手に焦りを感じる今日この頃。 「高齢独身女性、細る収入」という今朝の1面の見出しからも、モヤモヤしたものを感じている。 わたしは独身ではないけれど、夫が10歳年上なうえ、女性の平均寿命を鑑みると、15年から20年は自活して生きていかねばならないことをいつの頃からか自覚している。 それに加え、現在、賃貸住まい(多分、今後もずっと)なうえ、相続するものがないことを認識

          将来の不安について

          習性は変えられるのか

          わたしは、自分が背伸びをしなきゃ到底届かないであろう物事に惹かれてしまう習性がある。そのくせ、初動の勢いだけはあるものだから、すぐに調べたり考えたり想像したりする。そうなると、高望みであるだけに自分には到底届かない現実に早々にたどり着いてしまう。 だから空回りするだけで終わってしまうことが多い。 本来なら、はじめから高望みをするのではなく、二番手三番手から徐々に一番手に近づくように考えればいいものを、なぜかはじめに惹かれてしまうのは一番手になってしまって、それを超えるものじ

          習性は変えられるのか

          良い子がいい子とは限らないのに

          学校の先生は、校則をきちんとまもり、授業には積極的に参加し、先生とのコミュニケーションにも長けているような子を良い子と判断するものだと思う。 当然だ。学校の先生という職業は、ルールを守れるように、勉強ができるように、誰とでも仲良くできるようにを教え込んで社会に出すのが仕事だと考えていると思われるからだ。 だから、学校の先生は、それを遂行していればいい。それ以上を期待してはいけない。 でも、校則を守らず、授業にも積極的に参加せず、先生に好かれそうなコミュニケーションがとれ

          良い子がいい子とは限らないのに

          突然におとずれた

          誰かのためになるとか誰かの成長を見守るとかが自分のよろこびと捉えるのって、おこがましいのかもしれない。傲慢なのかもしれないと思い至る。 ひとりよがりにならないようにと気をつけていても、人間は不完全な生き物だからいつのまにかひとりよがりになってしまう。(はずかしい…) 「小さな物語が起点でいい」 ほしい言葉をほしいときにもらえるのって不思議。 乗り越える日がある日、突然おとづれた、笑。

          突然におとずれた

          良くも悪くも変化する

          引継ぎをしている24歳のTさん(とてもいい子)が同じ空間にいるようになってから、職場の心理的安全性が高まったように感じる。 Tさんが来てくれたことによって平和主義の人口の割合が増えたからか、お局カラーを引き継いでいて言葉遣いが強めだった社員さん(女性)の態度が確実に変わってきている。 人間は、3人から社会が成立し始めると何かで読んだことがあるけれど、3人中2人の雰囲気が似たようなものだった場合、もう1人は自然に引きずられていくのかもしれない。 良くも悪くも一緒にいる人と

          良くも悪くも変化する

          突然におとずれる

          ある日、それは突然にやってくる。 社会とのつながりを断ち切ってひとりで家にこもっていたくなる感情。 何もかも投げ出して見て見ぬふりをしたくなる感情は、誰もがおとずれるものなのか。わたしだけなのだろうか…… もちろんいい大人だから、世間や他者にご迷惑がかかることはしない冷静さを保つようにはしているけれど。 今までの経験から、一度こもってしまうとそこから抜け出すにはそれ相当の覚悟と勇気が必要なことを知っているから、なんとかそうならないように思いとどまろうとはしているけれど、

          突然におとずれる

          義母と実母

          結婚して義母ができた。 義母と接するようになってから、母親とは頼れる存在だと思えるようになった。 義母は実母よりも10歳近く年上だから年の功があるのかもしれないけれど、人として、母親として尊敬できる存在だ。 どこの馬の骨か分からないわたしを、結婚当初から快く受け入れてくださった。(息子を信頼している親子関係のもと、息子が連れてきた人ならば…という前置きがあったからだと思うけれど) 男の子しかいないところにお嫁さんが来てくれたと、今は亡き義父が喜んでくださり、それはそれは温

          義母と実母