すべての起点は「夕暮れ坂」

(いずみWORLD19990407より再録)
 あの高校に入学して最初に書いた物語は何だったろう?
 今思い返そうとしても内容すら記憶に残っていない――作品とも言えぬような駄文をいくつか友人達と交換した覚えはある。
 そんなある日、思い立った――「この南紀州の高校で出逢った友人達に、あの南信州の中学校での片恋の思い出を聞いてもらいたい」と。そうして書き始めた物語が、この「夕暮れ坂」の始まりだった。当時の原稿は疾うの昔に処分して手元には残っていないが、太田鈴を主人公にした物語だった。中学時代を懐かしむ余り、片恋と部活動とクラスメイトとが何もかも混在して、体裁をなさぬ物語となった。
 それでも、その「夕暮れ坂」を書いたことで、物語を綴ることへの執着が生まれたのは確かだ。そして「夕暮れ坂」の舞台となる中学校の名から――己れが入学からの一年十一カ月を過ごした中学校の所在地から、己れの筆名を「おか いずみ」と定めた。
 最初の原稿の反省から、おかは「夕暮れ坂」を夏木裕介を主人公とした物語へと書き換え、この十数年の間には夏木裕介の視点で語る物語を幾度となく書き直した。教師になった裕介と教育実習生の鈴が泉ヶ丘中学校で再会する「第二章」をはじめ、裕介の高校時代や鈴の高校時代、二人の子である鈴之介や裕の物語「もう一つの夕暮れ坂」など、いわゆる「夕暮れ坂作品群」の構想は、おかの中で広がりつつあった。
 しかし、このたびWeb上で公開するに当たり、おかは初心に返って物語を綴ることに決めた。すなわち「夕暮れ坂」の主人公を太田鈴に戻すこと。そして、派生した物語の多くを捨て、夕暮れ坂villageの住人による物語を「夕暮れ坂」一編とすること。
 太田鈴と夏木裕介の物語は、この十年の間にいずみWORLDの中で大きく育って、同じ第一いずみTOWNの他のvillageにも大きな影響を与えている。桜ヶ丘villageの第二世代である木下稔は鈴之介の心友となり裕の伴侶となるし、時間学villageに至っては時間学の祖・杉浦綾の直弟子に鈴之介や裕が名を連ねるのみならず、太田鈴自身が杉浦綾に対して時間学の存在価値自体を疑う問いを発する人間である。
 それでも。
 太田鈴と夏木裕介の物語は、泉ヶ丘中学校吹奏楽部での日々を綴る「夕暮れ坂」一編に戻す。必要があれば他のvillageの作品で――最悪の場合でも夕暮れ坂villageの番外編として――物語を綴ることにする。
 すべての起点は「夕暮れ坂」。
 この物語を書こうとしなければ、今の「おか いずみ」は存在しなかった。
 その起点となる物語だからこそ、続編はもう書かない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?