社員戦隊ホウセキ V/第34話;蛋白質の塊
前回
四月十二日の月曜日、出勤早々に社員戦隊は扇風ゾウオと交戦したが、十縷はこの戦いで精彩を欠き、扇風ゾウオを取り逃がすという事態に至った。
十縷は心身共に鍛え直す為、和都に弟子入りする形で鍛錬を積むことにしたが…。
仕事帰りに和都に連れられ、会社の体育館で筋トレに励んだ十縷。気付けば時刻は六時四十分を過ぎていた。
ホウセキブレスが擬態した腕時計で時刻を確認した和都は、まだ悪戦苦闘中の十縷に告げた。
「そろそろ、キリが良い所で終わりにしろ。もう一時間くらいやった。次は飯だ」
それまで厳しさの余り死んでいた十縷の目が、「飯だ」と聞いて途端に生気を取り戻した。彼はバタフライマシンの運動をそこそこに切り上げ、和都と共に体育館を後にした。
夕飯は男子寮の食堂で摂ると十縷は思っていたが、体育館を出た瞬間にその期待は裏切られた。和都はいきなり左折し、男子寮ではなく本社の方へと歩き始めた。
「え? 何処に行くんですか? 寮で食べないんですか?」
十縷は不安そうに、後ろから和都に訊ねた。和都は一応、問に答える。
「適切な量の蛋白質を摂らなきゃ、筋肉はつかないからな。寮の飯じゃ、蛋白質が少ない」
和都の返答は不十分で、目的地は教えてくれなかった。
かくして二人は本社ビルを通り過ぎ、更に西へと突き進む。
そこの通りはちょっとした飲み屋街になっていて、サラリーマン風の中年男性と何人もすれ違った。その人たちは思い思いの店に入り、楽しそうに飲み騒いでいる。
(居酒屋には入らないよね……。まあ、入りたくないから、いいけど)
騒ぐ男性たちに冷ややかな視線を送りながら、十縷は和都に続いて進む。体育館を出てから、二十分ほど過ぎた頃だろうか。ようやく、目的の店に辿り着いた。
(はぁ……。【筋肉屋】ですか……)
和都が「ここだ」と示した店の看板には、【筋肉屋】と書いてあった。これ見て十縷は呆気に取られたが、同時にもの凄く納得した。
店の扉は手動の引き戸で、和都がこれを開いて店内に進入した。十縷もそれに続く。
店は余り広くなく、先に入店していた客も二人だけ。どちらもラガーマンか柔道家と思われる、がっちりした体格をしていた。
「いらっしゃい! 和都、今日も来たか!」
和都の姿を見ると、カウンター内の厨房に居た店主と思しき男性が、威勢のいい声で出迎えた。四十代半ばと思しき彼は調理師風の白いエプロン姿だが、半袖で屈強な腕を露出していた。
この男性に和都は軽く挨拶しながら、何故か店内に置いてある体重計に乗った。これを不思議がる十縷に、和都は説明する。
「この店は客の体に合わせて、適切な量の蛋白質を提供してくれるんだ。だから、注文の前に体重計に乗れ」
変わったシステムで、十縷は呆気に取られ続ける。そんな十縷の存在に気付くと、店主はすぐに声を掛けて来た。
「おっ、後輩か? 去年の和都に似て、ヒョロい奴だな。ちゃんと筋トレしてきたか? 食う前に鍛えなきゃ、筋肉はつかねえぞ」
この店は何処までも不思議で、店主もクセが強かった。体重計に乗った十縷が返答に困っていると、和都が代わりに答えてくれた。
「しっかりやって来ましたよ。俺とこいつの火照った顔、見てくださいよ。大将」
和都はこの大将と気が合うのか、かなり声が弾んでいた。大将もつられて、声が弾む。
「なら、OKだ。後輩君、しっかり食ってけよ。ジュエリー作りは筋肉が命みてぇだからな。お前も和都を目指して、マッチョになれよ」
大将の言っていることは、いろいろと可笑しかった。しかし突っ込んだらドツボに嵌りそうなので、十縷は「はあ」と弱々しく返すだけだ。
そんなやり取りを経て二人はカウンター席に陣取り、大将に体重を申告する。服の分を差し引いて、和都は80 kg、十縷は61 kgと認定された。そして、すぐに大将は調理に掛かった。
注文を取っていないが、この店はメニューが一つしか無いから良いらしい。
いろいろと不思議で、十縷の胸は不安が渦巻く。程なくして、【蛋白質の塊】と称する唯一のメニューが二人の前に出された。
(意外に普通だな。伊勢さんの方が僕より肉が多いのは、体重があるからか)
料理を見て十縷が抱いた第一印象は、それだった。納豆を乗せたお粥的なものが入った丼、ローストチキンと目玉焼き、そしてキャベツとトマトを乗せた皿、透明なスープを入れた茶碗、そしてコップ一杯の牛乳。料理の構成はそんなところだった。肉はローストチキンだけで、量も意外に多くない。ちょっと期待外れだが、その方が落ち着く。
(良かった。そこまで変な店じゃないや)
少し安心して、十縷は【蛋白質の塊】を食べ始めた。そして、すぐに気付いた。
「これ、米じゃない……。豆腐か!?」
丼に盛られた料理を食した十縷は、思わず声を上げた。その反応に、大将はほくそ笑む。
