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クラウン*ベスのアメリカ体験記 vol.21

エリザベスは米国でリングリングサーカス”地上最大のショウ” ブルーユニットに入団! 今回はカティヤさんとの思い出を綴ります。


ロシア出身のクラウドスイングアーティスト、カティヤ。本名:エカテリーナ・オデンツォワ。モスクワで育った少女時代からすでに稀に見る運動神経の持ち主だった彼女、6歳の時にスポーツ学校で体操とダイビングを習い始めました。その間ロシア各地で行われたいくつもの大会に出場し最終的にはダイビングのスポーツ修士号を取得しました。卒業後はヨーロッパのサーカスに入団し空中ゆりかごのアーティストとして活躍。

クラウドスイングをするカティヤ

空中ゆりかごは英語でそのまま「Aerial Cradle」。通常は長方形の金属フレームワークで作られた空中器具で、多くの場合サーカステントの中心にある頂塔の下に取り付けられそのフレームに膝を曲げ頭を逆さまにしてぶら下がり、フライヤーを空中に投げ上げキャッチします。フライヤーは空中でいろいろなアクロバットを披露するアクトです。カティヤはその後、空中ゆりかごと空中ブランコをコラボした革新的なアクト「蜘蛛の巣」のアーティストの一人として1996年アメリカ興行のリングリングサーカスに入団します。このアクトのカティヤのパートはとても複雑で高度なスキル。彼女のコメントは、「ダイビングから空中アクロバットのアーティストへの転向は難しくなかったです。私の人生は長い間自分の体を使うアスリートとして生きてきたし、新しいことを習うのは大好きよ。」「サイドショー」ツアーでカティヤは、恐れを知らない地上約9メートル上の空中でクラウドスイングをします。クラウドスイングとは、両端に緩んだロープを取り付けて長さ約6メートルのブランコ型にしたものを使って時には静止状態で、また時にはスイングしながらドロップ、ホールド、又はターンなどを取り入れて行われる空中アクロバットです。実際彼女はとても小柄。でも演技をするときはとてもエネルギッシュで姿も大きく見えます。クライマックスは、ワンアームプランジ。スイングオーバーとも呼ばれるこのアクト、片腕だけでリングにぶら下がり体を垂直に何度も回転させる高度な技。実は歴史がすごく長く、1920年代リングリングサーカス初期には空中アクロバットのアーティスト、リリアン・ライツェル(Lillian Leitzel)がワンアームプランジを披露し有名になりました。

1920年代にリングリングサーカスでワンアームプランジで有名だったアーティスト、リリアン・ライツエル


ショーの中では、カティヤが体を回転させるたびにリングマスターと一緒に観客が数を数えます。彼女が何回スイングオーバーをしたのかはっきり覚えていませんが、こんなにたくさんの回数をやって大丈夫なのかドキドキしながら見たのを覚えています。

カティヤのワンアームプランジ


実はカティヤとはたくさんの時間を過ごしました。リングリングサーカスのパフォーマーやスタッフはほとんどがサーカス列車で寝泊まりしていてショーが行われるアリーナへは早朝から定期的に出ているバスで行きます。このサーカスバスは中古のスクールバス。ブルーユニットだからか白地にブルーのストライプのデザインです。

トレインヤードとアリーナを行き来する唯一の足、サーカスバス

私とスティーブは2匹のジャックラッセルテリアと共に毎朝8時半のバスでアリーナへ行き、まだ人気がいないサーカスフロアーで犬を会場に慣らしてトリックの練習をしたり、ジャグリングやアコーディオンのウオームアップなどをしていました。そのうちに仲良くなったクラウンやダンサーの数名が同じバスでアリーナへ行くようになり各自それぞれの練習をするようになりました。

カティヤは毎朝当時子象の調教師のボーイフレンドのリハーサルを見にフロアーに来ていました。私たちクラウンがマットを使って前転などを取り入れたギャクを作っているところへ彼女が来て、明日からやる気がある人はアクロバットや基礎トレーニングを教えてあげるから来なさい。と言いました。好奇心満々な私たちはどんなトレーニングだろうか?と参加してみると、実はすっごいきつかったんです。約1時間半のトレーニング後は、はっきり言って死ぬかと思った、、、吐き気はするし目は回るし、体は痛いしお腹は減るし。翌日は全身打撲になったような筋肉痛。それでもカティヤは強度を緩めません。笑顔を見せずスパルタだけどきちんと正確に教えてくれ、そのうち少しずつ上達すると時々褒めてくれるようになったんです。みんな平等に見てくれ個々に見合ったアドバイスをくれ、そんなことが少し嬉しかったんです。彼女のアクトは真剣勝負。一度でもスイングオーバーをミスったらそれ以上続かないし、落下の可能性もある。だから私たちを教えてくれる時も絶対ヘラヘラ笑ったりはしなかった。でも毎朝早起きして頼んでもいないのに私たちが上達するのを楽しみにするかのように私たちの尻を叩いてくれました。彼女とは腹を割ってなんでも話せる間柄にはなれなかったけど、その控えめなそれでいて教える時には情熱を持って私たちが120%の力でトレーニングに挑戦できるように引っ張ってくれたことは忘れられない思い出になりました。

続く。。。



書いたのは、

エリザベス

1990年CCJ2期卒業生。7年間日本でクラウンパフォーマンス後渡米。アメリカ、カナダで10年間クラウニングを続行。その後10年間マクドナルドのクラウン、ロナルドのアシスタントを務める。現在アメリカ在住。


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