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「ウィーンに六段の調-戸田極子とブラームス」萩谷由喜子著(2021年6月刊行)


 画家守屋多々志氏の作品に「ウィーンに六段の調」という絵画がある。洋装をした戸田伯爵極子夫人が弾く箏の音に、楽譜を見つめながらブラームスが聴き入る場面を描いている。

オーストリア=ハンガリー全権公使に任命された戸田伯爵一家が日本を経ったのは明治20年(1887年)のことだった。ウィーンでの戸田公使の任務は条約改正に向けて日本とオーストリアとの友好親善関係を深めることにある。そのため戸田公使夫妻は公使館でしばしばパーティを開いた。パーティにはオーストリア政府の要人ばかりでなく、ウィーン在住の文化人、音楽家らも招かれる。その席で、文化交流の一環として極子夫人は日本から携えてきた箏の演奏を披露した。

19世紀後半のヨーロッパ音楽界はドイツオーストリアを本流とする、交響曲中心の音楽だけに重きが置かれる傾向が薄れ、辺境とみなされてきた東ヨーロッパ諸国、北欧、ロシアなど中央ヨーロッパから外れた周辺諸国の音楽に強い関心が向けられ、民族色を採り入れた音楽作品が脚光を浴びるようになった。ブラームス「ハンガリー舞曲集」、ドヴォルザーク「スラブ舞曲集」、ドビュッシーの東洋風の五音音階を用いたピアノ曲「塔」などが例にあたる。

 戸田伯爵家の音楽教師として招かれたボクレット(ピアニスト)が、極子の箏の調べを聴いて感動し、五線譜に書き起こし、楽譜出版したのが「日本の民俗音楽集(Japanische Volksmusik)」である。収録曲は、①宮様(軍歌)、②ひとつとや(民謡)、③春雨、④六段、⑤みだれの5曲である。ボクレットはウィーン音楽界の主だった人々にこの楽譜を献本した。その中にウィーン音楽界の重鎮だったブラームスも含まれており、ボクレットの紹介でブラームスは戸田公使夫人の筝演奏を聴く算段になった。

 ブラームスの希望に従って極子夫人は「日本民謡集」の5曲を弾き、ブラームスは楽譜に目を落としながら注意深く異同を譜面に書き込んでいった。ブラームスはボクレットによる加工を取り去り、誤りを直し、極子夫人の弾いたままの楽譜に訂正しようとした。その3年後完成したブラームスの「クラリネット五重奏曲ロ短調」第二楽章アダージョ冒頭部の三音から成る印象的な三度下降音型は、どこか「六段の調」冒頭の四度下降音型を彷彿とさせる。

 ウィーンでの明治期日本人とブラームスとの交流物語、浪漫あふれる内容でした。

◎筝曲「六段」

https://www.youtube.com/watch?v=eNRCxTlIFbU&t=5s

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