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#29 生地胴=ジーンズ論 vol.5

◾️7  竹胴への導入


筆者が剣道を始めたのが1980年。ファイバー胴がはじめて身に着けた「胴」であり、当時は、年齢や技量ともに次の段階に進むと竹胴を手にする流れが当然な時代であった。
今では考えにくい話だが、中学生になる頃には竹胴の購入も視野に入り、高校生くらいになると竹胴プラス手刺の一式を手にするという流れも珍しくなかったのである。
この流れに早く乗ることに憧れたのが、1990年代に差し掛かろうかという頃である。この時代はサイズの概念も今ほど細かくなく、体が大きくなることを見越して、大人サイズの剣道具を10代前半で使い始めるケースが一般的とも言える時代だった。
前述の生地胴は、安価で手に入るうえに変わり種の竹胴という側面も持ちうるもので「ランクアップ」を容易にする手段としての魅力も大きなものだったはずなのだが、惜しむらくは、これまでの連載に書いてきたように生地胴が地域の小売店でほとんど取り扱いがなかったことである。
なお1980年代の後半には、ヒロヤというメーカーが「ヤマト胴」と冠した強化樹脂胴台を発売した。ファイバーとはまた違う加工や色の汎用性が高い樹脂製の胴台は、高い汎用性からキャリアを問わずに選ばれるようになり、今日に至るまでに胴の「ランク」「セグメント」を取り崩すこととなるが、それは少し先の話になる。やはり30年前即ち昭和末期〜平成初期は、胴台における変革期だったのではないかと思えるのは、あくまでも私見としておく。

◾️8  生地胴の魅力に触れる

「生地」とは、手の加わっていない状態を指す。全ての革張の胴台(竹胴)は、最初は加工が加わる前のこの状態であり「素地」「塗り下」と呼ばれる。まさに生地胴たる所以だ。ここに漆が掛かり「塗胴」になれば、その漆に傷ががつくことをネガティブに捉える場合もあるだろう。しかし、生地胴には手が掛かっていないので、やや乱暴に言うならば「傷がつく」という概念自体がない。確かに打たれれば目立たずとも傷はつき、藍染の染料が移れば汚れとも見られることもあるのだが、それはダメージというよりは素地に対しての加工となりうる。即ち持ち主の使い方、環境などにより千差万別の変化を見せ、エイジングを楽しむことができるのが生地胴の魅力といえよう。その期待感は、当時まだまだ防具(剣道具)への知識に乏しかった筆者でも容易に想像ができるものであった。(続く)

◾️ここまで振り返って

この連載は、Facebookグループの「生地胴倶楽部」内で書いていたものの再編です。
ウワサを聞きつけたという方から「Facebookやってないけど読んでみたい」という話を複数いただいて公開し始めました。
noteにアップするたびにTwitterや自分のFacebookページでお知らせしており、その際にちょっとしたリードを書いてます。

書いた当時を振り返って、別の視点からのリードを…と思ったのですが、こうやって読んでみると、そのリードでネタバレさせちゃってますね(^◇^;)
ヒロヤさんの…とか、変革期の話とか、先にTwitterで呟いてしまいました。

まだ序盤なので、お時間あるときに気長にお付き合いくださいませ。

都内のお店で発見した生地胴。かなりの年代物のようでした

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