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7.アジア諸国の革命と民族運動

中国分割


・日清戦争(1894-95)で清が敗北、西洋列強が利権獲得競争へ
ex)三国干渉、ドイツの膠州湾租借
・列強の中国分割に清国内で危機感→清朝政府の中から政治改革を求める声がでる→変法運動
・1894年6月 光緒帝は改革を開始→戊戌の変法(康有為ら改革派を登用)
・イギリスなど列強は改革に好意的⇔保守派は性急な改革に反発
・密告を受けた西太后が権力を奪取(1898年9月)改革派一掃→戊戌の政変
近代国民国家への転換は失敗

このような点と国が困窮する中、自身の宮殿に多額の国費をつぎ込むなどの独裁的な行為を見て、世紀の悪女との評価のある西太后だが、一方で巧みな政治力を評価する教科書もある。

例えば、山川出版社の高校世界史B 改訂版(2019)では、戦艦用の予算を自身の宮殿の再建費に流用したことや、歴代の皇帝以上の文字数の名前を死後に送られたことなど、その圧政者ぶりを強調しているようにも思える。

他方、東京書籍の新選世界史B(2020)?では、李鴻章などの肝心出身の官僚を登用し、自身も政治改革に取り組んだ経歴などをもって、「先見の明をもっていた」との記述がある。

このように教科書ごとに同一の事象に対して、正反対ともとれるスタンスを取っていることが割とよくある。

日露対立と列強


・列強による中国分割→民衆の排外運動激化
ex)仇教運動
・義和団事件とその戦後処理に関する北京議定書(1901)
この北京議定書によって、日本軍の北京駐留が認められたことが、のちの日中戦争の引き金となった盧溝橋事件に繋がる
※北京の盧溝橋にて日本軍が中国側かわ攻撃を受けたという主張ではじまった事件。そもそも日本軍が北京に駐留していなければこの主張はできなかった

・朝鮮支配をめぐり日本とロシアが対立
・1904年 日露戦争 日本・イギリス・アメリカ vs ロシア・ドイツ・フランスという構図の列強代理戦争の様相を呈す
※このことからこれを第0次世界大戦とする説もある

⇒1905年 アメリカの調停でポーツマス条約→日本は中国東北部の利権獲得

日本の韓国併合


・日本は韓国に対し、3次にわたって日韓協約を結ばせる
・特に第2次日韓協約(1905)で、総督府をソウルに置き、外交権を握
⇒保護国化
・1910年 日本による韓国併合、植民地化。多くの朝鮮人は強く講義
※日韓併合との記載は日本と韓国が互いに対等であるかのような表現であることから不適とする説がある。実際には日本による韓国の強制併合との見方が強い
⇔日本ではほぼ反対なし

ハーグ密使事件


このような日本の横暴に対して、高宗が国際会議(第二回万国平和会議)の行われていたオランダのハーグに密使を送り、その実状と対応を訴えた事件。
韓国ではハーグ特使事件との表現だが、なぜ「密使」という表現が用いられるのかという疑問の答えが、上記の保護国化、つまり外交権が奪われていたことにある。
要は外国に対する政治的な要請は、外交権の行使にあたるためできなかったため、秘密裏に使いを送ったと解釈される。

また、このハーグ密使事件により陳情された内容について、列強は黙殺。これは当時列強が事実上の対日宥和政策をとっていたことによる。

まとめ


・日清戦争の敗北がキッカケで中国は列強に分割される
・列強による中国分割に対して、変法運動→光緒帝が戊戌の変法→西太后に握りつぶされる(戊戌の政変)
・教科書によって評価はころころ変わりがち

・中国分割が民衆の排外運動を激化させ義和団事件が起こる
・北京議定書が盧溝橋事件のキッカケのひとつ
・韓国併合であり日韓併合でない
・外交権がないから密使→黙殺

参考資料
・高校世界史B 改訂版、山川出版社、2019
・新選 世界史B、東京書籍、2020

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