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座り込んでいる女・第二幕

座り込んでいる女を見ても、声を掛けてはいけない。
奴らは苦しんでいるフリをして、獲物が掛かるのを待っている。自分が襲える獲物が掛かるのを……。


私が高一の時、私の前の席に座っていたあの子。
おとなしくて目立たない子だと思っていたけど、実は凄く変な子だった。
先生の言葉をやたら悪く受け取って、「イジめられた」と騒ぎ……。

そのうち、あの子は物理の授業に出なくなった。現社の授業にも出なくなった。
あの子は授業をサボって、廊下や踊り場に座り込むようになった。
顔が見えないよう、頭を抱え込んで。


「あの子は困ったな……。変なことで臍を曲げず、ちゃんと授業に出て欲しいんだが……」
あの子の奇行に、担任の先生は悩んでいた。
担任の先生は若い英語の先生だった。
授業の時はよく机の間を周って、私たちがちゃんと板書を書けているか必ずチェックする、真面目な先生だった。
ノート取りを工夫していると、褒めてくれることもあった。
そんな先生だったから、かなり人気があった。

だけど、あの子は担任の先生も嫌いだった。
「あいつ、私のCが大文字か小文字か判りにくいとか言いがかり付けて来て。授業中に、皆に聞こえるようにさぁ!」
初めてあの子と話した日、掲示板の前であの子が恨み言をぶちまけた時、あの子は担任の先生のことも悪く言っていた。
あの子は、自分を否定する発言はどんな内容だろうと敵意と捉えて、その人物を嫌っていた。
猛烈に面倒くさい子だった。

そんな面倒くさいあの子にも、担任の先生は必死に向き合っていた。
担任の先生とあの子が激しく話し込んでるのを、何度が見た。
内心で「先生、よくやるなぁ」って思ってた。
担任の先生は、あの子の悪い点を指摘して正そうとするから、あの子は担任の先生が嫌いだった。
だけど、授業はサボらずに出席していた。
多分、何だかんだで優しくて、自分を気に掛けてくれるからだろうな。
私はそう思っていた。

そのうち、あの子をネタにして揶揄う子たちも現れた。
「廊下に座り込んでるあの子、いつもパンツ丸見えじゃん!」
「この前、コソっと撮ったんだ。パンチラ写真、顔写真と一緒に同中の男子に売ったら、三万も儲かってさ……!」
あんなところで座り込んでるあの子が悪いんだけど、さすがにそれは性格が悪いんじゃない?
と、私は思ってた。だからって、止めようとはしなかったけど。

あの子も、そんな雰囲気に薄々感づいてたのかな?
そのうち、授業をサボっても廊下や踊り場に座り込むのは止めた。
いや、たまたま私が見なくなってただけだった。あの子の行動はエスカレートしていた。

あの日、他のクラスの子が私に話した。
「聞いてよ! こないだ、授業中にメッチャおしっこ我慢してて、授業終わったらすぐトイレに駆け込んだんだけどさ。トイレのドア開けたら、あの子が座り込んでて……。ちょっと、怖すぎるんだけど!」
その光景を想像したらゾゾ気が走ったのを、私は今でも憶えている。
(トイレで? よく、あんな臭い場所で座り込めるね。本気で頭おかしいよ、あの子)
私はあの子に、軽蔑に似た感情を抱くようになっていた。


あの子がトイレで座り込んでいることは有名になり、先生の耳にも入った。
ある日職員室で、担任の先生とあの子がその件で激しく言い合っていた。
私はたまたま、別の用事で職員室に来ていて、その光景を目の辺りにした。
「だからさ。トイレの出入り口のドアは金属製で重いから、当たり所が悪かったら君が怪我する危険性があるんだよ」
「怪我させた子の方も、嫌な思いするし。調子が悪いなら、保健室で寝てようよ」
担任の先生が言っていることは、非常にまともだった。
だけど、あの子には通じない。
金切り声で意味不明なことを言い返していた。
「私、当てられてもいいし! 廊下で座ってたら通行の邪魔だと思ったから、トイレに移動したのに、それで文句言われるとか何? チクった子、誰? そんなに私のことをイジめたいの?」
遠巻きにあの子の言っていることを聞いて、私は呆れた。