「気付いたな。これはその名の通り、【蛋白質の塊】なのよ」
大将の話では、お粥的なものは豆腐を特殊加工したもので、詳しくは企業秘密で話せないとのこと。これに納豆が乗っているのだから、蛋白質に蛋白質を重ねている。スープは蜆で出汁を取っていて、この店的にはアミノ酸水溶液と言うところか。気付けば、キャベツとトマト以外は蛋白質性の食品ばかり。十縷は面食らった。
「肉尽くしでも良いんだけどよ。いろいろ食えた方が楽しいだろ」
という考えに基づき、豆腐や納豆、そして目玉焼きが加わっているらしい。だから、思ったより肉が少ないのだ。
そのことが判明すると、それだけで十縷はどっと疲れた。その精神は空虚になり、無心で食事、いや蛋白質の摂取をする。その隣では、和都が割と明るい表情でこのメニューを食べている。何とも異様な光景だった……。
夕食と称する蛋白質の摂取は、三十分程で終わった。二人は筋肉屋を発ち、元来た道を戻る。和都の後ろを歩く十縷は、本当に疲れ切っていた。
(そう言えば、昨日の訓練もキツかったんだよね……。んで今日、朝から出撃して、それでこの地獄の特訓……。もう、寝ないと死ぬわ……)
振り返ると、十縷は二日連続で肉体を酷使していた。この後、男子寮の自室に戻り、休まなければ肉体がもたない。
そんなことを考えながら歩いていると、やがて新杜宝飾の本社ビルが目に入った。これを通り過ぎて男子寮に戻るのだと、十縷は信じていた。
だが次の瞬間、十縷の目は点になった。
「え? 何で会社に? 忘れ物でもしたんですか?」
本社ビルの前に差し掛かった時、和都は通り過ぎずに中に入った。彼に続いていた十縷は、思わずそのまま後を追ってしまう。
そんな十縷に問われて、和都は何気なく答えた。
「いや、仕事の続きだ。結婚指環ばっかに時間割いちまって、八月の即売会のデザイン案、まだ出してねえからな。三つくらいは出せねえと、カッコがつかねえ」
和都は今から仕事を再開するつもりだった。この発言に、十縷が驚愕しない筈がなかった。
「今から残業ですか? そう言えば、さっきタイムカード押しちゃいましたよね? 残業代、出なくないですか? なのに、やるんですか?」
激しい運動をものともしない体力、そして残業代が出ないことを厭わない胆力。和都はいろいろと、十縷の常識を凌駕していた。
対して和都は涼し気だ。
「金うんぬんの話じゃねえからな。お前には残業を要求しないから安心しろ」
和都はさらりと、そう言った。素晴らしき社畜根性か? 今日の十縷は驚きが止まらない。
しかし何故か、ここで「帰る」と言ったらいけない気がした。だから深く考える前に、彼は「僕もやっていきます」と言っていた。
このような経緯を経て、二人は三階のデザイン制作部を目指す。勿論、階段だ。
太腿が辛くなって十縷が顔を歪めているのに対して、和都は平然と階段を上っていた。
「姐さんのお姉さんが結婚するしらくて、今はその指環のデザインしてんだ。姐さんがお姉さんに俺を推薦してくれて、指名が入ったんだ。だから、気合が入ってな。でも、他の仕事を疎かにしていい理由にはならねえ。言い訳だけは絶対に駄目だ」
和都が語ったのは、自身の職業倫理や信念。この義務感が彼の原動力となっているのだ。しかし十縷は階段を上るので精一杯で、和都の声は殆ど右から左へ通り過ぎているだけだった。だから、【姐さんのお姉さん】という妙な言い回しも気にならなかった。
そんなやり取りを経て、二人はデザイン制作部の部屋に戻ってきた。時刻は午後七時半を過ぎていて、部屋には部長ともう二人しか居なかった。彼らは和都の姿には特に反応しなかったが、十縷に気付くと少々驚いていた。
「熱田君、どうした? もうブローチの案は出しただろ」
社林部長が心配そうに、十縷に問い掛けてきた。十縷は頭を掻きながら、「他の案のインスピが湧いたんで」と返した。そして、十縷と和都は自分たちの席に就き、それぞれ作業を始める。その様子を、社林部長は心配そうに見つめていた。
十縷と和都が男子寮に戻ったのは午後十時過ぎだった。寮への帰路の途中和都は、気合を見せた十縷に労いの言葉を掛けた。
「お前、ちょっと軽いけど、根はちゃんとしてるな。今日はよく耐えた」
そう言った和都の表情は生き生きとしていたが、聞く十縷の方は完全に表情が死んでいた。そして別れ際、和都はこう言った。
「明日は五時から、寿得神社の杜に行って自主トレだ。しっかりやるぞ」
爽やかに恐ろしいことを言ってのける和都。対して十縷の方は、それらの言語を理解する力すら残っていなかった。
昨日から今まで、十縷の体に蓄積した疲労は想像を絶するものになっていて、彼は自室に戻るや気絶するように就寝した
次回へ続く!
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