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No,21 浄土真宗はなぜ「唱える」と書かず「称える」と書くのか

 年末のNHK紅白歌合戦の出場歌手が発表されました。中でもAdoが注目されているでしょうか。現在、彼女の「唱(しょう)」という楽曲が人気です。USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のハロウィンイベント「ゾンビデダンス」の楽曲としても話題になっていました。

 やかましい歌やなあ、と感じる方も多いかもしれませんが、その勢いの良さが人気なのかと思います。曲名の「唱」が、歌うという意味と、ショータイムのShowを掛けられているようです。そこでふと思いついたので、今回は「となえる」という字の話を書いてみます。浄土真宗はとなえると言う時「称」を使うからです。何で唱じゃないん?って話。
 
 「唱」は誰もが違和感なく使う字です。漢字辞典を開いてみると、唱は「人の先にたって読みはじめる、うたいはじめる。▽それに続いて声をあわせるのを「和」という。」とありました。唱和という言葉の意味がよくわかります。
 
 仏教界ではこの唱を日蓮宗系が使います。「唱題」「唱題成仏」と言いますよね。お題目(「妙法蓮華経」というお経のタイトル)に、大切にするという意の南無をつけて「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」と口に出します。
 
 一方で、私たち浄土真宗は「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀仏という仏さまのお名前に、大切にするという意の南無をつけてとなえることを「称名念仏」、略して「念仏」とか「称名」と言います。だから「お念仏を称える」と書き、「お念仏を唱える」とは書きません。
 
 その理由として第一に、称には「たたえる」という意味があるからです。「私は阿弥陀仏を拠りどころとします」という表明が称名念仏の基本的な意味の一つですから、たたえるという意味もある称は唱よりもふさわしいと言えそうです。
 さらに称の旧字は「稱」で、秤(はかり)を意味します。ものの軽重をはかる。つまり、そのものの意義、内実についてよく知る、という意味です。単に口に出すだけではない、阿弥陀様の願いについてよく知る、深く頂くという側面もあるから、称えるという漢字が適当だということでしょう。
 
 もしかすると、称はたった独りでも、といただけるかもしれません。唱だと多人数が必要になる。私たちは一人一人が阿弥陀様に向き合えるし、阿弥陀様も私たち一人一人に向き合ってくださる、そんな意味もあるのかもしれません。
 ただ、仲間が多数いることは嬉しいことではありますけれど。
 
 以上、今回は少し「となえる」という字について考えてみました。漢字一つでも色々と違いがあり面白いなあと思います。今日からお念仏するときは称えるの字をイメージいただけると有難いです。

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