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【閲覧注意】愛着障害とわたし~幼少期変~【暗い内容】


ハロー!夢を叶え続ける元教師♪だーにゃちゃんです(*^^*)
今日は暗い内容になります。それでもわたしの大切な幼少期なので大切に綴っていきたいと思います。

わたしと愛着障害~本題前の前提~

愛着障害は家庭環境が大きく関わっていることはご存じかと思いますが、じゃあその【家庭環境】っていうのも千差万別。

こういうことを書くときに気を付けておときたいのは【不幸自慢】にならないことだ。一歩間違うと【悲劇のヒロイン】や【妖怪カワイソウ】になってしまい【わたしなんて○○でした】的な不幸の比べっこをする人が時々出てきてしまう

一つ大前提として伝えておきたいのは、【幸せと不幸】ってのはみんな平等にもっていると、わたしは思っています。(あくまでわたしはね)

だから幸せと不幸は比べっこするものではないし、(とは言っても、幸せそうな人を見ると未だに羨ましい~とか思ってる自分も時々いるけど(笑)

【この人は幸せな人】で【あの人は可哀想な人】ということは ない!と思うのがわたしの考えです。その前提でお話させてください。

なぜ愛着障害を開示するのか?

自己開示ってリスクもあるけれど、じゃあなんでするの?って言われたら

私自身が「愛着障害ではない人から克服方法を聞く」よりも
「愛着障害だった人から克服方法を聞きたい」って思ったからです。

「だーにゃはそういう状況だったのね」
「だったらわたしもがんばれそうだ」
そんな風に思ってもらえたら幸いです。

長くなりましたが本題↓

わたしの幼少期


育ってきた環境
わたしは千葉県の生まれです。周りはまずまずの田舎町ですがそんな中でもそこそこの住宅地で育ちました。今は廃れてきつつありますが、当時は新興住宅地としてまずまず人気な場所でした。

周りは緑豊かというより舗装された灰色のコンクリートの道が神経質なくらいきれいに家と家の間を区画整備していました。

だからなのかな、小学生のころからお受験する子は多かったし(自分はしなかったけれど)今思えば、“【子ども】という存在は、【親のエゴ】で創られている“なんかそんな感覚を子供ながらに感じていました。そんな住宅街でわたしは公務員の父と自営業の母のもとに育ちました。

なんかさ、ここまで書くと【なーんだ、おまえ恵まれてんじゃん】って思うだろうけど、だからこそ【誰にも気づかれないまんま大人になっちまった】

家庭環境
一見恵まれた家庭なんだろうけれど、父親はいつも機嫌が悪く、幼稚園の時から、楽しかったことを父に報告しようとして話しかけたら
【うるせえ!!!!!】と、怒鳴りつけられていた。


でも幼いころのわたしは、学習できなかったからなにかいいことがあったときは凝りもせず父親に話しかけては怒鳴られ続けていた。さすがに物心ついて、【話しかけたら怒鳴られる】って学習してから、父親と話すことはほとんどなくなった。運よく機嫌のいい時に話ができたとしても一言、二言目には機嫌を損ねて怒鳴ったり大きな音を立てきて、会話が成立することもない。

主には暴言やバカでかい音での恐怖だったけれど、それも立派な虐待だと思うし、普通に殴られたり、物を投げつけられたときもあった。

わたしの成績は良いほうだったし、絵や習字もよく入賞していたけれど(幼いながらに親に認めてもらいたくって必死だった)父親には一度も褒められたことはなかった。

それどころか、人格を否定されるような言葉ばかり幼い頃から投げつけられていた。


リビングは戦場
一般的な家庭ではリラックスの場所としてのリビングワタシにとっては戦場であり、恐怖の場所だった。


だから、家にいるといつ父親がキレ始めるのかびくびくしていてそれがストレスで、いつもイライラするようになっていた。

特に思春期の頃小学6年~中学生くらいまでいっつも気づくと「死にたい死にたい」って呟いていた。

そこそこの人間関係は築けたしそれなりの友達はいたけれど何かトラブルがあったときとかカッなってしまったり悪く受け止めすぎるクセがあっていつも損な役回りだった。


辛くて苦しくて
いっつも心の中がぐっしゃぐしゃで
友達といて笑っていても心の中で真っ黒なわたしがいつもいて


どうして辛いのか
なんでこんなに苦しいのか

原因が分からなかったし
誰にもいえなかったし
誰にも気づいてもらえなかった

高校時代は進学校に通っていてかなりギリギリで受かった学校だったから勉強についていくことに必死でいつも勉強していた。


【勉強】って言えば怒られるリスクも少なかったし、勉強していると無心になれて、その間だけは胸のヒリヒリも薄れていたような気がする。ある意味で精神安定剤だったのかな。

【いい大学に入れば、素敵な未来が待っている】ってその頃は信じていたし、ただひたすら未来を信じて息と自分の心を殺して必死で勉強していた。ロボットみたいだったな。

そんなこんなが、わたしの十代です。

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