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京都国際写真祭を巡る1-写真を素材として作品を作る-

 京都国際写真祭が現在開催されている。世界・日本を代表する写真家の作品が観れる貴重なイベントである。このイベントは定期的に開催されているらしいが、京都に来て5年目、初めて展示を巡ってみた。展示を見て感じたことを軽くシリーズ
でまとめていきたいと思う。
 今年京都国際写真祭を巡ることになったのは全くの偶然である。存在自体は知っていたが、「写真家の写真を観てもどうせ圧倒されて萎えるだけだろう」と捻くれていたので積極的に行こうとは考えていなかった。しかし、先週散歩に出かけた際にふらっと京都文化博物館の1階のフリースペースに立ち寄ったところ、丁度京都国際写真祭「マベル・ポブレット」の展示が行われていた。入り口に入るや否やスタッフに「チケットはお持ちですか」と聞かれたので「いや」と答えた。そのままチケットの購入方法を説明されたので、流れでチケット窓口に並んでしまった(首にカメラをぶら下げていたので、ここで引き下がるのは流石に不自然だろうと思った)。チケットは「マベル・ポブレット」の展示用チケットとパスポートチケットの2種類あった。京都国際写真祭は様々な会場で行われているので、複数巡るならパスポートがお得だ。当初巡るつもりはなかったが、学割も効いてお得だったのでこれも何かの縁かと思ってパスポートを購入した(こうでもしないと巡らなかっただろう)。会場は写真撮影OKということで、撮った写真を載せながら感じたことを綴る。
 マベル・ポブレットという写真家の名前は始めて耳にした。今回は「水」や「海」をテーマにした展示を行なっているとのこと。彼女の展示を見てまず感じたのは「彼女の作品は写真ではない、写真を用いた作品だ」ということである(ここでいう写真は一枚の紙の上に刷られたもを指すものとする)。彼女の作品は、印刷した写真を切り取って花形の様に重ね、貼り付けることで完成している(作品1,3)。彼女のメッセージは取り敢えず置いといて、とにかく写真が作品の素材になっているということが特徴的だ。以前情熱大陸か何かの番組で、同じように写真を切り貼りしてモザイクアートを作っていた写真家を思い出した。このタイプの写真家は、自身の手で何か形を作り上げる芸術力が強く、写真を撮ることはあくまでも作品を作る過程であり、その先に完成がある。私の中の写真家のイメージは「一枚の写真を作品とする者」というイメージが強いので、ギャップが凄い。少なくとも今自分がもつ写真感とは180°ベクトルが異なるので、圧倒されるというよりかは、違う世界を見ているみたいだった。

作品1


作品2


作品3
作品4

この展示で面白かった点は他にもある。それは展示の工夫だ。以下の作品5を見てほしい。裸体の女性の写真の上にキラキラしたすだれのようなものが垂れ下がっている。これも一枚の写真を超え、すだれがかかることで写真とは別のものになっている。このすだれがゆらゆらと揺れることで、地面に光の揺れが現れる(写真1)。これは波の揺らめきを再現しているのだろうか?さて、ここで疑問が浮かんだ。「なぜすだれは揺れているのか」。見上げると扇風機が設置されていた(写真2)。つまり写真家あるいは展示をデザインした人が、あえて揺らしているのだ。地面の光が波の揺らめきを再現しているのではないかという考えはあながち間違っていないのかもしれない。
 もうひとつ気になったのが作品の前に鏡があることである。詳しい意図はわからないが鏡があることで空間的な狭さを拡張し、実際よりも離れた地点からモザイク作品を俯瞰できるのではないかと感じた。

作品5
写真1
写真2
写真3

 この展示を観て感じたのは写真家といえどもその在り方は様々であるということだ。また、今回お持ち帰りできたことは「写真を素材として作品を作る」という方法が存在するということである。今後自身の写真活動にこのスタンスを取り入れることがあれば、この展示を思い出すのだろう。


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