ジオパークに ハマってしまった!       §5 第4回ジオパーク講座            細倉鉱山を探検                        sono1「石ころ」にはまってしまった

※第3回に予定されていた「細倉鉱山を探検しよう」が、台風で延期となり、実際には4回目となりました。この日、午前中に「細倉鉱山」、夕方には、もともとこの日に予定されていた「マガンのねぐら入り」が第5回目として開講されました。今回は、その内「細倉鉱山を探検」の内容をお届けします。

「細倉マインパーク」は、細倉鉱山の廃坑跡を改造してつくられたレクリエーショナルパークです。
 お子さんの興味により、反応はいろいろ。遊具がだいぶ少なくなって、鉱山跡がメインになっていますので、小さいお子さんだともてあますかもしれません。
 そんな時は、近くに金田森公園があり、トイレや炊飯用設備もあって、デイキャンプができますので、組み合わせると面白いかもしれませんヨ。


▢ 「石ころ」にハマってしまった!
  
石にまではまるかあ…

 僕が、はじめてここに来たのは、子どもが小学生の頃の夏。坑道を歩いて、涼んで(夏は涼しい「ほぼ15℃」)から、鉱石の展示を見て「キレイダ」と思い、たまたまポケットに入れていたルーペでのぞいてみた「別世界」が広がり、子どもたちも僕も「石ころ」にはまってしまった。以来、野山に遊びに出るときは、それぞれのリュックに「マイルーペ」を入れ、車に「ハンマー」を積んでいくのがお出かけの定番となった。
 山に入って、石を見つけると、ハンマーでたたいて少し割り、切り口をルーペでのぞく。あるいは、ひびが入っている石を探して、割れ目を覗いていて見る。すると、時々、思いもしなかった素敵な世界に出会うことがある
・・・これ、オススメです。
 何年か続けたところで、当時中学三年生だった長男が「これ、自然破壊になんねえの?」とポツリ。たまの二個三個…は大丈夫といってみたが、「ちりも積もれば…」ということで、この遊びは、以後の我が家では終了になった。

 
▢ 細倉鉱山

 さて、枕が長くなってしまった。本題に…。
 この「細倉マインパーク」は、そもそも「細倉鉱山」が廃坑になった後の姿であることは、前述のとおりである。
 今から1200年前、平安時代に発見されたともいわれる鉱山である。当初は銀山であったと言われている。江戸時代には仙台藩が手を入れて、かなり整備されたらしい。

▢「細倉鉱山」の歴史

 仙台藩が整備した細倉銀山だったが、明治・大正になって、民間に払い下げられた(そうそう、この間に銀山から亜鉛や鉛を取り出す鉛山へと変身している)。紆余曲折の中、経営も上向いたり下降したりを繰り返したようだ。それが昭和になって三菱の資本が入り、さらに戦争の時代ともなると軍事産業としての「鉛」の重要さも出てきたりして繁栄の時代に入る。
 宮城の、しかも仙台から北に離れた田舎町で、鉄道がなんと電化された。それも、東北では群を抜いて早い時期にだ!(鉄道の話は、また後で…)

 細倉鉱山があったこの地域は「鶯沢(うぐいすざわ)」と呼ばれる地域だが、鉱山の最盛期、人口は13,000を超えていた(1957年頃)。

 昭和のはじめ頃は、採算性も上がって栄えていたが、やがて、鉱量(採掘される鉱物の量)も、富鉱部(採掘される鉱物で、鉛の含有率が高い物が多い部分)も、減少に転じ、金属価格の低迷などの影響もうけて1987年閉山となった。
 閉山後は、海外から輸入された原料を使っての鉛製錬自動車用バッテリーを回収して鉛の原料を取り出す事業に転換した。
 1996年には、自動車用バッテリーからの鉛製造にしぼった体制に一本化して現在に至る。

※2005年にこの地域が合併により「栗原市」になる直前頃には、鴬沢の人口は3,000人にまで少なくなっていた。

▢ 苦しい歴史

 この鉱山には、苦しい歴史も残る鉛公害と鉱山労働者の(鉱山の粉塵による)塵肺罹患の歴史である。鉛公害における人的被害は、「神岡」や「尾去沢」ほどではなかったようだ。それでも「公害」は存在したし、塵肺の被害はまさに裁判闘争に発展したカドミウム汚染に関する資料においては、大正時代にクリの木が枯れたり、草を食んでいた馬が斃れるなどの記述がみられるという。

 1960年代後半になって、汚染状況の調査が行われ、1969年に発表されたその結果では、カドミウムや鉛が検出されたものの、汚染状況は軽度という評価で、住民の健康被害は見られなかったとされている。

 一方1987年の閉山後、鉱山労働者の塵肺罹患が公になり、こちらは裁判となってしまった。1996年原告側の全面勝利の判決が出されが、原告側三菱マテリアルは仙台高裁に控訴。同年10月、高裁から和解勧告、三菱マテリアル側は、塵肺被害を防止できなかったことの責任を認めて和解が成立した。三菱マテリアルは、被害者への補償を開始した。田畑のモニタリングは現在も計測されている

※ 長くなってしまったので、つづきは次回にします。
  次回は第4回ジオパーク講座 sono2「▢タヌキ堀、▢くりはら田園鉄 
  道」です。


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