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優しさにふれるたび 私は恥ずかしい

 藤井風「優しさ」の歌詞から。

 ここを聴いた時、「ああ、このお兄ちゃんは大切にしている宗教は違えど、自分より大きく、自分を育ててくれる存在を知っているんやな。」と思いました。

 「大きな存在から照らされ、願われてる私」を感じます。

 普通なら優しさに触れて感じるのは「嬉しい」とか「ありがたい」です。

 けれど、「恥ずかしい」と言っています。自分なら同じようにできるだろうか?とか、その優しさを受けるだけの私であるのか?といった自らを省みる姿がここにはあります。

 お念仏を頂く私たちは慚愧と歓喜の中での御恩報謝の生活を送ります。

 阿弥陀仏の慈悲に照らされ、お恥ずかしく、ありがたく、勿体ないと、お念仏の日暮らしをするということを再度確認させていただける、そんな言葉だと思います。


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