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25歳の自分が気づいたこと

25歳の自分が気づいたことで普段SNSでは口に出さないことを書いてみました。まるで中学2年生のブログのようにかいてみます。あとで読んで、絶対に後悔するんだろうな~。と思いながら。
今はこう思ってるけど、いつもこう思っているとは限りません。考え方は常に変化していくものなので…。

※ただのメモ書きなので意見は受け取っておりません

・お父さんも、お母さんも、先生も「正しい答え」を持っていないということ(人間だから)
・かといって自分が正しいとは限らないということ
・いつも大前提「自分の考え方は基本的にあっているはず」と思ってしまいがちだということ
・両者が「自分は正しい」と言い張っているとき、どちらかが完全に正しいということはない、ということ
・学校では「正しい答え」を求められることが多いけど、実際世の中には「完全に正しい」答えなんて存在していないことの方が多い、ということ
・最後は自分が信じたこと・やってみたことがうまくいったか失敗したかだけだということ
・失敗が悪ではないということ

・自分と他人は同じ「人間」であるということ
・自分と他人は「同じ感性」ではないということ
・画面や作品の向こう側に居るのはいつもそういう「人間」であるということ
・SNSの「いいね」や「RT」や「フォロワー」の数は点数ではなく「人間」の数だということ。そしてその人間は実在していて心がある人間だということ
(モノを作るときは特に、そういう画面の向こうに実在する人のことを一度想像するのが大事なんじゃないかな。)
・どんなサービスや商品にも作った人と動かしている人がいるということ
・他人には他人の幸せがあるので、干渉しないこと
・自分には自分の幸せがあるので、他人と比較したりして気にしないこと
・自分の仕事が他人に影響していって、誰かの暮らしになっているかもしれないということ(例えば僕が作ったゲームが誰かの心に響いて、少し気が休まって、明日の仕事がちょっと捗るかもしれないなど。)
・誰かの仕事が誰かから影響していって、自分の暮らしになっているということ。(たとえば、農家が野菜作って、誰かが運んで、売って、加工して、調理されて、僕がそれを食べているなど。)
・他人を蹴落とすと、すぐに自分の足場が消え去るとということ
・他人を救うことは、自分が本当に困ったときに助かる確率を上げるかもしれないということ
・自分がある個人に与えた恩が、100%返ってくるということは絶対にない、ということ(そういう算段で期待しないこと)

・自分の人生パスは(たとえ紆余曲折あったとしても)一本しかないので、自分が通った道以外は「正しい」と言うことは証明できないということ
・なので、他人の人生のパスをみだりに否定しないこと
・自分が通っていないパスに対して、コンプレックスを抱きがちだということ
・でも、誰もが与えられている時間は同じだということ
・特定の誰かや誰かの作品の欠点や欠陥を探して発言したくなったとき、大体はコンプレックスに起因する認知的不協和によるものだということ
・逆に誰かに何か嫌味を言われたとき、8割ぐらいは認知的不協和な気がする
・自分より先に界隈に居る人を最低限敬うこと
・自分より後から入ってきた人を大切にすること
・他人からもらったアドバイスは大事にすること
・他人からもらったアドバイスは全部取り入れる必要はないということ(最終的には自分で考えること)
・たまに人の心を全く読めない人がいるので、そういう人は極力受け流すこと(そういう人は自分に絶対の自信を持ち、常にポジティブで、上から目線で、何かを批判することが得意なケースが多いけど…それはそれで必要とされてるケースも多いので、公の場でむやみやたらにそういう人をバッシングしないこと。)
・「教えること」と「知識をひけらかすこと」は全く違うということ
・「親しき中にも礼儀あり」を絶対忘れないこと
・どんなに仲が良かった人でも、ふとしたことで簡単に疎遠になってしまうということ
・でも、久しぶりに会ってみると案外当時の続きのように接してくれる人を大事にすること
・どんなに仲が良いと思っている人でも、自分に毒だと思った関係は素早く断ち切ること(そういう依存関係は相手にも毒だったりすることが多いからね)
・一度関係を断ち切った人にも、当時の感謝は忘れない事
・初心は忘れない事
・例え有名になってもフォロワーが増えたとしても、「偉そうに発言してよい権利」は誰にもないという事(これは特に、この先絶対に忘れない事)
・例え誰かが誰かに悪いことをしていたとしても、第三者が大勢でその加害者を全力で殴ったり、袋叩きにしたりしてはいけないということ(正しさは人を殴る道具ではないため)
・自分には実際関係のない「怒り」がSNSで流れていたとしても、自分から摂取しに行くのは時間の無駄だということ
・Twitterで自分の周りに実際流れてくる情報はある程度制御できる(フォローしない、ミュート、RTミュートなど)ので、インプットを整理すること。(発信すること自体は自由なので、欲しくなかった情報や怒りを受信してもみだりに他人のせいにしない事)
・言葉にはその人の品格、知性、蔑みが全部にじみ出るということ。だからSNSも作品も文書もメールも、言の葉の端々に気を付けること。(実際は難しい。)
・そういった意味では実はSNSでは言わないほうがいい事の方が多いということ
・SNSで、例え周りで不穏な話題が出てきて、議論が白熱したとしても「自分が発言しなければならない」と思いこまないようにすること。(きちんと考えてから発言の要否を決めること。)
・攻撃的な意見には攻撃的な意見が返ってくるので、もし発するのであれば十分覚悟する事(時に必要なときもあるけど、今のぼくには不要かなと思うことが多い)
・現実もSNSも怒ってる人の方が声がでかくなるけど怒っている人の方が正しいとは限らないということ
・何かを否定するときべき時こそ発言や文章にを感情的な表現を使う・使わないをよく考えること
・自分がマジョリティでいれるコミュニティを一つ持っておいて、情報交換したり、自分と共感できる場を一つ以上持っておくとよいということ
・自分がマイノリティでいれるコミュニティを一つ持っておいて、自分の個性を見つめ直したり自分がいる界隈とそれ以外の界隈の常識感とのズレを確認できるようにしておくと良いということ
・現実には非常に多くの数式があり、現象があったりして、とても美しいということ


本当はまだまだあるんだと思うけど、5年後また書くかもしれません。あるいは書かないかもしれません。

モノを作って発信する立場になって気づいたことや、忘れないようにしたいことが多いなって思います。

またね。

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