ひみつきち(1)

 その日そこへ足を向けたのは、きっと偶然だったはずだ。
「午後、っていうか夕方はすごくきれいだと思うんだけどなぁ」
 1人でそんなことをぼやいてみる。
 ここはとある部屋なのだが、広い部屋の中になぜかたくさんの柱時計やら植物やらが置いてあって、夕日の差し込む時間は綺麗なので気に入っているが、夜はきっとおどろおどろしいのだろう。ここには人はおろか鼠さえいないのではないかと思われた。実際ここで何か動くものを見たことはない。
 昔見つけた秘密の場所で、一人になりたい時なんかはここにきて過ごしていた。だからきっとこの日も、最初はそんな気分でそこに足を向けたのだろう。断言できないのは、それが偶然なのか必然なのか、僕には判断が付かないからだ。
 ふと、カチッと針の動く音が、静寂の中に響いた。かと思ったら一つの鳩時計の扉が開いて、鳩がポッポーと鳴きながら勢いよく飛び出してきた。
「うわぁっ!」
 驚いて思わす声を上げてしまった僕は、しかし突然動いた時計のことよりも鳴き終わったはずなのに中に収まっていかない鳩に違和感を覚えて、恐怖に竦むより前に鳩時計へと歩み寄っていた。
「壊れてるのか? あれ?」
 そこで鳩に近づいて気付いた。鳩は何やら紙片らしきものをくわえていた。手を伸ばせば簡単に紙片は外れて、僕の手の中に落ちてくる。
 そっと開けばそこには、『見つけて』と。ただその一言だけが綺麗な文字で記されていた。
「え?」
 見つけて、と言われても何を見つければいいのだろうとかなんでこんなものがここにあるんだろうとか、そういう事しか考えられない。
 うーん、と首を傾げつつ、紙片を裏返すと、裏面にも小さく文字が書かれていた。
「えと、これは……よ、る?」
 ローマ字で小さく書かれた、おそらく夜という言葉。これは、夜になったらここへ来いという事なのだろうか。
 夜にここへ足を運ぶことは出来れば遠慮したかったが、一度夜にこの部屋を見てみたいというのといつもと違い過ぎる展開の先を知りたい好奇心が勝ったようで、僕は夜になって再びその部屋を訪れた。
「思ったより怖くない、かも」
電気は通ってないので懐中電灯の明かりだけだが思っていたよりも恐怖感は無かった。
そして部屋に入っていった僕は、そこに居る自分以外の存在に気が付いて足を止めた。
「誰?」
「くす。覚えてないの?」
 思わず声をあげると、帰ってきたのは少女の声だった。
「え?」
 何を言われているのかがとっさに理解できなくて問い返す。今きっと僕は間の抜けた顔をしているだろう。
「あの時の約束を、君は覚えてない?」
 少女にそう言われて、僕は記憶の糸を手繰った。と、この部屋と少女とが繋がる記憶がぼんやり浮かんできた気がした。
「あ……」
「約束、したでしょう? 私が元気になったら、またここで会えたらいいねって」
「う、ん。思い出したよ、君とはここで会ったんだったね。でも君は病気で入院しなくちゃいけなくて……。病気は、もういいの?」
「うん、そうね、もういいの」
「そうなんだ。ごめん、僕はなんで君のことを忘れてたんだろう」
「会ったのは、ほんの少しの時間だったからじゃない? でも、君はまた、来てくれた」
「もしかして、初めて会ったのも夜だったかな?」
「うん、そうだったかもね。……ありがとう。これで私は――」
「え? なんて言ったの?」
「なんでもないよ。ただ今日はもう遅いから、って」
「あぁ、そうだね。うん、じゃあまたここで会う事にしようか」
 再び、君とかわそうとした約束……。どうしてか、また約束をしておくべきだと思った。
「そうね。それじゃあ、さよなら」
 君は笑って僕に手を振った。僕も君に手を振り返して帰路についた。
 そうして歩き始めてから、何故か思い出せない少女の名前を聞き忘れたことに気付いて、しかし今戻っても彼女はもういないだろうと思って引き返さずに帰宅した。

 それ以降、再び彼女に会うことはなかった――。

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