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人見知りが許されるのはかわい子ちゃんだけだよね、というはなし

 私は人見知りだ。誰がなんと言っても人見知りだ。
しかし私は、特に仕事の時は結構知らない人にもグイグイ行く。
それはもちろん「仕事だから」だけれど、もうひとつ、大きな理由がある。
私ごときが人見知りしていたら、誰にも相手にされないからだ。
人見知りは許される人と許されない人がいる。
許されるのは顔面偏差値が高い人のみ。
それが私が出した結論だ。

 よく漫画やアニメで
「最初は人見知り(大概女子)だけれど、主人公(大概男子)が熱心に彼女に働きかけ続けたことで次第に心を開いていく」
という展開がある。
 結構ベタな流れなのだろう。私は大人になるまでにそのような展開を創作の世界の中で幾度となく見てきた。

 だから、勘違いしちゃったのだ。あっ、人見知りでも誰かが私の心の扉をノックしてくれるんだな、と。

 しかし、その期待は大学入学とともに打ち砕かれた。入学当初、私は人見知り全開になった。知らない土地で、知り合いもほとんどいない。どうしよう、知らない人に話しかけるのはちょっと怖い。このままじゃ友達なんて一人もできないかも…。

 でも大丈夫、こういう展開は漫画などでよく見ている。きっとそのうち誰かが私の人見知りを優しく解いてくれるんだ。そして待ち続けること数ヶ月。私の心の扉を叩きにきてくれたクラスメイトは

0人。

 おかしい。漫画ならばもうとっくに主人公がちょっとずつ距離を縮めはじめる頃なのに。もしかして私が気付いていないだけで、密かに私の心の扉に手を伸ばしている人がいるのだろうか。そう思ってあたりを見回した。そして分かった。

 誰も私になんか興味を持っていない。

 これは私の人生を変えるほどの気付きだった、と言っても過言ではないだろう。しかしそんなことは当然なのである。だって私の心なんか開いても、なんの得にもならないもん。


 そして私は悟った。人見知りが許されるのは可愛い女の子だけなのだと。全ての閉ざされた扉に等しくノックされるチャンスがあるわけではない。ノックされるのは選ばれし扉のみなのだ。選ばれない扉の中に立てこもっていても、その扉は永遠に開くことなく、一人朽ちていくしかない。

 というわけで、それから私は誰も叩いてくれなかった自分の心の扉を内側からぶち破り、結果、自分から様々な人に話しかけられる人間になった。

 自分はそうやって生きていくしかないということに気がついたのだ。


 皮肉なことに、社会人になって数十年経った今、自分が唯一持つ武器は
「知らない人にもグイグイ行ける」
という、人見知りとは真逆のスキルである。

 まあ人生ってそんなもんだよね。

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