見出し画像

#49 剣道における「スピード感」~昇段審査の都市伝説

■剣道における強さを身に着けるために

剣道における「強さ」とは何を指すのでしょうか。
試合で勝てることなのか、はたまた真っすぐに正しい剣道をするのか。
いや、そんな線引きは存在しない、ということもあるでしょう。
私は、剣道における強さとは、その人の「総合力」の高さであり、地力の高さだと思っています。
このことに関して、いろいろ考えるところがありますが、地力の高い人の剣道を見て、自らのそれを強くするために何が必要なのかを考え始めたころに書いた文章があります。
これは2010年、六段審査に合格した直後に書いたものですが、そのさらに数年前、概ね15年位前から考えていたことです。

スピード感(2010年記述)

六段を受け始めたころから漠然と考えていました。
剣道の「質」が決まってくる要素のひとつは「スピード感」にあるのではないでしょうか?
ここでいうスピード感とは
「体の動きや振りのスピードが速い。若く身体能力が高ければ高いほどスピードがあり、それこそが剣道に必要なもの」
…ということではありません。

次へ次へと展開していく流れのようなものを指します。
老齢の先生同士であっても、立派な立合いにはスピード感を感じます。この表現は、私の感覚的な表現でしかないので理解されない気がしたので、これまで文章に書いたり、言葉に出すようなことをしてきませんでした。

スピード感とは「縁を切らずに次へ次へと攻めていく姿勢」でしょうか。
以前はそんなことも気づかなかったんですが…
これをなんとか体現したくて、意地でも縁を切らないようにしたり構え直すのを早めたりしていました。
正直、一時期はこれをオーバーなまでに体現しようとしてかえって慌てることにつながったりもしました。しかし、結果的には多少の底上げにはなったと思います。

■気をつけたこと。気をつけていること

○面を打ち、打ち抜けてからの振り返りの動作を速める。無理やり竹刀の操作を早めるというよりは、やはり「足」で速く。
○振り返りの動作がそのまま次の攻め合いになっていることを意識する。
○打ち損じてしまい二の打突が出れば申し分ないが、出なかった場合には直ちに構えて相手の中心に剣先を向けるよう心掛けること。
相手の打ちをいなしたり、不本意ながら受けっぱなしになってしまっても同じ。
○お互いの距離が完全に離れ、物理的な距離が切れてしまっても気持ちは切らずに構え、自ら攻め合いを継続しにいく。

これらのことは最初「なんだか苦しいなあ。わざとらしいなあ」
傍目からそう見られるかもしれません。実際見られました。
しかし、続けていくうちに意識せずともこれがスピード感となって現れる。
そう信じて実践し続けてきました。
せっかく打ち抜けて残心まで示したのに、のんびり歩いて相手に近寄っていったり、一本技を出して次の展開に至ることもなくトボトボ歩いて中央に戻るなど、仕切り直したりして直前までの継続性が感じられない場合には
「スピードが乗ってないなあ」
と感じてしまいます。

■審査の着眼点が変わった

実は、11回も六段の審査を受けて、ほかの受審者の立合いをかなり見学しました。そこで自分なりに合否判定をしました。
「有効打突があったのになぜ不合格?」
「打たれていないのになぜ不合格?」
「あんなに打たれまくっているのになぜ合格?」
「全然いいところがないのになぜ合格?」
という周囲の評価を聞き流し
「そうだね。どうしてだろうねー」
と調子を合わせながら、実は私は全然違う着眼点で合否判定をしていました。それが上述した「スピード感」でした。

このスピード感の有無で合否判定をしたところ、2年くらい前から自分の判定が実際の判定とかなりの確率で一致するようになりました。

繰り返しますが、スピード感とは物理的な速さを指しているのではありません。それを身につけるために物理的な速さを追求することもありましたが、結局行きつくところは「縁を切らずに攻め続けよう」という意志なのだと思います。そこに手抜かりがあると、低い合格率を簡単に突破できないのではないかと考察した次第です。
その考察ができてからようやくポツリポツリと○がつき、C判定がB判定になり、A判定になり、その後認めていただけた、というわけです。
わかったような気になるのが一番深化を妨げるので、そこのところは注意しつつ、稽古を重ねていきたいものです。

今回のあとがき

ここで言うスピード感とは、打った打たれたというある意味枝葉でしかない部分に拘らず、地稽古(立ち合い)の始終一切縁を切らずに継続することで生まれる粘り強さのようなものです。剣道の見方としてこれを覚えると、審査の合否の着眼点が全く変わります。

この文章を書いて14年が経とうとしていますが、根本的なところは変わっていません。今も上述の「スピード感」は意識しながら稽古をしていますし、この文章を書いた6年後に七段審査に挑戦したときももちろんこの考えを大切にしていました。
この間、審査の立ち合いなどを見ていたときもやはり同じ着眼点で合否判定を試み、概ね正解でした。ほかの人が私と違う判定をすることも少なくなかったです。
いまだったら、また違う要素も書き加えると思います。上記だけでは不十分な要素もあります。発声や呼吸を大切にし、縁を切らない稽古を心掛けることにより、剣道の総合力が高まるということが趣旨となります。
また、このころから「昇段審査の都市伝説」について考察している部分も多分に見られますので、ほかの投稿と合わせて読んでいただけるとまた新しい発見があるかもしれません。

だいぶ若い頃に書いたのであまり良い文章とも言えませんが、さりげなく世に出しておきたいと思います(笑)
とりあえず今日はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?