世界で最も美しい問いの話《Club with Sの日 第14回レポ》


「〇〇ちゃんと△△くんが一緒に帰っているのを見かけたんだけど、あの二人って付き合っているのかな?」

誰かの声が聞こえてくる。
でも、噂話をする人は

「〇〇ちゃんと☆☆ちゃんが一緒に帰っているのを見かけたんだけど、あの二人って付き合っているのかな?」

とは絶対に言わない。
女子と男子が一緒にいるだけで恋人同士の可能性があるというなら、仲の良い女子同士に対しても同じ疑いを抱いてくれたっていいのに。

何で異性愛者前提なのだろう。
何で恋愛感情がある前提なのだろう。
何で相手のジェンダーを見た目だけで判断したのだろう。

聞いているこっちは疑問しか出てこない。
そして、これは決して珍しくない光景だ。

恋愛についての話をすること=カミングアウト
となってしまうようなマイノリティの僕らは、周りが恋バナで盛り上がる中、ずっと息を潜めてきた。
心の中で生じた疑問を無理やり飲み込んで、笑顔をつくってきた。
相手と浅く関わる事だけが、唯一許された道だった。

失われた声を取り戻す方法は、好きなだけ問題の本質に向き合う方法は、あの空間へ行くこと。

11月3日
Club with Sの日
テーマ『ノンバイナリーにとっての恋愛感情とは?』

恋愛の話にはどうしたってセクシュアリティが関わってくるけど(だからこそセンシティブ)、自分の恋愛対象を考える前に、恋愛感情を考えるべきだと思った。
そこが定義されないと、先へ進めない。

愛とは。
あいとは。
アイとは。

熟考しすぎて、ミーティングの途中、3回くらい宇宙へ行った。
ふと我に返ってPC画面に目を戻すと、メンバーのみなさんも考え込んでいるのか、沈黙していた。
地球へ還っても、そこには宇宙が広がっていた。
あの数秒の沈黙が、何より愛おしかった。
それは、声を奪われたわけでも存在を消されたわけでもない。
僕らが、安心できる場で自由を手にした証だったから。

Love is……

文学であり、芸術であり、哲学。
たまたま文化の日に開催しているのだから愉快だね。
映画『アデル、ブルーは熱い色』でエマは「人生に偶然はない」と言っていたけれど。

難しい。
本当に難しい。
だがしかし、これが楽しいのだ。
共通解を引き寄せるどころか、考えれば考えるほど深みにはまっていくこの感覚。
たまらない。
しかも、今は一人じゃない。
友情、憧れ、信頼etc……
様々な感情と比較しながら、お互いの感性を吐露していく。
未熟な言葉たちだけで答えに突き進んでいく。
映画『ハーフ・オブ・イット』で「愛とは完全性に対する欲望と追求である」とプラトンの言葉が引用されていたけれど。

確かに数字の0は美しい。
でも「無の概念とは?」の問いも同じくらい美しい。
確かに数学的証明は美しい。
でも、未解決の予想も同じくらい美しい。
もちろん、これは自分の美学だけれど。

「愛」と聞いて
言葉が思い浮かんだ者はペンを執り
映像が思い浮かんだ者は映画を撮り
メロディーが思い浮かんだ者は音楽を奏で
0と1が思い浮かんだ者は数学を志すのだろうか。

曖昧なものとじっくり向き合い、乱雑なものを愛でる感性が自身の中に確かにあるのなら。
僕らはもはや蒙昧ではないし、自然だ。
そしてだからこそ、Club with Sのメンバーは皆おもしろい。

僕らが自分自身を“weird”と形容するとき、それは、「変わり者だ」という開き直りであり、同時に、「変わっているね」で片付けられることへのアンチテーゼだ。
僕らが自分自身を“different”と形容するとき、それは、「異質だ」という自覚であり、同時に、他者との違いを理解しようとする意思表明だ。
僕らが自分自身を“queer”と形容するとき、それは、「マイノリティだ」という自認であり、同時に、「ここにいる」という存在証明だ。

どんなジェンダーであっても、どんなセクシュアリティであっても、たとえそれらがわかっていなくても、僕らはきっと“愛”を愛することができる。

世界で最も美しい問いを見つけたのだから。




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