あの子、本当に頭がおかしいな。
あんな子と話さなきゃいけないなんて、先生可哀想。
あの子に対する軽蔑は、益々深まっていった。


その次の週くらいだった。本当にヤバいことが起こった。
「あの子さ、トイレで座り込んでんの担任の先生に注意されたら、逆ギレしたらしいよ。“誰がチクった!?”とか言って」
「あの子、頭おかし過ぎじゃない?」
「クソムカつくよね。そろそろ、絞めてやろうか?」
あの子のパンツの写真を撮った性格の悪い子のグループが、そんな話をしていた。
私は遠巻きにそれを聞いていた。
(何? 虐めでもやるの? あんたらが先生に怒られないようにね)
あの時の私は、高みの見物という気分だった。

性格の悪い子たちが行動を起こしたのは、その週の金曜日の放課後だった。
当時、私は部活で学校に残っていた。
物を取りに教室へ戻ろうとして、トイレの前に差し掛かった。
その時、聞いてしまった。トイレから聞こえてくる声を。
「ここが好きなんだろ! だったら、永久に居ろよ!!」
「やめて! やめて! あんたたち、バレたら退学だよ!!」
その声は、性質の悪い子たちの怒声と、あの子の悲鳴だった。
ドタバタと、暴れ回るような音も激しく聞こえて来た。
(えっ……。まさかリンチ? そこまでやっちゃう?)
凄いことが起こっていることは、簡単に察しがついた。
この展開は、私の想像を超えていた。
止めるのが正しい行動だったんだろうけど、私にその発想は無かった。
(何も見てない。私は何も知らない)
私は足早に、トイレの前を通り過ぎた。
振り向かず、とにかく前に進んだ。
「ここから出て来んな! 目障りなんだよ!!」
暫くすると、その怒声と共にぞろぞろと何人かがトイレから出て来るのが音で判った。
私は振り向かなかった。
振り向いたら殺される。それくらいの気持ちだった。

あの子はトイレの個室に閉じ込められたらしい。
ガムテープで口を塞がれ、麻ひもで手首と足首を縛られた状態で、トイレのタンクに麻ひもで括りつけられていたようだ。
私が見た訳じゃない。後で聞いた話だ。

あの子が救出されたのは、月曜日の朝。
閉じ込められた金曜日の放課後から数えて、三日後だった。
他のクラスの子がトイレに入った時に、個室に閉じ込められているあの子を発見したらしい。
あの子は生きていたけど、一晩と丸二日間、飲まず食わずでトイレの個室に閉じ込められていたんだ。酷く衰弱していたらしい。
学校に救急車が来たのを憶えている。
あの子が病院に搬送されたんだろうなと、簡単に察しがついた。

「ざまぁ見ろ。本当に体調が悪くなって、良かったね」
性格の悪い子たちは、そんなことを言っていた。
凄く嬉しそうだった。
他の子たちは喜びこそしないものの、この話題で盛り上がっていた。
私も初耳のフリをしてその中に入り、ひたすら驚いた芝居をしていた。

性格の悪い子たちがあの子を閉じ込めたということは、すぐにバレた。
勿論、性格の悪い子たちは担任の先生に叱られた。
「これは悪ふざけじゃ済まない! あの子が死んでたかもしれないんだぞ! 金曜日、あの子のご両親は警察に通報して、警察官の方が大勢、土日中、あの子を探し回ったんだ! どれだけの人に迷惑を掛けたのか、しっかり考えて反省しろ!」
珍しく担任の先生が本気で怒っていたのが、凄く印象的だった。

まあ、あんだけのことをしたんだから、当然だよね。
私も少しだけ罪悪感を覚えた。
(あの時、私が先生たちに伝えてたら、あの子は金曜日のうちに解放されてたかも……。私が見て見ぬフリしなかったら……)
だけど、思った次の瞬間には元の考えに戻っていた。
(いや、無いわ。そんなことしたら、次は私が性格の悪い子たちに目を付けられる。他人のことより、自衛が優先だよ。仕方ない)
あの子に「ごめんね」と、私は心の中で静かに謝った。


担任の先生は性格の悪い子たちをあの子が入院する病院まで連れて行き、あの子とあの子の両親の前で頭を下げさせたらしい。
後日、性格の悪い子たちが愚痴ってるのを聞いて知った。
担任の先生、立派だね。ちゃんとケジメは付けさせなきゃ。
そして、性格の悪い子たちは停学処分を食らって、学校に来なくなった。

あの子の方は、三日くらいで退院すると思ってたけど、あれから何日経っても学校に来なかった。
虐めのトラウマで不登校になったのかな?
一週間くらい経って、性質の悪い子たちの停学が解けてからも、あの子が学校に来ることはなかった。
気付いたら夏休みになって、二学期に入っていた。
それでも、あの子は来なかった。

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