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[#4]食物アレルギー、なおりませんでした。

こんにちは。こんばんは。おはようございます。suiriです。前回の記事にも書いた通り、食物アレルギーでよかったなと思うこともありますが、やっぱり悪いところのほうが圧倒的に多いです。そこで、やっとこ本題です。
もし自分が大人になって食物アレルギーになってしまった、大人になっても食物アレルギーが治らなかったらどうすればいいか。まず、心構えとして、当たり前ですが、食事面において普通の方と同じようには過ごせません。ということを頭に置いておきます。これを受け入れながら付き合っていくことが大事です。その方法を体験談を交えつつお伝えします。

人と違うことが受け入れられなかった

私は、小さいころからアレルギーを持っていたため、小学校の時も中学校の時も給食ではなくお弁当でした。毎日朝早く起きて作ってくれた親には感謝しかありません。でも、本音を言うと、同時に少しの恨みもありました。
給食の時間、アレルギー物質に囲まれて食事をします。症状が出たときのかゆみ、苦しみは小さいときからよくわかっていたのでアレルギー症状が出たらどうしよう。という小さな恐怖感が常に私の心の中にいました。小中学校での給食当番、私はお盆運びだけでした。みんなと同じようにご飯を友達によそったり、友達の給食を配膳したりできなかったので、給食の準備の時間はみんな並んでいますが、私だけ椅子に座って独りぼっちでした。その時間が大変苦痛でした。ほかの人は友達の分まで運ばないで席に座ると、友達にやれよといわれ笑いながら給食を運びに行くのですが、私は自分の分の食器だけ運んで終わりです。みんながめんどくさいけどやらなきゃいけないことをやっているのに、自分は何もしていない、、当時はそんな罪悪感で胸がいっぱいでした。給食の時間が終わった後もその嫌なことは続きます。それは教室掃除の時間です。教室の机には少なくとも牛乳のこぼした跡や食べかすが一つや二つあったと思います。普通の人でも嫌だなとは思うと思いますが、私の場合それを触ったらかゆくなり、真っ赤になってしまうので極力机の面を触らないように側面を持って机を運んだり、床掃除は箒をやらせてもらったりしていました。
こんなところまで気を使わなきゃいけなかったのは、正直とても気が疲れてしまうし、何より恥ずかしいという思いが一番強かったです。人と違うことが人より劣っていると考えると同時に恥ずかしさがこみあげてきました。自分を責めることをやめられなかったです。
自分を責めることで何とか恥ずかしさをなくしていたという感じでした。
なんでみんなと同じように同じものを食べられないんだろう。なんで自分だけこんなに気を使いながら生きなきゃいけないんだろう。と。
人と違うことを当時はまだ受け入れられなかったんだと思います。だから恥ずかしさというのが出てきてしまうんだなと思いました。この経験から普通の人の生活は諦めようと高校生で決意しました。諦めることも大事ということを覚えておいてほしいです。
なぜなら結構ここから気持ち的にいい方向に変化があったからです。


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