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夢を見ていた僕らと夢を叶えた彼らの話《Club with Sの日 第5回レポ》

2013年のある日。
自分は高校生で、放課後の教室にいた。
10人程度の同級生に囲まれ、「制服、似合うね!」と声をかけられた。
その時着ていた服は、学ランだった。
身体だけではなく、性自認も女性だったあの頃。
文化祭に向けて製作中の劇でたまたま男子の役をやることになり、仲の良い同級生男子に学ランを借りて着ていたのだ。
もちろん、無理やりやらされた訳ではない。
むしろ、周りのメンバーは「本当にやってくれるの……?」と何度も確認してくれたし、超乗り気の自分を不思議そうに見つめていた。
単純に、おもしろそうだな、と思ったのだ。
創作活動を通して性別を超えた何者かに変身できるなんて、絶対楽しいじゃないか、と。
上下とも男子用の制服にササッと着替えてみたら、衝撃だった。

──なんだこの快適さは!?
自転車での通学中も学校での授業中も、スカートの動きにくさや防寒対策に苦戦している間、男子はこんなに楽な思いをしていたのか!?
ずるい!!
自分も学ランがいい!!

でも、その夢は劇の中や特別なイベントでしか叶わなかった。
そして、夢が叶わないことを、悔しいとすら感じていなかった。
だって、それが“当たり前”だったから。
LGBTという言葉さえ浸透していなかった当時。
制服は男女別に分けられているものだったし、そのことに対して疑問に思うこともなかった。
学ランを着て、ちょっと強い自分になれたような喜び。
そんなささやかな自信を胸に秘めたまま、記憶は過去の思い出として片付けられる。

……はずだった。

7年後。
2020年のある日。
いつものようにTwitterをボーッと眺めていると、タイムラインに気になる画像が流れてきた。
とある高校の制服についてのニュースで、そこには学ランとセーラー服、そしてその両方を組み合わせた水平服のようなデザインの3パターンが写されていた。
おお!! と物珍しさに引き込まれた。
高校はとっくに卒業していたけれど、「今時の高校生は選択の幅が広がっていいなぁ」と思うと同時に、3つ目のスラックスタイプのデザインを見て「これならもっと自分らしく高校時代を過ごせただろうなぁ」と羨ましく感じた。
興味を持ったのは自分だけではなかったのか、そのニュースはすごい勢いで拡散されていた。
気になってさらに調べてみると、衝撃だった。

──母校じゃないか!!
こんなことってある!?
すごい、すごすぎる!!

生徒が自ら新しいデザインを提案し、実現させた行動力を尊敬したし、彼らの勇敢さに胸を打たれた。
でも、一番強く感じたのは、“悔しさ”だった。
自分が、やりたかった!!
自分が、やるべきだった!!

かつて高校生だった頃、今よりも男女格差が大きくて、「女子は男子より能力が低い」とか、「女子に理系は向いてない」とか、そういう空気がそこらじゅうに蔓延っていた。
言葉に出さずとも、偏見を態度で示してくる大人がたくさんいた。
理数科に在籍していた自分はそんな価値観を変えたくて必死に努力したし、女子の実力を示そうと戦っていた。
(詳しいことはここに書いてある→Revolution)
市民の約半数を占める女性ですら十分に認めてもらえなかった環境で、性的マイノリティへ目を向ける余裕はなかった。
自分は意識が足りず、幼かった。
それでも、やろうと思えばできたはずなんだ。
アクティブな自分を貫いて、仲間たちを巻き込んで、やるべきだったのだ。

それからまた数ヶ月経ち、ジェンダー問題と真剣に向き合うようになっていた頃、再び制服について考えるきっかけがあった。
性別に囚われず活躍されているモデルの井手上漠さんのエッセイ本で、制服改革についてのエピソードを読んだり。
性的マイノリティ当事者ではなく、男性としてスカートを履いて学校に通う高校生の特集をテレビで観たり。
偶然、立て続けに制服関連の話題に触れ、自分の高校時代を思い出しながら、情けなくなってしまった。
制度の問題の解決を下の世代に押し付けるべきではなかった。
たとえすべてを達成できなくても、なにか行動をはじめていたら、また違う結果になっていたかもしれない。

……今からでも、間に合う?

2021年7月21日。
Club with Sの日。
第5回のテーマは『ノンバイナリーなファッションとは?《制服編》』
『ファッション特集』と一括りにしてもよかったのに、わざわざ《制服編》と枠を設定したのは、様々な想いや責任があったから。
ノンバイナリー当事者の若者たちとじっくり語り合うことで、もう一度、考え直したかった。
なぜなら、制服の問題は現役生だけのものじゃないから。

スボンのベルトを締めるよりも先に心が締め付けられたり、スカートが風に舞うよりも先に心にぽっかり空いた穴に風が通り抜ける虚しさを味わっている、あるいはかつてそうであったすべての人たちに、今こそ寄り添いたい。

オンラインミーティングには、続々とメンバーが集まってくれた。
今回は新規の方たちも参加してくれて、本当にありがたい。
(何度も言っているけど、ノンバイナリーって超少数派の逸材だから、会えるだけで嬉しい。)
参加メンバーは年齢も出身地も様々で、在籍している・していた高校もバラバラだから、自分の制服のデザインについて語りながら自己紹介していくのはおもしろい。
私服OKのところだってある。
ひとつひとつの制服に、彼らの生きてきた時間や背景を思い知る。

自分で選んだ私服ならまだしも、校則に則ってデザインも着方も決められた、かつ毎日同じだった“制服”というものに、これほど多様なエピソードが溢れ出てくるとは。
驚いた。
ジェンダーによって、季節によって、通学手段によって、住んでいる環境によって、あるいは自己表現に対する思いによって、感じ方は人それぞれ。
戦闘服として立場を正当化できる場合もあれば、個性を打ち消す透明マントにだってなり得る一枚。
生地が肌にぴったり纏わり付くのと同じように、制服に付随した思い出はやっかいで、消えない。消えてくれない。
一日のほとんどを共に過ごすアイテムだからこそ、身に付けた一枚分以上の重さを抱えるのではなく、できるだけ心が軽くなるような開放感を纏ってほしい。

自由な選択肢を生み出すことと同じくらい、選択の自由を守ることは大切だ。
ジェンダー規範的ではない服装を選んだ時、性自認を誤解されたり偏見が付いて回るなら、本人にとって安心とはいえないし、“自分らしさ”を諦める理由にもなりかねない。
だから、社会のジェンダーやセクシュアリティに対する認知度・理解度を高めていく必要があって、そのためにはまず、僕ら自身が学び続けていく姿勢が大切なんじゃないかな。
夢を見ることしかできなかった僕らができることは、彼らが叶えてくれた夢を全力でサポートすること。

学校の制服を卒業した僕らがこれから、職場での制服やフォーマルな場での正装と向き合う時、それは、かつて憧れていた夢への挑戦にだってなるんだ。


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