「人生=暇つぶし」と仮定してみた件について。

 今週、軽い挫折をした。

 大学内での転科試験が行われないことを告げられ、ルート1とルート3(「全休なのに遅刻しかけた件について。」参照)は、閉ざされた。

要するに、学内での心理学科には行けないということだ。

 編入を目指すとはいえ、正直ショックだった。カウンセラーへの道が、もう1年繰り越されるのだということが何よりも悔しくて、人目のつかないところでしゃがみ込んだ。しゃがんだ場所が外だったからと、風邪気味だったというのもあり、次の日には久方ぶりに熱を出した。

 転科できないのは、人数が充足しているから転科は実施しないという外的な要因だった。原因の所在の次元が明らかに外的でどうにもならないことなのに、「どうしよう」と言っている自分がいる。

 外的な要因なのに、「向いてないのかな」「ふさわしくないのかな」と不安になる自分もいる。


 いや、待てよ


「向いてる」とか、「向いてない」とか何だ?
「ふさわしい」とか何だ??



 ここで、一つの言葉を思い出した。


『人生は死ぬまでの暇つぶし』

ひつまぶしではない。ひまつぶしだ。笑
なんて、冗談はさておき、
「人生の時間=暇つぶし」と仮定する。

 人間は生きていて、色んなことに取り組む。成功と失敗という極端な決め方をした時に次の4パターンが浮かぶ。(何を以て成功や失敗とするかは、個人の指標によるものではある。)

 1・成功しかしない
 2・失敗を繰り返して成功する
 3・成功した後に失敗と成功を繰り返す
 4・失敗しかしたことがない

 要は、成功を先にするか、失敗を先にするかである。

 私の場合、成功を先にしてしまうと、どうやら長続きしないみたいだ。成功に満足して、その地に落ち着いてしまう。足が満たされる。つまり、向上心を持たなくなってしまうのだ。

 【パターン1について】
 これは、小学校6年生の時の話。
地元の発明クラブで、ロボットコンテストの全国大会に出場することができた。先生がロボットコンテストについて説明された日から、密かに「全国大会に行きたい」思っていた。チームメイト達のおかげもあり、出場することができた。大会は予選敗退だったが、チームメイトとの絆、人生初東京、人生初大学訪問と非常に良い経験になった。
しかし今、工学を学んでるかといえばそうではない。ハンダゴテを触ってるかというわけでもない。バイト先で少し悠長に六角レンチを回すことしかしていない。


 【パターン2と3について】
 これらのはっきりとした経験が思いつかない。だが、これらが最も暇つぶしになると思う。

 特にパターン2について考えた時に、大学受験で散々失敗を見たが、今後成功し得るかもしれないことを「向いてない」「ふさわしくない」といって諦めてしまうことに勿体なさを感じる。だから、私は今回の転科失敗でスクールカウンセラーやPTG研究をする道を諦めたくはない。足が満たされるまでは。 

【パターン4について】
 これは、高校で辞めた剣道部に当てはまる。(記事がまとまれば後日談にしようと思います。)

 本当は、途中でやめなければ、パターン2と3しかないのかもしれない。先週、成功経験の中にはたくさんの失敗が転がってることを大学の授業で学んだ。おかげで今回の軽い挫折は、持ち堪えた。

 人生においての時間=暇つぶしだと仮定すると、成功経験や失敗経験は有意義な暇つぶしになるのではなかろうか。

 以上、微熱の頭で考えた拙いノムラリアンの頭の中でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?