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〔121〕國體史観がすべての謎を解く9/25修文

〔121〕國體史観がすべての謎を解く
 このnoteの主張は、地域・人種・宗教などの各勢力が相生相克しながら発展する地域文明の消長を傍観しながら各地域勢力間の調整を行ってきた国際勢力が、この世に実在することです。
 落合はこれを「ワンワールド國體」と呼びますが、わが日本との関係を簡単にまとめると、下記の通りです。
➀戦前日本の針路を決めたのはワンワールド國體であること。
➁ワンワールド國體の現代の中核は世界王室連合であること。
➂ワンワールド國體は太古メソポタミアに始まり東西に拡散したことで、古来東西が存在すること。
④ワンワールド國體の棟梁は古来、東極が日本皇室、西極がスコットランド王家であったこと。
⑤モスレムとの戦いで弱体化した西極フランク王国に、東極から有間皇子が入ってカロリング朝を開き、カール大帝の神聖ローマ帝国を建てたこと。
⑥西極の神聖ローマ帝国が弱体化したので、東極から大塔宮護良親王の王子王孫および伏見宮治仁王が入ってハプスブルク大公を創ったこと。
⓻東西両極は意識的に一体で、両者の間に矛盾・相剋はないこと。

西部棟梁ハプスブルク家の工作部隊として大東社(とメソジスト教会、聖公会ら)があり、東部棟梁の國體天皇の隷下に黒龍会・玄洋社があること。
 だいたい、以上です。 
 これまでのnote は、上記➀に関して具体的に知りたいと思う落合が、思索と洞察を重ねてきた結果を述べてきたものです。この作業は落合一人が進めたものではなく、平成三年ころから落合に接近してきた「何処の誰とも、何が目的かもうかがい知れぬ」人物たちが関与しています。
 その人物の正体を落合が確認し、その言に信を置くようになったのは平成十年代ですが、一気にそうなったのではなく、平成十(1998)年から二十(2008)年まで、十年間は半信半疑の状態が続きました。
 バブル期に一応の資産を作った落合は、平成に入って始まったバブル崩壊で奈落に落ちながら、経営の立て直しよりも「かかる事態がなぜ日本経済に生じたのか?」、「経済メカニズムとは本当のところどのようなものか?」を知らねば済まなくなりました。
 そこで経済研究を進めることになりましたが、それまで株式相場だけしか知らなかった落合が、すぐに気が付いたのは、これまで人為的に行われてきた証券信用の仕組みを利用していた相場操縦策が、市場制度の現物相場から先物経済への移行によってその効果を失ったことです。
 株式先物市場は情報化の進展と制度改正により登場したもので、まさに歴史現象です。経済変動の根底には必ず制度の進展があり、それは結局歴史そのものであることを、石原莞爾の「世界最終戦論」によって覚った落合は、以後は経営問題を放擲して歴史研究に入りました。

 麻布十番にあった落合事務所にその頃から現れたのが、「何か目的があるようだが正確には窺い知れぬ人物たち」で、当時は「麻布十番閑人衆」と呼んでいましたが、今はその正体を知りました。
 かれら全員が、落合の歴史意識を刺激して研究を進めさせる目的で、どこかから派遣されてきたので、当然派遣元がおります。
   落合のもとへ麻布十番閑人衆を送りこんできた派遣元は一つでなく、相対立する二つの勢力だったことが後になって判りました。
   もとは一つの國體奉公勢力が、敗戦日本を間接占領する米軍および、米軍と結託した国際金融連合との関係で二つに割れたのです。その両者が落合をスカウトする目的で、それぞれの工作員を派遣してきたのです。
   派遣元の一つは大徳寺の長老立花大亀和尚で三笠宮崇仁親王を担いでいました。もう一つは高松宮宣仁親王配下の國體奉公衆です。

 後者からの接触は、落合の妻緑が平成元年一月七日に死亡した直後から始まりました。平成三年には國體奉公衆からの最初の接触がありましたが、それと知ったのは十年後です。平成五年に伊藤博文の孫の伊藤満洲雄さんから、孝明天皇父子の崩御をめぐる真相について落合の意見を質してきましたが、これも例の接触のうちと思います。
   前者からの接触は平成四年ころに始まります。裏千家幹部の茶道研究家筒井氏の義弟という大谷満さんが拙著の読者を装って接触してきました。
ここからは有領域です

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